出発
「さて、準備は良いかい?」
サイノッテ王城の庭園。見上げれば、そこには身長3メートルから4メートルはあろうかという魔族が立っていた。その威圧感に、思わず息を呑む者もいる中、ハナスはどこか楽しげに笑みを浮かべていた。
「デルちゃんはおっきいねえ」
屈託のない声が響いた。声の主は、猫耳がぴょこんと跳ねた愛らしい少女、ミーアだ。その視線は、隣に立つ魔族の巨人に注がれている。
「デルちゃん?」
リベットが訝しげに尋ねると、ミーアは嬉しそうに頷いた。そして、魔族の背中に生えた巨大な翼を、小さな手で撫で始めた。
「この子、デルビアって言うの。だからデルちゃん!」
太陽のように明るい笑顔で、ミーアはそう言った。その様子は、まるで長年連れ添った親友のようだった。
「あんたの、コミュ力の高さには驚かされるわ」
リベットは呆れたように肩をすくめながらも、口元には笑みが浮かんでいた。魔族と心を通わせるミーアの姿は、確かに驚くべき光景だった。
ハナスが周囲を見渡すと、庭園のあちこちで、同じような光景が繰り広げられていた。他の農園の民たちも、それぞれ魔族の相棒を得て、楽しそうに言葉を交わしたり、体を動かしたりしていた。そこには、種族の壁を越えた温かい絆が確かに存在していた。
かつては敵対していたと言われる魔族と他種族が、今ではこうして仲良く笑い合っている。その光景は、まさに奇跡としか言いようがなかった。ハナスは、この場所が、希望に満ち溢れていることを確信した。
今日は、サイノッテ王国にとって、歴史的な一日となるだろう。それは、宅配事業の幕開けの日だった。
農園の民たちは、それぞれの相棒である魔族の背に跨がっていた。その巨体は、まるで空を駆ける翼竜のようだった。今日は、彼らが初めて、王都を離れて飛び立つ日なのだ。目的地は、まだ見ぬ顧客たちの住む場所。僻地にある村、体が不自由な人々が暮らす家、物資が不足している場所。あらゆる場所へ、彼らは注文を取り付け物資を運び、人々の笑顔を届けるために飛び立つ。
庭園には、期待と少しの不安が入り混じった緊張感が漂っていた。しかし、それを打ち消すかのように、農園の民たちの表情は希望に満ち溢れていた。彼らは、自分たちがこれから成し遂げようとしていることの意味を、しっかりと理解しているのだ。
視線を移すと、そこには、ルシウスとハナフィサの姿があった。二人は、今日の出発を見守るために、庭園に姿を現したのだ。彼らの表情は、誇らしげであり、同時にハナスの成長に、ほんの少しの寂しさを帯びているようにも見えた。
さらに、城の騎士やメイドたちも、窓から、あるいは庭園の端から、興味津々でその様子を眺めていた。彼らは、この光景が、単なる宅配事業の始まり以上の意味を持つことを、肌で感じているのだろう。
そして、その視線の先に、ユリ王女と、その隣には皇后マリエルの姿があった。二人は、確かな眼差しで、飛び立とうとする農園の民たちを見つめていた。彼女たちの存在は、この宅配事業が、王国全体の希望を背負っていることを物語っていた。
いよいよ、出発の時が来た。魔族たちは、それぞれ翼を広げ、大空へと飛び立つ。その姿は、まるで希望の使者のようだった。農園の民たちの笑顔と、魔族たちの雄叫びが、庭園に響き渡る。今日、サイノッテ王国、ヴェルディア王国、ソルゼ王国、三国の新しい歴史が、確かに始まったのだ。
サイノッテ王城が、まるでミニチュア模型のように、みるみる小さくなっていく。眼下に広がる景色は、まるで巨大な絵画のようだ。そのダイナミックな変化に、ミーアは興奮を隠せない。
「うひょー!!!毎回たまらんぜこの景色は」
ミーアは、デルビアの背をパンパンと叩きながら、満面の笑みで叫んだ。風を切る音も、彼女の喜びの声も、まるで音楽のように空に響き渡る。
「どこを目指そうかデルちゃん!」
ミーアは、風の音に負けじと大声で問いかけた。彼女の目は、未知の場所への期待でキラキラと輝いている。
「ソルゼ王国の向こう側を目指していってみますか?」
デルビアは、穏やかな口調で提案した。その声は、風の音にも負けず、ミーアの耳にしっかりと届いた。
「そうねえ、それも面白そうね。頼んだわよデルちゃん!」
ミーアは、即座にその提案に賛同した。彼女は、常に新しい発見を求めている。そして、デルビアは、その好奇心を満たすために、最高の相棒なのだ。
「じゃあ、ちゃんと捕まっていてくださいよ、飛ばします!」
デルビアは、そう言うと同時に、その巨体を一気に加速させた。風を切る音が大きくなり、景色が目まぐるしく変化する。
「うひゃーーーーーーーー!!!!!!」
ミーアは、両手でデルビアの背にしがみつきながら、喜びの雄叫びを上げた。その声は、まるで空に溶けていくように、遠くまで響き渡った。
