trois
「ツバキ様はマリア様とは会いましたか?」
「私は会っていません。その辺のやり取りは別の人がしているから大丈夫です。私はこの話を進める方が大事ですので」
我が家の応接間で、ツバキ様はリラックスした様子で話している。
舞踏会の翌日、ツバキ様は我が家にやってきた。昨日の話の続きをするため、らしい。
「今日も和装なんですね」
「そうなんです。私達は帝国の民としてこの国の人達に舐められないように格好には気を使っている上に、私は『神の子』ですから」
「そうですか。帝国の人は、このようなドレスを着ることはあるのですか?」
私は今着ているドレスを指さす。
淡いピンクで、家用だからフリルやリボンは控えめだけど、コルセットでウェストを絞って、腰から下もひろがっている。
この国では当たり前であり、これ以外の格好を公式な場ですることを私は想像できない。
「コルセットを使うことはほとんど帝国ではありません。そうですね、帝国では徐々に服装の男女差が無くなってきているのです」
「となると帝国へ行くと、このような格好はできなくなるのですね」
それは残念だ。
帝国風とはいえ、ドレスを着ることはできるかもしれない。しかし今まで馴染んでいたドレスに愛着があるから、素直に寂しい。
「そうです。特に末っ子様が暮らしている国ではドレスを着ている人はほぼいらっしゃいません。あそこは前世暮らしていた日本と生活をかなり似せていますから」
「そうなのですか?」
前世では今では考えもしたくないような格好で生活していた。それが普通の世界となると、確かにこの格好じゃまずい。
「そこで今着ている服はほとんど処分して、新しい服を買った方が良いです。シンプルなデザインのワンピースなら、あの国でも大丈夫です」
ワンピース、部屋着にすることはあっても、人と会うときは着ない。そもそも貴族がプライベートでないときはワンピースを着ることなんてありえないのに、あの国に行けばそれが日常となるなんて。考えたくもない。
「末っ子様は帝国では戻らないのですか?」
末っ子様が帝国に戻るのなら、私もドレスを着て生活することができる。
それに帝国の皇族が他国で生活する。皇族がどの国の王族と比べることすらできない尊い存在、そう帝国で扱われていると聞いたことがある。それじゃあなぜ他国で暮らしているのか、分からない。
「帝国では暮らせないほどの事情があるのです。それに今末っ子様が住んでいらっしゃる国は鎖国していますから、他国へ出ることは出来ません。そこで末っ子様は帝国へは戻られないと思います」
「鎖国状態だから他国へは戻れない、ということは末っ子様に嫁げば、この国へ私は戻ってくることはできないってことですか?」
「はい、そうです。一度あの国へ入れば、もう二度と出ることはできません。末っ子様ももう二度と帝国へ戻らないことを覚悟して生活しています」
「手紙のやり取りはできますか?」
「それも無理です。帝国とのつながりすらあの国は難しいのです。そこでこの国とあの国で、手紙をやり取りすることは不可能でしょう。今までこの国はあの国とやり取りしたことありませんし」
「そうですか。となれば嫁いでしまったら、この国とはお別れなんですね」
「そうなります。だけど大丈夫です。あの国には異世界転移した人が多いそうです。しかも私達が前世生きていた国からの転移者ですから、きっとすぐなじみます」
「そうかもしれませんが……」
王子の婚約者として、ずっとこの国で暮らしていくと思っていた。
家族に友人、そして今まで暮らしてきた街。これらとお別れして、今までとは全く違う国に暮らすことに不安しかない。
「ツバキ様が末っ子様と婚約されたらどうでしょうか? 色々と詳しいのですから、私よりも向いています」
「残念ながら末っ子様のことを知りすぎているから、私では駄目なのです。リリニア様のように『神の子』であり、何も末っ子様のことを知らない人しか、できないのです」
「でも私、帝国語は上手じゃありませんし」
一通り学んだとはいえ、日常的に帝国語を使うのは無理だ。帝国は遠いから、他の国ほど熱心に言語を学んだわけではないし。それで帝国で暮らしていた人相手に、会話を旨くする自信は無い。
「それは大丈夫です。末っ子様も『神の子』で、日本語ペラペラですから」
「皇族で『神の子』ですか?」
「そうです。そこで青と黒のグラデーションカラーなのです」
皇族で『神の子』。
そんな貴重な存在を他国に出す。そこに帝国の闇があって、怖い。
「末っ子様に嫁ぐのは『神の子』じゃないと駄目なのですか?」
「はい、そうです。末っ子様はこの世界の人と価値観があいませんから、尚更です」
「しかも帝国の『神の子』では駄目なのですよね?」
「はい、そうです。帝国の人は末っ子様の事情をご存じですから駄目なのです」
「その国の言葉、私分からないです」
断るために、思いついたことを話す。帝国から離れたこの国とは関係ない国、ならば言葉は全く違うはず。そこで私は普通に会話ができない、ということで大丈夫な気がした。
「日本語で大丈夫です。日本に似せている国ですから普通に通じます。そうだ最近この国ではある恋愛小説が流行っているって聞きました。あれ実は日本で書かれたものを我が国で翻訳して、その翻訳された本がこの国でまた翻訳されて売られているんです。そこであの国へ行けば、原本が読み放題です」
「それは興味ないです。この国でも恋愛小説は読めますから」
「そうですか? 最近は婚約破棄された女性が別の男性と結婚する小説が流行っているようです。あなたもそんな風に幸せになってみませんか?」
「いや別に興味ないですし」
物語の主人公みたいな、キラキラとした生活を送りたいわけじゃない。
ただ王子の婚約者として、ゆくゆくは王妃として国のために働きたかっただけ。
「考えてみてください。前世の記憶があって、この国で辛い思いをしたこともあったでしょう。それならあの国での生活の方がきっとなじみますよ」
ツバキ様は笑顔になる。
私はこの国で貴族として生活することが当然だと思っていた。
そこで別の国へ行って、今まで会ったことの無い人に嫁ぐ。そうすることに対して、今よりよくなるイメージが湧かない。