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心変わり

薄暗い酒場に、笑い声が響き渡る。


「はっはっは!まったく、お前らときたら!もっと面白い話はないのかよ?」


レツヤ・サメジマは、大きなジョッキを片手に豪快に笑った。その姿は、まるで魚を追い詰める鮫のように、周りの空気を支配していた。


対面に座る二人、元盗賊団、現傭兵団「ドランゴドラ」のボスと、その配下で「龍椀のガルド」の異名を持つ男は、複雑な表情を浮かべている。彼らの前には、半分も飲まれていない酒が置かれていた。


店内には、たなびく煙草の煙と、安酒の甘ったるい香りが漂う。ソルゼの王国で最も評判の悪い酒場「お前らの悪事をもっと聞かせろ!」は、今夜もいつもと変わらない喧噪に包まれていた。


「なんだよ、その面白くなさそうな顔は」レツヤは、赤く染まった頬を更に歪ませて笑う。「もしかして、最近は面白い仕事がないのか?」


ガルドは、ため息まじりに言った。「サメジマさん、そろそろ酔いが回ってきているんじゃ...」


その言葉も途中で遮られる。レツヤは、がしゃんと音を立ててジョッキを置いた。「へいへい!もう一杯!」


カウンターの向こうで、店主が目を細める。今夜も長くなりそうだ—。窓の外では、リュカン王の城に灯る明かりが、静かに夜空を照らしていた。



「おい、そこの可愛い姉ちゃん!」レツヤの声が、酒場の喧噪を切り裂いた。「こっちに来て、酌をしてくれよ!」


その声に、冒険者の女性が眉をひそめる。彼女の着ている革の装備は、実戦で使い込まれた傷跡が生々しく、ただの街娘ではないことを物語っていた。


「にいちゃん、いい加減にしろよ」


女性の隣のテーブルから、がたりと椅子を引く音が三度響く。筋骨隆々とした三人の男が立ち上がった。長身の男が一歩前に出る。その腰には、使い込まれた大剣が下がっている。


ドランゴドラが天井を仰ぐように深いため息をつく。「またか...」


「はぁ?」レツヤは酔いの回った目で三人を上から下まで舐めるように見た。「なんだよ、お前ら。姉ちゃんの彼氏か?」


空気が凍りつく。ガルドは静かにベルトの短剣に手をやった。


店内の会話が徐々に止まっていく。常連客たちは、さりげなく席を立ち始めた。彼らは知っていた—この酒場で起きる厄介事の始まりを、痛いほど。


「サメジマさん」ガルドが諭すような声を掛ける。「そろそろ帰った方が...」


だが、レツヤの目は既に三人の男たちを捉えて離さない。酔いに赤く染まった顔に、危うげな笑みが浮かぶ。


カウンターの向こうで、店主が棚から何かを取り出す音が響いた。



誰も、その瞬間を正確には見ていなかった。


「うっせぇんだよ」


レツヤの呟きが聞こえた次の刹那、長身の男の顔が壁に埋まっていた。木材が軋む音と、骨の砕ける音が、不協和音を奏でる。


「はぁ...」


ため息のような音とともに、二人目の男の首から上が、ふわりと宙を舞った。血飛沫が、螺旋を描きながら立ち昇る。その光景は、まるで妖艶な舞踏のようで、誰もが息を呑んだ。


