12
エドからストールを贈られるという、予想外の出来事があった翌日の朝、ヒロはいつもより少し遅く起きた。特に予定もないので慌てず、朝食をとったあと、いつも通り中庭へ向かおうとした。外に出る前に、そういえばストールを忘れたことに気が付き、ヒロは一旦自室に戻った。いつものストールを手に取ったあと、はたと、昨日一度包装を開いた後また包装し直したエドからのストールを見つめた。
「(…まあ、家の中で新品をおろすのもな…)」
どこか特別な用事がある時にでもつけようか、いやでも、あのストールに合う服を自分は持っていない、などと考えながらヒロは、いつものストールを肩にかけて中庭に出た。
庭を歩きながら冬の風が吹き付けて、ああそろそろ本格的にストールだけでは足りないとそうヒロが思いながら花壇の前に向かったとき、なぜか花を見ているエドがいた。仕事へ行く前の恰好をして、花壇の前でじっと立っていた。
「…?」
ヒロは、予想外の人物に固まる。ついヒロは、さっと物陰に身を隠してしまった。こっそり物陰からヒロはエドを眺めた。朝日に照らされて輝く美しい男に、ヒロは、相変わらず無駄に輝いている、ということと、なぜ花に興味ないとか言っていた人が花を見ているんだ、という疑問が湧く。
仕事に疲れてぼんやりしたい時間なのだろうか、それとも、花の綺麗さがわかってきたのだろうか。どちらにしろ、待っていればそのうち仕事に向かうだろうとヒロはエドが立ち去るのをしばらく待っていたけれど、一向に動く様子がない。外にずっと出ているのも寒くなってきたヒロは、仕方なく、彼が去るのを待たずに花の世話を済まそうと物陰から出て歩き出した。
「お、おはようございます…」
ヒロは恐る恐るエドに声をかけた。エドは、ああ、とヒロの方を見た。
「おはようございます。今朝はゆっくりだったんですね」
「あ、はい、寝過ごしてしまって…」
「…」
「…?」
エドは、じっとヒロの方を見たあと、少しだけがっかりしたような顔をした。そんなエドに、ヒロはさらにわけがわからなくなる。
「(…一体なに…?)」
「…行ってきます」
エドはヒロにそう言うと、ヒロに背中を向けて歩き出した。ヒロは一瞬彼の言葉に出遅れて反応して、行ってらっしゃいませ…、と声をかけた。
「(…なんだったんだろうか)」
ヒロは、よくわからないエドに首を傾げなら、花の世話を始めた。
その日から、決まってエドは朝仕事へ行く前に、花壇の前でヒロのことを持つようになった。普段から何時に起きようとか、予定さえなければ考えていなかったヒロだけれど、エドが待っていると思うと、待たせすぎるのも悪い気がして、朝起きる時間を気をつけるようになった。エドは、挨拶をヒロにするだけで特に何も言わない。ヒロも挨拶をするだけでエドに何も言わない。よくわからない習慣に、ヒロは首を傾げるばかりだった。
「(…というか、なんで待っているんだろう…。挨拶不要とか怒ってた人がどういう心境の変化…?)」
今日も、花壇の前で待っていたエドに挨拶を終えてから花の世話を始めたヒロはそんなことを考える。
「(…よくわかんないや、あの人の考えていることなんて…)」
ヒロは、はあ、と白い息を吐いた後、澄んだ冬の青空を見上げる。肌を刺すような冷たい風がヒロに通り過ぎる。
「(…ジムは冬が嫌いだった)」
ヒロは、寒がりなジムのことを思い出す。冬は寒くて手がかじかむから苦手だと、そう言っていた。草木が枯れる冬はヒロだって嫌いだろう、とジムに言われていたから、ヒロは冬が好きだったけれど、好きだということは隠していた。ヒロは、胸いっぱいに冬の空気を吸い込む。
「今年の冬も、風邪を引かないように暖かくしていてね」
冬は雪だるまのように厚着をするジムを思い出して、ヒロは微笑む。この空の下で寒い寒いと手をこすり合わせる鼻の赤いジムに、届かない優しさが届くようにと、ヒロは願った。
エドは、父と家の仕事をして、それが終わると城に向かった。父と城の会議に出席した後、エドは父と別れて事務室へ向かった。そこにはいつも通り眼鏡をかけたウィルが仕事をしていた。エドはウィルの隣の席に座り、こんにちは、と挨拶をする。ウィルは、うん、と書類を見ながらエドに返事をする。エドは、そんなウィルを横目で見たあと、少し良いか、と話しかけた。ウィルは書類に目を落としたまま、なに、と尋ねた。
