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皎天 弐  作者: うちょん
9/11

第九獄 【往】



 毎日を生きよ。あなたの人生が始まった時のように。

               ゲーテ


















 第九獄【往】














 「閻魔様、起きてください。まだ仕事は山のように残っているんです。それなのになぜそんなすやすやと気持ちよさそうに眠っていられるんですか。最近では人間たちが多く死ぬせいで仕事が溜まる一方なんです。どうしてこういう事態となっているのか調査もしたいところですがそのような時間を取ることも出来ていませんね。それは閻魔様がちゃんと仕事をこなしていないからに他なりません。雲幻と浮幻からの報告書も目を通していただかないと困りますよ。それと」

 「おおおおおおおおおおイッ!!!!いきなり部屋に入ってきて労ってくれるのかと思ったらいきなり何?!上司である俺を嬲りにきたわけ!?そんなことある!?そもそもすやすや寝てたわけじゃねえからな!!ここ一か月ずっとずうううううううううううううっと仕事してっから意識飛んだの!意識手放したの!怖いくらい飛んだの!気を失ったの!!!三途の川が見えたから!俺でさえ見えたから!!!!」

 「わかりました。では、こちらも進めてください」

 「拷問だよ。これはもう拷問」

 「韻でも踏もうとして失敗したんですか?」

 「してねえよ。んなお茶目なこと言う元気今の俺にはねえよ。人間に拷問されてる俺に慰めの言葉はねえわけ?」

 「別に拷問されてるわけではないので。ただの仕事なので」

 「言い方な!確かに仕事なんだけどさ!!」

 「そもそも人間は閻魔様はこのような地道な仕事をしているなどと思ってはいません。人間はそこまで閻魔様に興味がありません。他人に興味がありません。ですので早くしてください」

 「・・・・・・無理。もう無理。少し休まないと脳みその機能が正常に動かない。俺の直感」

 「確かに。睡眠は大切ですね」

 「よし!!!!じゃあ寝るか!!!」

 「では五分休息を取ったら再開しましょう」

 閻魔はそれを聞いた瞬間部屋から出てダッシュした。

 小魔は追いかけることはしないが、デスクの上に重なっている資料の山を見てため息を吐くのだ。




 「やっと休める・・・よく頑張ったよ俺。すごいよ俺。相当追い込まれてるよ俺。ゆっくり寝よう俺。小魔に邪魔されないようにゆっくりたくさん寝よう俺」

 自室のさらに奥の部屋に逃げ込んだ閻魔は、そこで体を横にする。

 ぐっすり寝ていた閻魔だが、なんだか耳元が五月蠅くなり、強制的に眠りから覚めることとなる。

 「・・・・・・」

 「起きたか」

 「寝てる」

 「目が開いた。起きたな」

 「寝てた。すごく気持ちよく寝てた」

 「寝てた。過去形だな。つまり今は起きてるという解釈で間違いはなさそうだな」

 「正確に言うと、まともに寝てなくてようやくぐっすり寝られると思って気持ちよい眠りの波に飲まれた途端に体と脳みそ揺さぶられてさらにはホッペ叩かれて拷問的に眠りから覚めたから気分的に最悪」

