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ヒロは、いつも通り1人で朝食をとっていた。普段と違うのは、周りの使用人たちが腫れ物を触るようにヒロのことを見る、ということである。

あの夜から、エドが家に帰ってこなくなった。今日で3日目になる。帰ってこないエドを心配した使用人が城に向かうと、そこで普通に仕事をしているという生存確認ができたので、使用人たちはそれ以上何もしなかった。ハンナですら、ヒロにあの日のことは何も聞かなかった。結婚して数カ月間、ずっと仮面夫婦で過ごしてきた夫婦が急に食事も寝室も一緒だと言い出し、そしてその初日の夜に旦那が家を飛び出してしまった。そんな緊急事態に、使用人たちもきっととんでもないことが起きたのだと動揺しているようだった。


この日は久しぶりに友人であるマーガレットとアリスが家に来る日だった。こんな状況だけれど、ずいぶん前から約束していたことだし、1人でずっと屋敷にいるのも気がめいったので、ヒロは当初の予定通りにすることにした。




2人が来るまで、ヒロは中庭にいた。花の世話をしながら、ぼんやり花を見つめる。ヒロの視界にたくさんの花が入ってくるけれど、何も思えず視点だけ動かす。


「(…あの日、あの人は私が拒絶したのを察したのだろう)」


あの日のエドを思い出す。ヒロの拒絶に、心底傷ついた顔をしていた。ヒロは、それを思い出して目をせる。


「(…なぜあんな顔をしていたんだろう。…いや、断られたら傷つくものか。ましてや、こんな女に。プライドもズタズタになったのだろうか)」


そう思うと、ヒロはエドに申し訳なくなる。しかし、彼が自分にそんなことをしようと思う理由がヒロには分からない。そういう気持ちになったとしても、彼の相手をしようと思うきれいな女性がたくさんいるのだから、わざわざ自分を相手にと彼が考える意味が、ヒロにはわからなかった。


足音がした気がして、ヒロははっと顔を上げた。立ち上がって音の方を見たけれど、そこには誰もいなかった。気のせいかと、ヒロはため息をつく。エドが帰ってきたのかと期待をしていた自分に気が付き、そのことにヒロは自分で自分に驚く。


「(…最後に見た顔が、あんな顔だったから、理由はわからないにしろ、謝りたい)」


そうヒロは心の中で思うけれど、それならあの日、嫌でも彼を受け入れるべきだったのだろうか、と自責した。しかしすぐに、それは無理だった、とあの日の自分の気持ちに立ってヒロは否定する。しかしすぐに、いや結婚しているのだから、受け入れるべきだった、とさっきの考えを否定し直した。

ヒロは、自問自答を繰り返す中で、頭が疲れてきて顔を俯ける。こんなふうに考えるのが嫌で、ずっと結婚なんかしたくなかったのに、だからこの結婚は、こんなことを考えなくて済むと思って承諾したのに。


「(…でも、この結婚をしなかったら、またあの居場所のない家に戻るだけだった)」


ヒロはぼんやりとそんなことを考えて、これまでずるく現実から逃げてきた自分がそろそろ行き止まりに来ようとしていることを察する。重いため息をついたとき、お友達がいらっしゃいましたよ、とハンナが呼びに来た。







ヒロは、マーガレットとアリスを応接室に通した。ハンナがお茶の準備をしてくれているその間もずっと3人で他愛ない話をしていた。ヒロは、久しぶりのいつも通りに、安心して顔がほころぶ。そんなヒロを見ると、マーガレットとアリスは顔を見合わせた。そして、ねえ、とマーガレットがヒロの方を見た。


「何かあった?」

「えっ」


ハンナが出してくれたお茶を飲もうとしたヒロの手が止まる。マーガレットは、じっとヒロの方を見つめている。アリスも、いつも通りにこにこしながらヒロの方を見ている。


「な、なにか、っていうのは…」

「なんだか様子がおかしいわよ。なにがあったの?」


マーガレットが心配そうにヒロを見つめる。ヒロは、ゆっくりマーガレットから視線をそらす。そんなヒロの視線を追いかけて、無理やりマーガレットは視線を合わせようとする。アリスはそんな2人をにこにこと見つめる。

