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ヒロの前から去った後、マーガレットはアリスを家に送り、そのままスミス侯爵家へ場所を走らせた。

衝動的に来てしまったスミス侯爵家の前で、マーガレットは、馬車から降りてしばらく門の前で立ちすくんでしまった。

小さく息を吐いたとき、マーガレット?という声がした。マーガレットが顔を上げると、屋敷の方からランドルフが歩いてくるのが見えた。


「一体どうしたんだ?…ヒロならアディントン侯爵家だぞ」

「…ええ、わかってます。…ランドルフお兄様は、今からお出かけですか?」

「ああ。…ヒロに用じゃないならどうしたんだ?」


ランドルフはマーガレットを見下ろす。マーガレットは目を伏せて両手をお腹の前で握る。ただ会いたくて来てしまっただけで、話すことなんて考えてこなかった。

いつもと様子の違うマーガレットに気がついたランドルフは、腰をかがめてマーガレットの顔をのぞき込んだ。マーガレットの目に、ランドルフの瞳が映る。あのときと変わらない優しい瞳に、マーガレットは心臓が握りつぶされるような心地がした。


「どうしたんだ?」


ランドルフの声を聞いて、マーガレットは両足の力が抜けるのを感じた。それでもマーガレットは、意地と気力で立ち続けた。

マーガレットは、ランドルフの瞳を見つめ返した。ずっと好きな人だった。この人がヒロのことを好きだということなんてわかりきっていた。でもいつか、いつか自分の方を見てくれないかと、そう期待していた。そんな夢が、無残にも砕け散るのをマーガレットは感じていた。

マーガレットは、ランドルフに笑顔を見せる。


「ヒロとご結婚なさるんですよね」


ランドルフは、マーガレットの言葉に目を丸くした。すると、頭を掻きながら、決定ではない、とぶっきらぼうに返した。


「でも、良かったじゃないですか。お兄様はずっとヒロのことが好きだったんですもの」

「……なんで、」

「見ていたら分かります」


マーガレットはそう言って微笑む。ランドルフは、なんとも気まずそうな、恥ずかしそうな顔を浮かべる。

おめでとうございます、と言いかけて、マーガレットは言えなかった。のどの奥がきゅっとしまって、言葉が出なかった。かわりに、鼻がツンと痛み、目から涙が溢れてきた。駄目だ、と思ったときにはもう遅くて、マーガレットは涙を一粒二粒と頬に伝わせていた。マーガレットの涙に気がついたランドルフは、目を丸くした。


「…あなたが幸せになるのなら喜ばなくてはいけないのに、喜べない。おめでとうって言える大人になれていると思い込んでいました。…私は全然子どもでした」


マーガレットはそう言うと、目を伏せてランドルフの前から逃げ出した。そして、馬車に乗り込んだ。ランドルフは、その場でしばらく立ち尽くしてしまった。











マーガレットとアリスが帰ってから、ヒロはずっと部屋にいた。ぼんやりとベッドに寝そべって、暗くなっていく景色をぼんやりと眺めていた。

マーガレットの涙に、ヒロは頭を殴られたような衝撃がしていた。


「(…私のせいで、大切な人を傷つけてしまった。愚図な私のせいで…)」


ヒロはベッドに顔を埋める。マーガレットが泣いていた。自分のせいで。そんな事実に、後悔と情けなさが湧き上がる。


「(どうしたらいい…)」


ヒロはそう自分に問いかける。自分は一体どうしたら。


「(…いっそもう、このままエドのところにいたらいいんだ)」


ヒロはそんなことを思った。エドがすでにパメラに気持ちが移っていたとしても、彼女は隣国に嫁いでしまっている。彼が彼女と再婚することはできない。ならば、ヒロと仮面夫婦でいることは彼にとって悪くない話だ。パメラとは一度の過ちだったとしても、他の女性とも同じようなことがきっと繰り返されるだろう。その場合でも、仮面夫婦が都合のいい関係だ。ヒロがエドを好きだろうと、ヒロが叶わないその気持ちに蓋をしていたらいいだけ。自分がただこれまでのように透明になればいいだけ。そうしたら、離婚して家族に迷惑をかけなくていい。ランドルフにこれ以上気を持たせることをしなくてもいい。


