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ヒロが午後に書斎へ向かおうとしていると、ずっと周りを護衛していた兵士のもとになにやら伝達の人物がやってきた。彼らは少し話をしたあとヒロの方を向き、もう城の方へ帰ることになりました、と告げた。

彼らはヒロに別れを告げると屋敷から出ていった。守衛とともに取り残されたヒロは、とりあえず、やっと解放されるのか、と安心のため息をついた。




数日ぶりに1人で書斎にきたヒロは、気になる本を手にとって、本棚のそばの地べたに座り込むと、その本を読み始めた。久し振りに本に没頭できる、と思ったヒロだけれど、すぐに、マーガレットの顔が浮かんだ。


「(…謝りたい)」


ヒロは、本から床へ視線を移して、呆然とそう考える。マーガレットが、ランドルフへヒロのために忠告していたようだ。好きな人に怪訝に思われるだろうことも憚られずに。ヒロは目を伏せて、立てた両膝に顔を埋めた。


「(でも、どんな顔をして、何を話せば…。私に愛想を尽かして、もう拒絶されてしまったら、そうしたら、どうしたら…)」


もんもんと考えながら、彼女はこんな自分に嫌気が差したのか、と思うと更に気持ちが沈んだ。












エドが会議出席のために城内を移動していると、義兄であるダグとすれ違った。気がついて立ち止まると、向こうもエドに気がついて、こちらへやってきた。


「おう、久し振り!」


ダグは気さくにエドの肩を叩く。お久しぶりです、とエドは返す。あの日から姉の忠告を守り一度も姉のもとへ行っていなかったため、彼に会うのも久しぶりだった。


「明日はよろしく」


ダグはそう笑った。エドはこちらこそ、と返す。明日、エドはダグの家の領である港へ他の城で働く貴族たちと視察へ行く予定だったのだ。


「姉さんは元気ですか?ダンとリンは?」


エドが訪ねると、ダグは、ああ…と曖昧に返した。エドは、そんな彼に首を傾げる。


「実はリサ、3人目妊娠中で、この秋に生まれる予定。んでもって、今は絶賛つわり状態なんだよ。」


ダグの言葉に、エドは目を丸くした。


「そうなんですか?それはおめでとうございます」

「ありがと。…でさ、リサが寝込んで子どもたちの相手ができてなくってさ。俺が仕事のときは使用人任せになってるんだけど、ダンもリンも賢いから、リサの体調不良を理解して母親に甘えたい気持ちを我慢してくれてたんだが、やっぱりまだまだおちびだからさ、不安定になってきたというか、それで最近、おじちゃまに会いたい会いたいって俺の前でだけ泣くようになったんだよ」


ダグが、頼むよ、とエドの前で両手を合わせた。エドは、口は立つけれど、年相応に母親に甘えたい2人を思うと不憫に感じた。ダグはエドをちらりと見ながら言葉を続ける。


「明日視察の後、うちに顔出してくれよ。少しでいいからさ」

「明日…」


エドは、視察さえ終われば急ぎの用はないので、そのまま姉のところへ行くことは可能であることを考える。しかしすぐに、姉に言われた言葉を思い出して非常に行きにくい気持ちになる。


「(…しかし、ダンとリンがそう言ってくれるなら、顔を出してやりたい…)」

「ヒロも一緒にさ」

「え」


エドは固まる。この状況で、ヒロを義姉の家に一緒に来てくれ、なんて、エドは口が裂けても言えないような気がした。なー、頼むよ、とダグはエドに懇願する。


「ヒロは甘い物好き?うちの街に、国のコンテストで優勝したパティスリーがあるからさ、そこのケーキたくさん用意するし」

「(…この状況で、ヒロをケーキで釣れと…?!…まあダグは俺たちのことは知らないけれど…)」

「なっ?決まり!明日待ってるから!」


ダグは強引に約束を取り付けると、笑顔でエドの前から去った。エドはそんな義兄の後ろ姿を見つめながら、はあ、とため息をついた。











アリスは、リビングでくつろいでいた。すると、使用人が、お客様がいらっしゃいました、とアリスに告げた。アリスが使用人に微笑むと、使用人は客人であるマーガレットを連れてきた。マーガレットは、こんにちは、とぎこちなく言うと、アリスの向かい側のソファーに腰掛けた。使用人がアリスとマーガレットのお茶を用意し終わるのを待ってから、アリスは口を開いた。


