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馬車に揺られてしばらくすると時計台のところへ着いた。まだ故障中で動かない時計台のそばで2人は馬車から降りた。エドに手を引かれて馬車から出てきたヒロの目に、時計台の前のお店が立ち並ぶ通りが見えた。たくさんの人々が行き交うこの場所に降り立つと、周りから自分が見られているかもしれないという錯覚に陥る。
「(…笑われているかもしれない…)」
ヒロは、咄嗟に目を伏せる。体が震えそうになったときに、マーガレットの言葉を思い出した。
ーー出かけた日、その服を着たあなたを、エドは絶対、ぜーったいに褒める。そしたらその日、あなたはその服がよく似合う素敵な女性なんだっていう顔でいたら良いの。万が一あなたを笑う人がいたとしても、似合うって言う人が横に1人いたら、それで良いの
「(…この服が似合う素敵な女性、という顔…)」
それがどんな顔かわからずにヒロは困惑するけれど、少なくとも今のこの、目を伏せた状態は正しくないことはわかる。
ヒロはゆっくり目線を上げる。周りの人達は確かに、錯覚ではなくこちらを見ている。ヒロはおびえるけれど、しかし、そばにエドがいることで、深呼吸をして落ち着くことが出来た。落ち着いてよくよくちゃんと周囲の顔を見てみると、自分ではなくエドの方を見ている。頬を染めて呆けるご婦人たちの視線はエドに集中している。ヒロの方を見る人たちもいるけれど、なんだお相手がいるのね、とがっかりした顔を向けられるだけで、ヒロの格好を笑う人はいない。そんな周りの様子に、ヒロは、自分が悪目立ちしているわけではないのだと知り、少しずつ緊張がとけていく。
「(…待ち合わせなくても、結局目立つんだなこの人は…)」
ヒロは隣を歩くエドの横顔を見上げる。ヒロの視線に気がついたエドが、ヒロの方を見ると目を細めた。そんな彼に、ヒロは目を丸くする。
「いい天気ですね」
エドにそう話しかけられて、は、はい…、としかヒロは返せない。胸の鼓動が速くなる。
晴れた日の冬の空を見あげながら、ヒロは心を落ち着かせようとまた深呼吸をした。
時計台の通りにある種苗店に入ると、ヒロは目を輝かせて種や苗を選び始めた。店主にアドバイスをもらいながら、ヒロは真剣に選んでいく。寄せ植えにしようか、どんな色のどんな花にしようか、ヒロは楽しく頭を悩ませながら選んでいく。
一通り買い物を終えて、2人は店をでた。帰る前にカフェでお茶をしましょうか、という話になり、そちらへ向かった。
通りにあるカフェに入店した。店は混んでいたけれど、席は運良く空いており(空いていなくても、エドの顔を見たら店側が席を用意してくれただろうけれど)、2人はウェイターに案内された席に座った。店内は話し声で騒がしかったのに、エドが店内を歩くと、エドが通り過ぎたそばにいた人たちが順番に黙っていった。エドが座り、注文を聞きに来たウェイターと話をしている間に、少しずつ話し声が戻ってきた。
「(…目立つ…もうどうしたって目立つこの人は…)」
「何にしますか?」
「あ、紅茶で…」
エドは、ウェイターに紅茶を2つ、と話しかける。愛想のいいウェイターが、かしこまりました、と頭をさげる。ウェイターが去ろうとしたときに、そうだ、とエドが口を開く。
「ここはケーキが有名みたいです。召し上がりますか?」
「け、ケーキ…!」
ヒロが瞬発的に目を輝かせると、エドはそんなヒロを見て微笑み、ケーキを1つ、と頼んだ。ウェイターは、再びかしこまりましたと頭を下げると厨房へ戻っていった。
「今日は、お買い物にお付き合いいただいてありがとうございました。お買い物ができて楽しかったです」
ヒロはエドにそうお辞儀をする。エドは、いいえ、と頭を振る。
「俺も楽しかったです」
「そ、そうですか?」
「はい」
エドは、嘘とは思えない瞳でそう微笑む。ヒロは、そんなエドを見つめ返す。
「(…これまで散々女性たちと遊んできた人だから、こういう言葉は容易く信じないほうがいいのだろうか…。でも、嘘とは思えない…。うーん、わからない…)」
考え込むヒロのところに、注文した紅茶とケーキが到着した。ヒロは目の前に来たケーキにまた目を輝かせる。
「(美味しそう…!)あ、召し上がりますか?」
ヒロがエドにケーキを勧める。すると、ティーカップを持ち上げていたエドが、いえ、と頭を振った。
「甘いものは食べないんです」
「そういえばそうでしたね。…でも、お義父様の家では召し上がってましたよね。好物だとか言われて…」
ヒロの言葉に、ああ…、とエドは困ったような顔をする。
「小さい頃は甘いものが好きだったので、母は今もそうだと思ってるんです」
「いつから食べなくなったんですか?」
「…」
エドは、ヒロの質問に口をつぐむ。しばらく考えたあと、いとこが…と話しはじめた。
