ナミダの願い
ナミダは農園へつづく道を歩いていた。隣にはロクスがいた。
何故ついてくるのか?一人で行けるとナミダはいったが、ロクスは心配だからの一点張りだった。
村が数年前に盗賊団に襲われて、ナミダの母は生き残ったものの、ひどい傷をおって、今も後遺症に煩わされていた。
だからナミダはドラン盗賊団に侵入し、密かにドランに復讐しようとしたのだ。
母は、現在よその村で寝たきりでいる。あちこち傷つけられて、傷が引いても体中の痛みに悩まされ続ける状態だ。
希少なハイヒールを使える治癒魔術師に診てもらえば、あるいは治るかもしれないが、この世界にナミダが払える金で治療を請け負ってくれるような奇特な人がいるとは思えない。
そんな時、ハナスオイルについて耳に挟んだ。ナミダはさっそくオレジのオイルを購入し、母に嗅がせてみた。ナミダの母は、オイルの香りで今までの痛みが嘘のように安らいだ顔になり、その時はぐっすりと眠りについた。
翌日には、店員に教えてもらったように陶器に水を入れ、オイルを数滴たらし、蝋燭で温めて部屋中に香りを充満させた。
こちらもすごい効き目で、母はぐっすりと安らいだ眠りにつくことが出来た。
だが、完全に痛みから解放されたわけではない。ご飯を食べるとき、水浴びをするとき、用を足すとき、痛みはその時々で母を苦しめる。
それならばと、ナミダは思い立った。販売、製造もとの農園へ出向き、このハナスオイルの開発者に訊けば、もっと良い精油が手に入るかもしれない。
なんでも、オイルの開発者はハナスという人物で、まだ幼い子供らしい。
それに、ヨルセフの右腕でルシウスという人物がいるが、ナミダは少し見ただけで直接話したことはなかったが、なんとも親しみやすそうな人物に見て取れた。
ハナスはそのルシウスの息子というではないか。ものすごく遠いながら、まったくの他人というわけではあるまい。
ナミダはそう無理やり思い込んで、農園を目指した。母に元気になってもらいたい。その強い思いがあった。
ナミダとロクスは、やがて農園の入り口に到着した。
「わあ...」ナミダは思わず声を上げた。
目の前に広がる光景は、彼女がこれまで見たこともないような開放的な空間だった。広々とした農園には、色とりどりの花々が咲き乱れ、その向こうには整然と並んだ畑が地平線まで続いているように見えた。
ロクスも驚いた様子で、「こんなに大きな農園だとは思わなかった」と呟いた。
ナミダは頷きながら、「本当に...ここは別世界みたい」と返した。
彼らが農園の中に足を踏み入れると、そこではドワーフや人間、獣人たちが和気あいあいと働いている姿が目に入った。種族の違いを超えて、みな笑顔で会話を交わしながら協力して作業をしていた。
「見て、ロクス」ナミダは目を輝かせながら言った。「みんな仲良く働いているわ。こんな光景、他ではほとんど見たことがないわ」
ロクスはうなずきながら、「確かに珍しいな。ここの人たちは本当に幸せそうだ」と同意した。
二人が歩を進めると、周囲から心地よい香りが漂ってきた。ナミダは深呼吸をして、その香りを味わった。
「これが...ハナスオイルの香り?」彼女は思わず問いかけた。
ロクスも鼻を膨らませて匂いを嗅ぎ、「ああ、間違いないな。君の母さんを元気にしてくれた香りだ」と答えた。
彼らは農園の中心部に向かって歩きながら、周囲の建物にも目を向けた。どの建物も美しく設計され、丁寧に手入れされていた。白い壁に赤い屋根、窓辺には色とりどりの花が飾られていた。
ナミダは感嘆しながら言った。「ここの建物、とても綺麗ね。まるで絵本から飛び出してきたみたい」
ロクスも同意して、「ああ、本当だな。ここの人たちは建物の手入れも怠らないんだろう」
二人は農園の中心にある大きな建物に向かって歩き続けた。そこでハナスに会えるかもしれないという期待と、母を助けられるかもしれないという希望を胸に、ナミダは一歩一歩を踏みしめていった。
ナミダとロクスは農園の母屋に足を踏み入れた。建物の外観も美しかったが、内部はさらに驚くほど洗練されていた。
「わあ...」ナミダは思わず声を上げた。「こんなに素敵な場所だなんて」
ロクスも感心した様子で周りを見回した。「本当だな。まるで貴族の館みたいだ」
二人は広々としたエントランスホールを抜け、まず客人用の応接室を覗いてみた。そこでは数人の来客が優雅にお茶を楽しんでいた。
「ハナスくんはここにはいないみたいね」とナミダはつぶやいた。
「次はどこを見てみようか?」ロクスが尋ねた。
