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どうしてこんなことになってしまったのか。朝、いつも通り中庭で作業をしているヒロは、そんなことを考えながら頭を垂れる。
今日は日曜日。エドの仕事が休みの日であり、そして、エドに外出を誘われた日でもある。
「(自分から同居する他人とか何とか言っておいて、一緒に出かけようとは?)」
ヒロは、エドの気持ちがわからずに首を傾げる。来週久しぶりにマーガレットとアリスがこの家に来る、という予定がある以外、特に何もなく過ごすしかない彼女にとっては、こうやって外出する予定ができるのは喜ばしいことのはずなのに、その相手がエドだと思うとなんとも複雑な気持ちになる。
「(何を話したら?というか、何をするの?どんな服を着れば?ああもう、わからない…)」
異性とお出かけだなんて、一体いつぶりだろうか。ヒロは思い出せないくらい昔のような気がして目眩がする。しかも、相手はあのエド・アディントンである。百戦錬磨( たぶん)の彼と、180度住む世界の違う自分とでは、どんなチグハグな感じになってしまうのか、ヒロには嫌な予感しか浮かばない。
「おはようございます」
男性の声がして、ヒロが顔を上げると、帽子をかぶった見知らぬ人が愛想のいい顔でヒロの横を通り過ぎていった。ヒロは、おはようございます、と彼に返すと、じっと彼の背中を見送った。
「(……どちらさま?)」
「奥様、朝食のご準備ができましたよ」
にこにこ笑顔のハンナがヒロを呼びに来たので、ヒロは、はい、と返事をして立ち上がった。
朝食を終えて、ヒロはハンナに、出かけるための着替えを手伝ってもらった。ヒロが自宅から持ってきた服はシンプルなデザインのものばかりで、それはヒロがそういうものが好みだからである。派手すぎるものは自分に似合わないという理由ももちろんあるけれど。
「奥様、せっかくですし、旦那様からいただいたストールをお召しになられては?」
キラキラした瞳のハンナがヒロに提案する。ヒロは、え、ええ…とそのハンナの提案に曖昧に返す。ハンナは、それをヒロの肯定と捉えて、そそくさとストールの準備を始めた。ヒロは、ハンナが持ってきた何度見ても褪せない派手さを放つそのストールを見た。
「(そっか、今日がその機会か…)」
ヒロは、ハンナにストールをかけてもらいながら覚悟を決めた。鏡に映るそのストールをつけた自分は、想像どおり似合わずに、これはこういうものなのだろうか…と不安になる。
「奥様、今日はどこへ行かれるんですか?」
ワクワクした様子のハンナが、ヒロの髪を整えながらそう尋ねる。ヒロは、さあ…と返す。
「どこへ行くんでしょう…私は何も…」
「それじゃあ、行ってからのお楽しみ、というやつですね」
ハンナが、うふふ、と口元を緩める。ヒロは、お楽しみ…とハンナの言葉を繰り返す。
「楽しみ…は、そう、そうかもしれませんね」
ヒロは、そう呟く。エドとの外出は不安で憂鬱だ。どうなるのかわからないし、エドが何を思ってそんなことを提案したのかがわからないから。
でも、ただ単純に、ヒロはエドから誘われたことについては嬉しかった。こうやって誘ってもらえたことで、ずいぶん久しぶりに、自分は透明ではないのだと思えたのである。自分は異性に見向きもされないと思い続けてきたヒロは、こうやってエドに誘われたことは素直にうれしかった。
「(…まあ、なんで?とは思ってるけど…)」
「さあ奥様、参りましょうか」
笑顔のハンナに連れられて、ヒロはいざゆかん、と気持ちを引き締めて、家の外に出た。
ヒロは、1人で馬車に揺られながら、窓の外を見ていた。
「(…なんで?)」
ヒロは、今日何度目かの疑問符が頭に浮かぶ。
家の庭に準備された馬車に乗り込むと、ヒロだけを乗せて出発しようとした。慌ててヒロは、ハンナに、エドは来ないんですか、と尋ねると、時計台の前で待ち合わせするみたいですよ、と笑顔で返された。
ヒロは、どんどん景色が変わっていく様子を見つめながら、小さく息をつく。
「(…一緒の家に住んでいるのに、なぜ別々に出ていくんだ…)」
ヒロは、エドの考えていることがさらにわからなくなる。馬車の運転手の手間にもなるだろうし。考え込むヒロに、付きましたよ、と運転手が声をかけた。
ヒロは馬車から降り立った。ヒロの視線の先には、前も見た大きな時計台がそびえ立っている。まだ故障中のようで、針は動いていない。そしてヒロは、時計台の前で待つ人物に気がつく。
