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エドがパメラと出かけた日から3日連続で、ヒロは自分の部屋で1人で寝た。ビル伯爵夫人と会った日は、そもそもヒロが寝る時間にはエドが帰ってこなかった。

朝も、ヒロは2日連続で寝坊した。だからヒロは1人で朝食を取った。使用人たちは、ヒロに気を使いながらも、いつも通り会話をしてくれたので、ヒロの心はいくらか晴れた。けれど、1人で花の世話をしたり、本を読んだりしていると、常にもやもやとしていた。花を見ても、何も綺麗だと思えない日が、ヒロに続いていた。











パーシー王子の自室にて、エドは会議の資料を持ってパーシー王子と向かい合って座っていた。

エドの説明を、王子は頬杖をつきながら片手でペンをいじり、頻繁にあくびをくり返しながら聞いていた。エドはそんな王子をちらりと見ると、心の中でため息をついた。来週初めて会議に出席するというのに、何もわからないまま出るつもりだろうかと、エドは王子の姿勢に呆れた。現国王と違い、奔放で、怠惰で、女性に声を掛けることばかり考えていると噂されているだけのことはある、とエドは思う。彼への説明の時間を割くために、エドは昨日残された仕事に追われて、家に着いたのは深夜だった。おそらく今日も同じようなことになるだろうし、休みの日も城に出てくることになるだろう。その努力が、この王子のためだと思うとエドはうんざりした。


「…ここまでで、なにかご質問はございますか?」


エドが尋ねると、王子はちらりとエドの方を見た。そして、ペンでエドの方を指した。


「お前、そういえば結婚したんだったな。お前の女性関係の噂がめっきり聞こえてこなくて、不思議に思っていたんだ」

「…会議の内容でご質問はございませんか?」

「お前ばっかり女の関心を集めているのが気に食わなかったんだ。それが落ち着いたようでよかった。にしても、お前の妻というならどれだけの女なんだろうな」

「…ないようでしたら、続きを始めます」

「そうだ、お前の妻を一晩俺にかせ。俺は次の王様だぞ。言うことが聞けないなら、俺の代になったあかつきにはお前の家を冷遇してやるからな。お父様はお前にやたら甘くてむかついていたん、」


王子が言い終わる前に、何かが折れる鈍い音がした。エドの手にあったペンがエドの手によって折れて、中のインクが飛び散り、黒いインクが王子の頬についた。エドは、ひどく冷めた目で王子を見据えた。


「そろそろよろしいでしょうか」

「……ああ…」


王子は、さっと姿勢をただし、資料に目を落とした。エドは淡々と説明を再開する。王子はちらりとエドを見つめる。


「…冗談だからな?」

「だとしても、言っていいことと悪いことがあります」

「……はい」


王子はしゅんと小さくなりながら、その後はエドの説明を真面目に聞き始めた。

エドは急に真面目に手を動かし始めた王子を横目に、心の中でため息をつく。


「(どいつもこいつも、なんでヒロに当たるんだよ…。俺に恨みがあるなら俺に言ってくれ…)」


エドは頭痛すらしたが、しかし、自分に恨みがあるなら、ヒロを攻撃したほうが効果があるのか、とも思う。エドは、うなだれたくなる気持ちを抑えて、王子への説明を続けた。




王子への説明を終えて、エドが事務室に戻れたのは夕方だった。はあ、とため息をつきながら、1人きりの事務室で今日中に終えないといけない仕事にエドは取り掛かる。

しばらく作業を続けていたら、扉が開いた。中にウィルが入ってきた。ウィルはエドの隣りに座ると、おつかれ、と声をかけた。


「どう?例のボンクラ王子、文字くらいは読めてた?」

「一応、会議の内容の疑問点を纏められるくらいにはなったよ」

「えっ、ほんと?すっご。どんな手を使ったの?」

「…さあ…」


エドは、インクのしみついた手を苦々しい気持ちで見つめたあと、また作業を始めた。ウィルは、ところで、と続けた。


「パメラがヒロに危害を加えるようなほのめかしをしてたこと、一応叔父さんの耳に入れておいたから」

「陛下にまで…」

「そしたら、国の兵士2人、エドの家に派遣するって」


ウィルの言葉に、エドはむせた。せき込み終わると、エドはウィルの方を見た。


「…お気持ちだけいただいて遠慮するよ。うちにも守衛がいる」

「まあ、叔父さんもじっとしてられないんじゃない?それに、万が一にもパメラが事件を起こしたらまずいし。まあどうせパメラが他国に行くまでの数日かそこらの話だよ」

「…」


エドは、何やら大ごとになってきた…、と心の中で呟いた。









ヒロは、書斎にこもって本を読みながら、ちらりと顔をあげた。書斎の中に、家の守衛が2人控えており、外にはなんと、国から来たという兵士が扉の前で立っている。ハンナに尋ねると、最近物騒だからだそうです、としか答えなかった。


