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ほとんど眠れないヒロを他所に、外は朝が来て明るくなった。ヒロは、重たいまぶたで窓を見つめる。睡眠不足から視界がぼやける。ヒロは、ゆっくりとだるい体を起こす。すると、それとほとんど同時にエドが体を起こした。ヒロは、はっとしてエドの方を見た。エドもヒロの方を見ていた。


「お、おはようございます…」

「…おはようございます…」

「…」

「…」


朝の挨拶の後、お互いが何を話していいのかわからずに気まずい沈黙が訪れる。ヒロはエドの方を見た時に、多少髪の乱れ等はあるものの、寝起きでこんなに綺麗な姿で居られる人が存在するのかと驚く。一方自分は…、と考えるとこのまま布団に潜って隠れたくなる。


「…眠れましたか?」


エドに尋ねられて、ヒロは、ええ、はい、と答えながら改めて彼の方を見た。


「とても…。あなたは?」

「俺もとても…」

「…」

「…」


ヒロとエドはお互いの顔を見て固まる。ヒロはエドの目の下のクマを、エドはヒロの目の下のクマを見て、少しの間時が止まる。すると、ヒロが堪えられなくなって小さく吹き出した。


「ごめんなさい、嘘です」


ヒロはそう言ってくすくすと笑う。エドはそんなヒロに少し目を丸くした後、俺もです、と言うとつられるように小さく笑った。









一度自分の部屋に戻ると、ヒロは身支度をした。手伝うハンナが、何かを聞き出そうにヒロの方を見ている。ヒロは、その視線に気が付きつつも、この状況をどうやって説明していいのかわからずに、彼女の聞きたそうな顔を知らんぷりするしかなかった。


朝食をとりに向かうと、先にエドが席についていた。ヒロは、そんなエドに新鮮な気持ちになりつつ、おまたせしましたと言うと、彼の向かい側に座った。そして、2人で一緒に食事を取り始めた。


「(…美味しい)」


ヒロは、焼きたてのパンを頬張りながらそう思う。普段なら1人で、料理人たちに美味しい美味しいと言うところであるが、エドが向かいにいる手前そういうわけにもいかずに、心の中にその気持ちをとどめる。


「今日なにかご予定はありますか?」


エドがヒロに尋ねる。ヒロは、いいえ、と頭を振る。そのとき、使用人たちが2人の会話に興味津々であることをヒロは察する。料理人たちの調理場の窓から2人の動向を見守っている姿がヒロから見えた。


「それでは、何かしたいことはありますか?」


エドに尋ねられて、ヒロは少し考える。昨日十分に眠れずに頭が重い自分に気がつくと、ええと、と口を開いた。


「昼寝、ですかね…」

「昼寝…」


エドがきょとんとする。エドの反応に、何か変なことを言っただろうかとヒロは焦る。すると、調理場の窓に立つ料理人たちが、手をばってんにして何かをアピールしているのがヒロに見えた。


「(えっ、なに、やっぱりなにか間違えている…?)」

「…ふっ」


エドが小さく吹き出すのがヒロに見えた。ヒロは、そんなエドが珍しくて目を少し丸くした。エドは少しだけ笑いながら、それでは、そうしましょう、とヒロに返した。そんなエドの様子に、ヒロはきょとんとする。


「(…この人、こんなふうに笑うんだな…)」


エドは口元を緩めたままコーヒーのカップに口をつけた。ヒロは、そんなエドをずっと見ていたことに気がつくと慌てて自分の前にあるサラダを口に運んだ。









マーガレットは、この日曜日もパブリックスクールの図書館へ足を運んだ。すると、ランドルフの姿を見かけた。ランドルフもマーガレットの姿に気がつくと、小さくマーガレットに微笑む。マーガレットは頬を赤くして小さく会釈を返した。



いつもの通り、本を読み終えた2人はカフェエリアに向かった。お互い紅茶だけを頼んで他愛のない話をした。マーガレットが話の途中で紅茶を飲んだとき、そういえば、とランドルフが思い出し笑いをしながら話しだした。


「ヒロがよく、カップに手ををぶつけて、中身の紅茶をこぼしていた。なんであんなことになるんだろうな」


ランドルフが嬉しそうに、楽しそうに、そして、愛おしそうに笑うのを見て、マーガレットの心は傷つく。それでも表にはださず、彼女はランドルフの話に笑顔で耳を傾ける。


「花のお世話をするとき、じょうろの中身を自分にかけるのもよく見ました」


マーガレットがそう返すと、ランドルフは、そうそう、と笑いながら相槌を打つ。


「あいつはぐずなんだ、昔から」

「ぐず…」

「どんくさくて、ぐずぐず泣くから」


そう、ヒロを可愛いくてたまらないように話すランドルフに、マーガレットは、自分を愚図だと言い張る、苦笑いのヒロを思い出す。ヒロは昔から、自分が辛くても笑わなくてはいけない時にあの顔をすることを、マーガレットは知っていた。ランドルフはきっと、ヒロを可愛いと思って昔から愚図だ愚図だと言っていたのだろう。その言葉に傷つくヒロのことには気が付かずに。