「(…そうするしかない、それが一番いい)」


ヒロは、マーガレットとの記憶を思い出す。いつも明るくて、世話焼きで、何度彼女に助けられたかわからない。ヒロがどれだけ彼女のことを好きだったか計り知れない。それでも、自分と違って人から好かれる彼女を羨む気持ちがあったことも事実だった。あの時、つい口走ってしまった言葉と、マーガレットの気持ちに気がつけなかった自分に、ヒロは腹が立つ。


「(…マーガレットに謝りたい…でもどうしたら…)」


マーガレットにどう謝ったらいいのか、どう話せばいいのか、ヒロは全く何も浮かばずに、ただただ頭を悩ませるしかなかった。










ヒロをなんとか実家から呼び戻した翌日、エドは領内での仕事が長引いて、帰るのが遅くなってしまった。なぜこうも、早く帰らないといけない時にこういう事態が重なるのか、エドは頭を抱えたくなるけれど、早く帰ったところでどうせヒロは自分と顔を合わせたがらないか、という絶望的なまあいっかを頭の中で呟いた。


エドは部屋に戻ると、シャワーを浴びて寝る準備をした。濡れた髪をタオルで乾かしながら、約束の期間まであと2週間か…と心のなかで確認した。この絶望的な状況をどう打破したらいいのか、エドには皆目見当がつかなかった。


「(義兄さんに抱きしめられていた…)」


あの時、スミス侯爵家で目撃した光景を思い出して、エドは床に伏せたくなる。ヒロが自分以外の男の腕の中にいた。その事実に猛烈にエドは嫉妬する。息ができないほど胸が苦しくて、悔しくてたまらなくなる。

エドは深呼吸をして自分の気持ちを抑える。


「(…ヒロは、義兄さんを選ぶのだろうか。一緒にいた期間は彼とのほうが長い。彼女からしたら、彼のほうが俺より信頼できるだろう。彼は真面目で誠実だと噂に聞く。俺は女性関係について前科ありの上に現在進行形で疑いをかけられているわけで…)」


敗色濃厚の気配を察して、エドはうなだれる。

考えても仕方がない、明日も早いから、さっさと寝てしまおう、と思っていたら、ヒロの部屋と繋がるドアからノックの音が聞こえた。エドは、幻聴かと思いながら、しかし念の為扉のそばに近づいた。すると確かに、扉からノックの音がした。


「…はい」


エドは、恐る恐る返事をした。すると、扉の向こうからヒロの声で、今少しだけよろしいですか、と聞こえた。

エドは、何があったかわからないけれど、とにかく久しぶりにヒロとこうやって顔を合わせられることの喜びが湧き上がりながら、しかし外側は落ち着いた様子を整えて、大丈夫です、と返すと、扉を開けた。そこには、もう寝る準備を整えていたヒロがいた。ヒロの表情はやたらすんとしていた。


「遅くに申し訳ありません」

「いいえ。…どうぞ」


エドはとりあえず座って話そうと自分の部屋に促した。しかしヒロは、いいえここで大丈夫です、と返した。そして、エドの方を見上げた。


「…もうすぐ、夫婦を継続するかどうかを決める期限が来ますよね」


ヒロの言葉に、エドはぎくりとした。もしかして、もう見切りをつけられたのだろうかと、そう思ったときに、私、とヒロが続けた。


「私、あなたとこのまま夫婦でいられたらと思います」

「…は?」


予想外の言葉に、エドは固まった。エドは瞬きを数回くり返したあと、まじまじとヒロを見つめた。


「…良いんですか?本当に?」

「あなたさえよければ」

「それは、俺はもちろんそうしてもらえるのが一番ですけれど、でも…」


ヒロの言動が、ここ最近の流れからしたら整合性が取れず、エドは混乱する。一体何がどうなって、彼女は自分と夫婦であり続けることを了承したのか、エドにはさっぱりわからなかった。