「いとこが、小さい頃彼と遊ぶときは一緒に甘いものを食べていたんですが、甘い物の食べ過ぎで虫歯になったと聞いたとき、治療の壮絶さを知ってから、食べられなくなったんです」
エドはそう言い終わると、きまりが悪そうに目を伏せた。ヒロはそんなエドに目を丸くしたあと、ゆっくり微笑んだ。
「なんだか…かわいいですね」
「は?」
「小さい頃のあなたの様子が、目に浮かぶようでした」
ヒロはそうくすくすと笑う。固まるエドに、あっ、虫歯は良くないですよね、怖いですよね、勿論です、当然です、と慌てて付け足す。
エドは物言いたげな目でしばらく黙ってヒロを見たあと、あの…と口を開いた。
「前から薄々感じていたんですが、俺のことを子どもだと思っている節がありませんか?」
「えっ、あっ、ありませんよ!そんなこと思ってません!」
ヒロは大慌てで訂正する。エドは、それならいいんですが…、としかしまだ疑わしそうにヒロを見る。ヒロは目線を泳がせながら、でも、と口を開く。
「…それでも、いつかお義母様の誤解を解きたいですね」
「え?」
「だって、ずっと苦手なものを食べ続けるわけにはいかないじゃないですか」
「…」
エドは、ヒロの言葉に目を伏せる。そして、目を伏せたまま、本当ですね、と小さく笑う。
「どうして俺は、こんなことも言えないんだろう」
エドはそう、寂しそうに笑う。ヒロは、エドの瞳を見つめる。エドは、ゆっくりと口を開く。
「本当は好きじゃないって言って、なんだ、って思われたくない、のかもしれません。がっかりさせたくない、されるのが怖い、…すいません、こんな些細なこと」
ヒロは、アディントン侯爵の言葉に従順に従う彼の顔を思い出す。
「…なら、私が代わりにお伝えしましょうか?」
「えっ」
「どんなに些細なことでも、積重なるといつか耐えられなくなりますから。その前に、私にできることがあるのなら」
「…」
「それに、がっかりされるかは、伝え方次第だと思います。お義母様が前向きに捉えられるような言い方が、きっとあるんじゃないでしょうか」
そう言ったヒロの瞳を、しばらくエドは見つめたあと、目を伏せて小さく微笑んだ。
「…そうですね」
エドはまたヒロの方を見た。そして、目を細めた。
「でも、ここであなたにお願いしてしまったら、本当に子どもみたいになってしまう。…自分の口から、いつか伝えられたらと思います」
エドの返事に、そうですか、とヒロも目を細めた。
ヒロは、ケーキにフォークを刺し、一口口に運んだ。そして、うん、と頷いてエドの方を見た。
「美味しいです、とっても」
「それはよかった。…あなたは、ケーキは作らないんですか?」
「作りますよ。成功したことありませんけれど」
「(まあ、そうだろうな…)甘い物が好きなんですか?」
「はい。あなたの好きな食べ物は何ですか?」
「好きな食べ物…」
エドは少し考えたあと、特にありません、と返した。ヒロはそんなエドに目を丸くする。
「食に興味がないんですね」
「そう、なんでしょうか…」
エドは少し黙って考え込む。
「(…結婚する前、両親と住んでいた頃は、食卓についてもいつも父からプレッシャーをかけられて、出されたものの味がよくわからなかった。食事を楽しむ習慣が俺にはない…)」
ヒロは、黙ってしまったエドの顔を見ながら、ゆっくり目を細めた。
「私、実家の食事も美味しかったんですが、ここで作ってもらう食事も美味しくて、毎日美味しい美味しいって頂いています」
ヒロの言葉に、そうですか、とエドが返す。
「…なら、俺も食事を気にしてみます」
「ええ、ぜひ」
ヒロがのんびりそう返すと、エドはそんなヒロを見て口元を緩めた。
カフェから出て、家に帰ろうかという時に、エドが少し寄ってもいいですか、とヒロに聞いた。ヒロが頷くと、時計台の通りの花屋にエドは向かった。エドが店に入ると、店主が、ああ、という顔をして、店の奥に入った。店主の顔をみたことがある気がしたヒロは、少し記憶をたどると、初めてエドと出かけた日に家に来ていた花屋の男性だと思い出した。
戻ってきた彼の手には、花束が抱えられていた。エドはそれを受け取ると、ヒロに差し出した。ヒロは、花束を両手で受け取り、色とりどりの花を見つめた。
「きれいです…」
「帰りなら喜べるんですよね?」
エドの言葉に、ヒロは、可愛げがなくて申し訳ない…、と苦笑いを浮かべる。そんなヒロに、エドは微笑む。
ヒロはもう一度花束を見つめて、そして微笑んだ。
「ありがとうございます。今日はとっても楽しかったです」
「…今日゛は゛、ですか…」
「え?…あっ!いえ、あの…そういう意味では…」
焦るヒロを見てエドは微笑むと、冗談です、と言った。
「喜んでもらえたならよかった。帰りましょうか」
エドはそう言うとヒロから花束を受け取り、ヒロの手を引いて歩き出した。ヒロはエドについて歩く。店から出ると、花束を持って歩くエドに注目が集まる。この人はどうしたって目立つ…、と今日何度目かの感想をヒロは頭に浮かべながらも、自分の手を引くエドを見上げて小さく微笑んだ。