「あの、」


咄嗟にマーガレットは口を開いていた。ランドルフが、どうした、とマーガレットの方を見た。


「ヒロ、嫌がってると思います。いくら可愛がっていても、愚図だって言われて喜べないと思います」


マーガレットは、そうはっきりとランドルフに言った。言ってしまったあとで、マーガレットは自己嫌悪した。どうして私は、好きな人に説教なんかしてしまうのか。マーガレットは心の中で頭を抱えるけれど、しかし、苦笑いをするヒロの顔が浮かぶと、黙っていられなかったのだ、とも思う。


「(…こういうときヒロなら、ランドルフに好かれるヒロなら、笑顔だけ浮かべて、和を乱さないようにするのかしら…)」


生来の可愛げのない性格に、マーガレットはまた落ち込む。おずおずとマーガレットはランドルフを見上げた。ランドルフは、目を丸くしていた。そして、腕を組んだ。


「…そうか、それもそうだな」  


そう素直に返すランドルフに、マーガレットはきょとんとする。


「俺の考えがいたらなかった。気を付けるよ」


そう言って素直に頭を下げるランドルフに、マーガレットは胸が高鳴る。マーガレットは目を細めて、いえ、と頭を振る。


「私、偉そうなことを、ごめんなさい…」

「そんなことはない。ありがとう、マーガレット」


そう微笑むランドルフに、マーガレットはどんどん頬が赤くなる。目を伏せて、またマーガレットは一口紅茶を飲む。


「そういえば、最近ヒロに会ったか?」


ランドルフに尋ねられて、はい、とマーガレットは返す。


「元気そうだったか?」

「元気…」


マーガレットはまた固まる。前に見た彼女は、以前の生き生きとした様子よりは元気そうではなかった。マーガレットが見たヒロは、旦那にせまられて、拒否をしたら機嫌を損ねた旦那が家を出ていってしまった、という状況に置かれている。

固まるマーガレットに、眉をひそめたランドルフが、元気じゃないのか、と尋ねる。マーガレットは、何と答えていいのか困り、言葉に詰まる。そんなマーガレットに、ランドルフはさらに眉をひそめる。


「ヒロに何かあったのか?」

「え、ええと、」

「あったんだな?エドに何かされたのか?」


ランドルフは、マーガレットの表情からそう尋ねる。マーガレットは、ええと…と言葉を濁す。


「(…こういう話を、どこまでしたらいいのか…)」

「教えてくれ、ヒロに何があったんだ。あの男に何をされたんだ?」

「わ、私から、勝手に2人の話は…」 


そう濁すけれど、マーガレットのその様子にただならぬことを察したランドルフは、わかった、ありがとう、と言うと立ち上がった。そして、それじゃあ俺は失礼する、と怖い顔をしてランドルフは去っていった。マーガレットはそのランドルフの背中を心配そうに見つめるしかなかった。










食事を終えたヒロとエドは、2人で中庭に向かうことにした。ヒロが今から花の世話をしに行くというと、エドがついていくと言ったからである。

ヒロはいったん部屋に戻ってコートを着込んでいた。

窓の外から中庭を眺めながら、ヒロは小さく息をついた。


「(…3ヶ月、か…)」


今が1月であることを思いだしたとき、ヒロは、エドが提示した期間を思い出す。長いようで短い期間である。その間に、自分はエドを好きになれるだろうか。


「(…そもそも、あの人が私のことを本当に好きかも疑わしい)」


ヒロはコートの襟を正しながらそんなことを考える。一晩たっても、やはりヒロにはエドの言葉が信じられなかった。3ヶ月経って、自分はエドに惹かれて、エドは勘違いに気がつく、という結果がヒロには容易に想像できた。あんまり浮かれてはだめだと、ヒロは自分で自分に言い聞かせる。身の丈に合った考えをしなさい。傷つくのは自分だ。これまで何度も、周りから傷つけられてきた。同じ轍を踏んではいけない、と。


コートを着終えて外に出ようとしたヒロに、ハンナが、エドの贈り物であるストールを無言で差し出してきた。ヒロは、少し固まったものの、言われた通りそれを身に着けた。


部屋を出ると、上着を着たエドがいた。おまたせしました、とヒロが言うと、いいえ、とエドが返した。エドは、ヒロがストールをつけているのを見ると、嬉しそうに目を細める。今日はえらく素直なエドに、ヒロはまた拍子抜けた。

