16
少しの時間馬車に揺られて、ヒロはエドの指定した場所につれてこられた。それは、街のお店が立ち並ぶとおりにある仕立て屋だった。先に運転手が降りて店内に入ると、すぐに小走りの店主が笑顔で店から出てきた。先に降りたエドが、車内にいるヒロに手を差し出す。ヒロは、最初にエドからもらった花束が車内に置かれているのを見る。
「…あの、花は」
「持って歩いたら荷物になりますから」
エドはそう言うと、ヒロに早く降りるように促す。ヒロはもう一度、車内に置き去りにされる花束を見つめる。
「(は、早く花瓶にさしてあげたい…)」
そんなヒロの思いをエドが知るわけもなく、エドはヒロの手を引いてヒロを馬車から降ろした。
仕立て屋に連れてこられると、エドとヒロは笑顔の店主に別室につれてこられた。ヒロは、初めての場所に慣れない気持ちであたりを見渡す。エドは店主に、いつもお世話になっております、やら、呼んでいただければいつでも伺いますのに、などと話しかけられている。エドは、近くに寄ったから、と軽く店主に返す。
連れてこられた別室は、大きな姿見に試着室、それに、ソファーとローテーブルが置いてあった。笑顔の店主が座るように2人に勧める。エドがヒロを連れて、ヒロに座るように促したので、ヒロは腰掛けた。その隣にエドは座った。すると、部屋にお茶を用意した店主の妻らしき女性が入ってきて、お茶などをテーブルに並べた。ヒロは彼女にお礼の気持ちで頭を下げた。そして、エドの方を見た。
「服を新しく仕立てるんですか?」
「はい」
「さあどうぞ、こちらへ」
お茶を持ってきた女性店員に、ヒロは試着室へと促された。ヒロは、え、とエドの方を見た。
「え、私の服ですか?」
「そうです。ここに来てから一着も新しい服を用意していませんでしたから」
「い、いいです、服ならありますし…」
新しい服を着ていく用事もないし、とヒロは心のなかで呟く。エドは、いいんです、と返す。
「贈らせてください」
「でも、」
「さあどうぞ、奥様」
笑顔ながら有無を言わせない店員に促されて、ヒロは彼女と一緒に試着室の中に入れられた。
店員の素早い手さばきで、ヒロは寸法を測られていく。ヒロは、実家にいたときもこういう作業はしたけれど、好きじゃなかったことを思い出す。自分はあの美しい人よりもここが太くて、ここはお肉が足らなくて、ここは長くて、ここは短くて、と数字で思わされる作業のような気がしていたからだ。
ヒロは、試着室の中に置いてある鏡を見つめる。鏡の中の自分と目が合いそうになったとき、自分の顔を見たくなくて目を逸らした。
「お疲れさまでした」
笑顔の店員に言われて、ヒロははっとする。そして、ありがとうございます、と頭を下げた。店員は、それでは生地を選びましょうか、とヒロを試着室の外へ連れて行った。
カーテンの外に出ると、お茶を飲んでいるエドに、店主がさまざまな生地を見せていた。エドはそれらをじっと見ながら選んでいる。ヒロはエドの隣りに座り、彼の見ている生地を見た。どれも自分の顔に合うとは思えない、派手ながらのものばかりだった。ヒロはストールの悲劇を思い出しながら、エドの方を見上げる。エドは実に真剣に選んでいるようにヒロには見えた。
「最近はこういった柄も人気ですけれども」
店主の説明を聞きながら、うん、うん、とエドは相槌を打ちながら次々に出される布を選んでいる。ヒロは、あ、あの、とエドに小さな声で話しかけた。
「私あんまり、派手なのは…」
「派手?そうですか?」
不思議そうにするエドに、ヒロは固まる。陰で生きてきた自分とはセンスの根本が違うのだと思い知らされる。
「それじゃあ、これにする」
エドは、店主がよく勧めていたもののなかから一つ選んだ。店主は、ありがとうございます、とエドに笑顔を返す。ヒロは、えっ、と声を漏らしてエドを見た。
「いや、あれは派手かと…、というか、こういうのって着る本人が選ばせてもらえるものじゃないんですか?」
「あなたの愛用しているストールを見ていると、あなたに任せるのは不安だったもので」
