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エドは、城の事務室でいつものように仕事をしていた。父から申し付けられた会議の資料づくりに励んでいたけれど、これまでのように1人で抱え込むことはせず、頼れるところは周りに頼るようになってからは、城に泊まり込んで仕事をすることはほとんどなくなった。

この日も、前に似たような案件を担当していた知人に資料を教えてもらい、それを参考にして作業を進めていた。

机の上に座って、ひたすら手を動かしていると、エドは誰かに呼ばれた。顔を上げると、最近城に出入りして仕事をするようになった貴族の男3人がいた。3人ともエドより少し年上で、何度かパーティー等で顔を合わせたことのある人たちだった。


「なんでしょうか」

「前にエドが担当していた仕事の件で教えてほしいんだけど」

「はい、大丈夫ですよ」


エドは立ち上がり、棚から資料を探した。


「(自分が助けてもらうということは、自分が助けることもある、ということだな)」


エドはそんなことを考えながら、資料を手に取ると彼らのもとに戻った。資料の説明をすると、すぐに納得したのか、ありがとう、と彼らは口をそろえていった。エドは、いえ、と軽く頭を振った。そんなエドを、彼らはじっと見つめた。


「…どうかしましたか?」

「いや…お前も変わったなって」

「奥様と結婚して変わったんだろ?噂になってるぜ」


彼らの言葉に、エドはぎろりとウィルの方を見た。ウィルは、すすす、とエドからわざとらしく視線をそらした。


「でも、君を射止めてしまう奥様はどんな絶世の美女なんだろうな」

「なんたって、あのエド・アディントンだもんな」


男たちは顔を見合わせて笑う。男の1人が、エドの肩をたたくと、末永く仲良くな、と言うと、3人は去っていった。エドは、彼らに首を傾げながら椅子に座った。すると、ウィルがすすすとエドの方に近づいた。


「右から、これまで散々エドに狙っていた女性を取られてきた男ABCだね」

「…なんだそれは」

「恨みは深そうだね、彼ら」

「ああそう…。ところで、変な噂を流しているのは君か」

「俺じゃないよ。父さんだよ」

「……」


悪気なくエドの話をしているスチュアート公爵の顔が浮かんだエドは、何も言えずに黙り込む。


「それに、最近の君の姿を見ていたら、みんな察するだろ」

「え?」


エドが少し目を丸くする。楽しそうに口元を緩めたウィルが、あ、と何かを思い出したようにエドの方を見た。


「父さんといえば、再来週、父さんの40歳の誕生日パーティーがあるって覚えてる?」

「ああ、そうだったな…」


エドは、ヒロに話しておかないと、と心の中で考える。

ウィルは、じっとエドの方を見つめている。エドはその視線に気がつくと、どうした、と尋ねた。


「いや…家の関係で、オリバー伯爵も呼ばざるを得ず…」

「ああ、そう」

「…大丈夫?」

「なにがだ?」

「マリアが来るからさ」

「マリア?」


エドは一瞬誰のことかわからずに首を傾げたが、すぐに、ああ、と思い出した。ウィルが、じっとエドの方を見つめ続ける。


「元婚約者とヒロが鉢合わせたら気まずいかなって…」

「元婚約者というか、そういう話が一瞬あがって、すぐになくなっただけだよ」


エドは、ウィルの方から視線を移し、資料作りを再開させた。

マリアは、学生時代の同級生であり、年齢も同じオリバー伯爵家の令嬢である。家の関係で幼い頃から顔見知りであったものの、仲良くなったのは5年生の途中からであった。彼女は明るくて少し気の強い、世話焼きな性格をしていた。彼女の性格的に、当時のエドの浮気性を許すはずがなさそうで、かつ、オリバー伯爵家とアディントン侯爵家は古くから親しくしていた家同士であったこともあり、マリアがエドの浮気性に機嫌を損ねて、家同士の関係が悪くなることを避けるためにエドが断ったのである。


