魔族狩り
サイノッテ王国の城下町を後にし、しばらく歩くと木々の濃い緑が視界を覆い始めた。森の奥深くへと足を踏み入れるにつれ、硫黄の匂いが鼻をつくようになる。さらに小一時間ほど進むと、ぽっかりと口を開けた小さな洞窟の入り口が姿を現した。
「ほう、ここが入り口か?」
ルシウスが、まるで独り言のように呟いた。その声には、ほんの少しの期待と、それ以上の警戒が滲んでいる。
「そうだよ、中は真っ暗でけっこう深いみたい」
ハナスが答える。彼の言葉に、ルシウスは静かに頷き、腰に下げた松明に火をつけた。パチパチと音を立てて燃え上がる炎が、周囲をオレンジ色に照らし出す。
「私が魔法で明かりを……」
セルフィーヌがそう言って、杖を構えようとした瞬間、ルシウスは軽く手を挙げて彼女を制した。
「いや、待て。どんな魔物が出てくるか分からない。魔力は温存しておこう」
この暗く閉ざされた洞窟の中で、何が起こるか予測できない以上、無闇に魔力を消費するのは危険だという判断だろう。ルシウスの言葉に納得し、杖を下ろした。
洞窟の入り口は、まるで小さなワームの口のように不気味に開いている。松明の明かりが届かない奥は、底知れぬ闇に包まれていた。
洞窟の入り口をくぐると、予想に反してひんやりとした冷気ではなく、生暖かい空気が肌を撫でた。まるで巨大な生き物の体内に入り込んだかのような、不快な感覚だ。
ルシウスを先頭に、一行は松明の明かりを頼りにゆっくりと闇の中を進んでいく。足元は滑りやすく、注意深く一歩ずつ踏みしめなければならない。洞窟の奥へ進むにつれて、硫黄の匂いはさらに濃くなり、その中でリベットの咳が、ゲホゲホと苦しげに響き始めた。
「ゲホッ、ゲホッ…」
咳き込むたびに、リベットの顔色は青ざめていく。このままでは、まともに歩くこともままならないだろう。
その異変にいち早く気づいたのは、リリスだった。彼女はリュックから小さな瓶を取り出し、リベットに近づいた。
「リベットさん、これを飲んで」
リリスが差し出した瓶の中には、琥珀色の液体が入っている。リベットは、苦しそうに臭気マスクを外し、躊躇なくその液体を飲み干した。
すると、どうだろう。みるみるうちにリベットの顔色に血の気が戻り、先ほどまでの苦しそうな様子は嘘のようだった。
「すごい…! なんですかこれ? 臭くなくなりました!」
リベットは驚きを隠せない様子で、顔を輝かせた。
「ユーカのハナスオイルと解毒草を混ぜたものよ。効くんじゃないかなって」
リリスは、照れ臭そうに答えた。彼女の言葉に、リベットは満面の笑みを浮かべ、リリスに抱き着いた。
「ありがとう、リリス!」
その様子を、セルフィーヌとエイラは興味津々といった表情で見つめていた。
「へえ、これはすごいな」
セルフィーヌが感嘆の声を漏らす。彼女はリリスの手元を覗き込み、小瓶を指さした。
「本当に臭いが消えたの?どういう仕組みなのかしら?」
ユリ王女も驚いて、同じように好奇心旺盛な視線を送っていた。
リベットの体調が回復したことで、一行の足取りは軽くなった。しかし、洞窟の奥へ進むにつれて、周囲の状況はさらに変化を見せていた。天井は低くなり、まるで今にも崩れ落ちてきそうなほどだ。壁は湿り気を帯びて苔が生え、時折、滴る水滴が首筋にぬるく落ちてくる。
「また、通路が狭くなってきたな」
ルシウスが周囲を見渡し、警戒を強めた。彼は松明を高く掲げ、少しでも遠くまで照らそうと試みる。すると、洞窟の壁に奇妙な模様が刻まれているのが見えた。それは、古代文字のようなものにも見えるが、どこか奇妙な、不気味さを感じさせるものだった。
「この模様、見たことないわ」
セルフィーヌが壁に近づき、模様を指でなぞる。彼女は魔法の研究者でもあるため、こういった古代の遺物に興味を持つのは当然だろう。
「何かの紋章かしら? それとも、魔術的なもの?」
エイラもまた、興味深そうに模様を見つめた。彼女は、セルフィーヌとは異なる視点から、この模様を分析しようとしている。
「触るのはやめておけ」
ルシウスが静かに忠告した。彼の言葉には、経験からくる確信のようなものが含まれている。
「何があるか分からない以上、不用意に触れるのは危険だ。特に、こういった未知の模様はな」
リリスは、ルシウスの言葉に頷き、リベットの手を引いて少し後ろに下がった。
「触らないように気を付けるよ」
ハナスも、同意するように言った。彼の穏やかな声は、一行の緊張を少しだけ和らげる効果がある。
よく見ると、ハナスとシルベアに手をつながれてアリュゼ姫が恐る恐る歩いている。
一行は、模様の刻まれた壁を慎重に避けながら、さらに洞窟の奥へと進んでいった。すると、通路は急に広くなり、まるで小さな広場のような空間に出た。しかし、そこは静寂に包まれていた。硫黄の匂いはさらに濃くなり、空気は淀み、まるで何かが潜んでいるかのような、不気味な雰囲気が漂っていた。
「なんだか、嫌な感じがします!」
リベットが、小さく呟いた。彼女の表情は、先ほどまでの元気さが嘘のように、再び青ざめていた。
「ああ、気を引き締めていこう」
ルシウスは松明を高く掲げ、周囲を警戒した。彼の視線は、この広場の奥にある、さらに深い闇へと向けられていた。
広場のような空間に足を踏み入れた直後、一行の目に飛び込んできたのは、そこに佇む異形の姿だった。背中には漆黒の大きな翼を広げ、顔には鋭い牙が覗いている。まさに、伝説に語られる魔族そのものだ。
ルシウスは即座に剣を抜き、ユリ王女もそれに続いた。一行は臨戦態勢に入った。セルフィーヌは杖を構え、エイラは詠唱をはじめる。ハナスは手を前面に構えルシウスをアシスト、リリスは回復ポーションをを手に、皆いつでも攻撃できるように準備を整えた。リベットはすかさずハナスの盾になる。
「おのれ、うぬら魔族狩りか!」
洞窟の奥から響いたその声に、警戒していたハナスたちは思わず身を強張らせた。声の主は、暗闇の中で紅く光る瞳をぎょろりとこちらに向け、姿を現した。




