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勇者の言い伝え

魔石が織り交ぜられた淡く光る厚い石壁と緑に囲まれたミストベールの領主の書斎は、薄霧のような静けさに包まれていた。窓から差し込む月光が、古い書物や地図の上に銀色の光を投げかけている。


ヨルセフ卿は、羽の生えた伝令鳥が運んできた書簡を手に、じっと凝視していた。その手は微かに震えている。


「レツヤ・サメジマ…」


領主の唇からこぼれた名前は、まるで呪いのように空気を震わせた。


彼の記憶は、幾世代にも語り継がれてきた伝説の一節へと遡る。かつて、たった一人の勇者が魔王軍を壊滅させ、魔王を地獄のマグマよりも熱い炎で焼き尽くし、海の底へと引きずり込んだ。熱され、一気に冷やされた魔王は海底で粉々に砕け散ったという。その伝説は、子供たちに語り継がれる物語であり、同時に戦士たちに畏怖の念を抱かせる言い伝えでもあった。


 その頃から、この世界では魔王という存在は確認されていない。だから魔物の、魔族の力がかなり弱まっている。それもそれでどうかとは思うところはある。


魔王不在の今、人族がどんどん幅を利かせてきて、魔族よりもよほど質が悪いのではないかという人族まで出てきている始末だ。


なぜ、魔王不在なのに勇者を召喚したのか、北方の国の何者かが世界を混乱に陥れている。


「残忍」それが勇者に付けられた称号だ。


ヨルセフは再びつぶやいた。勇者は、慈悲を知らぬ。戦場で出会う者だけではなく、勇者に歯向かったり、気に入られなかったもの、全て敵として容赦なく葬られる。そんな噂を耳にするたび、領主の背筋に冷たい汗が滴る。


書斎の隅の古い地図。それは幾多の戦いの痕跡で埃に覆われていた。ヨルセフは地図に目をやり、指先でルートをなぞる。


今回の戦いは、単なる領地争いではない。生き残るか、滅ぼされるかの戦いだ。


窓の外。霧が這うように広がり、月光を幽玄に歪ませていく。まるで、これから始まろうとしている戦いの前兆のように。


ヨルセフは深くため息をつき、静かに伝令鳥へと目をやった。この小さな使者は、間違いなく戦いの鐘を鳴らしているのだ。




ヨルセフ領主の控室。重厚な木製の机を囲んで、精鋭たちが集まっていた。


アークスは剣の柄に手を置き、ルーベンは地図を精細に見つめ、セルフィーヌは静かに腕を組み、エイラは窓辺から外の景色を窺っている。そして、ロクスが全体を見渡すように立っていた。


そこに、予期せぬ一人の存在。


「ナミダ?」


ヨルセフは一瞬、驚きを隠せなかった。ナミダが、なぜここにいるのか。


ロクスがさり気なく補足した。


「ナミダも今回の出撃に加わってくれるそうです」


ナミダは、いつもの静かな面持ちで、ただ神妙に立っている。


ヨルセフは少し戸惑いながらも、すぐに厳しい指令を下した。


「各々、今回は勇者を迎撃せねばならない。恐ろしい相手だ。心当たりの手練れを集めてくれ。そうしてどんな手段でも構わん、ソルゼ王国の侵攻を止めてくれ」


控室の空気は、緊張で張り詰めていた。窓の外では、遠くに雷鳴が轟き始めていた。

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