「(…思えば、ヒロと出会ったときの俺の感じの悪さったらないな…)」


エドは、過去を思い出して固まる。できればやり直したい、とできるはずのないことを考え出したとき、ああそう、とウィルがエドの方を見ていった。


「まあ、君はマリアの事゛は゛、別に大丈夫なのか」

「え?」

「いいや、君がいいならいいんだ。再来週忙しいところ悪いけど、頼むよ」


ウィルはそういうと、自分の作業に戻った。エドはそんなウィルを不思議そうに見たあと、自分の作業を再開した。










日曜日、ヒロはエドに連れられてスチュアート公爵邸へ訪れた。何度も来たことがある屋敷だけれど、今日は普段と違う様相で、ヒロは緊張した。

スチュアート公爵家当主の誕生日を祝うパーティーには、たくさんの上級貴族が訪れており、彼らをもてなすために屋敷の中のパーティーホールには豪華な食事や、花などの飾り、そして楽団の演奏が流れている。

エドと一緒にヒロは挨拶に回った。ヒロは挨拶のときに、エドから妻と紹介されると、それを聞いた貴族たちは驚いた顔を隠せずにいた。しかし皆すぐに笑顔に戻すと、他愛ない話を始めた。


「(これまで、こういう場にエドの妻として出たことなかったからな…)」


ヒロは内心そう思いながら、笑顔を作って話を聞いていた。

挨拶に回っていると、本日の主役であるスチュアート公爵の元へたどり着いた。彼の周りにはひっきりなしに人が来ていたけれど、彼はエドに気がつくと朗らかな笑顔でエドの方に近づいてきた。スチュアート公爵の周りには、アリスとウィルもいた。エドは、スチュアート公爵の前に行くと、微笑んで話を始めた。


「本日は、おめでとうございます。40歳のお誕生日ということで、」

「いいよお、もう、堅苦しい挨拶はさあ」


スチュアート公爵は笑顔でエドの肩を叩く。ヒロはそんな公爵の姿を見ながら、アリスの父とも会ったことがなかったけど、こんなに高貴な家柄の人がこんなにフランクでいいのだろうか…という感想を抱いた。

スチュアート公爵はヒロの方を見ると、また朗らかな笑顔を浮かべた。


「ヒロだね、アリスと仲良くしてくれてありがとうねえ」

「はじめまして、アリスとはいつも、」

「だから堅苦しいのはいいよお。今日は来てくれてありがとうね」


スチュアート公爵はにこにこと微笑む。ヒロがなんとなく力が抜けていくのを感じていると、アディントン侯爵と夫人がこちらにやってきた。

アディントン侯爵は、スチュアート公爵と親しげに挨拶を始めた。アディントン侯爵が来ると、急にエドのまとう空気が張り詰める。ヒロは、自分のゆるんだ空気を引き締めた。


「いつもエドにはよく働いてもらって、兄さんも感謝していますよ」

「いえ、陛下のために働くことなどごく当然のことです。今後ともお願い致します」


和やかに、しかしお互い探るように挨拶を終えると、アディントン侯爵は夫人を連れてこの場から去っていった。

その後ろ姿を見送ったあと、目を輝かせたスチュアート公爵が、ヒロとエドを見つめた。


「今日は2人の話を聞きたくてさあ」

「え?」


エドがきょとんとする。スチュアート公爵は、兄さんもすごく気にしてて…、と話し始めるが、他の貴族たちが挨拶に来てしまい、仕方なくそちらの対応に回った。

スチュアート公爵が去ったのを見届けたエドは、じろりとウィルの方を見た。


「…君は一体俺のどんな話をしているんだ」

「しょうがないじゃん。父さんも叔父さんも、君のことが好きなんだもの」

「…」


エドがじろっ、とウィルを見る。ウィルはわざとらしくその視線から逃れる。そんな2人の様子を、アリスがクスクスと笑って見つめる。ヒロは、話についていけずに、3人を順番に見つめる。ヒロが、何の話だろうかと尋ねようとしたとき、エド!と誰かに呼ばれた。ヒロが視線を移すと、一人の女性がいた。

ハニーイエローの長い髪に、黄色い瞳の、とても可愛らしい女性がいた。彼女は、エドの方に嬉しそうな笑顔で近づくと、彼の隣に立った。エドは彼女を見て、久しぶり、と親しげに話しかけた。


