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結婚式は、アディントン侯爵家で行われた。

ヒロが初めて訪れたアディントン侯爵家の屋敷はとても大きくて綺麗だった。大きな家同士の結婚式であるため、会場にはたくさんの人が招待されていた。

ヒロは、新婦控室にて、純白のウェディングドレスを身に纏い、鏡の前に立っていた。


「(…馬子にも衣装…って感じかしら)」 


鏡に映る着飾られた自分なんてろくに鏡で見られないまま、ヒロはそう自虐する。ドレスを着せてくれたアディントン家の使用人の、本当にお美しいですというお世辞を笑顔で受け流していたとき、扉がノックされた。部屋に入ってきたのは、あの日以来初めて会うエドだった。

エドは、白のタキシードを着ていた。彼のスタイルの良さと顔の良さがより引き立つ衣装に、隣を歩きたくないとはっきり頭の中でヒロは思った。

エドはヒロを見るとにこりと微笑んで、とても綺麗ですよ、とさらりと言った。そんな彼に、ありがとうございます、と余所余所しくヒロは返す。

ふと、見上げたエドの口の端に何やら赤いものが付着しているのに気が付き、ヒロは、あ、と声をもらした。そんなヒロに、エドが首を傾げる


「何か?」

「口元に何か…あっ」


よくよくヒロが見ると、それは口紅だった。ヒロは、まさか結婚式の日に他の女と逢瀬を交わしていたなんて、とエドを見上げた。エドは鏡で自分の口元を確認すると、指で口の端を軽くぬぐった。そして、ヒロの目を見て、失礼、と軽く笑った。ヒロは呆然とエドを見つめてしまった。


「(い、…いっそ清々しい…)」


ヒロは、そうか、お互いが愛し合わない結婚とはこういうものか、と改めて理解しながら、相手がこんな感じならば何も罪悪感を抱く必要がないのだと改めて悟ることで胸がすっと軽くなった。

ヒロは、控室の窓から外の様子を見る。外はきれいに晴れていて、手入れのされた中庭がきらきらと光っている。


「(…あの辺りで花を育てられるかしら)」


ヒロは輝く瞳で、初夏の太陽に照らされた中庭を見つめる。エドは、なぜか生き生きとしだしたヒロの横顔を怪訝な顔で見つめる。ヒロは、はたとエドの方を見る。エドはそんなヒロに少しだけ驚いた後、にこりと笑った。ヒロはそんなエドにきらきらとした瞳を向ける。


「私、ここに来たら、お庭でお花を育ててもよろしいですか?」

「は?」


エドは、結婚式の当日にそんなことを聞くヒロに拍子抜ける。


「ええ、どうぞお好きに」

「本当ですか、ありがとうございます」


ヒロは嬉しそうに目を細める。そんなヒロに、エドは目を丸くする。


「(…この人、こんなふうに素直に笑えるんだ)」

「(これからの季節のお花の種も買いに行きたい…。種苗店は近くにあるのかしら)」


ヒロは胸をときめかせながら夢想する。エドは、そんなヒロを不思議そうに見つめた。







式が始まった。入り口で母にかけてもらったベールで顔を隠したヒロは、壇上までの長い廊下を、参列者に見守られながら父と歩く。壇上の前にくると、ヒロは父の手から離れて、エドのそばに行く。

壇上に立つ者からの言葉を、ヒロはエドの隣りに立って聞く。病めるときも、健やかなるときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?そう問われたエドは、曇りのない瞳で聞いた相手を見上げる。


「はい」


そう、はっきりと答えるエドに、ヒロは、どの顔で言うんだろうと、控室で見た口紅を思い出しながら心のなかでつぶやいた。

誓いの言葉が終わると、ヒロとエドは向かい合った。少しだけ頭を下げたヒロのベールを、エドが取る。ヒロは真っすぐにエドを見上げる。エドもヒロのことを見つめる。

ヒロは、幼い頃にジムと結婚式ごっこをしたことを思い出す。2人で見様見真似でやった、2人だけの結婚式。最後には照れた顔をしたジムが、ぎこちなくヒロにキスをした。それがヒロのはじめてのキスだった。


