サイノッテがあたたかい理由
「これは硫黄の匂いだな」
ハナスが鼻をひくつかせながらそう呟くと、そばにいたリベットが首を傾げた。
「硫黄ってなんですか?坊ちゃん」
リベットの大きな瞳が、ハナスを真っ直ぐに見つめる。
「ああ、硫黄っていうのは、独特の匂いがする物質でね。近くに温泉があるかもしれない」
ハナスはそう答えると、ニヤリと笑った。
「温泉って、坊ちゃんが作った大浴場のやつですよね?」
リベットは目を輝かせながら尋ねた。ハナスが農園の憩いの場として作った自慢の大浴場のことだ。
「そうそう。あれは水を沸かしているけど、こっちの温泉は地熱で湯が沸き出ていると思うんだ」
リベットは再び周囲の匂いを嗅いだ。確かに、大浴場のものとは少し違う、もっと生々しい匂いがする。
「大浴場のやつって……」
ハナスはクスッと笑った。
「どうしようか、リベット。温泉の場所まで行ける?」
ハナスは少し不安そうなリベットに優しく問いかけた。
「すごーく臭いですけど、行けますよ!」
リベットは涙目でそう答えた。硫黄の匂いは、彼女には少々刺激が強すぎるようだ。
ハナスはリベットの気持ちを察し、少し申し訳なく思った。しかし、好奇心には勝てない。
「じゃあ、少しだけ行ってみようか」
そう言うと、ハナスはリベットの手を優しく握り、匂いの元へと歩き出した。リベットは少し顔をしかめながらも、ハナスの後をしっかりとついて行った。
「この小さな穴から下へ続いています」
リベットが指差す先には、岩壁にぽっかりと口を開けた小さな穴があった。それはまるで、何かの生き物が開けた巣穴のようだ。ハナスが目を凝らして見ると、穴は子供が一人、やっと通れるくらいの大きさで、奥へと暗く伸びていた。間違いなく、地下へと続く洞窟の入り口だろう。
「うへー、これは先へ進むとなると本格的な洞窟探検になりそうだなあ」
ハナスは思わず呟いた。未知の場所への好奇心が疼くが、同時に少しばかりの不安も感じた。
「行きますか?坊ちゃん!」
リベットは目を輝かせ、尻尾をフリフリさせながらハナスに尋ねた。どうやら、冒険という言葉にすっかり心が躍っているようだ。
「いや、今日はやめておこう」
ハナスはリベットの期待に満ちた顔を見ながら、ゆっくりと首を横に振った。
「もう一度ちゃんとした装備を整えてこないと無理だよ」
穴の奥は暗く、どれほどの深さがあるのかもわからない。軽装で飛び込むのは危険すぎる。今回は一旦引き返し、しっかりと準備を整え、万全の体制で再挑戦することにした。
ハナスの言葉に、リベットは少し残念そうな顔をした。しかし、ハナスの言うことも理解できるのだろう、すぐにいつもの笑顔を取り戻した。
「そうですね!また今度、一緒に行きましょう!」
リベットの言葉に、ハナスは優しく頷いた。
サイノッテ城に戻ったハナスは、早速ユリ王女の元へ向かった。今日の出来事を報告するためだ。
ユリ王女の部屋へ通されると、そこには見慣れない顔ぶれがいた。見たこともない、豪華な羽を持つ鳥の女王ネグジェ、樹木の精霊であるシルベア、そしてヴェルディア姫のアリュゼだ。普段は滅多に顔を合わせないようなメンバーが揃っていることに、ハナスは少し驚いた。
「ハナスくん、おかえりなさい。今日の冒険はどうでしたか?」
ユリ王女は優しい笑顔でハナスを迎えた。ハナスは、今日あったことをユリ王女たちに報告し始めた。硫黄の匂いがする場所を発見したこと、そして、その匂いの元が洞窟の入り口らしき場所だったこと、しかし、装備が足りず、今日は引き返してきたことなどを説明した。
「なるほど。温泉のようなものがあるかもしれないのですね」
ハナスの報告を聞き終えたユリ王女は、深く頷いた。
「実は、ここサイノッテは地下に熱い水が流れているんです。だから、一年中かなり温かい土地柄なのですよ」
ユリ王女の説明に、ハナスは合点がいった。サイノッテが温暖なのは、地下を流れるマグマの影響だったのか。