「久しぶり、じゃないわよ、何も連絡をよこさないで」

「それは失礼」

「もう…。でも、元気そうでよかった」


そう言って、彼女は人懐っこそうにエドを見上げて笑った。エドは、彼女を見て小さな笑みを返す。

そんな様子をぽかんと見ていたヒロの肩を、ウィルが指でつつくと、エドに聞こえるくらいの音量で耳打ちをした。


「彼女はマリア。エドの元婚約者」

「えっ」


ヒロが目を丸くしてエドとマリアを見た。するとエドが、ヒロの肩を引くと、ヒロに耳打ちをするウィルからヒロを離した。


「説明を省きすぎだ。あと、ヒロにそんなに近づかないでくれるか」

「ヒロのこの様子だと、事前に説明してなかったの?うわ、やましいことがやっぱあったんじゃん」

「ない」


エドはそう断言すると、困ったようにヒロの方を見た。ヒロはそんなエドを見上げる。


「(事前に説明するほどでもないと、軽く考えすぎていたか…。まさかこんなことになるなんて…。説明をどうするべきか…)」


エドが説明に困っていると、笑いながらマリアがエドのそばにまた近づくと、エドのスーツの袖を引いた。


「やだ、私たち、何もないですよ。申し遅れました、私、マリア・オリバーです」


マリアはそう言うと軽くお辞儀をして、そしてヒロの方を見た。マリアはヒロと目を合わせると、にこりと微笑んだ。その可憐な笑みに、ヒロは一瞬見惚れてしまう。

マリアは、すぐにエドを見上げて笑いながら話し始めた。


「ねえ、何もないわよね?私たちが婚約者だったのだって、一瞬だけだもの」

「一瞬もなってないだろ」

「何よその言い方は!」


マリアが怒ったふりをしたあと、すぐにくすくすと笑い出す。そんなマリアに、エドが困ったようにため息をつく。

そんな2人を見ていたアリスがほほ笑みながら口を開く。


「まあ、お2人はとっても親しそうですわね、ねえヒロ?」


アリスは、ヒロの手を引くと、エドとマリアと向き合うように立たせた。そして、ニコニコしながらヒロに話しかける。


「だって、男性の服の袖を引くなんて、相当親しくなければ致しませんもの」


アリスに指摘されたマリアは、少し目を丸くしたあと、しかしエドから手を離さずに、違いますよ、と笑った。


「私たち、小さい頃から一緒だから、これは普通のことです。特別な意味なんてありませんわ。エドを異性として見たことなんて、一切、ありませんから」


マリアは笑顔でそう言うと、ねえ、とエドの顔をのぞきこんだ。


「向こうにジョンたちもいるのよ。久しぶりでしょう?行きましょうよ」


マリアはそう言うとエドの袖をもう一度引いた。エドは、ああ…、と言うとヒロの方を見た。


「一緒に来てもらえますか」


エドは、すっとマリアの手から抜けると、ヒロの方に近づいた。ヒロは、え、とエドを見上げた。


「あなたを紹介したいから」


エドはそう言うと、ヒロの手を引いた。そのときヒロは、ふとマリアの顔に視線がいった。マリアの顔は、あからさまに不機嫌で、お前はついてくるな、という顔をしていた。

ヒロはそんなマリアに怖気づき、すすすとエドの手から自分の手を離した。エドはそんなヒロに、え、と声を漏らした。ヒロは、笑顔でエドを見上げた。


「ご友人たちとお話するのに、私がいたら水を差してしまいますから」

「そんなことは、」

「私はアリスと、来ているはずのマーガレットを探します」

「でも、」

「ほらエド、しつこいと嫌われるわよ」


笑顔に戻ったマリアが、またエドの服の袖を引く。エドは、引っ張らなくても歩けるよ、とマリアから手を離す。まあ生意気ね、とマリアは笑う。エドはヒロの方を振り返り、すぐ戻ります、と言うと、マリアと歩き出した。


「(親しそうな2人の間に、私が入るわけには行かない)」


2人の背中を見つめるヒロに、アリスが近づいて耳打ちをした。


「…あれは、エドに未練がありますわね」

「み、未練?」


目を丸くするヒロに、アリスと反対側からウィルが耳打ちをした。


「確実にマリアは未練があるな。ヒロは近づくと嫌がらせされるんじゃない?」

「い、嫌がらせ…?そんなことしそうな方ではなさそうでしたけれど…」

「あら、私からはひしひし感じましたわよ。ご注意あそばせ」

「あっ、エドが俺の方睨んでる。これ以上ヒロと話してると後で何言われるかわかんないから、俺は退散するね」


ウィルはそう言うとヒロから離れ、じゃあね、と軽く手を振った。アリスは笑顔でウィルに手を振り返したあと、それではマーガレットを探しましょうか、とヒロに言った。






マーガレットを探すことはとても容易だった。周りの年頃の男性たちの熱い視線の先に、輝くマーガレットがいたからである。知り合いと話していたマーガレットは、そちらの会話が一段落すると、ヒロとアリスのもとへきた。