「(……なにも内容が頭に入らない…)」


ヒロは椅子に座りながら、落ち着けない気持ちでため息をついた。昨日からずっと警護されており、ヒロは息苦しい気持ちでいた。ただでさえ、エドとパメラのことで心が落ち着かないのに、複数の護衛が必ずあとをついてくる生活に、二日目にしてヒロは音を上げてしまった。

ヒロは本を読むのを諦めて、本を本棚にしまうと立ち上がった。すると、護衛の係は当然のようにヒロについてきた。





護衛の者を4人ひきつれて、ヒロは中庭で花の世話をすることにした。背後に誰かがいることを気にしないように、ヒロは作業をした。

花壇で作業をしながら、ヒロはふと、結婚するよりも前にマーガレットとアリスと会ったときのことを思いだした。ベル伯爵家の屋敷にヒロとアリスはお呼ばれして、その家の庭をヒロは楽しそうに眺めていた。そんなヒロを見たマーガレットが、ヒロってさ、と話し掛けた。


「なんか…植物みたいよね」

「植物?」


ヒロはきょとんとしながらマーガレットを見た。マーガレットは、だって、と微笑む。


「何を話してもにこにこしててくれるから、なんていうか、居心地がいいのよ」

「ふふ、わかるような気がしますわ」

「…それ、植物っていうの?」


ヒロは首をかしげる。マーガレットはそんなヒロを見て目を細めたあと、でも、と困ったような顔をした。


「このヒロの雰囲気を、何を言ってもいい人って履き違えちゃう人がいる気がするのよね」


マーガレットの言葉に、アリスは頬に手を当てて、にこにこと微笑む。


「それは…先週のパーティーでお話した男性たちのことをおっしゃってますか?」

「そうそう、そいつらよ。思い出したら苛ついてきた…」


マーガレットは、眉をひそめたあと、怒りを鎮めるようにふうと息を吐いた。そして、ヒロの方を見つめた。


「…でも私は、ヒロのこういう感じが好きなのよね」


マーガレットの言葉に、ヒロは、えっ、と声をもらす。マーガレットはヒロと目が合うと、ふふ、と微笑んで目を細めた。ヒロはそんなマーガレットに瞬きをくり返したあと、嬉しくて顔をほころばせた。2人で見つめ合ってふにゃふにゃな顔で笑っていたら、アリスが、あら、と口元に手を当てて笑った。


ヒロは、そんな過去の記憶を思い出して、小さく口元を緩める。そのとき、護衛の人たちに見られていないかと慌てて顔を引き締めた。口の中を噛んで笑みを止めながら、この窮屈な日は一体いつまで続くのだろうか、と考えた。










日曜日の朝が来た。ヒロは寝坊の連続記録を更新しながら、ハンナとゆっくり着替えた。今日はエドも仕事が休みの日だから、とうとう顔を合わせなくてはいけないのか、とぼんやり考えていたら、ハンナから、旦那様はもう出られましたよ、と告げられた。ヒロは、え、と声を漏らした。


「…誰かとのお約束でもあるのでしょうか」


ヒロは、パメラとのことを思い出しながら、そんなことをぽつりと尋ねた。そうしたらハンナが、いいえ、と頭を振った。


「お仕事だそうです」

「お仕事…」


本当だろうか、とヒロは思った。そういえばここ数日、ヒロの起きている時間にエドは帰ってきていない。もしかして、パメラと会っているのだろうか。あの日からまた思いが通じ合ったというのか。自分がエドなら、自分なんか選ばない。そんな考えが浮かべば、ヒロはどんどん悪い方向にばかり想像が働かされた。