「その洞窟も、もしかしたらその熱水の通り道かもしれませんね。ぜひ一度、確認したいものです」
ユリ王女は好奇心に満ちた眼差しで言った。ハナスも同じ気持ちだった。
ハナスは、ユリ王女に報告を終えた後、ふと、ある懸念が頭をよぎった。
「ユリ王女様、一つお伺いしたいのですが」
ハナスは少し躊躇いがちに切り出した。
「このサイノッテ王国では、火山の噴火などは過去に無かったのでしょうか?」
ハナスの問いに、ユリ王女は少し考え込んだ。
「噴火って、山が火を噴くことよね?」
ユリ王女は、ハナスの言葉を反芻するように呟いた。
「私のおじいさまの代にも、そんな話は聞いたことがないわね」
ユリ王女はそう言うと、少し首を傾げた。彼女の言葉からは、サイノッテ王国では過去に火山の噴火があったという記録はなさそうだった。
ハナスは内心で驚いた。この土地は地下に熱水が流れているということは、近くに火山があってもおかしくない。硫黄の匂いも、それを裏付ける。活火山である可能性が高いのに、過去に噴火の記録がないとはどういうことだろうか。
ハナスは火山活動の専門家ではないため、その理由を推測することはできなかった。ただ、この美しい街の近くで、もし噴火が起きてしまったら大変なことになるだろうと、ハナスは漠然とした不安を感じた。
「そうでしたか……」
ハナスは、それ以上深く追求することはせず、軽く頷いた。この件は、専門家に意見を聞いてみる必要があるかもしれない。
ハナスは、この美しい街を、いつまでも平和で穏やかなまま守りたいと心から願った。
「準備ができたら、ぜひ私にも声をかけてくださいね。私も行ってみたいですわ」
ユリ王女の言葉を受けて、ハナスは一瞬何のことか分からなかったが、すぐに洞窟調査のことを指しているのだと理解した。
「ボクもついて行ってやろうか?」
声が響き、ハナスは声の主であるシルベアの方を見た。樹木の大精霊であるシルベアが、穏やかな笑顔を浮かべている。
「樹木の大精霊様がついてきてくれるのは、正直ありがたいよ」
ハナスは、嬉しそうに言った。シルベアの存在は、今回の洞窟探検において、大きな助けとなるだろう。
「わ、私も行こうかな……」
アリュゼが、モジモジしながら小さな声で言った。彼女はいつもは明るく活発だが、今日はどこか落ち着かない様子だ。
「どうしたアリュゼ!ハナスの前だからって緊張してるのか?」
シルベアは、アリュゼの様子を見て笑いながら言った。
「緊張なんてしてないわよ!」
アリュゼは、シルベアの言葉に顔を真っ赤にした。
「ただ、本物なんだって思うと、不思議な気持ちで……」
アリュゼは、ハナスをちらりと見て、恥ずかしそうに視線を逸らした。どうやら、ハナスの前で少しばかり緊張しているようだ。
「もしかしてアリュゼ姫はハナスの事が好きなのかな?」
シルベアが何気なくそう呟くと、次の瞬間、クワッと音を立ててネグジェが飛び立ち、シルベアの頭を小突いた。
「いて!」
シルベアが頭を押さえながら抗議する。
「あんたも女の子のくせにデリカシーがないわね、シルベア!」
ネグジェは不機嫌そうに言った。
「何だよ、ネグジェ」
シルベアは、ネグジェの言葉の意味が分からないといった様子で聞き返す。
「そういうことはね、口に出したらいけないのよ」
ネグジェは少し呆れたように言った。
「そうね、好きとか嫌いにも色々あるのよ、シルベア様」
ユリ王女が優しく言葉を続けた。
「尊敬の混じった好きや、お友達になりたいって好き、憧れ、慈しみ……だから、まだそっとしておいてあげようね。気持ちって言葉にすると、消えちゃいそうなくらい繊細なものだから」
ユリ王女の言葉に、シルベアはハッとしたように目を見開いた。今まで、ただ純粋に思ったことを口にしていたが、それがデリケートな感情を傷つけることもあるのだと反省した。
シルベアは、自分の無神経さを恥じて、顔を真っ赤にした。
「面目ない」
1000年の大精霊も、この時ばかりは形無しだった。