「どうですか、お気持ちは落ち着きました?」

「…」


アリスに笑顔で尋ねられて、マーガレットは、唇をかみしめて、後悔で一杯の顔をした。


「私は…私はなんでヒロにあんな酷いことを…!」


マーガレットは両手で顔を覆って肩を落とす。ランドルフがヒロを好きなことは、別にヒロが悪いわけじゃない。ヒロがランドルフと結婚するかもしれないという流れになったのだってそう。それなのに、マーガレットは感情的になって、ヒロを責めるようなことを言ってしまった。

アリスは、後悔に悶え苦しむアリスを、にこにこの笑顔で見つめた。マーガレットは、それに、と続けた。


「ランドルフお兄様の前で、私、泣いてしまったの…。もう私、お兄様に会えない…、いえ、どのみちもう会えない、ヒロと結婚したランドルフお兄様に私、会えるわけがない…顔を合わせられない…」

「まあ、エドとヒロが離婚する前提でお話なのね」

「……それもそうか…」


マーガレットは、それはエドに悪いか…、と呟いた後、はあ、とまたため息をついた。

アリスは、マーガレットの瞳をじっと見つめて微笑んだ。


「それで、もうヒロとランドルフお兄様にお会いになるつもりはないんですか?」

「…」


マーガレットは目を伏せたあと、頭をふった。


「…謝りたい、ヒロに…。また前みたいに、友だちに戻りたい。私、ランドルフお兄様が好きだったわよ。だから、ランドルフお兄様が好きなヒロのことをずっと、友だちだけど羨んでいた。妬みだってきっとあった。でもそんな気持ち以上に、私はヒロのことが好きなんだもの。…好きだから、だからこんなに複雑なのよ。いっそ嫌いになれたらよかったのに、そんなことできそうにないんだもの」


マーガレットはそう言ったあと、でもどうやって…、と項垂れた。そんなマーガレットを、アリスは笑顔で見つめる。


「そもそも、しおらしいのが、なんだかマーガレットらしくありませんわ」

「…私らしくない?」

「ええ。いつものあなたなら、もっと活発で明るくいらっしゃるじゃない。そのとおりにいればよろしいのよ。ヒロに対しても、ランドルフお兄様に対してもよ」

「…無理よ。ヒロとは喧嘩してるし、ランドルフお兄様にだってあんな顔を見せてしまって…。そもそも、ランドルフお兄様はヒロみたいなタイプがお好きなのに、普段の私でいたら好かれないわよ」

「かといって、大人しい自分を振る舞い続けられないでしょう?それに私、マーガレットの素の性格がとっても可愛らしいと思いますわ」

「…」

「人はきっと、皆多かれ少なかれ誰かのことを羨ましいと思っているものですわ。自分のことも誰かが羨んでいることに気が付かずに。みんなないものねだりで欲張りで。…でも、どんなに誰かのようになりたくても、自分は自分にしかなれないんですもの。もっとご自分のことをお可愛いんだと、そう気が付いたほうがよろしいと思いますわ。もちろん、素のままの自分を拒絶されたら、素直に引き下がって、自分が受け入れられる場所へ移動するべきだと思いますけれど」

