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母の形見と、千年の理解者

アリュゼの腕の中で、古びた人形がやさしく揺れていた。


擦り切れた布地、所々ほつれた縫い目——。誰が見ても、王城にあるべきものとは思えないような、粗末な人形。けれど、アリュゼにとってはこの世で最も大切な宝物だった。


「お母様の...最後の贈り物なんです」


シルベアの前でだけ、アリュゼは弱みを見せることができた。


幼くして戦争で母を失ったアリュゼの傍らには、すぐに新しい女性たちが現れた。父であるヴェルディア王は、国の為とばかりに次々と后を迎え入れた。どの継母も、表向きはアリュゼに優しく接してくれた。けれど——。


「継母様たちは、みんなこの人形を捨てなさいって」


アリュゼは人形を強く抱きしめる。


「まあ、そりゃそうだろうな」シルベアは窓際で腕を組んでいた。「王族の姫様が、そんなボロボロの人形を持ち歩いているなんて...って考えるのが人間様ってもんだ」


その言葉には皮肉めいた響きがあった。そうだ。目の前にいる彼女は人間ではない。樹齢千年を超える大精霊様——。人の世の移ろいを、どれほど見てきたことだろう。


「でも、ボクにはわかるよ」シルベアは静かに微笑む。「物の価値なんて、そんなもんじゃない。千年も生きていると、アリュゼが大切にしているものの『本当の価値』が見えてくるもんでね」


その言葉に、アリュゼの目に涙が浮かぶ。


継母たちは誰一人として理解してくれなかった。けれど千年の大精霊様は、一目で分かってくれた。この古びた人形に込められた、母の想いの深さを。


「シルベア様...」


「おいおい、泣くなって。おまえが泣くと、この大精霊様が母親みたいじゃないか」


からかうような声音だったが、その瞳には確かな優しさが宿っていた。人間の数十倍もの時を生きてきた者の、懐の深さがそこにはあった。


アリュゼは涙を拭いながら、小さく笑う。母の形見の人形を抱きしめる手に、不思議な温もりを感じていた。



「そうだ、今度ハナスの農園に行ってみないか?」


シルベアの提案に、アリュゼの瞳が宝石のように輝いた。今のシルベアは、いつものように藍色の髪をした少年ハナスの姿を借りている。その姿は、本物のハナスを思わせる温かみのある表情をしていた。


「本当ですか!」アリュゼは思わず立ち上がり、両手を胸の前で組んだ。「あの、噂の農園ですよね?獣族の方や、ドワーフの職人さんたち、それに海の向こうの方たちまでいるって聞いたことがあります!」


「ほう、随分と詳しいじゃないか」シルベアは面白そうに笑う。「まさか、侍女たちから色々と聞き込んでいたのかい?」


アリュゼは少し頬を染めた。確かに、宮廷で使われている心地よい香りの精油の出所を、こっそりと調べていたのだ。あの優雅な香り——植物と精霊の力が織りなす奇跡の一つだと聞いていた。


「あの...それに」アリュゼは少し言葉を躊躇わせる。「本物のハナスさんにも、ずっとお会いしてみたかったんです」


「へえ」シルベアは意地悪そうな笑みを浮かべる。「なんでだい?この完璧な化身では物足りないってこと?」


「まさか!シルベア様は素敵ですけど...」アリュゼは慌てて手を振る。「ただ、シルベア様がそこまで信頼できる姿を借りているハナスさんって、きっと素晴らしい方なんだろうなって...」


「はっはっは!」シルベアは豪快に笑う。「確かに、アイツは面白い奴だよ。人間でありながら、獣族や精霊たちと分け隔てなく付き合える珍しい人間でね」


窓の外では、夕暮れの空が茜色に染まっていた。その美しい光の中で、シルベアの姿が一瞬、本来の精霊の姿にも見えた気がした。


「よし、決まりだな。明日にでも行こうか」


「えっ!そんな急に...!」


「大丈夫さ。この大精霊様が付いているんだ。それに——」シルベアはにやりと笑う。「ヴェルディアのやつも、最近はすっかりボクたちに甘くなったしね」


アリュゼは小さく笑いながら頷いた。かつて厳格だった父上も、今ではシルベア様の言うことには首を縦に振ることが多い。


「明日の朝、早めに支度をしておくわ」


アリュゼの胸は、期待で膨らんでいた。見たことのない種族との出会い、不思議な香りの源流、そして本物のハナスとの対面——。長旅になるけれど、きっと素敵な日々になるに違いない。

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