帰ってきたハナス
アークスが農園に到着したとき、朝の光はようやく霧を透かし始めていた。
耕地では何十もの様々な種族が忙しく立ち働いており、誰が元々の農園の者で、誰が亡命してきた者なのか、もはや見分けがつかないほどだった。アークスは馬を止め、周囲を見渡す。この数ヶ月で風景が大きく変わっていた。
新しい建物が幾つも建ち並び、その多くは簡素ながらも丁寧な造りの宿泊所だった。それらの建物の間を、包帯を巻いた人々が行き来している。ある建物からは呻き声が漏れ聞こえ、白い布を手にした女性が慌ただしく出入りしていた。
「まだ傷が癒えない者も多いのか...」
アークスが呟いたとき、見覚えのある声が聞こえてきた。
「みんな、休憩の時間だ!水を飲んで、少し身体を休めるように」
振り向くと、ルシウスが大きな声で作業をしている人々に呼びかけていた。その傍らには、アズラの丘の特徴的な衣装をまとった女性、ハナフィサの姿があった。彼女は籠に入ったパンを配りながら、時折誰かの肩に優しく手を置いては言葉をかけている。
「ルシウス様、ハナフィサ様」
アークスは二人に近づきながら声をかけた。
「おお、アークスか」
ルシウスが振り向く。日に焼けた顔に笑みを浮かべたが、すぐにアークスの表情を見て硬くなった。
「何かあったのですね」
ハナフィサが静かな声で言った。彼女の賢明な瞳は、すでに事態の深刻さを察していたようだった。
「はい...」
アークスは一旦周囲を確認してから、声を落として続けた。
「王都から、紅騎士団が動きました」
その言葉に、ルシウスとハナフィサは顔を見合わせた。
「やはり来るのですね」
ハナフィサの声は静かだったが、強い意志が感じられた。
「あの人たちを、また鎖に繋ぐために」
「私たちの判断は間違っていなかった」
ルシウスは農園を見渡しながら言った。
「彼らはここで、ようやく人として扱われているんだ。誰一人、返すわけにはいかない」
作業を終えた者たちが、木陰で休憩を取り始めていた。誰かが子供を抱き上げ、誰かが隣の者と言葉を交わし、誰かが優しく微笑んでいる。そんな何気ない光景が、今、脅かされようとしていた。
「領主様も後から......。」
アークスが言いかけると、霧の向こうから馬の蹄の音が近づいてきた。
霧の向こうから姿を現したのは、一頭の馬に跨る二つの小さな影だった。先頭の馬上では、猫の耳をした少女リベットが、幼いハナスを優しく抱きかかえるように支えている。少年の藍色の髪は朝風に揺れ、その笑顔は朝日のように輝いていた。
「お父様!お母様!ただいま!」
ハナスの声が、朝の農園に響き渡る。
その後ろからは、ヨルセフの家臣 として知られるロクスと、その隣では青い髪をなびかせたナミダの姿も見えてきた。おや?ナミダの馬にもナミダに抱えながら、ちょこんと子供が乗っているように見える。
馬達も疲れた様子で、旅の跡を窺わせる。
「ハナス!」
ハナフィサは思わず駆け寄ったが、息子たちの表情に何かを感じ取ったのか、その場に立ち止まった。
リベットは慎重に馬を寄せ、ハナスを抱き下ろす。彼女の猫耳がピクリと動き、周囲の緊張した空気を察知したように微かに震えた。
ハナフィサはすぐにハナスを抱きしめた。
「みんな、よく無事で帰ってきてくれた」
ルシウスが声をかけると、ロクスとナミダも馬から降り立った。
「怖い怖い (汗」と言いながら、ナミダに抱えられて、子供も、いや珍しい小人族だ。も馬から降ろされる。
「ただいま戻りました、ルシウス様」
ロクスが深々と頭を下げる。その横でナミダも静かに会釈した。
「農園で何かあったの?」
ハナスが不安そうな目で大人たちを見回す。父と母、そしてアークスの表情の硬さが気になった。
リベットは優しくハナスの肩に手を置き、
「坊ちゃま、まずは朝食を。長い旅でお腹が空いているでしょう?」
と気を紛らわせようとしたが、
「待って」
ハナスは小さな体で前に出た。
「何か...良くないことが起きてるんでしょう?僕にも教えて」
一瞬の沈黙が流れた後、ロクスが重い口を開く。
「旅の途中、王都からの騎士団と遭遇しました」
「紅騎士団ですか?」
アークスの問いに、ナミダが頷く。
「私たちが見かけたのは、まだ偵察隊だけでした。でも...」
彼女は言葉を選びながら続けた。
「大規模な部隊が、その後ろに続いているのは間違いありません」
ハナフィサはハナスの胸に顔をうずめた。ルシウスはため息をつきながら空を見上げた。朝もやは晴れ始めていたが、新たな影が忍び寄ろうとしているのを、誰もが感じていた。




