表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

38/114

アークスの報告

 まだ夜の名残が空に残る頃、ミストベールの領主ヨルセフは普段通り、井戸端で顔を洗おうとしていた。朝もやが低く垂れ込め、湿った空気が肌を包む。


「領主様」


 突然の声に、ヨルセフは水を含んだ手を止めた。振り向くと、薄靄の向こうからアークスの姿が浮かび上がってくる。その姿は疲れを帯びていたが、何か重要な発見があったことを予感させた。


「おお、アークスか。戻ってきたのだな」


 ヨルセフは手ぬぐいで顔を拭いながら言った。


「はい。王都の先、フロストパイン港まで足を延ばし、老賢者をはじめ多くの方々から話を伺ってまいりました」

アークスは一歩前に出て、深いため息をつく。


「それで?聖なる鍵についての手がかりは?」


「...はい。ですが、私たちが探していたものとは、かなり異なるものかもしれません」


 アークスは言葉を選びながら続けた。


「聖なる鍵は、私たちが想像していたような物ではないようです。それは...」


「ふむ?」


ヨルセフは眉をひそめた。


「はい。どうやら、生きた人間のことを指しているようなのです」


アークスの言葉に、朝の静けさがより深まったように感じられた。


「なんと...聖なる鍵が人間とはな」


ヨルセフは顎に手をやり、考え込んだ。


「その人物について、何かわかったことは?」


 アークスは首を横に振る。


「残念ながら。その人物が今どこにいて、何をしているのかまでは、誰も知らないようでした。まるで霧の中を手探りで進むようなものです」


「霧か...」


 ヨルセフは周囲の朝もやを見つめながら、苦笑を浮かべた。

「我がミストベールにふさわしい謎だな」



 それから、アークスは一瞬ためらった後、再び声を上げた。

「領主様、もう一つ...報告すべきことが」


 その声音に、ヨルセフは振り返った。アークスの眉間には深い皺が刻まれていた。


「王都の動きについてです」

アークスの言葉に、朝もやさえも緊張を帯びたように感じられた。


「ヴェルディアか」

ヨルセフの声が低く沈む。


「はい。ルシウス様の農園のことで...」

 アークスは言葉を選びながら続けた。


「世界各地から奴隷たちが逃れてきて、農園に亡命している件です。これが王の耳に入り...」


「やはり動き出したか」

ヨルセフは井戸の縁から立ち上がり、霧の向こうに広がる領地を見やった。


「各地の貴族や領主たちが、秩序の崩壊を懸念しているようです。何より...」

アークスは一瞬言葉を切った。

「ヴェルディア王が直々に事態を重く見ています」


 冷たい朝風が二人の間を通り過ぎた。


「すでに王都の紅の騎士団が編成され、ミストベールへ向かっているという確かな情報を得ました」

アークスの報告に、ヨルセフの表情が一層厳しさを増す。


「ルシウスには知らせは?」

「まだです。この報告の後、すぐに農園へ向かうつもりでした」


ヨルセフはゆっくりと目を閉じ、開いた。

「あの農園は、逃れてきた者たちにとって最後の希望なのだがな...」


「領主様、どうされます?」


「...アークス、鍵の事はいったん後回しだ」

ヨルセフは毅然とした声で言った。

「まず、ルシウスのもとへ向かってくれ。私も後から参る。」


「かしこまりました。ですが、王都紅騎士団が」


「心配するな」

ヨルセフは微かに笑みを浮かべた。

「ミストベールの霧は、招かれざる客には優しくない。時間は稼げよう」


アークスは深く一礼し、来た時と同じように霧の中へと消えていった。残されたヨルセフは、東の空を見上げる。

朝日は完全に昇りきっていたが、ミストベールの霧は一向に晴れる気配を見せなかった。まるで、この地を守るかのように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