気の遠くなる50日の旅路
夕暮れの大地に、五百を超える紅の騎士団の帰還行進が映える。
馬車の窓辺からは、ハナスの姿のシルベアの小さな横顔が見える。彼の表情には、不思議と緊張感は感じられず、どこか遠くを見つめているようだった。
農場の入り口では、ハナスたちが立ち尽くしていた。夕陽に照らされた騎士団の甲冑が、まるで血潮のように赤く輝いている。
「シルベア......」
ハナスの呟きが、風に乗って消えていく。隣では、リベットとフローラがハナスの手を強く握っていた。
ヨルセフは無言で腕を組み、ルシウスは剣の柄に手を置いたまま、その場を動かない。ハナフィサは胸に手を当て、祈るような仕草を見せている。
「本当に、聖霊様は大丈夫なのかな......」
ロクスの呟きに、ナミダは静かに頷いた。
少し離れた丘の上では、セルフィーヌとルーベンが立っていた。二人の姿は、夕陽を背に影絵のように浮かび上がっている。
そしてさらにその上空、一羽のライホークが悠々と円を描いていた。その魔物の目を通して、魔術師エイラは全てを見守っていた。彼女の魔力は、紅の騎士団の一つ一つの動きを捉えている。
「まるで、血の川のようね......」
エイラの呟きが、風に乗って消えていく。
五百の騎士が作り出す行進は、まさに壮観だった。馬のいななきが響き、甲冑のきしむ音が大地を震わせる。その様は、まるで大地そのものが動いているかのようだった。
夕陽は徐々に沈みゆき、騎士団の影が長く伸びていく。シルベアを乗せた馬車は、その巨大な影の中心にあった。
誰もが言葉を失っていた。ただ、それぞれの胸の内に、複雑な思いを抱えながら。
遠くなっていく紅の騎士団。その姿が地平線の彼方へと消えていくまで、皆はただ見守り続けた。
最後の一人の騎士が視界から消えても、誰も動こうとはしなかった。
風が吹き、農場の作物がざわめく。その音だけが、静寂を破っていた。
やがて、完全に日が沈み、夜の帳が降りてくる。
星々が輝き始めた空の下、彼らはようやく我に返ったように、少しずつ動き始めた。
「おお、ここが王都か」
馬車の窓から身を乗り出したシルベアの声が、朝もやの中に響く。
ミストベールの農場を出発してから約五十日。長い旅路の果てに、ようやく王都の城門が姿を現していた。巨大な白亜の城壁は、朝日を受けて神々しいほどの輝きを放っている。その上部には無数の紅の紋章旗がはためき、まるで空そのものが紅く染まったかのような錯覚を覚えるほどだった。
しかし、その壮大な光景とは裏腹に、馬車の中の様子はというと——。
「おい、ソノマ!腹が減ったぞ!」
シルベアの大声に、護衛の騎士たちが思わず肩を震わせる。まるで超ワガママな 子供をあやすかのような状況が、この五十日間、延々と続いていたのだ。
「は? また、ですか?」
ソノマは目に見えて疲れた表情で振り返った。普段の神経質でキリリとした執事の面影は既になく、まるで年老いた執事のように肩を落としている。まぁ、本当に年老いてはいるのだが......。
「お前、最近態度が悪いな!」
「はいはい」ソノマは深いため息をつく。「何か用意させますよ。もうすぐ王城ですから。そうしたら、美味しいものが食べられますよ」
その言葉に、シルベアは不満げに頬を膨らませた。まるで拗ねた子供のような仕草に、周囲の騎士たちからは小さな笑いがもれる。
馬車は王都の大通りを進んでいく。両側には優美な石造りの建物が立ち並び、色とりどりの旗や看板が通りを彩っていた。朝市の準備を始める商人たち、パン屋から漂う焼きたてのパンの香り、噴水広場で水を汲む市民たち——王都は既に活気に満ちていた。
しかし、その華やかな街並みとは対照的に、護衛の騎士たちの表情は冴えない。五十日間、一日も休まず続いた「シルベア様の気まぐれ対応」は、さすがの精鋭たちの心身をも蝕んでいたのだ。
特にソノマは深刻だった。彼の姿は出発時の凛々しさはどこへやら、まるでふにゃふにゃした人形のようになっていた。
「あ!あそこの店、美味しそうなにおいがするぞ!」
「ハナス様......もう少しだけ我慢を......」
ソノマの声は、もはや懇願に近かった。その様子に、周囲の騎士たちから同情の眼差しが注がれる。
そんな騎士たちをよそに、シルベアだけは相変わらず元気いっぱいだった。まるで遠足に来た子供のように、目を輝かせながら街並みを眺めている。
「王城まであと少しです」と、先頭の騎士が告げた。
その言葉に、全ての騎士たちがほっと安堵の息をつく。特にソノマの表情が、まるで救われたかのように明るくなった。
しかし——。
「その前に、あそこの店によってかない?」
シルベアの無邪気な提案に、騎士たちの表情が一斉に凍りついた。
五十日間の長い旅は、まだ終わっていないのだ。
王城の大広間は、まるで天空の神殿のように壮麗だった。巨大なシャンデリアが天井から吊るされ、その光は無数の水晶によって七色に輝いている。床には深紅の絨毯が敷き詰められ、その上を歩く足音さえも吸い込んでいく。
「陛下への謁見です。礼儀正しく」ソノマは小声で念を押した。
老執事の声は震えており、額には既に冷や汗が浮かんでいた。シルベアの旅の様子を見てきた彼には、この謁見が恐ろしかった。ハナスの態度の悪さにはヒヤヒヤビクビクものだった。
巨大な扉が開かれ、そこには黄金の玉座に座る王の姿があった。
王は増幅の能力を持つという子供を前にして、幾分嬉しそうだった。だが、ぞんざいな声を投げかけた。
「おまえがハナスか?」
その瞬間、広間の空気が凍りついた。
しかし、シルベアは意に介する様子もなく、むしろ退屈そうに王を見上げると、思いもよらない言葉を返した。
「へえ、お前が王か。なーんだ、間抜けな面してるじゃないか」
「!?」
その言葉に、王の目が見開かれた。ソノマは気を失いそうになり、両足が震え始める。
「ぷっ、あはは!その顔!まるでカエルみたいだよ!」
シルベアの無邪気な笑い声が、広間に響き渡る。
「な、なんと生意気な子供だ!」王は玉座から立ち上がった。「わたしを誰だと思っているのだ!」
「えー?だって本当のことじゃない」シルベアは首を傾げる。「王様なのに、そんなにムキになっちゃって。大人げないなぁ」
ソノマは今にも卒倒しそうな表情で、必死に状況の収拾を図ろうとする。
「し、失礼いたしました、陛下!旅の疲れで......」
「黙れ!」王の怒鳴り声が響く。
広間の警備の騎士たちが、一斉に身構えた。重苦しい空気が場を支配する。
しかし、そんな中でもシルベアだけは、相変わらず楽しそうだった。
「わー、怒った怒った!顔が真っ赤になってる!」シルベアは手を叩いて喜ぶ。「ねぇソノマ、見てよ!王様の顔、まるでトーマトみたいだよ!」
「は、はい?......」もはや絶望的な表情でソノマは返事をする。
王の額には青筋が浮かび、玉座の肘掛けを握る手が震えていた。
広間は異様な空気に包まれ、誰もが事態の成り行きを固唾を呑んで見守っていた。
シルベアの「王城見学」は、この後さらに波乱を呼ぶことになるのだが
——それはまた別の物語である。