「…例えばの話だけど」
「うん」
「…誰かに贈り物をしたとして、それを使ってもらえないということは、それが気に入らなかったってことか?」
「は?」
ウィルは書類からエドに視線を移した。ウィルは、えーっと、と少しだけ考えた。
「エドが今の彼女に贈り物を渡したら使ってもらえなくてショックを受けてるっていう話?」
「…例えば、の話だよ」
「まあ、あのストールを選ぶセンスを持つ彼女のお眼鏡に叶うものを探すのは難しいんじゃない?」
「彼女じゃない」
「え、もう彼女がかわったの?相変わらずだね。モテモテで羨ましい」
「だから、違う。そもそも彼女なんかいないって言っただろ。妻のものだよ、あのストールは」
エドのその言葉に、ウィルは、え、と声をもらした。
「奥さんに贈り物したの?どうしたの、どういう心の変化?」
ウィルは、へー、と興味深そうにエドの顔を覗き込む。エドは、バツが悪そうにその視線から逃れる。
「別に何もない。ストールがあれ1枚しかないって言うから贈っただけだ」
「エドにしては珍しいじゃん。いっつも適当に喜ばせとけば良いだろっていう鼻につく感じでしかプレゼント用意してないじゃん」
「…鼻につくって…。あんまりにも趣味がおかしいから、俺の妻として恥ずかしいから買い替えただけだ」
「……それはそれで鼻につくよ君。はあ、君も昔は素直で可愛かったのに」
「いつの話だ、いつの」
エドはウィルを軽く睨む。ウィルは、ふーん、と面白そうにエドの方を見つめる。エドは、なんだよ、とウィルのその視線を疎ましそうに返す。
「いいや別に。それで、贈ったストールが使われてないものだから深く傷ついていると」
「傷ついてない」
「まあ、単純に気に入らなかったんじゃない?それとも、エドのことが気に食わないから身につけたくないとか」
ウィルの言葉に、え、とエドは声を漏らす。ウィルは、そんなエドに、え、と声を漏らす。
「そんなに奥さんを置いて好き勝手に遊びまくっておいて、嫌われてないと思ってる?ほんと?冗談じゃなく?」
「いや…」
「ねえ君、その顔面に周りから甘やかされすぎてない?君のこと気に食わない女性なんていっぱいいるよ?」
「そ、それくらいはわかっている」
「ならいいけど」
エドは、ウィルの言葉に、自分の贈り物は無条件に喜ばれるものだと思い込んでいたことに気がつく。これまで数々の恋人たちに贈り物をしてきたけれど、皆喜んでいたから、彼にはわからなかったのだ。
「そりゃあ、君のことを好きな人が君から何かを贈られたら、気に入らなかったとしても嫌われないために無下にはしないさ。好かれるために喜んだりするだろうし」
「…俺を好きって、」
「なんだよそのポカンとした顔は。君と遊んでいただけの人ももちろんたくさんいただろうけれど、君のことを本当に好きだった人もたくさんいたと思うよ」
全員遊ばれている覚悟はあっただろうけれど、何せ君相手だし、とウィルは続ける。
エドはウィルの言葉に黙り込む。好きだとか、愛しているとか、そんなことは彼にはどうだって良かった。口では軽く言ってしまうけれど、深く考えたりなどしなかった。ただ一瞬だけ、自分が虚しく寂しいものにならなければいいとしか思わなかったから。そこに自分の気持ちも、女性の気持ちもエドには頭には入らなかった。
「まあ、気になるなら理由を聞いてみたら?君は別に、奥さんに嫌われていても構わないんだろ?」
ウィルの質問に、何故かエドはすぐ肯定できなかった。少しだけ遅れて、当たり前だろ、と答えたエドに、面白そうにメガネの奥の目を細めたウィルが、ふーん、とだけ返した。
エドは、城内で父と合流すると、また領地に戻った。馬車の中で父と仕事の話をしている時に、そういえば、と父が口を開いた。
「来週空いているか?」
「来週ですか?」
「新居に一度も来ていなかっただろう。久しぶりに家族で食事でもしたいから、来なさい」
父の突然の提案に、エドは反射的にわかりました、と答えた。