「あれは変だって自覚はありますよ…!(というか、変な柄のストールを選んだ人に言われたくない…!)」
「そうですか。では、どうぞ選んでください」
エドにそう勧められて、え、とヒロは声を漏らす。そして、笑顔で生地を見せてくる店主の方を見る。
色とりどりの生地を眺めながら、ヒロは自分の目のピントが合わないことに気がつく。これが自分の顔に合うとか、そんなことが全くピンとこない。その時ヒロは、散々蔑ろにされてきた自分の、大嫌いな顔のことを、長らくきちんと見ていなかったことに気がつく。
「(…周りからされるだけじゃなくて、自分まで自分をぞんざいにしていたのかもしれない)」
ヒロは、こんなに種類があるのに自分に似合うものを探せないことに呆然とする。
エドは、なかなかこれと言わないヒロを見ると、それじゃあこれも、と勝手にまた生地を選んでしまった。店主はさらに笑顔を浮かべて、ありがとうございます、とエドにお礼を言う。ヒロは、ばっとエドの方を見る。
「あの、私そういう柄のものは…」
「ですから、どうぞ選んでください」
「……」
「……」
「……2着も作っていただくので、充分です」
ヒロは、とうとう選ぶのを諦めた。エドはそんなヒロを見ると、あとこれも、ともう1着追加した。
ほかほかの笑顔をした店主が、また出来上がったらお届けします、とエドに伝えた。
エドはヒロを連れて馬車に乗り込んで、そして運転手に行き先を伝えた。ヒロは馬車に置いてきた花束がしおれていないことを確認すると、ほっと一息ついた。
次にヒロがエドにつれてこられたのは、大きな劇場だった。エドが言うには、ここはこの国でも有数の歌劇の劇場で、今日は国王陛下の前でも上演したことのある劇団がやってくるらしい。
ヒロは劇場を眺めながら、久しぶりにこういったところにきた、と思った。昔は両親にたまに連れられて来たけれど、ヒロだけでなくランドルフもこういうものに興味がなく、寝てしまうことすらあったため、とうとう両親は2人を連れてくることはなくなった。
ヒロは、劇場内に入場して席に着いたとき、入り口で配られた劇のあらすじが書いてある紙を眺めた。一人の女性の恋愛と悲哀を描いた作品らしい。ヒロは、椅子に座ると、馬車に置いてきた花は大丈夫だろうか、ということが頭に浮かんだ。今日はずっと、ふと花のことを思い出しては、ヒロはそちらに注意がいって上の空になっていた。
劇が終わったとき、ヒロは眠気との戦いの最中だった。歌劇は他国の言葉で終始繰り広げられるため、舞台上の役者が何を言っているのかわからないから内容なんて全くわからないし、突然歌い出すから驚くし、面白さが少しもヒロにはわからなかった。
エドに連れられて、次はレストランにやってきた。ウェイターに案内されて、2人は店の二階にある個室につれてこられた。エドが店内に入ると、店にいた食事をしていた客の視線が彼に集まった。エドは特に気にせずに歩いていってしまうので、ヒロはやはりここでも縮こまりながらエドについて歩いた。
席についたエドは、ウェイターに食事の注文をした。ウェイターは颯爽と部屋から出ていく。それを見届けると、ヒロは、はあ、と心の中で息をついた。
ヒロは向かいに座るエドの方を見た。劇場でも、エドは周りの視線を集めていた。この人はこんなに見られて疲れないのだろうかとヒロは疑問に思う。見られすぎて慣れてしまっているのだろうか。
「どうでしたか」
急にエドに尋ねられて、ヒロは、え、と首を傾げた。するとエドは、劇です、と続けた。
「劇…」
「同じ演目のものを何度か見ているんですが、やはりあの劇団がすると違いますね」
「あ、そ、そうなんですか…。私は初めてだったから」
「ああ、そうでしたか。でも、原作は御存知ですよね、昔からある有名な作家の脚本ですし」
「えっ、そ、そうなんですか、私、不勉強で…」
知らないと言ったヒロを見て少し目を丸くするエドを見て、一般教養の範疇だっただろうかとヒロは内心冷や汗が出るほど慌てる。エドは一瞬固まったあと、そうでしたか、と笑顔を見せた。