彼らは廊下を進み、精油の展示室に到着した。部屋には様々な香りのオイルが美しく並べられ、その効能が丁寧に説明書きされていた。
ナミダは興味深そうに展示を眺めながら言った。「ねえロクス、これらのオイル、どれも母の役に立ちそうだわ」
ロクスは頷いた。「そうだな。これは立派な展示だな」
二人が部屋を出ようとしたとき、館内に声が流れた。魔石を使ったものだと二人は察した。
「お客様にお知らせいたします。本日のランチタイムはシェフお勧めのエルドラのグリフォンステーキで御座います。間もなくレストランにてご用意できます。」
ナミダとロクスは顔を見合わせた。
「レストラン?」ナミダが言った。「もしかしたら、ハナスくんがそこにいるかもしれないわ」
彼らはすぐにレストランへ向かった。扉を開けると、そこには多くの人々が食事を楽しみながら談笑している様子が広がっていた。
「ロクス、あの子がハナスくんかしら?」ナミダは窓際の席にいる銀髪の少年を指さした。
ロクスが首を振った。「いや、ハナス君は藍色の髪らしいよ」
彼らはレストラン内をゆっくりと歩き回り、ハナスらしき姿を探した。
「あの、すみません」ナミダは勇気を出して、近くのウェイトレスに声をかけた。「ハナスくんをご存じありませんか?」
ウェイトレスは申し訳なさそうに首を振った。「申し訳ありません。ハナス様なら、今日は朝早くから出かけていると聞いています」
ナミダは肩を落とした。「そうですか...ありがとうございます」
ロクスがナミダの肩に手を置いた。
二人はレストランを後にし、再び館内を歩き始めた。途中、おやつを食べる子供たちや、談笑する大人たちの姿を見かけた。
ナミダは周囲を見渡し、居ないはずのハナスの姿を探した。広大な農園には様々な人々が行き交い、活気に満ちていたが、幼い少年の姿は見当たらなかった。
その時、何だかしょんぼりしている二人のもとへオオカミの姿の獣人がやって来た。
「お前たち、坊ちゃんを探してるんだって?朝早くリベットちゃんと一緒に出掛けたからなあ」
獣人が言うと
ナミダの表情がさらに曇った。「そうですか...」
獣人はナミダの落胆した様子を見て、「おや、そんな残念そうな顔するな」と言った。そして、少し考えてから付け加えた。「なんなら、もう一人の坊ちゃんならいるぜ。着いてきな」
ナミダとロクスは驚いて顔を見合わせた。
「もう一人の...坊ちゃん?」ナミダは首を傾げながら尋ねた。「兄弟でもいるのかしら?」
獣人は楽しそうに笑いながら歩き出した。「ああ、そうじゃねえよ。」
ナミダとロクスは好奇心に駆られて、獣人の後についていった。農園の中を歩きながら、獣人は説明を続けた。
「なんでもよお、坊ちゃんは最近AIってのを作りたいらしくてな。それでもう一人の坊ちゃんが生まれたってわけだ」
ナミダは不思議そうな顔をした。「えーあい?それって何ですか?」
獣人は肩をすくめた。「そんなこと俺に聞かれても困るぜ。気になるんなら、坊ちゃんに訊いてみな」
ナミダが「どっちの...」と聞こうとした瞬間、獣人が指をさした。
「ほら、あそこにいるのがもう一人の坊ちゃんだ」
ナミダとロクスが目を向けると、そこには小さな少年が立っていた。
それじゃあな、と言って獣人は足早に去っていった。ありが......と、と言いかけたがもう彼の姿はなかった。
それから思い直して、ナミダはもう一人のハナスに声を掛けることに決めた。藍色の髪の子供は何やら土を見ているようだ。
「あの、ハナスくん...?」ナミダが恐る恐る声をかけると、子供は振り返った。
「ああ、俺がハナスだ。お前ら誰だ?」
ナミダは子供の唐突な物言いに驚いた。「あ、あの...私はナミダといいます...」
「ああ、わかった」ハナスは話を遮った。「お前、早く来い。案内してやる」と言って、そそくさと歩き出す。
「えっ、ええっ」
ナミダは戸惑いながらもハナスについていった。ロクスは苦笑いを浮かべながら後に続いた。
「ねえ、ハナスくん」ナミダが尋ねた。「さっき獣人さんが言っていたえーあいって...」
「ああ、それか」ハナスは歩きながら説明した。「人工知能のことだ。」
「じんこう...ちのう?」ナミダはますます混乱した。
「そうだよ。お前みたいなバカでも分かるように言えば、頭のいい人形みたいなもんだ」
ナミダは頬を膨らませた。「失礼ね!...」
「おっと、着いたぜ」ハナスは突然立ち止まった。「ここが俺の研究室だ。入れよ」
ナミダとロクスは顔を見合わせた。この不思議な子供との出会いが、どんな展開を生むのか想像もつかなかった。




