恩人
魔族の族長テローサが、サイノッテ城の一室へ足を踏み入れたのは、ハナスたちが空へ飛び立ったしばらくあとのことだった。豪華絢爛な部屋に通されると、そこにはユリ王女と、その母である皇后マリエルが静かに座していた。テローサは、呼び出された理由を掴みかねながら、二人の前に腰を下ろした。
「ごめんなさい、突然呼び出してしまって。来てくれてありがとう」
ユリ王女が、いつものように愛らしい笑顔で言った。その言葉に、テローサは少しだけ警戒を解いた。
「実はね……」
次の瞬間、皇后マリエルが唐突に口を開いた。その口調には、いつもとは違う何かを含んでいた。テローサは、これから語られるであろう言葉に耳を傾けようと、静かに待機した。
すると、皇后は突然、大粒の涙をポロポロとこぼし始めた。そして、テローサの目の前に跪き、両手でテローサの手をギュッと握りしめた。
テローサは、予想外の展開に驚き、隣のユリ王女もまた、目を見開いていた。
「昔のことなの……遠い、遠い昔のこと。実は……私は魔族の方に、命を救われたことがあるの!」
皇后は、声を震わせながら告白した。
「それなのに、申し訳ない……本当に、申し訳なかった。あなたたちが困っている時に、私は何も知らずに……救いの手を差し伸べることができなかった……」
皇后の目は、悲しみに濡れていた。テローサは、その真剣な眼差しに、言葉を失った。皇后の握る手が、強く、そして温かいことに気づいた。それは、謝罪の気持ちと、感謝の気持ちが入り混じった、複雑な感情の発露だった。
「ありがとうございます。我々魔族に対して、そこまでお心を割いてくださって感謝します。」
テローサは、マリエルの手をそっと握り返しながら、静かに言った。その言葉は、深く心に響くような、落ち着いた響きを持っていた。
「もし、よろしければ……」
テローサは、少しだけ言葉を選びながら続けた。
「皇后さまに何があったのか、お聞かせ願えませんか?」
その問いかけには、単なる興味だけでなく、マリエルが抱える過去の痛みを分かち合いたいという、深い優しさが込められていた。テローサの真摯な眼差しは、マリエルをまっすぐに見つめていた。
ユリ王女は、そっと皇后マリエルに寄り添い、その背中を優しくさすった。その手つきには、母親を労わる深い愛情が込められていた。
「お母さま、やっとお礼が言えますわね」
ユリ王女は、まるで安堵したかのように、静かにそう言った。その言葉は、これまで隠されていた、母の心の傷を癒すかのように、優しく響いた。
部屋には、しばしの静寂が訪れた。テローサは、二人のやり取りを静かに見守り、そして、マリエルの言葉を待った。
そして、しばらく時が流れた後、皇后マリエルはゆっくりと話し始めた。その口調は、先程の取り乱した様子とは異なり、落ち着きを取り戻していた。しかし、その声には、過去の記憶を辿るかのような、かすかな震えが感じられた。
「昔、私はお父様と一緒に北方の地へ旅に出たの」
皇后マリエルは、ゆっくりと語り始めた。その言葉は、遠い過去の記憶を呼び起こすように、少しずつ紡がれていった。
「私のお父様は、若い頃から胸の持病を抱えていて、とても体が弱かった。私は当時、10歳くらいのほんの子供だったわ。ある日、北方の地に咲く花、魔の花というものがあることを知ったの。魔の花には特別な力があって、どんな病もたちどころに治してしまうと聞いたの」
マリエルの語る言葉に、テローサは静かに耳を傾けていた。そして、魔の花という言葉を聞いた瞬間、その記憶を呼び起こした。
「確かに、魔王領やその近くには魔の花が咲いているけれど、あれは魔族にしか効果を発揮しない花ですよ」
テローサは、事実を告げるように、マリエルを見つめながら言った。魔の花は、魔族にとって特別な意味を持つ花であり、その効力は、人間にはほとんどないはずだった。
テローサの言葉に、マリエルはゆっくりと頷いた。その表情には、どこか諦めのようなものが感じられた。
「ええ、後になって知りました」
マリエルは、静かにそう答えた。その言葉には、過去の出来事に対する、深い後悔のようなものが滲み出ていた。
「でも、当時の私は、お父様に死んでほしくなかった」
マリエルは、少し声を震わせながら続けた。その言葉には、幼い頃の純粋な願いと、切実な思いが込められていた。
「だから、お父様にねだって、北方の地に魔の花を取りに行こうとせがんだの。そして、生まれて初めてのお父様との二人旅。北方の地があんなに寒い場所だとは、知らなかった……」
マリエルの声は、少しずつ小さくなっていった。それは、過去の自分の無知を悔やむような、自責の念が混じった言葉だった。
「私は馬鹿な子供だった。あの寒い場所へお父様を連れてきたことを、後悔したわ……」
マリエルの言葉には、やりきれない感情が込められていた。
「私が帰ろうと言っても、お父様は『もう少しで魔の花が見つかるかもしれないよ?』と、私を優しく諭したわ」
彼女は、当時、父親が自分のために無理をしていたことに気づいていなかった。
「お父様は、知っていたのね。魔の花には、人間を癒す力はないと。それでも、私の事を喜ばそうとして、魔の花を探し続けた」
マリエルの思い出は父親の優しさと、愛情深さが表れていた。それは、娘の無邪気な願いを叶えようと、自分の身を顧みずに行動した父親の、献身的な姿だった。