ヒロは、とうとう観念して2人の方を見た。


「…実は、…エドが出ていってしまって」

「あら、女の家にでも行っているの?」

「まあ、噂通りですね」


ふふ、とアリスが微笑む。ヒロは、ええと…と言葉に詰まる。


「朝帰りは何度もあったんだけど、今回はとうとう、3日連続で帰らなくって…。生存はしているらしいんだけど…」

「ということは、とうとうあの遊び人に本命ができたのね…。本当に無茶苦茶よあの男は。ああもう、何を考えているの…!」


ぎりぎりとマーガレットが苛立った顔で奥歯をかみしめる。アリスは、ふふ、とそんなマーガレットをほほ笑みながら見つめる。ヒロは、どんな説明をしたらいいのかわからずに目を伏せる。そして、違うと思う、と2人に言った。2人は、え、とつぶやいてヒロの方を見た。


「違うっていうのは?」


マーガレットがヒロの方を見つめて尋ねる。ヒロは、少し考えた後、じつは、と言葉を紡ぐ。


「私が、怒らせてしまって…」

「えっ…ヒロ、が?」


マーガレットが目を丸くした。ヒロは目を伏せたまま、私が愚図だから…、と声を漏らす。マーガレットは、え?と首を傾げる。


「愚図だからって…どういうこと?抽象的すぎるわよ 」

「前から気になっていたんですけれど、ヒロのその、愚図って、何ですか?」


アリスが首を傾げる。ヒロは、ええと、と苦笑いを漏らす。


「昔からお兄様に言われてきたんだ。愚図だ愚図だって。…私もその通りだって、そう思って」


悲しそうに笑顔を浮かべるヒロに、マーガレットは心配そうにヒロの方を見る。アリスは、そうだったんですか、と返す。


「愚図はちょっと言葉が過ぎますわよね」

「そんなことないよ。その通りだから」

「そ、それで、具体的に何があったの?」


アリスの言葉に、ヒロはまた言葉に詰まる。ヒロは、え、えっと…と言葉を探す。


「その、…寝室を一緒にしようってことになって、それで、夜に、その、…断ってしまって、ジムのことを考えたら私、どうしてもできなくって、その…」


ヒロの言葉に、どんどんマーガレットの顔が怒りに変わっていく。ヒロの言葉を待たずに、もうっ!とマーガレットは怒り出した。


「何なのよあの男は!自分は外で女作って遊び回っておいて、普段放っておいてるヒロにまで手を出して、断られたら不機嫌になって他の女のところへ家出?!はああっ?!」

「ふ、不機嫌、というか…」


ヒロは、あの日の深く傷ついた顔をしたエドの顔を思い出す。


「(…いや、まあ、散々他の女性と遊んでる人が、あの場面で急に被害者顔するのは…って話ではあるわけで…)」

「ヒロはまっったく悪くないわ!断って当然よ!…でも、断った理由がジムなのは納得いかない…!ねえアリス、どうしたらいいんだと思う?!」

「一度落ち着かれたらどうですか?さあ、お茶を」


アリスに勧められて、マーガレットはカップに口をつけた。そして、はあ、とため息をついた。アリスはそんなマーガレットを見て微笑んだ後、ヒロの方を見た。


「愛のない結婚だってお互いの認識はあっても、そういう行為のない結婚という約束はしたんですか?」

「えっ?」


アリスの言葉にヒロは目を丸くする。


「してない……でも、愛のない結婚って、それもセットが普通じゃないの?」

「そうとは限りませんわよ。気持ちがなくてもできてしまう方はたくさんいますわ。跡取りの問題もありますし」

「あ、あととり…」


ヒロは初めて聞いた問題に固まる。マーガレットが、でも、と言葉を挟む。


「跡取りがいないなら、親戚筋から養子をもらえば良いじゃない。私だって、一人娘だから、できれば婿養子がいいけれど、巡り合わせで私がお嫁に行くことになったら、分家から養子をもらってくるってお父様から言われているもの」