 「じゃあ仕事手伝いに来てやったが帰ることにしよう」

 「なんて目覚めの良い朝なんだろう。よろしく頼むよ」

 閻魔を無理矢理起こした男は、閻魔が寝ていた奥の部屋にまで平然と入ってきたようで、ドア付近で小魔が驚いたような表情をしていた。

 大きな砂時計があるその部屋から二人して出てくると、男は後ろから歩いてくる閻魔に向かってこう言う。

 「お前寝ないのか」

 「え、寝ていいの。じゃあなんでわざわざ起こしたの」

 「嫌がらせ」

 「嘘だろ。まじかよ!一番いい眠り加減で起こしてきたくせに!それなら俺のこと起こさずに静かに仕事手伝ってくれりゃよかっただろ!!」

 「数日前に小魔から連絡があって急いで来てやったんだぞ。俺だって暇じゃねンだ。着いたときにお前が寝てたからムカついたんだよ。だからもう寝ていいぞ」

 「本当にただの嫌がらせじゃん」

 「今のお前じゃどうせ仕事にならねえから寝てろ」

 「やった」

 結局閻魔は一度無駄に起こされただけになったが、そのまま部屋から出ることなく再びベッドへと向かった。

 男は部屋から出ると、小魔の横を通り過ぎて閻魔の仕事部屋へと足を進める。

 小魔は男の後ろ姿を眺めたあと、閉まっている閻魔の部屋のドアを見つめ、それからすぐに男の後を追う。




 男は部屋を躊躇することなく開けると、いつもは閻魔が座っているその椅子に無遠慮に座る。

 「・・・・・・」

 男が仕事をする姿を見つめていると、目の前の資料をさばきながら、男は小魔に視線を移すことなく声をかける。

 「何か用か」

 「いえ、特には」

 ただひたすらに黙々と作業をしている男に、小魔はコーヒーを用意する。

 書類の整理などをしていると、閻魔のときとは違う緊張感のような、少し張り詰めた空気が流れる。

 その空気に耐えられなかったわけではないのだが、小魔は先ほどの男の行動についてどのタイミングで聞いてみようかと機会をうかがっていた。

 「なんだ」

 「え」

 「さっきから俺に何か言いたいことでもあるのか」

 「言いたいことといいますか、少し聞きたいことがありまして」

 「なんだ」

 「いえ、今じゃなくてもいいので」

 「これが終わったらしばらくは来ねえぞ。俺はこう見えて忙しいんだ」

 「お忙しいでしょうね」

 「死神の監視はどうなってる?あいつらまだ一人静にちょっかい出してんだろ?」

 「そのようですね」

 「あいつらノルマでもあるのか?」

 「そんな面白い制度があるならまだ可愛げがありますね」

 「そんなにいいもんじゃねえのにな。俺たちの仕事をなんだと思ってんだあいつらは。別に良いことばっかじゃねえってのに。むしろ忙しくてストレス溜まるっつーの」

 「閻魔様も似たようなことを仰っていました」

 「椅子に座ってりゃいいってもんじゃねえんだよ。面倒臭ぇぞって一回話したことあんだけどな」

 「・・・え。死神にですか」

 「まあ、そういう奴らに」

 「面と向かってですか」

 「他に何があんだよ。むしろ手紙とかやりとりしてる方がおかしいだろ」

 「まあそうですが」

 「で、なんだ聞きたいことって」

 そういえばそんな話をしていたな、と小魔は思い出す。

 書類をまとめながら、小魔は男をちらっと見てみて、集中しているようだが会話が出来るのなら聞いてみるのもいいかと、思い切って聞いてみる。

 「なぜ”カロン”のお仕事を引き受けられたのですか」




 「あ?」

 「とても大変な仕事なので。先ほども文句を言われるほど大変なのでしょう?それならばなぜ続けているのかなと。そもそもなぜ引き受けたのかなと」

 「なんだ?じゃあ死神あたりがなりゃ良かったってのか?」

 「そんなことは言っていません。それはそれで閻魔様が許さないかと」

 小魔からの質問に、数秒だけ手を止めて顔を上にあげて小魔を見るが、男はすぐに仕事に戻る。

 呆れたようにため息を吐きながら。

 「あいつかなり頑固だよな。結構好き嫌い激しいしよ」

 「来るもの拒まずですけど」

 「んなわけねえだろ。拒まねえふりして近づかねえだけなんだよ。一旦嫌いとか苦手って認識すると思ってる以上に距離置くからな」

 「・・・確かに。それはあります」

 それからどのくらいかの時間が経った頃、男はうんと体を伸ばすと、「もう無理だ」とだけ言って椅子から立ち上がる。

 この男とて他の仕事があるのだから仕方ないと、小魔は特に止めることもなく、感謝を述べる。

 「閻魔様には私から」