「つまんね」


最後の言葉が零れた時、三人目の男の体が、まるで熟れた果実のように真っ二つに裂けた。内臓が床に零れ落ちる音すら、まだ最初の男の体が床に届く前のことだった。


全てが、瞬きよりも短い時間で終わった。


「けっ!」レツヤは、まるで蝶を追い払うように手を振った。「あっけなすぎて余興にもなりゃあしねえなあ」


血溜まりが床を染め上げていく中、彼は不満げに再び酒をあおった。その手の動きは、まるで何事もなかったかのように滑らかだった。


ドランゴドラとガルドは、黙って目を逸らした。彼らは知っていた。レツヤ・サメジマという男の本質を.......人を殺すことが、呼吸よりも自然な男の本質を。


店主は静かにカウンターの下からナイフを雑巾へと持ち替えて、取り出した。今夜はいつもより早めに店じまいだ。




深夜の城は静寂に包まれていた—その静寂を破るように、王の寝室の扉が大きな音を立てて開いた。


「おーい!リュカンよぉ!」


酒臭い声が豪快に響く。レツヤ・サメジマが、よろよろとした足取りで寝室に踏み込んできた。高価な絨毯の上に、酒場の泥が付いた足跡が連なっていく。


「な、なんだサメジマ殿...こんな時間に...」


シーツにくるまったリュカン王の声が震えている。窓から差し込む月明かりに照らされた顔は、まるで死人のように蒼白だった。


「そうだ!思い出した!」レツヤは突然、大声で叫んだ。「おい、早く殺しに行こうぜ!そのなんてったっけ?サイノッテだっけ?奴らをよぉ!」


「し、静かに!」


「へへっ、国ごと潰してやるぜ」レツヤは意味ありげな笑みを浮かべながら、王の寝台に近づいていく。「お前の恨みも晴れるだろ?」


「だ、駄目だ駄目だ!」リュカンは両手を振りながら必死に首を振る。「約束が違う!国は無傷で残してくれと言ってあるだろう!」


「はあ?」レツヤは不満げに舌打ちした。「面倒くせえなぁ。じゃあ国民だけ?王様と国民全部ぶっころしやあいいんだろ?」


「そ、それも駄目だ!」リュカンの声が裏返る。「き、規模を最小限に...そう、そうだ!まずはサイノッテ王やヴェルディア兵だけをだな!」


レツヤは退屈そうに壁にもたれかかった。高価な壁紙が彼の体重で皺になる。


「つまんねえの。お前みたいな王様がよぉ...」彼は酔眼でリュカンを見据えた。「裏で勇者を雇うなんてよ、みっともねえと思わねえのかよ」


月の光の中、リュカンの顔から血の気が完全に引いていった。


「た、頼む...約束通りに...」


レツヤは大きな欠伸をした。「はいはい。分かってるって。でもよ...」


彼の目が、一瞬だけ獣のように輝いた。


「もし俺が気分を変えたら、お前の国も、サイノッテの国も、跡形もなく消えるってことを忘れんなよ?」


リュカン王は、ただ黙って震えることしかできなかった。


まずい男に手を出したか?........。




「陛下!」


扉が勢いよく開かれ、普段は礼儀正しく物静かな執事長アルネルトが、髪を振り乱して飛び込んできた。その姿は、彼が三十年務めてきた王城の執事長としては、あまりにも異様だった。


「なんだアルネルト、朝からそんなに慌てて...」


リュカン王は寝巻き姿のまま、疲れた表情で執事を見る。昨夜のレツヤの訪問で、ろくに眠れていない様子だった。


「もう...もう我慢の限界でございます!」アルネルトの声が震える。「あのもの...サメジマなんちゃらという凶悪な勇者を、どうか国外へ追放してください...!」


執事は机の上に一枚の紙を叩きつけた。それは今朝の被害報告書だった。


「昨夜も、またしても酒場で三人の命を...その後城内を自由に歩き回り、王家代々伝わる剣を破損し...さらには厨房で夜食を強要し...城の女中たちを次々に、女たちは恐怖で震えており...」


アルネルトの声は次第に上ずっていく。その瞳には涙が浮かんでいた。


「このままでは、王城の秩序が、いえ国の威厳そのものが...!民の反乱まで起きかねませんぞ!」


リュカン王は深いため息をつく。彼の顔には、恐れと諦めが入り混じっていた。


「アルネルト、わかっているんだ。だが...」


言葉が途切れる。王の視線が、城下町の方へと向けられた。そこには昨夜の酒場での惨劇を片付ける人々の姿が小さく見えるような気がした。


「陛下...」アルネルトは懇願するような目で王を見つめる。「どうか、お考え直しを...」


「できんのだ」リュカンは小さく呟いた。「あの男を追い出すことなど...できはしないのだ」


「しかし!なぜそのような凶悪な...」


「黙れ!」


突然の剣幕に、アルネルトは言葉を飲み込んだ。


「すまない...」リュカンは疲れた表情で目を閉じる。「あの男からは今更手を引くことが出来ん...万が一この話を白紙にすると言って怒らせでもしたら、このソルゼ王国が滅ぶ。今は、耐えてくれ」