「あらまあ、マーガレット、よかったですね」

「…」


アリスに意味深に微笑まれて、マーガレットは顔を赤くする。ヒロは、その意味が分からずに首を傾げる。アリスは、そんなヒロを置いて、でも、と話を続ける。


「そういう考えの方もいらっしゃれば、血統主義の方ももちろんいらっしゃいますわ。アディントン侯爵は特にそんな思想のお強い方で有名ですわよ。本家は分家より勝っている。かならず嫡男からの子どもを跡取りにする、って」

「そんなの…そもそも、子どもが生まれるかすらわからないのに」


マーガレットが眉をひそめる。アリスは、そんなマーガレットにちいさく微笑む。


「跡取りは必ずしも奥様だけの子ども、とは言わないみたいですわ。跡取りは自分の子どもであるのならば構わないみたいですから。アディントン侯爵って昔からとっても女性に人気がおありだったみたいですし」


微笑むアリスに、なにそれ浮気の血統じゃない、とマーガレットが悪態をつく。そんなマーガレットを見てまたくすくす笑いながらアリスは話を続ける。


「それでも、やはり本妻の子どものほうが周りからとやかく言われませんし、ヒロが跡取り問題に無関係でいられるかと言われたら違うと思いますわ」

「あー…ほんとに面倒くさいわよね…。これで子どもが生まれなかったら女の方が悪く言われるんでしょう?本当に理不尽よ!なんで男は悪くないことが前提になるの?!」


憤慨するマーガレットを、微笑ましそうに見つめるアリス。

ヒロは1人で、そっか、そういうことだったんだ、と呟いた。そんなヒロに、2人はえっ、と声を漏らす。安心したような顔をしたヒロが、はあ、とため息をついた。


「よかった、子どものことか、そういうことか…そうだったんだ…」

「…この場面でこんな安心した顔になる?」

「なんであの人が私なんかとって、全く理由が分からなかったから、やっと腑に落ちたの」


マーガレットの疑問に、あの日の理由がわかったヒロはすっきりとした笑顔を返す。そんなヒロを見たマーガレットとアリスは、お互い顔を見合わせて首を傾げた。










リサは、息子のダンと手遊びをして遊びながら、ちらりと向かい側のソファーの方を見た。彼女の視線の先には、ソファーに座り、その前にあるローテーブルに顔を突っ伏す弟がいた。その背中の上に、リサの娘のリンがのしかかって絵本を読んでいる。さらにリンの体に密着して飼い猫のミィが座って寝ており、時折リンが撫でている。リサは、はあ、とため息をつくと、ねえ、とエドに話しかけた。


「今日もうちに泊まるつもり?」

「……」

「何があったか知らないけど、他に泊めてくれる女性がたくさんいるでしょう?そっちに行ってもらえるかしら」

「……俺と結婚しない人の部屋には行かないと決めている……」

「(…こんな無茶苦茶しておいて、謎に一線守るの何……)」


リサは、はあ、とため息をつく。リンはエドの背中から下りると、おじちゃま、とエドの膝に乗った。エドはのそのそと上半身を起こす。ミィもそれに合わせてエドの背中から下りると、エドの腰のあたりにピタリとひっついた。エドは膝の上のリンの方を見た。