 「いや、最後にあいつの部屋覗いてくるわ。気持ちよさそうに寝てたらたたき起こしてから帰る」

 「・・・そうですか」

 男は欠伸をしながら部屋を出ていく。

 小魔はお礼を言って男の背中を眺めるが、その背中は閻魔のものとはやはり何かが違う。

 閻魔の部屋へと向かった男は、ノックもせずに部屋の中に入ると、まだそこですやすや寝返りを打ちながら寝ている閻魔に近づき、額に向けてデコピンをする。

 多少痛んだのか、閻魔は少しだけ眉間にしわを寄せたかと思ったが、またすぐに気持ちよさそうに眠りにつく。

 男は後頭部をかきながら、もう一度、先ほどよりも強めにデコピンをする。

 こつん、と強めの音が鳴り響くと、閻魔の目がほんの少し開く。

 「よ」

 「・・・・・・」

 何も答えることなく、再び瞼を閉じようとする閻魔に対し、男は無理矢理閻魔の目を見開かせようと試みる。

 強引に開かされる視界に、閻魔は抵抗してみたものの、どうにもならなかった。

 「起きた!起きたからやめろって!!」

 「俺ぁ帰るぞ。ただでさえ死人が多いんだ。くそが」

 「帰るときにわざわざ俺に挨拶に来なくていいよ。寝てるってわかってるんだからいちいち起こすなよ。人間みたいな嫌がらせしやがって」

 「嫌がらせの種類に人間みたいも何もねえな」

 大きな欠伸をしながら、寝癖のついた髪を気にすることもなく閻魔は体を起こす。

 すると、閻魔が起きたことでベッドにスペースが出来、男はそこを狙ったかのように座る。

 「疲れた」

 「俺はもっと疲れてる」

 「事務仕事は俺の本業じゃねえ」

 「俺だってそうだよ。なんでこんなことしてんの俺。どういうことなの俺。こんな仕事あるなんて聞いてなかったよ俺」

 「一人静が苦戦したって聞いた」

 「・・・やっぱり、手伝いに来た目的はそれか」

 閻魔はベッドの上で胡坐をかき、ケタケタ笑う。

 「まあ、あいつは強いから」

 「それはわかってる」

 「じゃあ何。久しぶりに顔でも見たいの?見に行けばいいじゃん」

 「あいつを追い込んだのはどんな奴だったのか聞きたかっただけだ。俺のとこにはそういう情報が入ってこないからな」

 「仕事上ね、余計な情報が入らないようにしてるから」

 「で?相手は?」

 詰め寄るように閻魔に近づいていく男に、閻魔は言ってもいいものか少し考えているようだ。

 目を強く瞑って唇をぐっと横に縛り、うーんと唸っている。

 「ま、いっか」

 そんな適当なことを言って、閻魔は顔の中心に寄せていた顔のパーツを元の位置に戻した。

 「ガイたちだよ。あとはいつもの死神」

 閻魔の口から出てきた名前に、男はぴくりと眉をひそめる。

 「そこが手を組んだのか」

 「みたいだな。雅楽と鈴香も大変そうだったよ」

 「ガイは確か、少し前にロゼんとこにいって喧嘩しかけたんじゃなかったか」

 「みたいだけど、タフだよな。そんな体力有り余ってるなら他で使えっての」

 「人間はいつになったらまともになるんだ」

 「それ俺に聞くの?」

 「俺よりは詳しいだろ」

 「俺だって詳しくないよ。時代も世界も関係ない。善悪は表裏一体。他人の痛みに鈍感で全く傷つかないような奴もいれば、敏感すぎて傷つく奴もいる」

 「滑稽だな」

 「まったくな」

 「家柄、学歴、地位、名誉、財産、ステータス?そんなもんはくだらねぇって。死んだら何も残らねえってのに、そんなもんに縋って。人間が人間を見下して。勝手に上下作って。追いつめて、追い詰められて。貶されて、絶望して、何のために生きてきたのかわからなくなって。息苦しいなぁ」

 「・・・・・・以前」

 「ん?」

 「以前、一縷が気にかけていた男がいただろう」

 「・・・ああ、あいつな」

 「”一縷”であるはずが何度も何度も会いに行っていた。それでも自ら人間ならざる道を選んだ。絶望の前では、希望とは無力なものなんだろうな」

 「希望が無力なら、俺たちは何もできないな」

 「パンドラの箱に残っていたのが”希望”だった。だからこの世には希望が残ったという話があるが」

 「あるなぁ、そんな話」

 「あれ、俺はおかしいと思うんだ」

 「どういうこと?」

 「そもそも、なぜ希望や災難が同じ箱に入っていたんだ」

 「え、知らない。俺が入れたわけじゃないから」

 「災難が飛び散ったなら、それが世界に蔓延している、というのが俺の解釈なんだ。箱の中に残ってしまった希望は、むしろ閉じ込められてしまったのであって、だから希望はあまり現われない、ということじゃないのか」

