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どうしたらいいかわからないストールを鞄にしまい込んだエドが、久しぶりに仕事終わりにまっすぐ家に帰ってきた。大きな玄関を通り過ぎ、自室に戻ろうとしたら、何やら焦げた匂いがした。なんだと思いながら匂いの方へ向かうと、食道から黒い煙が発生していた。エドは、ぎょっとしながら食堂に向かった。煙の発生源は調理場らしく、エドは慌ててそこへ向かった。調理場の扉を開けると、オーブンから煙をまとったクッキーを取り出すヒロと、その周りでヒロの手伝いをする使用人、そして夕食の準備をしながらそんなヒロを見守る料理人たちがいた。


「……」


火事じゃなかったことに安堵する気持ちと、これは一体どういう状況かと混乱する気持ちが混ざりエドが立ちつくす。すると、エドに気がついた使用人が慌てて頭を下げた。


「おかえりなさいませ、旦那様」


使用人の言葉にようやく気がついたヒロが、エドの方を振り向いた。ヒロも、お帰りなさい、とクッキーの方に気を取られながらエドに言った。エドは現場を一応確かめるためにオーブンのあたりとヒロの方を少し離れて覗いた。ヒロは調理台に焼けた(焦げた)クッキーの乗った鉄板を置くと、うーん、と腕を組んだ。


「…また焦げてしまいました…」

「でも、前より随分黒くないですよ」

「はい、可食部が前より広くなりました」


和気あいあいと、ヒロのクッキーを囲んで褒める使用人たちに料理人たち。ヒロは苦笑いをしながら、無理やり褒めてくださってありがとうございます、とお礼を言う。そんなヒロに、周囲はにこにこと微笑む。


「(…いつの間にか馴染んでいる…)」


エドは、使用人たちと仲良くしているヒロを見てそう心のなかで呟く。

ヒロは、こちらを見るエドに、いかがですか、と尋ねる。


「クッキー、召し上がりますか?」

「…明日は重要な会議があるから遠慮しておきます。そもそも甘いものは好きじゃないんです」


エドの返しに、使用人たちは、ですよね、とくすくすと笑う。ヒロは、甘くはないので大丈夫ですよ、と笑いながら続ける。エドは、この人は冗談なんて言うのか、と驚きながら、今なら返せるかもしれない、と思い鞄からストールを取り出した。そして、ヒロに渡した。ヒロはストールを見ると、あ、と声を漏らした。


「これ…、よかった。1枚あるとないとで違いますから」

「…探していたんですか?」

「はい、変な色なので、家で使うのにちょうどいいんです」


ヒロは、ストールを綺麗に畳むと調理台の上に一旦置いた。エドはヒロの方を見つめる。


「(…変な色という認識はあるのか…)…ストールくらい買えば良いじゃないですか」

「もうあるのにもったいないじゃないですか」

「何枚あっても別に困らないでしょう」

「お洒落もしませんから、良いんです」


ヒロはそう言いながら、とにかくありがとうございました、とお辞儀をした。エドは、いや…と呟く。

ヒロは、鉄板に乗ったクッキーをお皿に移し替えていく。エドはそんなヒロをぼんやりと見つめていた。


「(…持っていって悪かった、くらいは言うべきなのか?…いや、謝るのは…)」

「それでは、私は失礼いたしますね」


ヒロは焦げたクッキーを皿に乗せ終わると、エドにそう告げた。エドは、えっ、と声を漏らす。


「まさかあなた、それを食べるんですか?」


エドは、食べ物というよりかは炭に近いものを指さす。ヒロは、小さく微笑んだ。


「ジムが、…私の好きな人が好物だったんです。私が持っていくと喜んで食べてくれました。だから、部屋にある彼の写真に見せようと思って」


そう言うヒロを、エドはじっと見つめる。言ってもいいものか少し悩んだあと、やはりエドは口を開いた。


「……それは、あなたに気を使っていただけだと思いますけど」

「えっ」

「恋人が作ったものを無碍に出来なかっただけでは」


エドの言葉に、ヒロは目を丸くする。自分の作ったクッキーを、美味しいと笑ったその笑顔が記憶によみがえる。ヒロは一瞬目を伏せると、悲しそうに目を細めて笑った。


「…またあの人のことを好きになってしまいました」


ヒロは、失礼します、と言った後に、料理人たちに、お邪魔しましたと頭を下げると、すぐにエドの前から去った。エドはしばらく、ヒロの背中をぼんやり眺めていた。







部屋に戻り、ヒロはクッキーののった皿をサイドテーブルに置いて、ジムの写真立てを両手で持った。いつもと変わらない笑みを浮かべるジムを見つめながら、ヒロは涙を浮かべる。