二人は、どこまでも続く青い空を、まるで鳥のように駆け抜ける
農園の民たちは、それぞれの翼を広げ、希望に満ちた旅路へと飛び立っていった。王城の庭園は、ほんの数分前まで賑やかだったのが嘘のように、静寂を取り戻した。しかし、空には、彼らの熱意と希望が、確かに残っているように感じられた。
そんな中、空を駆ける別の二つの影があった。そのうちの一つは、鳥人族のフィリア、もう一つは魔族のアーリアだ。フィリアは、アーリアの背に跨り、少し不満げな表情を浮かべていた。
「私だって飛べるんだよアーリア!」
フィリアは、風の音に負けまいと、大声で叫んだ。彼女の自慢の翼は、普段は空を自由に飛び回るためのものだ。しかし、今日は、アーリアの背中に大人しく座っているしかない。
「知ってるわフィリア、でも」
アーリアは、少し得意げな様子で言った。その声は、フィリアの抗議をまるで気にしていないようだ。
「フィリアよりも私は何倍も早く飛べるのよ」
アーリアは、さらに言葉を重ね、フィリアを少しからかうように言った。その言葉に、フィリアはさらにむっとして、アーリアの背中を何度も叩き始めた。
「痛いわよフィリア、振り落とすわよ!」
アーリアは、少し大げさにそう言うと、フィリアは、まるでそれが面白かったかのように、ケラケラと笑った。二人のやり取りは、まるで親友同士のじゃれ合いのようだ。
フィリアは、自分の翼で飛ぶのが好きだ。しかし、アーリアと一緒に飛ぶのは、それとはまた違う楽しさがある。アーリアの背中に乗れば、自分の力だけでは見ることができない景色を、より早く、より遠くまで見ることができる。
二人の旅は、ミーアとデルビアの旅とはまた異なる趣がある。この二人の旅も、きっと、たくさんの笑顔と発見で満ち溢れることだろう。
皆がそれぞれの目的地へ飛び立った後の庭園に、ひときわ目を引く一団がいた。魔族族長の娘、テフロサの背に跨るのは、ハナスとリベットだ。
「ハナス様とリベットちゃんをしっかり守るのよテフロサ」
テフロサの隣に立つのは、以前の老婆の姿ではなく、見違えるように若々しくなった美女、族長テローサだ。その言葉には、母親としての愛情と、族長としての責任感が込められている。
テローサはハナスの事を魔王様とは呼ばなかった。実は昨夜ハナフィサから「うちの可愛いハナスちゃんを魔王様って言ったら、ちょっとハナスちゃんの可愛さが表現できないから、ハナスちゃんと呼んでくれない?」と頼まれたのだ。
テローサは一瞬考えたが、やっぱりハナスちゃんとは呼べなかった。
「分かってるわよお母さま」
テローサの言葉に、テフロサは、なぜか少しふくれっ面で答えた。いつもは凛々しいテフロサも、母親の前では、少しばかり甘えん坊な娘になるようだ。
「ハナス、リベット、気を付けるんだぞ」
低い声でそう言ったのは、ルシウスだ。彼の眼差しには、息子と娘を心配する父親の愛情が溢れていた。
「父さま心得てますよ」
「心得てますぅ!(リベット)」
ハナスは、しっかりと頷き、父親の言葉を受け止めた。
「安心してください。坊ちゃんは私が守ります!」
リベットは、胸を張り、力強く宣言した。その言葉には、ハナスを守りたいという強い意志が感じられた。彼女は、ハナスの傍にいる時は、いつもよりも少しだけ勇敢になる。
「ハナスちゃん、男の子なんだから、リベットを守ってね」
ハナフィサは、優しく微笑みながら、そう言った。そして、ハナスとリベットの頬に、そっとキスを贈った。その愛情たっぷりのキスは、旅の安全を祈るお守りのようだ。
ハナフィサのキスに、リベットは頬を赤らめ、思わずだらしのない顔になってった。
「それじゃあ行きますよ!」
テフロサの声が、庭園に響いた。その声には、出発を待ち望んでいた高揚感と、これから始まる冒険への期待が込められていた。
「お願い」
ハナスは、テフロサの言葉に、静かに応えた。
次の瞬間、テフロサの巨体が、まるでロケットのように一気に上昇した。その動きは滑らかで、力強く、そして、どこか優美だった。
テフロサの美しい艶やかな体は、太陽の光を浴びて、キラキラと輝いた。その光景は、空を舞う女神のようだ。しかし、その輝きも、ほんの一瞬の出来事だった。
テフロサは、あっという間に、空のかなたへと消えていった。その速さは、稲妻のようだった。庭園に残されたのは、わずかな風の音と、まだ消えない余韻だけだった。
ハナフィサは空を見上げながら、ハナスたちが旅立った方角を、見送るように見つめた。そして、彼らの無事を祈った。彼らがどうか無事でありますようにと願って。
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オレンジ