 「・・・え?いや、俺のこと責めてるの?俺がパンドラの箱作ったわけでもないし、その中に災難とか入れたわけでもないし、箱を開けたわけでもないからね」

 「なぜ箱=人類、もしくはこの世界なんだ?そこまで狭くはないだろう」

 「・・・えっとね。多分ね、あの、あれだ。天界から見れば人間界は箱くらいのものだからじゃないかな?」

 「随分偉そうだな」

 「俺じゃないからね!!言っておくけどすべてにおいて俺じゃないからな!!そこには関わってないから!!!!」

 「ま、その希望さえ見つけることも出来ず、見つけたとしても掴むことが出来ないでいる人間が多いということか」

 「そういやあの時一縷なんか辛そうだったなー」

 「あんだけ甘い一縷がもう手を差し伸べないとはな。よほどだったんだろう」

 「傷ついて傷ついて、いっぱい絶望を自分で背負ってまで希望を与えてるのにさ。その希望が希望として映らない人間がいるなんて、一縷もやってられないよな」

 かいている胡坐の膝部分に肘をつけて頬杖をついている閻魔。

 男はそんな閻魔を見て、閻魔の腕をひょいっと引っ張れば、閻魔はバランスを崩して上半身を前のめりにする。

 男に文句を言おうとした閻魔だが、男が立ち上がって出口に向かってしまったため、その背中を眺める。

 「なあ」

 男がドアノブに手をかけたところで、閻魔は声をかける。

 男は首だけを少し後ろに動かす。

 「なんだ」

 「お前は迷ったことないのか?自分がしてること、判断してることが、本当に正しいのか。合ってるのか」

 「・・・・・・」

 「ひとつの判断が一人の人間の人生を変える。転生にもかかわってくる。善悪を区別する資料は沢山あっても、実際のところ、何を思っていたのか、何を見ていたのか、何を感じたのかなんて、俺たちはわからない。そこに書かれてる文字を読むだけだ」

 「・・・・・・」

 「無機質でないと進めないこともある」

 閻魔の言葉に、男はしばらく黙って聞いていたが、小さく息を吐いてから、ゆっくりと口を開く。

 「弱気になるな」

 男は顔をドアの方に向けたまま話す。

 「俺たちが弱気になって、迷って、同情したら、摂理が鈍る。濁る。歪む。それはあってはならない。決してな」

 「相変わらず真面目ねぇ」

 「不真面目じゃ務まらないからな」

 「確かに」

 閻魔が小さく笑えば男も同じように笑った気がしたが、それを確認することなく男は部屋を出ていく。

 それから少しして閻魔は仕事部屋に戻ると、そこにはあっという間に書類の山になっているデスクと、「遅かったな」と言わんばかりの目つきをした小魔がいたとか。




 閻魔の仕事の手伝いを終えた男は、自分がいるべき場所へと戻る。

 そこで着替えを行い舟に乗り込んでしばらくしたとき、耳にざらつく気配を感じ、その気配に向けて声をかける。

 「直接会いに来るとはいい度胸だ」

 男の前に現れたのは、髑髏のお面をした、というよりも顔が髑髏そのものの、いわゆる”死神”というもの。

 手には大きな鎌を持ち、これまでにも何度か会ったことはある。

 「聞いたよ。一人静に喧嘩売ったんだって?ガイたちと手を組んで。それで勝てなかったんだろ?なのに俺んとこに来たのか?俺を直接狙った方が早いって?俺に敵わないことくらいわかってるだろうに」

 「おとなしく空け渡せばいい」

 「くだらねぇ。それよりお前、人間の調整ちゃんとしてんのか?管理しきれてねえだろ。てめぇの仕事ちゃんとしろ。俺の仕事狙うのはそれからだ。やることやってからステップアップ目指せや」