「では明日、実家に行って両親にそう伝えてきます。ランドルフお兄様にもお断りをします」

「俺も行きます。…ああでも明日は、…明後日なら…いや、…ええと…」

「大丈夫です。お気になさらないでください。…夜分に失礼しました」


ヒロはそう言うとエドに頭を下げて扉を閉めようとした。エドはすかさず扉に手を入れて、扉を閉めさせないようにした。


「ま、待ってください」

「はい」


ヒロはエドの方を見た。どう考えても様子がおかしいヒロに、エドは困惑する。エドは、あの、とヒロの方を見た。


「このまま正式に夫婦にとなるのなら、俺たちは一緒に寝るべきだと思います」


エドはそう言って、ヒロの反応をうかがった。ヒロは少しだけ黙ったあと、わかりました、と言うと、素直にエドの部屋に入った。そして、久しぶりにエドのベッドに腰を掛けると、これまで寝ていた定位置に体を横たえた。エドはそんなヒロに更に疑問が広がりつつ、取り敢えず部屋の電気を消した。そして、自分もこれまでの定位置に体を横たえた。


「(…なんなんだ…夫婦になると言ったのにどうしてこんな態度なんだ…)」


エドはゆっくり体を起こし、遠く離れた隣に、彼に背中を向けて眠るヒロを見た。

エドはしばらく考えたあと、ベッドの上を進み、ヒロのそばに来た。そして、ヒロの顔のそばに手をつくと、体を横にして寝るヒロに覆いかぶさる体勢になった。ヒロはエドの方をゆっくりと見上げた。エドは、ヒロの瞳を、探るような視線で見つめた。


「夫婦だというのなら、…構わないんですよね」


エドはヒロにそう問うた。あの夜のことから考えれば、彼女が夫婦になる気がないのなら嫌がるはずだとエドは考える。またあの顔を見なくてはいけないのかと思うと、エドは目をつむりたくなる。

ヒロは、しかし従順に、エドと向かい合うように仰向けの姿勢に変えた。そして、エドの目をまっすぐに見つめた。


「はい」


ヒロはそう、短く答えた。どこか諦めたような、そんな彼女の様子にエドはがくりとうなだれたあと、ヒロの肩を両手で抱き、ゆっくり彼女の体を起こした。そして、ヒロの瞳をまっすぐに見た。


「おかしいです、こんなの変です」

「…」


エドの言葉に、ヒロは目を伏せた。そして、ごめんなさい、と謝った。エドは困惑と心配の瞳をヒロに向ける。やはり、パメラの件のせいか…、とエドが考えていると、向かい合って座るヒロが自分の手で寝巻きのボタンを1つ2つと外し始めた。それを見て度肝を抜かれたエドは、慌てて服を脱ぐヒロの手を自分の手で制した。


「違います!そういう意味ではなくて…!」


エドは、一度深呼吸したあと、あの、とヒロの目を見た。


「…もう、いい加減に説明させてください。俺はあの日パメラと、」

「…っやめて!」


ヒロは両手で自分の耳を押さえた。そして、目線をエドから下へ移した。おびえるヒロに、エドはまた言葉を失う。


「…聞きたくない、それ以上、知りたくない…言わなくて良い、言わなくて良いんです…」

「でも、俺は…」

「もうやめてください…」


ヒロは声を震わせる。エドは怯えるヒロを、心配する瞳で見つめる。ヒロはひどく怯えた様子で話し始めた。


「…あなたは私を愛することはない。私もあなたを愛することはない。…そんな結婚が、やっぱり結局一番いいと思うんです」

「……」

「ごめんなさい、今日は自分の部屋で寝ます」


ヒロはそういうと、逃げるようにエドの部屋から去っていった。エドはただ、呆然とその場に座り込んだままでいた。


「(…夫婦は夫婦でも、仮面夫婦の方か…)」


ヒロの言わんとしていたことにようやく気がついたエドは、またがくりと項垂れた。

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