小さな頭に長い手足に、シンプルだけれど洗練されたデザインのスーツをまとった、銀色の髪の男性が時計台の前に立っていた。その男性を、道を歩く女性たちがちらちらと振り返る。その男性を立ち止まって眺める女性も少なくないので、時間が立つにつれて彼の周りにいる人数が増えていく。男性も、何ごとかと騒ぎの中心にいる人物に視線を送る。
「(……いや、目立ちすぎる……)」
ヒロは、エドのところへ行くのを躊躇した。物陰に隠れたいけれど、隠れる場所がない。
「(というか、お付きの人は??あんな人1人で立たせてたら駄目でしょ…!)」
「ヒロ」
名前を呼ばれて、はっとしてヒロはエドの方を見た。ヒロに気がついたらしいエドが、ヒロの方に近づいてきた。周囲の視線がヒロにも集まる。ヒロはその視線に縮こまりながらエドを見上げる。
「こ、こんにちは…」
ヒロは、恐る恐るエドに笑顔で話しかける。エドは、こんにちは、と笑顔でヒロに返す。そんなエドに、ヒロはまた疑問符が浮かぶ。
「(…笑顔…なんでこんなに機嫌がいいんだ…)」
「そうだ、これを」
エドは、背中に隠していたらしいものをヒロの前に持ってきた。ヒロは、それに視線を移す。エドの手には、色とりどりの花が束ねられた花束が抱えられていた。ヒロは、目を丸くしてその花束を見つめる。物語から出てきた王子様のような人が綺麗な花束を抱える姿に、周囲の人達が黄色い声を上げるのがヒロに聞こえた。ヒロは、そんな声に縮こまりながら、エドから花を受け取る。
「き、綺麗…」
周囲の声など聞こえないのか、気にしていないのか、そのどちらかであろうエドは、そう呟くヒロだけを見つめて目を細める。ヒロは、エドの方をちらりと見上げる。
「(綺麗、だけど、い、今渡されても…)」
これから出かけましょうというタイミングでこんな大きな花束を渡されて、どこにおいておくのか。今日一日持って歩けと言うのか。ヒロは、そんな心の声に蓋をしながら、エドから笑顔で花束を受け取る。今朝中庭で会った男性は、花屋の人間かと、ヒロは気がつく。もしや、待ち合わせた場所でこれをしたいからエドはわざわざ別々に出ようと提案したのか。ヒロは、色々な点が線になっていくのを感じる。エドが、なんとかヒロを喜ばせようとしているのが伝わるけれど、そのどれもが微妙にズレていて心から喜べない。エドの喜ばせようとしてくれる気持ちは嬉しいけれど、エドがそこまで自分にする理由が見つからないので、素直に喜べない。
ヒロは、また花束に視線を移す。可愛らしい花たちがヒロの方を見つめている
「(…でも、綺麗は綺麗…)」
「…よく似合いますね」
「え?」
「ストールです。あなたに贈ってよかった」
ヒロは、エドの言葉に、自分の付けているストールを見る。似合う?どこが?とヒロは頭に疑問しか浮かばない。しかしヒロは、エドに微笑む。
「ありがとうございます。ようやくつけていくことができて…。遅くなってごめんなさい」
「いえ、…俺があなたに、つける機会を作らせなかったから」
エドは、そう言って目を伏せる。ヒロは、え、と首を傾げる。エドはヒロの目を見ると、また目を細めた。
「これからそういう機会は、作っていけばいいと思いますから」
「?は、はい…」
「…服は、実家から持ってこられたものですか?」
エドが、ヒロの格好を見ながらそう尋ねる。ヒロは、はい、と頷く。エドが、ヒロの方をじっと見つめ続ける。エドの視線に、ヒロは、え?と不安になる。
「(えっ、おかしい?おかしいかな?変ではないつもりでいたんだけど…。このストールが良いと思う人だからセンスは私と違うだろうけれど…)」
「…せっかく街に出てきましたから、先に買い物でもしましょうか。次の予定まで少し時間があるし」
「え?あ、はい…」
エドは、そう言うとヒロの手から花束を取った。そして、空いたヒロの手に向かって自分の手を差し出した。ヒロは、一瞬自分に差し出された手の意味が分からずに固まる。周囲はまた黄色い声を上げる。一瞬時が過ぎてヒロはようやく、エドのこの手がエスコートの意だと気がつき、エドの手をおずおずと取った。エドは、ヒロの手をしっかり握ると、待たせている馬車に向かって歩き出した。ヒロは、エドに連れられながら、周りの視線を痛いほど感じる。今日一日いったいどうなるのか、ヒロには先が思いやられた。