「でも、初めてならそれはそれで面白かったんじゃないですか?結末を知らないなら、あのラストは驚いたでしょう」
「あの、…なんて言っているかわからなくて」
「えっ」
「あっ」
「…」
「…」
また固まるエドに、ヒロは逃げ出したくなる。確かに、あの国の言葉を習う授業は学校であった。しかし、在学中にテストのために勉強しただけの知識は、その後使うことのなかったヒロの頭の中からいとも容易く抜け落ちていってしまったのだ。
「(…教養としてこういうものを嗜んでいる人なら、あの言葉がわかるのか…いや、でも、劇を聞き取れるくらい理解できるってすごすぎないだろうか?私が不勉強すぎるだけなのか、この人が勉強しすぎなだけかどっち?どっち??)」
気まずい空気が流れた瞬間、ウェイターが助けるように料理を持ってきてくれた。それにより、2人の間を漂うなんとなく気まずい空気はなんとかごまかされた。
おかしい。
昼食をとったレストランから家へ帰る馬車の車内でエドは首を傾げる。今日の休日のプランは、エドのこれまでの経験上必ず相手に喜ばれるもののはずである。待ち合わせ場所で花束を渡し、仕立て屋で流行りの服を贈り、有名な劇団の歌劇を観たら、有名なレストランで昼食をとる。この予定ならば必ずヒロは喜ぶはずだとエドは確信を持っていたけれど、実際に実行してみると、ヒロは笑ってはいるけれど、どことなくずっとぎこちない。何なら、待ち合わせの時からずっと。
エドは、最初に渡した花束を抱えて座る、向かい側のヒロを見つめる。疲れたのか、窓から外の景色をぼんやりと眺めている。これまでの経験上、他の女性ならば、エドと今日の感想を楽しそうに話したり、もう帰る時間だなんて、と今日の終わりを惜しむものである。
「(…何だ、…彼女は何が気に入らないんだ)」
「あっ」
ヒロは、街の大きな時計台を見ると、あの、とエドの方を見た。エドはヒロの方を見て、はい、と返事をした。
「少し寄りたいところがあるんですが、よろしいですか?」
「ええ、もちろん」
エドの快諾に、ヒロは安心したように微笑む。そんなヒロに、エドは少しだけ首を傾げた。
ヒロが来たいと言ったのは、時計台の通りに並ぶ店の中の、雑貨屋だった。エドはこんなところに来たことがなく、珍しい気持ちで店内を眺める。店主は、領主の子息と妻がここに来たことに、緊張して固まっている。
「これ、…あの、これが欲しいんですが…」
ヒロは、あるものを指さすと、おずおすとエドの方を見た。エドは、それが何かを見る前に、もちろんどうぞ、と許可をする。ヒロは、また安心したようにありがとうございます、と笑った。そんなヒロが手に取ったのは、シンプルなデザインの花瓶だった。店主は、ありがとうございます、と2人に微笑むと、会計に向かった。
「(…なぜ、今、花瓶?)」
「あの、お水を入れていただけませんか?」
ヒロが店主に頼むと、ええいいですよ、と店主は微笑んだ。エドは、ヒロの行動にさらにわけが分からなくなる。
「(水?…喉が渇いた?いや、そんなわけ…)」
エドがわけがわからない気持ちでヒロを見つめていると、ヒロは脇に抱えた花束を、会計を終えて水を入れてもらった花瓶に生けた。そして、ヒロは、はあ、と安心したように笑った。
「ああよかった。ここから家までまたしばらくかかるし、しおれたらと思ったらそわそわしてしまって」
ヒロの笑顔に、エドはきょとんとする。ヒロは、花瓶を抱えながら苦笑いをする。
「花屋さんで萎れないように工夫してもらってるって、わかってても私、そわそわしちゃうんです。はあ、落ち着いた」
ヒロは、今日初めての素直な笑顔をエドに見せると、おまたせしました、ありがとうございました、と言った。エドは、そんなヒロを少し目を大きく開く。そして、つられてゆっくり笑った。
「(…そうか、花束を渡したときに、なんとなく落ち着きがなかったのはそういうことか…)」
エドは、理由がわかって安心したような、自分が彼女を喜ばせようとしたことが裏目に出たことに悔しい気持ちになるような、そんな不思議な気持ちになる。