「(…私も同類だ。こんなところで、他の男性のことばかり考えている)」


エドがヒロに顔を近づける。ヒロはゆっくりと目を閉じる。たくさんの参列者が、新しく誕生した夫婦が誓いの口づけを交わしたのを見届けると、彼らに祝福の拍手を贈った。




式が終われば、立食でのパーティーが始まった。ヒロはエドと会場に向かうと、参列者たちからの温かい拍手をまた受けた。

エドとヒロは、一緒に参列者たちに挨拶に回った。エドの仕事関係の人たちや、親しくしている人たちに来てくれたお礼や軽い雑談を繰り返した。パーティーが苦手なヒロは、早く終わらないかとばかり考えていた。

一通り挨拶が終わると、マーガレットとアリスがやってきた。


「マーガレット、アリス、来てくれてありがとう」


ヒロは2人に微笑みかける。エドは2人にいつもの社交的な笑顔を見せたあと、少し驚いた顔をした。

マーガレットは、ウェディングドレスを着たヒロを見つめて、感動する気持ちと本当にこの結婚は大丈夫なのか心配する気持ちが交差する複雑な感情を隠しきれない顔をしている。ヒロはそんなマーガレットの気持ちを察して、優しく彼女に微笑む。彼女はいつもヒロの心配をしてくれた。お人形のように可愛いのに、中身はとても情に厚くて、友達想いの優しい人なのだ。

アリスは、本当に綺麗ですわ、とヒロを見てにっこりと微笑んだあと、エドの方を見た。


「お久しぶりです、エド」


アリスは、エドにそう告げた。エドは、驚いたよ、とアリスに微笑んだ。


「君がヒロの知り合いだったなんて」


ヒロ、とエドに初めて呼ばれたことに若干違和感を感じてしまうヒロだったが、それ以上に驚いたことがあったため、ヒロはアリスの方を見た。


「2人、知り合いなの?」

「はい。私の兄とこのお方はお友だちなんです。…あっ、お兄様」


アリスの視線の先を見ると、アリスと同じ金髪で少しくせっ毛のふんわりとした髪形のメガネをかけた男性がこちらへ来た。アリスとよく似た雰囲気の、美しい男性だった。


「(アリスとは長いこと親しくしていたけれど、お兄様とお会いするのははじめてだったわ、そういえば…)は、はじめまして、今日は来ていただいてありがとうございます」


ヒロは深々と頭を下げた。アリスの兄は、じっとヒロを見たあと、ゆっくり口を開いた。


「よくこんな奴と結婚してあげたね」

「え?」

「…ウィル」


エドが笑顔でウィルを制する。ウィルと呼ばれたアリスの兄は、マイペースな様子で、だって不思議だったから、と続ける。

エドは笑顔をヒロたちに向けた。


「俺たちは少し席を外すから、ご友人同士積もる話もあるでしょうし、どうぞごゆっくり」


エドはそう言うと、ウィルを連れてどこかへ行ってしまった。


「アリスのお兄様とエドが知り合いだったなんて」


マーガレットが驚いた様子でアリスに話した。アリスはにこりと笑う。


「学校で、学年は2つ違いますけれど、親しくしていらしたみたいです。お兄様とエドは今お城で働いてみえますから、そこでも仲良くしているそうです」


ヒロは、2人の意外な繋がりに驚く。マーガレットが、エドのことを知っていたなら先に教えてよ、とアリスに言うが、アリスは、聞かれなかったもので、とにこにこして返すだけである。ヒロはそんな2人に苦笑いを漏らす。ふと、周りの参列者の男性たちが、マーガレットとアリスの姿に色めき立つのが見えた。マーガレットとアリスの美貌を褒め称える声が聞こえて、いつも通りヒロはすっと透明になる。