「…」


マーガレットは、アリスの瞳を見つめたあと、ゆっくり視線を落とした。アリスが微笑んだ時、あれ、という声が聞こえた。


「マーガレット、いらっしゃい」


ウィルが、リビングを通りかかった。マーガレットは、はっとすると、お邪魔しております、と頭を下げた。ウィルはそんなマーガレットに微笑んだあと、あたりを少し見回した。


「あれ、今日はヒロがいないの?ケンカした?」

「…」

「…あれ、当たっちゃった?ごめんごめん、そういうこともあるよね」


ウィルはマーガレットの表情を見て察すると、淡々と謝罪した。そんなウィルとマーガレットを見つめて、アリスは、ふふ、と口元に手を当てて微笑む。


「さあさあお兄様、女性のお話に割り込むなんて失礼ですわよ」

「失礼いたしました。俺は退散します」


ウィルはそういうと、そそくさと言葉を去った。その背中を見つめてアリスは微笑む。そして、マーガレットの方を見た。


「大丈夫ですわ。きっとヒロだって、マーガレットと同じ気持ちだと思います」


アリスの言葉にマーガレットは、ゆっくり微笑む。そして、ありがと、と呟いた。












仕事を終えたエドは、夕方頃に自宅に戻った。馬車を降りて中庭を通ると、中庭で花の世話をするヒロの姿が見えた。エドは一瞬固まった後、ヒロのところへ向かった。

ヒロはじょうろを持ったまま、ずっとぼんやりと花の方を見ていて、エドが来たことに気がついていないみたいだった。


「…ただいま戻りました」


エドがヒロの背中に声を掛けると、ヒロは驚いた様子でエドの方を振り向いた。その拍子に、じょうろの中に入っていた水が、ヒロのスカートに飛び散った。ヒロは濡れたスカートを見て、ああ…、と無念そうに声をもらす。


「大丈夫ですか?」


エドは、すいません、突然声をかけて…、と謝りながら、自分のポケットからハンカチを出した。そして、しゃがんでスカートの濡れたところを拭こうとした。すると、慌ててヒロは頭を振り、大丈夫です、と濡れたスカートの裾をエドから離すように片手で掴んだ。


「すぐに乾きますから」

「でも、」

「大丈夫です、ごめんなさい」


ヒロは頑なに断る。エドはしゃがんだ態勢のまま、目を伏せるヒロを見上げる。


「(…不倫男には触られたくないか…そうか…)」


エドは傷つきながらゆっくり立ち上がる。ハンカチをポケットにしまうと、エドは少し黙り込んだ。そして、ヒロの方を見た。


「…明日、お時間ありますか?」

「明日ですか?」

「…姉が体調不良で、お見舞いに行こうかと。…明日俺は姉の家の近くで仕事なので、現地集合にはなりますけれど」


ご都合悪ければ構わないんですけれど、とエドが付け足すと、ヒロは少し考えて、それから、わかりました、と頷いた。エドは、ヒロが了承したことが意外で目を丸くする。


「(…仮面夫婦とはいえ、親戚付き合いはしてくれるのか…そうか…)」


エドはぽつりと考えながら、義務的なことはしてくれるのか、と気がつく。そして昨夜のことも、義務として受け入れていたのかと思うとまた項垂れたくなる。

エドは気持ちを入れ替えようとネクタイを直し、では、とヒロに言った。


「明日の夕方頃に、オーサー邸に来てください。場所は運転手が知っていますから」

「わかりました」


ヒロは頷くと、また花壇の方を向いてしまった。彼女の中でエドとの会話は終了してしまったらしい。エドはその背中を見つめる。


「(…これまでなら、ケーキを用意してもらえるみたいだとか、そんな他愛もない話がこの人とできたのに)」


エドはそんなことを思って胸の奥が締め付けられる。彼女との関係がこうなってしまった原因など分かりきっているのに、経緯を聞いてくれないヒロと、怯えるヒロの顔を見られない自分との不協和音によりどうにもならなくなっている。

エドはヒロから目をそらすと、1人で屋敷に戻った。



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