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迫る紅の騎士団

 霧深きミストベールの空を、一羽のライホークが悠々と舞っていた。これは鷹のような魔物で、捕えようとすると雷のような電撃を放つ。その姿は雄大で美しく気高い。

 その瞳の中に宿るのは、魔術師エイラの意識。彼女の本体は領主城の最上階、霧見の間で静かに目を閉じ、ライホーク鳥の視界を借りて遥か上空から地上を見下ろしていた。


 紅の騎士団の接近は、まず光として捉えられた。

 幾百もの槍先が朝日に照らされ、霧の向こうで光の帯となって蠢いている。深紅のマントを翻し、重厚な甲冑をまとった騎士たちが、整然と進軍してくる様は、まさに圧倒的な威容そのものだった。


 街道沿いの集落では、人々が家々の中に逃げ込んでいく。

 商人たちは急いで店を閉め、母親たちは子供の手を引いて建物の影に身を潜める。

 ただ一つ、かすかに聞こえてくる音は、紅騎士団の軍靴と馬蹄の響きだけ。


「これは...」

 エイラの意識を宿したライホークは、さらに高度を上げた。

 騎士団の数は優に五百を超えている。その中央には、黄金の装飾が施された真紅の旗が翻っていた。


 エイラは素早く首飾りの魔石に触れる。本体の指が青く輝く魔石を包み込むと、ライホークの視界がエネルギーの帯となって魔石の中を駆け抜けた。


 農園では、ヨルセフがルシウスがロクスがナミダがハナフィサがハナスがリベットが執務用の小さな書斎で報告を待っていた。

 机の上に置かれた魔石が青く明滅し、エイラの声が響く。


「領主様、紅騎士団、確認しました」

魔石越しの声は少し歪んでいたが、緊張感は十分に伝わってきた。

「数およそ五百強。先頭には、ダーク・クリムゾンの旗...」


「国王直属、か」

ヨルセフは窓の外を見やる。農園の方角でも、いつもの霧が立ち込めていた。


「彼らの装備は最新のものです。魔術師部隊も帯同しているようです。おそらく、私たち魔術師への対策...」


「エイラ」

ヨルセフが静かに言葉を挟む。

「彼らの到着予想刻限は?」


一瞬の沈黙の後、

「現在の行軍速度を考えると、正午前には城下に到達するでしょう」


 ヨルセフは立ち上がり、机の上に広げられた地図に目を向けた。

 そこには、ミストベールの地形が克明に記されている。霧の濃淡まで丁寧に書き込まれたその地図の上で、領主の指が何かを探るように動いた。


「了解した。引き続き監視を」

「かしこまりました」


 魔石の輝きが消えると同時に、遠くで鐘の音が鳴り響いた。

 それは、ミストベールの歴史の中で、極めて稀にしか鳴らされない警鐘。

 街の人々は、その重い響きに身を竦ませる。


 ヨルセフは再び窓の外を見た。

 霧は相変わらず立ち込めているが、どこか様子が違っていた。

 まるで...意志を持っているかのように、ゆっくりとうねりながら、農園を包み込もうとしているように見えた。



 領主の書斎に響いた警鐘の音が消えても、その余韻だけが長く心に残り続けていた。


 窓際に立つルシウスの拳が、音もなく壁を打った。

「くそ...国王直属の騎士団まで用意して、そんなにここの善良な民を捕らえたいというのか」

その声は怒りに震えていたが、その奥には深い悲しみが潜んでいた。


ヨルセフは窓の外を見たまま、静かに答えた。

「善良でも...もとは奴隷だからな。彼らからしてみれば、我々は秩序を乱す国賊なのさ」

その言葉には、世の理不尽さへの諦念が滲んでいた。


「みんな...捕まっちゃうの?」

 小さな声が部屋の空気を震わせた。

 ハナスの瞳には、大人たちには見えない何かへの恐れが浮かんでいた。幼い彼にとって、農園で暮らす人々は、もう家族同然だったのだ。


 ハナフィサは黙ってハナスを抱きしめた。その腕の中で、幼い息子の肩が   小刻みに震えているのを感じる。彼女は何も言えず、ただ強く、より強く息子を抱きしめることしかできなかった。


「あの数の騎士団とやりあっても、勝ち目はない」

ヨルセフは窓から離れ、重たく椅子に身を沈めた。

「悔しいが...手の打ちようがないな」


その言葉に、誰も反論できなかった。

部屋の中は重苦しい沈黙に包まれ、それぞれが自分の無力さと向き合っていた。


書斎の窓からは、農園で働く人々の姿が見える。

彼らは今日も、いつものように畑を耕し、水を運び、互いに言葉を交わしている。その何気ない日常が、まもなく失われようとしていることを、まだ誰も知らない。


ハナフィサの瞳に、こみ上げる涙が光った。

でも彼女は、息子の前で泣くまいと必死にこらえている。

その横で、リベットの猫耳が悲しげに垂れ下がっていた。


アークスは窓の外を見つめ、ロクスは壁に寄りかかったまま目を閉じ、ナミダは握りしめた手が震えるのを必死に抑えている。

それぞれの胸の内には、同じ悔しさが渦を巻いていた。


外では変わらず霧が立ち込め、淡い日差しが差し込んでいる。

その光は、まるで彼らの無力さを照らし出すかのように、むなしく書斎の床を照らしていた。


皆の立てる微かな音だけが、重苦しい空気の中に溶けていく。

誰もが何かを言いたげで、でも誰もが言葉を見つけられない。

ただ、迫り来る運命の重さだけが、この部屋を支配していた。

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