天族の力
サイノッテ城の優雅なサロンでは、皇后マリエルと魔族長テローサがお茶を楽しんでいた。薔薇の香りが漂う中、ふたりは和やかに談笑していたが――
「ちっ!」
突然、テローサがこめかみを押さえて声を上げた。お茶のカップがガチャンと揺れ、琥珀色の液体がソーサーにこぼれた。
「どうしたのです!テローサ!」
マリエルは慌てて身を乗り出し、テローサの肩に手を置いた。テローサの表情は青ざめ、目は虚空を見つめている。
「姉さんが...マリエル様!姉のテッサリアの声が確かに聞こえたんです!」
「なんと!」
マリエルの紫水晶のような瞳が大きく見開かれた。テローサは震える手で胸に触れながら続けた。
「『テローサ...どうか気をつけて...』と...確かに聞こえました」
マリエルは深紅色のドレスの裾を翻しながら、テローサの前にひざまずいた。
「じゃあ、そなたの姉上は...生きておるのだな?」
テローサはゆっくりと、しかし力強く頷いた。彼女の髪が窓から差し込む陽光にきらめく。
「ええ、きっと生きています。離れた相手から声が届いたのはこれが初めてですが...今のは決して死者の声ではありませんでした!」
マリエルは思わずテローサを抱きしめた。薔薇の香りがふたりを包む。
「そうか...良かった。本当に良かった」
マリエルの声には喜びが溢れていたが、すぐに表情を引き締めた。
「しかし、何に気をつけてと言ってるのだろう...?」
テローサは立ち上がり、窓辺へと歩み寄った。城下町を見下ろしながら、彼女の指が窓枠をきつく握る。
「姉さんが危険を感じている...何かが迫っているのです」
マリエルも立ち上がり、テローサの横に並んだ。二人の影が長く床に伸びる。
「ならば、我々も準備をしなければならないな」
テローサは頷き、決意に満ちた眼差しをマリエルに向けた。
「はい...姉さんの居場所も、この声の手がかりから探り当てましょう」
遠くで鐘の音が響き、二人の間に静かな決意が生まれた。
新設された学校の校庭は、まるで豊かな森の一角を切り取ったような場所だった。陽光が木々の間からこぼれ落ち、地面には揺れる木漏れ日が模様を描く。その柔らかな光の中、ハナスとハスが肩を並べて立っていた。
「ぐぬぬぬぬ……!」
ハナスが真っ赤な顔で拳を握りしめる。借り物の杖を構えたその手には力が入りすぎて、指の関節が白くなっていた。しかし、いくら力を込めても、杖の先からは一滴の水も現れない。
「ほら、ハナス」
ラウラ先生が優しく声をかける。彼女はハナスの横にしゃがみ込み、そっと肩に手を置いた。
「力んでないで、肩の力を抜いて。魔法は『力』じゃなくて『想い』で起こすのよ。さあ、私と一緒に唱えてみて」
ハナスは深く息を吸い、ラウラの言葉に耳を傾ける。
「『ひとしずくの契りが、わを紡ぎ……』」
ラウラの声に合わせ、ハナスもゆっくりと唱和する。
「『波紋は天の脈動となり……』」
その瞬間、ラウラの杖がふわりと光り、空中に弧を描く。
「『潤せ! 渇きし世界のひだまで!』」
――シュワッ!
杖の先から勢いよく水流が噴き出し、それはまるで生き物のようにうねりながら空へと昇っていった。陽光に照らされた水の帯は虹色に輝き、やがて遠くの空へと溶け込むように消えていった。
「す、すごーーーい!!」
ハナスが目を丸くして叫ぶと、その声を合図のように、周りから一斉に拍手が湧き上がった。
「ラウラ先生、さすがです!」
リリスとリベットが駆け寄り、レナも満面の笑みで手を叩いている。ハスは感嘆したように空を見上げ、まだ消え残った水のきらめきを目で追っていた。
ラウラは満足そうに頷き、ハナスの頭を軽く撫でる。
「ほら? 力まなくても、魔法はちゃんと応えてくれるでしょう?」
ハナスは照れくさそうに頬を染め、小さく頷いた。
「はい……! でも、本当に僕にできるでしょうか?」
その言葉に、ラウラの目が優しく細まった。
「君にはすごい祝福の魔法があるじゃない。そのうちきっと他の魔法も使えるわよ――」
風が吹き、木々の葉がさらさらと揺れる。校庭には再び穏やかな時間が流れ始めた。
「さて、次はハスの番ね」
ラウラが微笑みながら見守る中、ハスはゆっくりと杖を構えた。彼は落ち着いた呼吸で、先生の詠唱に合わせて声を重ねていく。
「『ひとしずくの契りが、わを紡ぎ……』」
その声は穏やかだったが――
ピカーッ!
突然、ハスの杖が信じられないほどのまばゆい光を放ち始めた。リリスが思わず目を覆い、レナが「まぶしっ!」と声を上げる。
「『波紋は天の脈動となり……』」
ハスの声に合わせ、杖の光はさらに強まり、周囲の木漏れ日さえも飲み込むほどの輝きを放つ。地面に落ちた影が不自然に揺れ始めた。
「……これは普通じゃ……」
リベットが警戒するように後ずさりする。
「『潤せ! 渇きし世界のひだまで!』」
ハスが最後の一節を唱え終えた瞬間――
ゴォォォン!
地面が激しく震え、ハスの足元から水の柱が噴き上がった。それはたちまち巨大な渦となり、轟音とともに周囲の空気を巻き込んでいく。
「わわっ!?」
ハナスが転びそうになり、ラウラが咄嗟に支える。暴風が校庭を駆け抜け、木々の葉が激しく舞い上がる。
「こんな……ただの基礎魔法で……」
ラウラの目が大きく見開かれる。彼女ですら見たことのない規模の魔力が、ハスの小さな体から溢れ出していた。
水の渦は竜巻のように空へと昇り、雲を突き破って遠くへ消えていった。やがて風が静まり、校庭には不自然な静寂が訪れる。
「……え?」
ハスはぼんやりと自分の杖を見つめ、それから周囲の呆然とした顔ぶれを眺めた。
「あの……これ、普通じゃないですよね?」
リリスが真っ先に飛び出し、ハスの肩を激しく揺さぶる。
「普通じゃないわよ!? あれは『渇きを潤す』程度の初級魔法でしょ!? なんで台風みたいなのが出るのよ!?」
ラウラは深く息を吸い、ハスに向き直った。彼女の目は真剣さに輝いている。
「ハス……あなた、最近何か変わったことに気付いていない?」
ハスは首を傾げる。
「えっと……昨日から、お茶を飲むとお湯が勝手に冷めるようになったくらいですか……」
一同が凍りつくような沈黙に包まれる中、リベットが乾いた笑いを漏らした。
「……どうやら、うちの学校に『ただものじゃない子』が転がり込んだみたいだね」
遠くで、消えていった水の渦の残りが虹を描いていた。
これが天族の力か.......。
ラウラは心の中で小さく呟いた。