「なんだ、リン」

「とまるなら、きょうはおじちゃまがわたしにねかしつけのえほんをよんで」

「リン、寝室に結婚相手以外の男をいれたら駄目だ」

「(あなたが貞操観念を諭すのね…)」

「じゃあきょうもおじちゃまはダンによんで、わたしにはおかあさまがよむの?わたし、たまにはちがうひとにえほんをよんでもらいたいわ」


駄々をこねるリンの方を、ダンが笑顔で見つめる。


「だいじょうぶだよ、リン。おじちゃまよりおかあさまのほうがごばいはよむのがじょうずだから」


ダンの言葉に、エドが、ぐっ、と声を漏らす。


「…寝かしつけてもらわないと眠れないおこちゃまのくせに…」

「そう、ならいいわ」


リンはすとんとエドの膝から下りると、ダンの隣りに座って2人で遊び始めた。リンは楽しそうな2人を見て微笑んだ後、ため息をつき、エドの隣りに座った。


「で、何があったの?仕事でなにかあったの?」

「……」

「…仕事、ではない…?」

「…俺の顔で推理しないでくれ」

「話を聞いてあげてるんじゃない。ありがたく思いなさい」

「…聞いてほしいなんて頼んでない」

「じゃあ、いつまでもかび臭い顔で私の前にいないでくれる?家の空気が悪くなって私の気分まで悪くなるわ。どうぞ家に帰って。今すぐ」


リサはエドの肩を押す。エドは、ぐ、と言葉に詰まる。そんなエドを見て、はたとリンは何かを察した。


「…そうか、家に帰りたくないのね、あなた」

「…」

「ヒロと喧嘩したの?なによ、あんなスカしたこと言って、なんだかんだ喧嘩するくらいには仲良くしてるの?」


リサはエドの背中を叩くと、少し嬉しそうに笑った。エドは昔から、他人と喧嘩をしなかった。彼の性格が温厚だからというわけでは無い。彼が本心を他人にさらけ出せない性分であるからである。

エドは目を伏せて、喧嘩なんかしていない、と返す。リサは、え?と首を傾げる。


「それじゃあなに?」

「……リンとダンの前では言えない」


リサは、エドの言葉にきょとんとしたあと、少し遠くの方で2人で仲良く遊ぶ子どもたちの方を見た。リサは少しの間考えたあと、何かを察すると、エドの方を向いて子どもたちに聞こえないように小声で話した。


「…ヒロになにかしたの?」

「…夜に…」


そこまで言うと、エドはまたテーブルに顔を伏せた。そこで大体察したリサは、はあ、とため息をついた。


「断られたわけね」

「…顔が、完全に俺を拒絶していた…」

「それはそうじゃない?あなた、自分がヒロにしてきたことを忘れたの?そもそも、なんでそんなことしたのよ」

「……」


エドは少し黙った後、ヒロに好きになってほしくなった、と声を漏らした。エドの言葉に、リサは目を丸くする。エドは、でも、と続けた。


「彼女にはずっと好きな人がいて、その人に俺は勝てない。…俺には何にもない。好きになってもらえる要素が、俺にはない。俺には、夫婦である事実しか利用できるものがないと思ったら、焦って…」


そう話すエドの膝に、ミィが乗る。エドはそれに気が付かずに頭を垂れる。リサはそんなエドの方を見てため息をつく。


「(…したことはどうあれ、この子がまた人を好きになるなんて)」


リサは、少し黙ったあと、小さく口元を緩めた。しかしすぐにエドに見せる用に厳しい顔を作った。そして、エドの背中を音がなるほど叩いた。エドは驚いて背中をそらした。リサは厳しい顔つきでエドを睨む。


「何を甘ったれているの?ヒロに好きになってもらいたい?その前に、あなたが真剣にヒロのことを愛さなくては駄目よ。夫婦しか利用できるものがない?これまで夫婦関係をないがしろにしてきたくせに、都合のいいときだけ夫婦だなんだよく言えたものよ。いい?これまであなたは、その顔でニコニコしてたら遊んでもらえたかもしれない。でも、夫婦として一緒に生きていこうと思ったらそんなものではどうにもならないの。相手のことをきちんと考えて、想って行動をするの。そのベクトルがヒロにとって正しければ、きっとあなたの気持ちに気付いてくれる」

「…姉さん」

「とにかく、あなたが今している逃げは最低なことよ。あなたが今すべきなのは、ここでめそめそするんじゃなくて、家に帰って本気でヒロと向き合うこと」


リサの言葉に、エドは真剣に耳を傾ける。リサは、それと、とエドに指をさす。


「頻繁に夫が1人で姉のところに来るっていうのは、妻に嫌われる行動ベスト10には入るわよ。改めなさい」

「…はい」


エドは素直に頷く。リサは、そんなエドに小さく微笑むと、じゃあ今日は帰るのね、とエドに聞く。するとエドは固まったあと、いや、と頭を振った。


「は?」

「…もう一泊、お願いします…」

「(…男気があるのかないのか…)」


リサが呆れる。エドの膝に乗るミィが、にゃあと甘えた声を出した。


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