自分を大切に
サイノッテ王城の、広大で手入れの行き届いた庭園。そこで、まつ毛の長いハナスの瞳に、無数の黒い影が映り込んだ。最初は小さな点だったものが、みるみるうちに大きくなっていく。
「ハナスぼっちゃーーん!」
その影がはっきりと形を現すと、それは巨大な魔族だった。黒曜石のように輝く鱗に覆われた身体、鋭く尖った爪、そして何よりも目を引くのは、その背中に乗る懐かしい顔ぶれだ。
「お懐かしゅうございます!」
庭に降り立った農園の民たちは興奮を隠せない様子で、次々にハナスの待つ場所へと駆け寄ってくる。魔族は、優雅に翼を畳み、ハナスに対して深々と頭を下げた。その姿は、かつての主君への揺るぎない忠誠心を物語っているようだ。
「みんな、ありがとう! 遠いところを飛ばせてしまって、申し訳ない」
ハナスは申し訳なさそうに頭を下げた。長旅をさせたことを気にしているのだろう。その言葉に、魔族たちのリーダー格である者が、威厳のある声で答えた。
「滅相もございません、魔王様。また、何なりとお申し付けくださいませ」
その言葉には、ハナスへの絶対的な忠誠心と、再びその力になれることへの喜びが込められていた。彼らは、ハナスのために、たとえどんな困難な旅路であろうと、厭わない覚悟だ。
そして、ハナスは農園の民たちと抱き合って、再会の喜びを分かち合った。
サイノッテ王城の一室。そこは、普段は静寂に包まれているはずの場所だったが、今日は少しばかり雰囲気が違っていた。ハナスは、自らが作った農園で働く民たちを、この国の王女であるユリに紹介していた。
「こちらが、私の農園で共に働く仲間たちです。皆さん、ユリ王女様です」
ハナスの言葉に、農園の民たちは一斉に頭を下げた。彼らの顔は、緊張でカチンコチンに固まっている。普段は朗らかな笑顔を見せる獣族のミーアも、ドワーフも、そして人族の農夫たちも、王族を前にしては、まるで別人のように小さくなっていた。
その様子を見て、シルベアがクスクスと笑い出した。
「お前ら、そんなに固くならんで良いだろう。誰も取って食いはしないよ」
その言葉に、ミーアは顔を真っ赤にして反論した。
「シルベア様!からかわないでください!」
他の者たちも、恥ずかしさと気まずさで、同じように顔を赤く染めている。シルベアは、そんな彼らの反応を見て、さらに面白がったように笑い、
「悪い悪い」と、軽く頭を掻いた。
農園の民たちは紹介されたユリ王女を一目見て目を見開いた。
その美しさに、場は一瞬にして静まり返った。ユリは、まるで花が咲いたように微笑み、優雅に歩を進める。その姿は、まるで絵画から抜け出してきたかのようだ。先ほどまで緊張していた農園の民たちも、その美しさに見惚れ、思わず息をのんだ。
「お迎えが遅れてごめんなさい。ようこそサイノッテへ、歓迎します」
ユリ王女は、優雅に、そしてつつましく頭を下げた。その謙虚な態度に、農園の民たちは酷く恐縮し、慌てて頭を下げ返した。彼らにとって、王族とは雲の上の存在。そんなお方が、自分たちのような農民に、いや虐げられてきた元奴隷や獣族、ドワーフに対して、丁寧に挨拶をしてくれたのだ。感動と畏怖が入り混じった感情が、彼らの胸を締め付けた。
この瞬間、サイノッテ王城の一室は、優雅さと温かさが同居する、特別な空間へと変わった。ハナスが築き上げた農園と、ユリ王女の慈愛に満ちた温かさが、皆の心を満たしていた。
しばらくすると、ユリ王女は優しい声で言った。「長旅でお疲れでしょう?ゆっくり休んでくださいね」
その言葉に続いて、部屋には次々と豪華な料理が運ばれてきた。それはまるで、絵本に出てくる晩餐会さながらの光景だった。彩り豊かな野菜を使ったサラダ、肉汁溢れるロースト、香ばしい焼き立てのパン、そして見たこともないような美しいデザートまで、食欲をそそる香りが部屋中に広がった。
「わー、すごい!」
「うまそうだなあ」
「これ、食べていいんですか?坊ちゃん?」
農園の民たちは、目の前に広がるご馳走の数々に、驚きと興奮を隠せない様子で声を上げた。ミーアの耳はピョコンと跳ね上がり、ドワーフは、普段は動じない顔をほころばせている。人族の農夫たちも、まるで子供のように目を輝かせていた。
ユリ王女は、そんな彼らを優しい眼差しで見つめ、ニコリと微笑んだ。「皆さん、遠慮せずにお食べください」
その言葉に、農園の民たちは少し戸惑いながらも、ワクワクした表情で料理を見つめた。
「早く食べないと冷めちゃうぞ!」
ハナスが明るく言うと、皆、まるで合図を待っていたかのように、一斉に料理に手を伸ばし始めた。
フォークとナイフを持つ手は、少しぎこちない。それでも、口に運ぶと、満面の笑みがこぼれた。新鮮な野菜のシャキシャキとした食感、ジューシーな肉の旨味、口の中に広がる香ばしいパンの風味。農園の食事も格別だが、王城で食べる食事もまた特別な味だった。
王族の前という緊張感は、美味しい料理の前ではどこへやら。皆、無心で食事を楽しんでいる。ユリ王女も、そんな彼らの様子を微笑ましく見守っていた。
部屋は、美味しい料理の香りと、農園の民たちの楽しそうな話し声で満たされ、温かな空気に包まれていた。長旅の疲れも、豪華な食事と笑顔で癒されていく。ハナスとユリ王女の温かいもてなしは、農園の民たちの心を、しっかりと掴んでいた。
ユリ王女は、食事を楽しむ農園の民たちを眺めながら、ふと感心したように言った。
「ハナスくん、凄いことだわねえ」
ハナスは、ユリ王女の言葉の意味が分からず、首を傾げながら聞き返した。「何がですか?」
ユリ王女は、感慨深げな表情で続けた。「この子たち、獣族もドワーフも、人族も、ここにいる皆が、読み書き計算ができるのよね?」
ユリ王女の言葉に、ハナスは「ああ」と納得したように頷いた。「はい、皆、うちの(農園)の学校の賢い子たちですよ」
ハナスは、少し自慢げな表情で胸を張った。ユリ王女と目が合い、二人は微笑み合った。
「サイノッテにも、身分にとらわれずに学べる学校が必要かしら?」
ユリ王女は、真剣な眼差しでハナスに問いかけた。ハナスは、ユリ王女の言葉に深く頷き、自分の考えを述べた。
「そうですね。学校は自分を大切に生きる方法を学ぶ場所です。自分を大切にできれば、他人を大切にします。世の中がこんなに荒れてるのは、自分を大切にできない人が多すぎるからだと僕は思うんです。」
ハナスの言葉は、ユリ王女の心に深く響いた。彼女は、ハナスの熱意に感銘を受け、微笑みながら言った。
「そうね」
ユリ王女のその言葉には、ハナスの考えに賛同し、共に未来を創り上げていこうという、強い決意が込められていた。
この瞬間、二人の間には、サイノッテの未来を照らす、新しい光が灯った。身分に関わらず誰もが学べる学校を創るという、大きな目標が生まれた。それは、この国に新たな可能性をもたらす、希望の光だった。
食事を終えた農園の民たちの笑顔は、その希望を象徴しているかのようだった。