「探したわよ。ヒロも来てたのね」


マーガレットは嬉しそうに微笑む。ヒロは、ええ、と微笑んで頷く。


「あのエドが、ようやくヒロを妻として社交の場に連れてくるなんて…。なんだか成長を感じるわ…」


マーガレットが、うんうん、と頷く。頬に手を添えたアリスが、でも色々ありましたのよ、と口を開く。マーガレットが、色々?と首を傾げた。アリスは、ええ、と微笑む。


「エドの元婚約者の方が、エドを連れ去ってしまいましたの」

「えっ、あ、アリス?それは色々おかしくないかしら?」

「はああ?!」


マーガレットの目が怒りに燃える。ヒロが、ち、違うの、と慌てて手を振る。


「元婚約者の人と一緒に、昔の友達の輪に入っていっただけよ」

「なんだ…びっくりした…。ん?でも元婚約者は元婚約者なのよね?大丈夫なの?」

「かなり訳ありでしたわよね」


アリスがにこにことそう話す。ヒロは苦笑いをもらす。マーガレットは、ヒロの方を見つめる。


「ねえ、こんなとこにいてもいいの?エドを元婚約者と一緒にして放っておいてもいいの?」


マーガレットの言葉に、ヒロは固まる。少し黙ったあと、ヒロは苦笑いを浮かべた。


「私に、とやかく言う権利、ないかなって…」

「…」


マーガレットが心配そうにヒロを見つめる。マーガレットは、少し考えたあと、ねえやっぱり、そっちへ行きましょうよ、とヒロに話しかけた。


「私たちもついて行くから」

「えっ、そんな事いいよ」

「でも、」

「俺たちも、お話に混ぜてもらえますか?」


さわやかな笑顔を浮かべた男性3人組が、ヒロ達の前にやってきた。マーガレットは、またこういうのか、という顔を一瞬浮かべたあと、失礼のないように愛想のいい笑顔を作った。マーガレットの花が咲いたような笑顔に、男性たちは頬を赤く染める。アリスは、いつも通りの笑顔を浮かべており、男性たちはその美しい笑顔にも釘付けになるが、知らない男性から声をかけられたときに浮かべるアリスの笑顔の裏をよく知るヒロとしては、素直に綺麗だと思えないのである。


軽い自己紹介のあと、6人の会話が始まった。男性陣が出す話題に適度に乗りつつ、マーガレットはキリのいいところで切り上げようとするが、それを男性たちはなかなかさせなかった。彼らはマーガレットとアリスからたくさんの話を引き出そうと必死になっている。

ヒロは、よくある展開を、笑顔の裏で感じとる。輪の邪魔にならないように、自分がどんなに蔑ろにされたとしても、それに傷ついたような顔をすれば輪を乱してしまうから、だから、静かに静かに、透明になる。同じ輪にいるのに、ヒロは誰にも見られない。


「(…まあ、人妻なんだし、こういうのに傷つかなくてもいいのか、別に…)」

「ねえ、君も誇らしいでしょう、こんなに美人な友達がいたら」


男性の1人に、突然ヒロは話を振られる。ヒロは、えっ、と声を漏らして周りを見る。そして、はい、と頷く。


「彼女たちといたら、よく一緒に声かけられるでしょ?」

「失礼なやつだな、彼女をついでみたいに言うなよ」


男性陣の1人が、仲間の発言を笑いながら咎める。注意された男性が、いや、そんなつもりはなかったんだ、と笑いながらヒロに謝る。ヒロは笑顔で頭を振る。もう1人の男性が、まあまあ、と場を収めようと話に入る。