「とある場所にたどり着いた時だった。とても鮮やかな、黒色のバラのような花が、輝きを放っていた。私はその花を一目見て、それが魔の花だと気づいた。そして、その花を指さした時……」
マリエルは、言葉を少し詰まらせた。その表情には、何かを思い出すかのような、深い感情が漂っていた。
「お父様に、突然抱き抱えられたの」
マリエルの言葉は、そこで途切れた。その言葉には、ただならぬ雰囲気を感じた。テローサは、その後の言葉を静かに待った。
「気がつくと、私たちは得体のしれない数人の、人間のようなものに取り囲まれていた」
マリエルの声は、少し震えていた。その言葉には、当時の恐怖が、鮮明に蘇っているようだった。
「私はお父様に抱きかかえられ、お父様の指の間からしか辺りを伺い知れなかった。今思えば、あれがバンパイアと呼ばれる、血を欲しがる種族だったのね」
マリエルの顔色は青ざめていた。
「お父様は、私を連れて逃げたけれど、多勢に無勢で囲まれ、ただ私だけを抱きしめていたわ。バンパイアは、『こんなところに新鮮な血が二人もいるなんてな』などと言って、笑っていた……」
マリエルの言葉は、当時の絶望的な状況を、鮮やかに描き出していた。その言葉には、当時の恐怖に対する、深い悲しみが込められていた。
「その時よ、女の人の声がしたのは。『おのれら、ここが魔王領と知って侵入しているのか!』その声の主は、見れば巨大な黒い翼の生えた大女だった。そう、それがその時助けてくれた魔族よ」
テローサは、マリエルの言葉を、静かに聞き入っていた。
「そして、魔族の女の人は、たった一人で数人のバンパイアと戦っていたわ」
マリエルの言葉には、魔族の強さに対する畏敬の念が込められていた。彼女は、一人で多勢の敵に立ち向かう、その魔族の姿を、鮮明に覚えていた。
「自身は傷だらけになりながら、驚いたことに、その魔族は私たち親子を守るように戦っていたの。そして、バンパイアたちは死体になった」
マリエルの言葉には、自分たちを守ってくれた魔族への、深い感謝の念が込められていた。彼女は、その魔族が、見ず知らずの人間である自分たちを守るために、命を懸けて戦ったことに、深い感動を覚えていた。
「魔族の女の人は、体中から青黒っぽい血をたくさん滴らせながら、肩で息をしていた。そして、怖い顔で私のほうを見つめると、にっこりと微笑んだの。私はどうしていいか分からなかったけれど、気づけば魔の花を指さしていたわ」
彼女は、その時の状況を、まるで昨日のことのように、鮮明に覚えていた。
「魔族の女の人は、指された指の先を見て、私に向かってもう一度微笑むと、『ありがとう、賢い子だね』と言って、よろよろと歩いて行き、魔の花を摘み取ってそれを食べたわ。魔族の女の人の身体が、オーロラ色に輝いて、傷が癒えていくのが見えた。それは、とても美しい光景だったわ」
まるで夢物語のようだった。その言葉には、幼い頃に見た、神秘的な光景に対する、深い感動と、美しい思い出が込められていた。
テローサは、マリエルの言葉に、静かに聞き入っていた。
が、それは私の姉だと思います。
次の瞬間テローサは静かにそう口を開いた。
「なんと!」
マリエルは驚きを隠せない表情で、目を丸くしてテローサを見つめた。その顔には、信じられないという色がありありと浮かんでいる。
「姉は、可愛い人間の少女を助けたんだって、とても嬉しそうに帰ってきた日があったんです。その日姉はとても満足そうでした」
テローサの顔にも、ようやく笑みがこぼれた。それは、妹として姉を誇らしく思う、優しい笑みだった。
「それで、そなたの姉上は今どこに!」
マリエルは興奮を隠せない様子で、前のめりになりながらテローサに問いかけた。
テローサは、ゆっくりと首を横に振った。その表情は、先ほどの優しい笑みから一転し、深い悲しみに沈んでいる。
「バンパイアに召喚された、あの恐ろしい勇者が魔王領へ攻めてきたとき……」
テローサは、遠い日の出来事を思い出すように、静かに語り始めた。
「姉は、私たちにできるだけ遠くへ逃げろと言って、自分は勇者へ向かってゆきました」
テローサの目に光るものがあった。
「それ以来、姉とは離れ離れに……生きているか、死んでいるのかさえ分かりません」
テローサの声は、最後にはかすかに震えていた。
「……そうでしたか」
マリエルは、深く同情の色を滲ませた声でそう呟いた。そして、テローサの手を優しく、しかし力強くグッと握りしめた。その小さな手には、テローサへの深い共感と、共に悲しみを分かち合おうとする温かい気持ちが込められていた。
テローサの瞳から、こぼれ落ちるように涙が溢れ出した。その涙を見たマリエルもまた、抑えきれない感情が込み上げてきたのか、肩を震わせ、つられて泣き始めた。
「大丈夫ですよ、きっとお姉さまは見つかります!」
泣きじゃくりながらも、マリエルは力強く宣言した。
「私たち親子の恩人です。サイノッテの国力を持って、絶対に探して見せます!」
マリエルの言葉を聞き、テローサは溢れる涙を拭うことさえ忘れ、何度も何度も頷いた。
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オレンジ