2人は買い物を終えると雑貨屋から出た。そして、馬車に向かって歩き出した。大きな時計台の前に着くと、花壇や芝生が整備されてるのが見えた。それを見たヒロはそわそわとしだし、エドに少し見ていってもいいですか、と尋ねた。エドが了承すると、ヒロは花瓶を持ったままそちらに近づいた。エドは、吸い寄せられるように歩くヒロを慌てて追いかける。
ヒロは花壇の前でしゃがむと、じっと花を見た。白やピンクなどのいろんな色の花が咲いていている。エドもヒロの隣にしゃがみ、そして、ヒロの横顔を見つめた。先ほどまでと違う自然な笑顔で花を見つめている彼女に、エドはがっかりした。
「(…やっぱり、今日は彼女にとって楽しくなかったのか…)」
エドは、内心落ち込みながら花の方を見た。あの日、ジムの話をしだした彼女を見ているのが苦しくて、昔の男より自分を見てほしくて、彼女に2人で出かけることを提案してしまった。その結果は散々であり、女性とこんな残念なデートをしたことがなかったエドにはかなり堪えるものがあった。
「(…あの日、なんであんなことを思ったのだろう)」
エドは、自分がとった行動のはずなのに、咄嗟にヒロの腕を引いてしまった理由がわからなかった。この人は自分ではない男のことを想っているという事実に、なぜか耐え難いほど胸が痛くて、息が苦しかったのだ。
「今日は、ありがとうございました」
いつの間にかエドの方を見ていたヒロがそう言った。エドはヒロに見つめられて、いえ、と作り笑いを見せた。
「こちらこそ、お付き合いいただいてありがとうございました」
「とっても楽しかったです。ありがとうございました」
「…本当ですか?」
つい、エドはヒロに疑いの目を向けてしまった。エドに真顔でじっと見られたヒロは、えっ、と声を裏返させた。
「ほっ、本当です、よ」
「……」
「……ごめんなさい、とってもは嘘です、すいません」
「(…じゃあ、楽しくはあったのか…)」
及第点はあったのかと期待の目を向けるエドに、ごめんなさい、楽しかったも違うかもしれません、とヒロは返す。エドはそんなヒロにまた落胆する。
「(…上げて落とすタイプかこの人は…)」
「楽しかった、というよりも、嬉しかったです。とっても」
「え?」
エドは、ヒロの方を見た。ヒロは花の方を見ながら少しだけ寂しそうに微笑む。
「私はずっと、あんまり人から大切にされない人生でしたから、こうやって誘っていただいて、楽しませようと考えてもらえて、そのお気持ちが、とっても嬉しかったです」
「大切にされない…?」
「人からもてないといいますか、人気がないと言うか、まあ、私のせいなので仕方がないのですが…」
ヒロは苦笑いを漏らす。そんなヒロを、エドは見つめる。
「(…あなたが、人からもてなくてよかった)」
エドは、ヒロの横顔を見つめながらそんなことを考える。誰かに見つかっていたら、今こうやって自分がそばにいられることはなかったのだと、ヒロにその気持ちを伝えたいけれど、もっと格好のつく言い回しはないかとエドは模索する。普段ならば女性に対して歯の浮くような台詞なんて容易く浮かぶのに、今は台詞の一つも浮かばない。
なぜかポンコツになる自分にエドが混乱していたら、ヒロが、今日の歌劇ですけど、と言った。
「やっぱり、外国の言葉がわかるなんてすごいですよ。いつもすごく勉強されていますものね」
ヒロの言葉に、考え込んでいたエドははっとして、え、と声を漏らす。そしてすぐに、いえ、と頭を振る。
「仕事で使うこともありますし、周りの人間はだいたいできることですよ。別にすごくなんかない」
「いいえ、すごいです」
ヒロはそう大真面目に言うと、真っすぐにエドの瞳を見つめている。ヒロの瞳を見つめ返したとき、エドは時間が止まったような感覚に陥る。
「充分すごいです。本当の本当に。誰も言わないなら、私が代わりに言います」
ヒロの言葉に、エドは不覚にも心が震える。動揺しているのを知られたくなくてヒロから目をそらしたとき、自分の瞳が少しだけ潤んでいることに気がつく。そんな自分に、エドは更に動揺する。