様々な憶測が頭の中で広がりながら、ヒロは、そうですか…、とだけハンナに返すと、着替えを再開した。ハンナは少し黙ったあと、奥様、と口を開いた。


「そろそろ、一度旦那様とお話しされませんか?あの日は動揺されていたでしょうけれど、少し時間が経って、少しだけでも落ち着けたのではないですか?」

「…」

「……無理にとは、申しませんけれど」


ハンナはそう言うと、それ以上ヒロに言わなかった。彼女もエドのことを怪しんでいるのだろう。ヒロは、ハンナに何も返事ができないままでいた。





昼食を終えて、ヒロは中庭のテーブルに座ってぼんやりと花を見ていた。3月の春の日差しがぽかぽかと暖かい。ヒロは太陽の下で咲く花を眺める。しかし、とても綺麗だとは思えない。せめて庭でゆっくりしようにも、視界の端に護衛の姿が見えてどうにも落ち着かない。ヒロはテーブルに頬をつけて、はあ、とため息をついた。

すると、屋敷に馬車が到着する音が聞こえた。エドが帰ってきた、と気がついたヒロは、咄嗟に椅子から立ち上がった。姿を見られる前に屋敷に戻ろうとヒロが歩き出すと、それに続くように護衛の人たちもついてきた。ヒロは、彼らの方を振り返る。


「(…いや、目立つ…こっそり屋敷に戻ろうにも、この人たちがいたら、私がここにいるのがエドから遠目にでもバレる…)」

「どうかされましたか?」


護衛の1人がヒロに尋ねる。ヒロは、いえ…、と苦笑いをもらす。すると、後ろの方でエドが中庭を通って屋敷に向かってくるのが見えた。ヒロは、遠くのエドと目が合って足が固まる。護衛たちはエドに気がつくと、さっとヒロの前からどいた。

エドはヒロの前にやってきた。そして、ヒロの方を見つめた。ヒロはエドの顔が見られずに目を伏せた。


「…ただいま戻りました」

「……おかえりなさいませ」


ヒロは深々と頭を下げると、そのまま逃げるようにこの場を去ろうとした。しかし、エドの手がヒロの腕をつかんだ。ヒロは、エドにつかまれた部分を見た。治りかけの手の甲の傷が見えて、ヒロは固まる。エドはヒロの視線に気がつくと、これは…、と口を開いた。


「この傷は…いや、パメラと会った日の話を、聞いてほしくて、」

「言わなくていいです!」


ヒロは恐怖から咄嗟にそうエドの言葉を遮った。エドは、ひどく怯えるヒロに口をつぐんだ。ヒロは視線を上げられないまま、荒くなる呼吸を整えるように、肩で息をした。

これ以上聞いてしまったら終わりだとヒロは思った。この人は今から、やっぱりヒロよりもパメラが良かったという。ヒロのことはやっぱり好きじゃなかったという。勘違いだったという。ヒロにはもうそうとしか思えなかった。こんな自分が、愚図な自分が、やはり選ばれるわけがなかったのだ。ヒロの頭の中が真っ白になり、例えようのない恐怖に感情が占領される。

逃げたい。ヒロは思った。ここは私の居場所ではもうない。かといって、どこに私の居場所がある?

頭が混乱した時、ヒロは、ビル伯爵の家で会った父と母の笑顔が咄嗟に浮かんだ。


「……実家に、帰らせてください」


気がつけば、ヒロはそんなことを口走っていた。ヒロの言葉に、エドは、え、と声を漏らした。エドはしばらく固まったあと、それは…とゆっくり口を開いた。


「それは、…パメラの件で、ですか?」

「……実家の花壇が、気になるからです」

「………」


エドが、ヒロの言葉に固まる。エドは数回何かをいいかけては口をつぐむというのをくり返したあと、…わかりました、と返した。そして、ヒロからエドは手を離した。

ヒロは、エドの顔を見られないまま、帰る許可が出たことに胸に穴が開けられたような気持ちになった。ここから逃げたい。でもどこか、心の底で、帰らないでと言ってくれるのではないかと期待していた馬鹿な自分がいたことに、ヒロは気がついて情けなくなる。当然だ、だってもう、この人は私のことが好きじゃない。そもそも最初から、本当に好きだったかも今では疑わしい。


「(…そんなこと、言われるわけがない)」


ヒロは、ありがとうございます、とエドに頭を下げると、そのまま逃げるように屋敷に戻っていった。

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