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僕も連れて行ってよ!

夕暮れ時のミストベール農園。執務室の窓から差し込む柔らかな光が、古めかしい家具に温かな色合いを与えていた。


「父さん、勇者って悪者なの?」


ハナスの澄んだ声が、静かな部屋に響く。十歳とは思えない真剣な眼差しで、父親のルシウスを見上げている。幼いながらも増幅の祝福を持つ少年は、どこか大人びた雰囲気を漂わせていた。


ルシウスは椅子に深く腰掛けながら、少し考え込むような仕草を見せる。かつての冒険者らしい、筋肉質な体つきが、今は農園主としての落ち着きを帯びていた。


「昔の勇者は、文字通りの者だったが...」

彼は言葉を選びながら続ける。

「今の勇者は残忍な男らしい」


「大丈夫かしら、あなた」


妻のハナフィサが心配そうに声をかける。彼女もまた元冒険者。その経験が、今の状況の深刻さを理解させていた。


部屋の隅で耳をピクピクと動かしていたリベットが、不安そうに二人の会話に聞き入っている。二十二歳になった猫耳の少女は、この家族にとって大切な存在となっていた。


「心配するな」

ルシウスは立ち上がり、窓の外に広がる農園を見つめる。

「俺も加勢に向かう。きっとそのレツヤ・サメジマとかいう勇者を止めて見せるさ」


その言葉には、かつての冒険者としての威厳と、家族を守ろうとする決意が込められていた。夕陽に照らされた彼の背中は、ハナスの目には、とても頼もしく映った。



「ならお願いがあるんだ、父さん!」


突然のハナスの声に、執務室の空気が一瞬凍りついた。その瞳には、子供らしからぬ決意の光が宿っている。


ルシウスは無言で息子に向き直り、静かに耳を傾けた。


「僕も連れてって、父さんたちを手伝わせてほしい」


「!」


ルシウスの表情が一瞬にして強張る。思わず息を呑んだ。背後のハナフィサが小さく息を飲む音も聞こえた。


「それは...」


ルシウスは言葉を選びながら、ゆっくりと話し始めた。


「確かにハナスお前が居れば、増幅の力を借りれる。それだけお前の力は大きい」


父の言葉に、ハナスの瞳が希望に輝く。しかし、ルシウスの眉間には深いしわが刻まれていた。


「だが、お前はまだ小さい」


重い沈黙が部屋を支配する。リベットの尻尾が不安げに揺れている。



「確実に勇者に勝てるよ!」


ハナスは小さな胸を張り、力強く宣言した。その姿は幼さの中にも、どこか凛々しさを感じさせた。家族を守りたいという強い意志が、その小さな背中から伝わってくる。


ルシウスの表情が、悩ましげに揺れる。息子の成長を喜ぶべきか、その命を危険に晒すことを恐れるべきか—。元冒険者の父として、最も難しい決断を迫られていた。



「ハナスちゃん...…」


ハナフィサの囁くような声には、母としての深い愛情と不安が滲んでいた。夫のルシウスを失いたくない—その想いは、彼女の胸の内で激しく渦巻いている。あの勇者は、かつて強敵だった魔獣たちをいとも容易く討ち果たしたという。それほどまでに恐ろしい相手だ。


けれど。


視線は息子へと向けられる。小さな体に宿る驚くべき力。ハナスの増幅の祝福があれば、あるいは—。勝てるかもしれない。その一筋の希望が、母の心に灯る。


心配と希望が、波のように彼女の中で揺れ動く。


「坊ちゃん......」


リベットが前に進み出た。その大きな瞳には、決意の色が宿っていた。猫耳が感情の高ぶりを示すように、小刻みに震えている。


「私もお供して、必ず坊ちゃんを守ります」


リベットはハナスを抱きしめた。その腕の中で、ハナスの小さな体が温かく、確かな存在感を放っている。幼い主人を守りたいという想いが、彼女の全身から溢れ出ていた。


執務室に差し込む夕陽が深い茜色に変わり始めていた。それは、まるでこの家族の運命が、大きく動き出そうとしていることを予感させるかのように。



その時だった。


ハナスの左手に巻かれた緑の葉が、不思議な輝きを放ち始める。まるで春の木漏れ日のような柔らかな光が部屋中に広がり、その中から蔦の巻き付いた少女の姿が現れた。大精霊シルベアの出現に、執務室の空気が一変する。


「おっと皆さん、良いところにごめんよ」


シルベアの朗らかな声が響き渡る。


「シルベア!」


驚きの声が部屋中から上がった。まさかこのタイミングで大精霊が現れるとは—。ルシウスとハナフィサは思わず顔を見合わせ、リベットの尻尾は驚きで逆立っている。


「話は聞かせてもらったよ」


シルベアは緑の髪を軽く揺らしながら、ゆっくりとルシウスの方へ視線を向けた。その瞳には、数千年の歳月を重ねてきた精霊ならではの深い智慧が宿っている。


「おい、ルシウス、心配するな!」


シルベアの声には不思議な説得力があった。蔦で飾られた腕を軽く上げながら、続ける。


「ハナスの力があれば、ボクたちはきっとレツヤ・サメジマに勝てる。ボクもハナスについて行って守ってやるから」


そして、無邪気とも言える、しかし確かな自信に満ちた笑顔を浮かべる。


「大船に乗ったつもりでいろ」


シルベアのニコリとした笑みには、どこか悪戯っぽさと、絶対的な力を持つ者の余裕が混ざっていた。その表情に、部屋の重苦しい空気が一気に晴れていくのを、皆が感じていた。



「シルベアーーー!」


ハナスは舞い上がるような声を上げると、まるでロケットのように飛び出して、シルベアに抱きついた。


「アハ~ン♡」


シルベアは乙女のように頬を染め、くねくねと身体をくねらせる。数千年の歴史を誇る大精霊とは思えない、どこぞのアイドルのような仕草だ。


「ハナスぅ~、まだ昼間だぞ~」

片目をウインクしながら、シルベアはいやらしい笑みを浮かべる。

「それは夜にとっておいて♪」


「なっ...!」


ハナスの顔が見る見る真っ赤に染まっていく。まるで熟れたトマトのように。いや、トマトですら及ばないほどの赤さだ。


「な、何勘違いしてんのさーーー!」


十歳の少年の悲痛な叫びが執務室に響き渡る。その声が天井を突き抜けて農園のどこかまで届いたとしても、不思議ではなかった。


「プッ...」

「くっ...」

「うっ...」


必死に堪えていた笑いが、ついに堰を切ったように溢れ出す。


「あはははは!」


ルシウスの豪快な笑い声。

ハナフィサの上品な笑い声。

リベットの猫のような「にゃはははは!」という笑い声。


三者三様の笑い声が混ざり合い、執務室は笑いの渦に包まれた。


「もう!笑わないでよーーー!」


ハナスの抗議の声も空しく、シルベアは「あらあら♪」と言いながら、くすくすと笑いが止まらない様子。先ほどまでの緊張感は何処へやら、そこにはただ、幸せな家族の温かな空気だけが満ちていた。


数分後、やっと笑いが収まった頃には、窓の外の夕陽はさらに深い色に変わっていた—。

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