自分という人間は、本当は優秀なんかじゃない。それでも、周囲の人間に優秀だと思われなくてはならなかった。父親に、出来損ないだと思われたくなかった。失望されたくなかった。だからいつも必死にもがいて、苦しくて、生きづらかった。
「(…どうしてこの人の隣にいると、こんなに落ち着くんだろう)」
エドは、そんな温かい疑問を頭に浮かべる。エドがまたヒロの方を見たとき、花を見つめるヒロは苦笑いを漏らした。
「まあ、私はもう少し勉強したほうが良いですね」
「勉強?」
「教養が足りないと言うか、恥ずかしいので、もう少し頑張ります」
「…この花の名前は御存知ですか?」
エドが、目の前の花を指さして尋ねた。ヒロは、花をみて、ビオラです、と答えた。
「寒い冬も越えられる、強い花なんですよ」
ヒロが花を見ながらそう説明すると、そうなんですね、とエドは相槌を打つ。
「俺はそれを知りませんでした。花には詳しくないから。俺が知っていて、あなたが知らない事があるように、あなたが知っていて、俺の知らないことがある。全員が同じ事ばかり知っていてもつまらない」
エドの言葉に、ヒロは少しだけ目を大きくする。そして、ありがとうございます、と言って目をゆっくり細めた。素直で飾らない笑顔を浮かべるヒロに、またエドは時間を止められたような気持ちになる。なぜ今日、ヒロを誘ってしまったのか、その理由がエドの中で分かりかけてきた。この気持ちの答え合わせがしたくて、エドはヒロの方を見る。花を見つめるヒロの横顔が、エドには何よりも誰よりも綺麗に見える、あの日と同じように。
エドがヒロに何か言いかけたとき、それよりも一瞬早く、実は、とヒロが話し始めた。
「昔、ジムとも歌劇を見たことがあるんです。こんな立派なところじゃなかったけれど。その時も、なにがなにか分からなくって、終わってから尋ねたらジムもわからなかったみたいで、2人でおなかが痛くなるくらい笑いました。観た演目すら思い出せないけれど、それだけ覚えています」
ヒロは、思い出し笑いをしながらそう話す。懐かしそうに、そして、未だに愛おしそうにそう話すヒロを見ていられなくて、エドは目を伏せる。エドの視界に入ったピンク色のビオラが風に揺れる。
「…帰りましょうか。すっかり冷えてしまった」
エドはそう言って立ち上がる。ヒロは、はい、と言って、花瓶を持って立ち上がった。ヒロはエドの目を見るとまた微笑む。そんなヒロに、エドは無性にやるせなくなる。
「今日はありがとうございました。大切にします」
ヒロは花瓶を少し持ち上げてそう言う。そして、あと服も…、と少し不安げに続ける。エドはヒロの方は見られずに、いいえ、と短く返す。そして、持ちます、と言ってヒロの手から花が生けられた花瓶を受け取る。ヒロは、ありがとうございます、とエドにお礼を言う。
「そういえば、どうして今日誘ってくださったんですか?」
ヒロがエドに素朴な疑問を投げかけた。エドは、少しだけ固まる。ヒロは、そんなエドに首を傾げる。エドはほんの一瞬黙ったあと、夫婦だからです、と返した。ヒロは、えっ、と目を丸くする。
「ふうふ…ですか、私たち…」
「そうです、夫婦です」
エドはキッパリと言い切る。そんなエドを、口を開けたままのヒロが呆然と見上げる。ヒロはしばらく黙ったあと、確認するように話し始めた。
「そ、そんな感じ、でしたっけ、私たち、あの、夫婦は夫婦ですけど、夫婦であって夫婦じゃない関係というか…」
「何がですか。俺たちは夫婦です。結婚式も挙げたし、誓いもたてました。紛れもない正式な、世間一般の範疇から外れない夫婦です」
「えっ、えっ」
「これから食事も一緒にとるし、今夜から寝室も一緒です」
エドの宣言に、とうとうヒロは石のように固まる。
「なぜなら俺たちは、夫婦だから、です」
さあ帰りましょう、とエドは固まるヒロの手を引いて歩き出す。ヒロはまだ頭がフリーズしたままだったけれど、エドに手を引かれるがままに歩くしか無かった。