「女性は愛嬌が一番なんだから、そうやって笑っていれば君でも大丈夫だよ」


ヒロの目から光が消える。しかし、輪を乱さないために口角は上げる。いつものことだ。傷つくほうが馬鹿馬鹿しい。だって、自分にはお似合いの言葉なんだもの。彼女たちとこれまでも散々比べられてきた。自分が劣っているのは誰が見てもその通りであって、それに傷つくなんて、お高く留まりすぎている。自意識が過剰すぎる。


「そろそろ、私たち行きましょうか」


完全にこめかみに青筋を立てたマーガレットが、なんとか和やかに終わらせようと、最後の力で怒りを無理やり抑え込んで作り上げた笑顔を男性陣に見せる。男性陣は、そんな事言わずに、と何度目かの引き留めをする。でもそろそろ…とマーガレットは話を切り上げようとする。

すると、ヒロの肩に手が置かれた。そしてその手に引っ張られて、輪から一歩後ずさった。ヒロが顔を上げると、さわやかな笑顔を浮かべたエドがいた。


「失礼。私の妻のご友人でしょうか?」


エドは笑顔で男性たちを順番に見つめる。エドの登場に、男性陣は固まる。エドの登場に気がついた周囲のご婦人たちが、口元に手を当てて頬を赤くするのが見える。

固まった男性陣の1人が、ゆっくり口を開いた。


「え…エド・アディントン…」

「ああ、フォード子爵のご子息ではありませんか。私の父が、フォード子爵とはとても親しくさせていただいていると聞いています」

「ああいえ、日頃アディントン侯爵から大変お世話になっていて…」


冷や汗をかきだす男性陣。とりわけ、フォード子爵の子息だという男性は顔色も悪くなっている。

エドは社交的な笑みを浮かべたまま話を続ける。


「彼女は妻のヒロです。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします」

「あ、ああ、奥様でしたか、それは、し、失礼いたしました…」

「あれ、ヒロ、彼らに名乗らなかったんですか?」


エドがヒロの瞳をみて尋ねる。ヒロが何と答えていいかわからずに戸惑っていると、アリスがすかさず、いいえ、と笑顔で答えた。


「きちんと名乗っておりましたわ。ヒロ・アディントン、と。ねえ、ヒロ」


アリスの言葉に、そうね、とマーガレットも肯定する。ヒロのことなど眼中になく、彼女の自己紹介を流し聞きしていたのか、それとも、まさかこの女性がエド・アディントンの妻だとは想像もつかなかったのか、男性陣はそろって顔を青くしていく。

空気の気まずさに耐えきれず、男性陣は情けない笑顔を浮かべて、それでは…、とこの場をすごすごと去っていく。アリスとマーガレットは笑顔で彼らを見送る。彼らの背中が見えなくなると、マーガレットは腰に手を当てて、ふう、とため息をついた。


「久しぶりにああいうのが出現したわね」

「マーガレット、よく堪えましたわね」


頬に手を当ててアリスが微笑む。マーガレットは、ぎっとエドの方を睨みながら振り返る。


「あのねえ、エド、あなたが来なくたって、あと5秒経ってたら私がこのハイヒールであいつらを踏んづけてやってたんだから!」

「…ぎりぎり堪えられてただけじゃないか」


エドが少し恐ろしいものを見るようにマーガレットを見つめる。彼女の人形のような見た目に反した気の強さに驚いているようだった。

ヒロは、3人のやりとりを見ながら苦笑いを漏らす。そんなヒロを、エドが心配そうに見つめる。エドがヒロに何か言いかけたとき、エド!と呼ぶマリアの声がした。

マリアはエドの方にかけよると、もう、と言いながらエドの腕に触れた。その様子を見たマーガレットの眉がぴくりと上がる。それを見たアリスが、にこにこと微笑む。


「急にいなくなるから、…どうしたの?」

「いや…」

「あら、奥様はお友達とお話してらっしゃるんじゃない」


マリアはヒロたちの方を見て微笑む。マーガレットは笑顔を返しつつも、内心苛立っているのがヒロにはわかった。

マリアはエドを見上げると、ほら、と腕を引いた。


「早く行きましょうよ。まだ話の途中でしょう?」


マリアは笑顔でエドを誘う。エドは、いや、とマリアの手から逃れて頭を振る。


「さっき、彼女が変な男に絡まれていたんだ。また同じ事があるといけないから、俺は彼女と一緒にいるよ」


ヒロは、そう言ったエドの横顔を見上げる。エドは、すまない、とマリアに謝る。マリアは目を丸くして固まったあと、なにそれ、と無理やり笑った。


「なんか、エドっぽくないよ。今までそんなんじゃなかったじゃない。どうしちゃったの?」


くすくすと笑いつつ、しかし内心穏やかでないことがわかる様子でマリアが話す。マーガレットがぽつりと、まあ以前は軽薄男だったしね、と呟く。それにアリスがにこにこと微笑む。