「…本当は無理して食べてくれていたんですか?」


笑顔のジムは何も答えない。ヒロは目を細めると、写真立てを胸に抱きしめた。


「私は愚図だから、あなたの優しさに気が付かなかった。…ありがとう」


ヒロは、記憶の中のジムに感謝する。そして、次こそはクッキー作りを成功させたいと、そう思った。










日曜日、エドはビル伯爵の誕生日パーティーに訪れた。古くからの父が世話になっている人物であり、交友関係が広い彼の誕生日を祝いに、たくさんの人たちが訪れていた。

エドが歩くと、周りの人達の視線が集まった。エドはその視線を知りながら、気にしないふりをして歩く。自分のことをすごい人物だと、そう思っているだろう視線にエドは安心する。

ふと、姉家族の姿をエドは見かけた。エドは彼らに近づいた。


「こんにちは」


エドが話し掛けると、リサは、あら、と声を漏らした。


「あなたも来てたのね」

「当然だろ。…なんだ、君たちよく似合っているじゃないか」


エドはしゃがみこみ、リンとダンと目を合わせてフォーマルな彼らの姿を褒める。リンが、ありがとう、と微笑む。


「おじちゃまもすてきよ」

「なんだ、えらく素直だな」 

「あら、おせじよ」


通常通りのリンにエドは顔を引き攣らせたあと立ち上がった。そばにいたダグが、周りから黄色い声と熱い視線を送られるエドにつまらなさそうな顔をする。


「そういえば、ヒロは?」


リサがエドに尋ねる。するとダグが楽しそうに、喧嘩か?怒らせたのか?とエドに尋ねる。エドは、体調不良だよ、と返す。すると、なんだ、とダグがまたつまらなさそうな顔をした。

リサは、体調不良と嘘を付くエドの横顔にため息をつく。


「…前もその前もそうだったわね。ヒロは何か深刻な病気なのね。一度お見舞いに行こうかしら」

「たいしたことないから平気さ」

「なら、次は来られるのね?」

「来られないよ」


エドはリサに飄々と返すと、こちらに視線を送る令嬢に微笑みかけた。エドに微笑みかけられた令嬢は嬉しそうに目を細めた。エドは小さく口元を緩めると、そちらへ向かおうと歩き出す。そんなエドをリサが引き留める。