アルネルトは何か言いかけたが、結局は深々と頭を下げただけだった。


その時、廊下から「おーい!朝メシまだかよ!」という荒々しい声が響いてきた。


二人は顔を見合わせた。




執務室の重たいカーテンが引かれ、薄暗い空間の中で、二つの影が向かい合っていた。


「陛下...」アルネルトは声を潜めて言う。「お考えいただきたいのです」


机に置かれた地図には、三つの国が描かれている。中央のソルゼ王国、そしてサイノッテ、海を越えたヴェルディア。アルネルトの指が、その境界線をなぞった。


「万が一ですよ...」彼は言葉を選びながら続ける。「万が一、あの勇者が標的の二国で返り討ちに遭って...」


リュカン王の喉が鳴る。


「帰ってきたら...」アルネルトの声が更に小さくなる。「私たちの国で腹いせに暴れまわって...」


「ソルゼ国が、滅ぼされる...」


リュカンの声は、まるで霧のように儚かった。城下から聞こえてくる朝市の喧騒が、この密談をより非現実的なものに感じさせる。


「向こうには、紅の騎士団がおります」アルネルトは畳みかける。「ヨルセルの部下たち...特に戦の鬼神と恐れられたルーベン殿が」


「ルーベンか...」リュカンは唇を噛んだ。


「そして...」アルネルトは決定打を放つ。「そのルーベン殿よりも腕が立つと言われる、ルシウス殿もいらっしゃる」


ガチャリ、と遠くで皿の割れる音が聞こえた。おそらく、食事中のレツヤが何かをしでかしたのだろう。


「あのサメジマでも、二人を相手には...」


「ううう.......」


「陛下?」


「どうすればいいと思う?」


リュカンの言葉に、執務室の空気が凍りついた。


執務室の影が濃くなる。アルネルトの声が、蝋燭の炎のようにゆらめいた。


「あの...ですね。筋書きを変えてみてはいかがでしょう?陛下」


「筋書き?」


リュカンは首を傾げた。アルネルトの目が、知的な光を帯びる。


「ええ」彼は一歩前に進み出た。「我がソルゼ王国は—『世界が勇者に脅かされている』と聞きつけ...」


「 フムフム」


リュカンは顎に手を当て、執事の言葉に聞き入る。アルネルトは続ける。


「先んじて、手立てを考えた。そうして勇者を雇ったと思わせ」彼の声が更に低くなる。「サイノッテ国、ヴェルディア国と我がソルゼ王国とで、勇者を打たんと画策した...という筋書きです」


リュカンの目が見開かれた。「つまり...」


「三国で協力して、あの化け物を...」アルネルトの声が途切れる。


重い沈黙が二人を包む。廊下では、レツヤの荒々しい足音が遠ざかっていく。


「勇者を...裏切るということか」リュカンの声が震えた。


アルネルトは静かに頷く。「始末する、という意味です」


「だが、もし失敗したら...」


「その時は」アルネルトは冷静に言う。「二国と共に滅ぼされても、少なくとも、我が国は『二国の敵ではなく同じ味方で被害者』という立場を取れます」


城下町から、子供たちの笑い声が風に乗って届く。その無邪気な声が、二人の密談をより陰鬱なものに感じさせた。


「本当に...」リュカンは窓の外を見つめる。「本当にできるのだろうか...」


その時、遠くで「おーい!退屈だぁー!」というレツヤの声が響いた。


リュカンとアルネルトは顔を見合わせる。時は刻一刻と過ぎていく。決断を迫られる時が、着実に近づいていた。


二人は沈黙の中、朝日に照らされる城下の街並みを見つめた。その光景は、まるで砂上の楼閣のように儚く見えた。


遠くから、レツヤの豪快な笑い声が響いてくる。それは、まるで死神の足音のように、二人の背筋を凍らせた。


「すぐにヴェルディアとユリ王女へ、使いの者を送れ!お前の筋書きを成功させよ!」

リュカン王は言った。

「仰せのままに」

アルネルトは深々と頭を下げた。

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