中庭で、ヒロはじょうろで花に水をやり、エドはガーデンテーブルに座って本を読んでいた。真冬の寒い空気を感じるけれど、空は綺麗に晴れている。


「(今日もいい天気だなあ…)」


ヒロは、そう思いながら花壇に咲く花を見た。もう少し暖かくなったら、春の花を飢える準備をしてもいいかもしれない、とヒロは考える。


「(何を植えようか…)」


ヒロは、花壇の前でしゃがむと考え込む。何がいいだろう、また今度、ハンナに種苗店に連れて行ってもらって、そのときにかんがえよう。

そんなヒロの隣にエドがやってきて、そしてしゃがみ込んだ。ヒロはエドの方を見た。エドがじっとヒロの瞳を見ていた。


「どうしましたか?」

「…あなたが、何を考えているのかと思って」

「なに…。春に咲く花のことを考えていました」

「まだ冬なのに、もう春のことですか?」

「あはは少し気が早いですね。もう少ししたら、種苗店に行きたいなと思っています」


ヒロは花壇の方を眺めながらそう話す。そんなヒロの横顔を、エドが見つめる。ヒロはそんなエドの視線に気がつくと、彼の瞳を見た。優しい目をしたエドと、ヒロは目が合った。


「それならその時は一緒に行きましょう」


エドの言葉に、ハンナと行く気だったヒロは目を丸くする。これまでと明らかに違うエドの態度に、ヒロは困惑する。


「(…3ヶ月、3ヶ月しかない。その間に、お互いがお互いを、夫婦としてやっていける人なのか確認しなくてはいけない。これまでのようにばらばらに過ごしていたら、その作業はできない)」


ヒロはエドの行動に自分なりの理由をつけると、わかりました、ありがとうございますと、微笑む。そんなヒロにエドも微笑む。風が吹いて、彼のきれいな銀髪が揺れたとき、ヒロは目を奪われる。


「(…やっぱり、この人が私なんかを好きになるわけがない)」


ヒロは、そんな確信を改めて心に浮かべると、作業を再開しようと立ち上がった。その時に、足がもつれて転びそうになった。そんなヒロの腕をエドが掴み、バランスを崩したヒロを支えた。


「大丈夫ですか?」


腕をつかんだままのエドがヒロを心配そうに見つめる。相変わらず愚図な自分が情けなくて恥ずかしくて、いなくなりたい気持ちでヒロは目を伏せる。この人も呆れているだろうと思えばさらに恥ずかしくて悲しくなる。ヒロは目を伏せたまま、ごめんなさい、とエドに謝罪をする。


「私が愚図で迷惑を…」


そう言いかけて、ヒロははたと、前に義両親の家でエドから言われた言葉を思い出すと、エドの方を見た。


「筋力不足!筋力不足だから、だから鍛えます!」


ヒロは大真面目にそうエドに返す。エドはそんなヒロにきょとんとする。そんなエドに気がつくと、ヒロはまた恥ずかしくなってきて、少しずつ頬を赤くする。


「ご、ごめんなさい、前にあなたから、愚図じゃないって言ってもらえたのがうれしかったから…」


ヒロはもごもごとそう返す。エドはそんなヒロに優しく微笑む。


「本当に、あなたは愚図なんかじゃないですよ。俺もあなたに、落ちこぼれじゃないって、そう言ってもらえて、嬉しかったです」

「それはだって、あなたが本当に落ちこぼれなんかじゃないから」


ヒロは、こんなにもエドが自分を落ちこぼれだということが不思議でならなかった。ヒロは、あの、とエドに尋ねる。


「お城には、そんなに優秀な人ばっかりなんですか?」

「え?」

「あんまりにも自分のことをそう言うから、周りが更にすごい人ばっかりで、だからそう思い込んでいるのかなって」

「それはあなただって、」


エドが何かを言いかけて、ヒロを支えたときから手を掴みっぱなしだった手に少し力がこもる。その時に、エドはまだ自分がヒロの手を掴んでいた事に気が付き、あ、と声を漏らす。


「…すいません」

「い、いいえ…」

「…」

「…」


お互い少しずつ頬を赤くして、向かい合ったまま黙ってしまった。エドは何か言いかけたけれど、口をつぐんだ。そして、すいませんでした、というと、ゆっくりヒロから手を離した。ヒロはそんなエドを見上げたあと、目を伏せる。胸の鼓動が速くて、自分のことがわからなくなる。


「(…勘違いしてはいけない)」


ヒロはそう心に強く言い聞かせる。勘違いするな。身の程を知れ。そんな声が聞こえて、ヒロははっと冷静になる。

ふと、屋敷に馬車が到着したことにヒロは気がついた。そして、その中から見覚えのある男性の姿が見えた。


「…お兄様?」


ヒロが声を漏らすと、え、とエドがヒロの視線の先を振り返った。勇み足のランドルフが、物凄く怒った顔でこちらに近づいてくるのが見えた。ヒロは、兄のただならぬ様子に怯む。エドは、突然の義兄の訪問と、彼が怒り心頭である様子に、わけがわからないという顔になる。

ランドルフは、2人の前にやってくると、エドを睨みつけた。エドはとりあえず、お久しぶりです、ランドルフに会釈をした。ランドルフは、そんなエドは無視すると、ヒロの肩を強引に引っ張り無理やり自分の方に引き寄せた。


「妹は返してもらう。君のような男には、とてもヒロは任せられない」


そうエドに宣言するランドルフの横顔を呆然と見上げながら、以前彼がこの家に来た時の話を思い出したヒロは、背中に汗を伝わせた。

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