「ヒロ」


ランドルフがヒロの傍にやってきた。ヒロは顔を上げて、お兄様、と声をもらした。

ランドルフは、ヒロのウェディングドレス姿を見ると、少し目を伏せたあと、ゆっくり微笑んだ。


「おめでとう。…綺麗だ」


ランドルフのお世辞にも、ヒロはにこっと微笑む。

マーガレットは、ランドルフの登場にまたしおらしくなってしまう。アリスは、そんなマーガレットを横目で見ると、綺麗なドレスを纏うマーガレットをランドルフの前に少しだけ押した。マーガレットが小声で、ちょっ、ちょっと…とアリスに言う。アリスはマーガレットを自分よりランドルフ側に立たせたあと、ランドルフの方に話しかけた。


「ランドルフお兄様、本日はおめでとうございます」

「ああ、アリス、今日は妹の結婚式に来てくれてありがとう。これからもかわらずに、妹と仲良くしてやってくれ」

「マーガレット、あなたもご挨拶を申し上げては?」


アリスに促され、マーガレットは目を泳がせたあと、顔を真っ赤にして、しどろもどろになりながら、ほ、本日はおめでとうございます…とだけをやっといえた。ランドルフは、マーガレットもありがとう、とお礼を言った。マーガレットは、そんなランドルフを少しの間呆然と見上げる。


「それじゃあ、俺は行くから」


ランドルフはそう言うと、ヒロの前から去った。ヒロはランドルフの背中を見送る。アリスは、頬を赤くして立ち尽くすマーガレットを見てくすくすと微笑む。

ヒロはふと、周囲からの変な視線を感じた。視線の方を見ると、参列者のご令嬢がヒロの方をじろりと睨んでいた。それも1人ではなく、複数人である。


「…?」 


ヒロは慣れない敵意に少し怯える。空気のような存在として生きてきたから、ないもの扱いはされても恨まれるようなことはしてこなかったはず…とヒロは自分の人生を思い返す。


「…あの方たち、エドの元恋人たちではなくて?」

 

アリスがヒロに耳打ちをした。ヒロはそう言われて改めて彼女たちを見直すと、確かにエドと噂が流れていた方たちだった。


「元恋人博覧会みたいね」


ようやく持ち直したマーガレットが、ヒロに小声で話し掛ける。ヒロは、その語感の良さに苦笑いを漏らす。するとマーガレットが、笑い事じゃないわよもう!とヒロの腕を軽く引く。


「結婚式の日にこんなこと言いたくないけど、本当に大丈夫?あれもみてよ」


マーガレットがヒロをとある方向を見るように促した。ヒロがその方向を見ると、ウィルと一緒に複数人の女性に囲まれて親しげに話すエドの姿が見えた。これまでの社交界でもよく見てきたエドの姿だった。華やかな彼が、華やかな女性たちに囲まれて楽しそうに話す、自分が相容れるはずのない世界がヒロの前に広がる。

輪の中の女性の1人がヒロの視線に気がついた。ヒロと違い、洗練された美しいその女性は、ヒロを一瞥すると、ヒロよりも自分が優勢であることを再確認したような余裕のある笑みを送ってきた。ヒロはその視線に少し驚く。彼女はヒロから視線を外すとまた会話の輪に戻った。


「みっ、みみみ、見たあ?ちょっと、本当に大丈夫?あの人ヒロと結婚したのに、これは私の男よ顔の女数人侍らせてるけど!ねえ!」


マーガレットが、とうとう不安を丸出しにしてヒロに問う。ヒロは、そんな眩しい彼らを見つめる。私が陰ならば、彼らは眩しいスポットライトの下にいる。ヒロはそう心のなかでつぶやく。

この夫婦は真反対で、交わりそうにない2人だ。そして、ヒロの夫となる男であるエドは、妻となるヒロに対してとても不誠実だ。これから結婚生活を始めようとするにはあまりにも不安定な状況である、普通の夫婦にとっては。


「(…そうでなくては。あなたがそうしてくれるから、私はずるく立ち止まっていられるんだもの)」


ヒロは自分のことのように心配してくれるマーガレットを前にして、緩みそうになる口元を必死に押さえる。エドと同等に不誠実なヒロは、マーガレットをなだめながら、これから始まる嘘みたいに自分に優しい結婚生活にひどく期待した。胸がどきどきと高鳴るほどに。

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