エドはマリアを見つめて、すまない、とまた返した。マリアはそんなエドを見つめ返したあと、そう、と目を伏せてつぶやくと、この場から去っていった。

マーガレットは、へえ、と嬉しそうにエドを見つめた。


「ちゃんと断れるんじゃない」

「君は俺を何だと思っているんだよ」

「これまでの実績を思えば、妥当かと思いますけれど」


アリスの微笑みにエドは口をつぐむ。マーガレットは、ふん、としかし嬉しそうに呟く。


「まあ、あなたがまたあの女のところに行ってたら、私が踏んづけてやってたんだから」

「…本当に、どうしてあなたは彼女たちと仲良くできるんですか?」


エドが不思議そうにヒロに尋ねる。ヒロは、え?と首を傾げる。


「とってもいい子たちなので、私でも仲良くしてもらえるんです」

「いい子たちかはわかりませんけど、あまりにも気が強すぎる…」

「さあさあ、私たちは私たちで周りましょうか」


マーガレットはアリスの隣に行くと、ヒロに向かってにこりと笑った。アリスは、それでは、とヒロに笑顔で手を振ると、マーガレットと一緒に去っていった。

2人の背中が人混みに消えた頃、すいませんでした、とエドがヒロに謝った。ヒロは、え?とエドの方を見た。


「不快な思いをさせてしまいました」


エドの言葉に、先ほどの会話を聞かれていたことに改めてヒロは気がつく。気まずい気持ちになったヒロはエドから目を逸らし、彼のせいではないことは明白だったので、いえ、と頭を振った。

エドはそんなヒロに目を伏せる。


「俺が、事前にマリアのことをちゃんと説明していたらよかった。俺が、あなたから離れなければあんな輩が寄ってこずに済んだ」


エドの言葉に、ヒロは、え、と声を漏らして彼を見上げる。エドはヒロの瞳を見つめ返す。2人でしばらく黙って見つめ合った。


「(…そうか、別にヒロは俺のことをどう思っているわけじゃないのだから、マリアと俺のことなんて、何も気にならないのか…)」

「(そっか、マリア、元婚約者とかいうあの人、…どういう仲だったんだろう)」

「(気にされてないのなら、別にいいのか…。いや、よくない、あんな奴らにあんな好き勝手に言われて…。俺がそばにいたらあんなこと言わせなかった)」

「(あんなに綺麗で彼と気の合ってそうな人と、どうして結婚しなかったんだろう?家の関係かな)」

「(いや、彼女とのことを、気にされていないのもよくない…)」

「(聞く権利は、でも、私にはない…)」

「…」

「…」


ヒロは、沈黙を断つために、ええと、と話し始めた。


「過去の話、わざわざ話していただかなくても大丈夫ですよ。話したくないこともありますでしょうし(いや、気になるけど…)」

「そうですか…(いや、何も大したことじゃないけど…)」

「(…ものすごく気になるけど…)」

「(…できれば気にしてもらいたかった)」

「それに、あの男性たちのことは、よくある話なので、気にしていません、慣れていますから」

「いや、慣れてるって、」

「ああ、いたいた!」


笑顔のスチュアート公爵が2人のところへやってきた。嬉しそうなスチュアート公爵が、2人の話が聞きたくって聞きたくって、ときらきらの瞳でエドとヒロを見つめる。


「いや、俺たちの話って…」

「兄さんと2人でよく話しているんだよ。エドの雰囲気が柔らかくなったなあって、それがなぜかって話しを…」


楽しそうに話す公爵のもとに、また別の貴族が話しかける。スチュアート公爵は、話を中断すると、エドに名残惜しそうな顔を見せたあと、そちらの対応に戻った。

残されたエドとヒロはその背中を見送ったあと、2人で顔を見合わせて、お互い何となく気まずい気持ちで笑った。

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