「いい加減にしなさいって言っているの」

「お互いが了承していることだよ。彼女にも好きな男がいる」

「それならヒロは、その男とよく会っているの?」

「どうだろう。その相手は結婚してしまったらしいけど、俺の知らないところではどうしているかわからない」

「また他人事のように…」

「そういえば前、その相手を思ってクッキーを焼いていたよ。写真の彼に見せるんだって」


エドの言葉に、リサはヒロがその男と直接会う気はないのだと察する。リサは少し目を伏せると、素直ないい人じゃない、と返した。


「一人の人を思い続けられるなんて、あなたとは大違いね」

「俺にはわからないよ、そんなに熱心に思えるなんて」

「あなたには一生わからないわよ、このひねくれ者」


リサがそうエドに言ったとき、2人は向こうからアディントン侯爵と夫人がくるのに気がついた。

リサとエドは彼らの方を向くとお辞儀をした。ダグやリンとダンも頭を下げた。

アディントン侯爵夫妻はリサとエドと軽く話すと、双子の方に視線を移した。アディントン侯爵は、ダンの頭を撫でた。


「ダン、お前は相変わらず利口そうだな。さすがアディントン家の血を継いでいる」

「リサに似て本当に綺麗な顔だわ。リサ、子育てよく頑張っているわね。今のところ成功しているわよ」


両親の言葉にリサは頬を引きつらせながら微笑む。ダグが心配そうにリサを見る。

アディントン夫妻は、次はリンの方を見た。アディントン夫人は、リンを見て微笑む。


「あなたも本当に綺麗だわ。きっと素敵な縁談があるわ」

「あんまりおしゃべりになるなよ、リン。女は愛嬌があればいいんだ。オーサー家のためにしっかりやるんだぞ」


リンにそう言うと、2人はそれじゃあと言って去っていった。この場にヒロがいないことも彼らは特に気に留めていないようだった。

その背中にお辞儀が終わったリサは、唇を噛み締めてなんとか感情を押し殺す。

エドは、そんな姉に掛ける言葉がなく黙り込む。


「さあ、さあ、ケーキでもとってこよう、な!」


ダグがリサと同じように黙り込む双子の背中を押して明るくそういった。

残されたエドとリサは、しばらくお互い黙っていた。リサは、はあと息を吐いたあと、エドの方を見た。


「こうやって、呪いをかけられていくのよ」

「…呪い?」

「あなただってそうでしょう」


リサは、幼い頃のエドを思い出しながらそう言った。両親たちからこうあるべきだと責められて、何も返せず、返すすべも持たずただ従順に彼らの思う通りに動くしかない幼い頃のエドと少しだけ大人になった今のエドとがリサの中で重なる。リサは少しだけエドを見つめた後、ダグたちの後を追いかけた。エドはしばらくその背中を眺めていた。





マーガレットは、ビル伯爵の誕生日パーティーに参加していた。両親と挨拶まわりが終わると、知り合いと話すためにマーガレットは1人で会場を歩いた。

マーガレットは、その可憐さから貴族の中では有名だった。マーガレットを知らない人でも、彼女が横を通り過ぎると無意識に彼女を目で追ってしまうような、そんな天性の華やかさが彼女にはあった。マーガレット自身は、もう見られることには慣れており、特に周りの視線を気にせずに歩く。

ふと、マーガレットは見知った顔を見つけた。彼女の幼なじみでありそして友人でもあるヒロの結婚相手、エドだった。

彼は周りの女性たちの熱い視線を集め、彼女たちが彼になんとか話しかけようと探る様子がマーガレットには感じ取れた。当の本人は、一人の女性と和やかに談笑している。ヒロという妻がありながら、そのヒロを連れてこず、そればかりかないように扱い、こうやって他の女性との会話を楽しむエドに、マーガレットは何度目かのいら立ちを感じる。


「(ヒロがいるのに他の女性に手を出すエドにももちろん問題があるけれど、ヒロがいるのにエドに出された手を払わない女性にも問題があるわ)」


マーガレットは、むしゃくしゃしながらテーブルに置いてあるドリンクを手に取り一口飲む。ヒロがもしももっと派手で気の強い女性であれば周りの女性はエドから引いていただろう。引かない女性がいたとしても、こんなに大っぴらにエドと親しくはしなかったに違いない。


「(ヒロは昔からそう、いっつもそう。何をしたわけでもないのに、ぞんざいに扱われる)」


マーガレットは悔しい気持ちでそう思う。ヒロはいつも、周りからいないように扱われることが多かった。自分やアリスが周りから放っておかれない中で、ヒロだけが輪からぽつんと外れて透明になる姿をマーガレットは思い出す。

マーガレットは、エドの方をまた見つめる。社交的な笑顔を女性にみせて、そして、エドに笑顔を向けられる女性は頬を染めている。楽しそうな彼らの向こう側で、ヒロはもう二度と結ばれることのない男性を思っている。


「(っていうかあ、ヒロもヒロよ。エドにもっとびしっと言えばいいのよ。いつも黙って引いてしまうんだから…)」


今度は、周囲から透明にされれば、そのことに抗わずに、自分からもっと透明になるヒロにマーガレットは苛立った。もう、とこの場にいないヒロに文句をたれたとき、ふと、ランドルフの姿が見えた。

ランドルフは、ただ呆然と、エドの方を見ていた。妹の旦那が他の女性と仲良くしている姿を目に焼き付けていた。その表情は、完全に怒っていた。

そんなランドルフに、マーガレットは気持ちがしぼんで目を伏せた。


「(そして、そんなヒロをいつもランドルフお兄様が守ってた)」


マーガレットは、幼い頃からの記憶を思い出す。ランドルフはいつも、ヒロのことを気にかけていた。周りから忘れられてしまう可哀想なヒロのことを、自分が何とかしなくてはと思っていた。彼のその様子から、彼をずっと見続けてきたマーガレットには、兄妹の愛を超えた何かが感じ取れた。

その一方で、周囲からマーガレットは強く見られる方だった。マーガレットなら大丈夫、平気だと、そう思われた。そして彼女自身も、周りに弱くは見られたくなかった。けれども、弱さをランドルフに守られるヒロのことを、いつも羨ましいと思っていた。


「(本当の兄妹じゃないってわかってすぐにヒロがよそへお嫁に行ってしまって、しかも嫁ぎ先の旦那がとてもヒロを幸せにしているとは思えなくて、ランドルフお兄様はどんな気持ちでいるのかしら)」


マーガレットは、エドを睨み続けるランドルフの方を、ずっと見つめていた。

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