 「我々の導きなく勝手にしているだけだ。管理する必要はない」

 「確かに人間が勝手にこっちに来てるのかもしれねぇがな、勝手にこっちに来ねえようにすんのもてめぇの大事な仕事だろ。疎かにするな」

 「人間は学ばぬ」

 「人間が学ぶ学ばねえの問題じゃねンだよ。お前ら死神は何人もいるんだから出来ねえわけねえだろ」

 「我々がまとまってかかれば、お前など造作もない」

 「・・・マジで俺に喧嘩売ってんのか?それならそれで俺もそれなりに追い払わせてもらうけど」

 「それなり、で間に合うのか?」

 死神はそういうと、大きな鎌をさらに大きくする。

 初見の者は驚くだろうが、男は見慣れているからか、特に驚くことはなかった。

 巨大化する鎌を前に、男は手に持っていたか弱そうなオールを手にすると、それを肩に担ぐ。

 そして、腰にある何か入れ物なのか、大きめの袋の中から面を取り出すと、それを片手で器用に顔に装着する。

 不思議な模様が描かれているその面をつけると、男の表情はわからない。

 肩に担いでいたオールをブンッと一振りすると、水が一斉に動きを止めるが、今度はオールを水につけてもいないのに、なぜか水が激しく渦を巻き始める。

 「いいことを教えてやろう」

 男は、低い声で死神に話しかける。

 「ここではすべてが俺の意のままに動く。それが俺に与えられた力だ」




 「人間相手に使うことはまずないがな」

 そう付け足す男に対し、死神は鎌を振るってくる。

 振るが早いか攻撃が届くが早いか、どちらが先かなど素人目からはわかりはしないが、その攻撃は男に当たる前に水によって弾かれる。

 オールを一切動かすことなく、だ。

 「知ってるか」

 男の問いかけに、死神は再び鎌を構える。

 「水は柔軟であるが故に鋭利な武器だ」

 すると、死神は何かに反応したかのように鎌を動かすと、四方八方から何かが飛んできて、それによって鎌はどんどん削られていく。

 感触からして水の攻撃であることは間違いなさそうだが、問題はその威力だ。

 確かに水は刃物にもなりうるが、ただの水であれば死神の鎌をここまで削ることはないだろう。

 防戦一方な死神に、男はさらに追い打ちをかけるべくオールを構える。

 「俺は優しいからな。てめぇらが今後一切俺に喧嘩ふっかけてこねぇように、ここでめっためたに叩き潰しといてやるよ」

 それから何か思い出したように、こう付け足す。

 「俺と、一人静に、だな」

 オールを軽く振った、ただそれだけ。

 いや、振ったという表現でも似合わないほど、それは静かにふり下ろされただけ。

 構えたわりにはとても小さな動きであって、通常であれば見逃してもなんら支障をきたさないほどのもの。

 その一瞬で、水が立ち上がり、死神に襲い掛かってきたのだ。

 すぐに反応をした死神だったが、まるで意思があるかのようにどこまでも追いかけてくるその水の壁に、鎌を振るう。

 一旦はそこが切れたように割れ目を見せるものの、すぐにもとに戻る。

 「どうした。逃げてばかりじゃ俺には勝てないぞ」

 「!!!」

 気づくと、いつの間にか背後に男がいた。

 ほんの一瞬意識を男に向けただけだったのだが、死神の体は水の底へと沈んでいく。

 まるで錘でもつけられているかのように身体は重く、誰かに引っ張られているように自由に動けない。




 「大丈夫っすか」

 沈んでいったかと思ったが、次に目を開いたときには違う場所にいた。

 怪訝そうな顔をしたイベリスは、横になっている死神に声をかけてみるが、死神はそれに対して返事をすることなく立ち上がる。

 「あ、鎌また壊れてる」

 その言葉に、死神はイベリスを睨みつける。

 髑髏、骸骨、それは目などそこにないはずなのだが、確かに睨まれたように感じた。

 「そんなに睨まなくても。俺のせいじゃないでしょ」

 「・・・・・・」

 「怖ッ」

 「一人静の方はどうなった」

 「どうもなってませんよ。あの舟とオールはどうにも攻略できないっすね。弱点とかわかれば対応出来るかもしんねぇっすけど、それもわかんねえっす。正直お手上げ状態」

 自嘲気味に笑いながら、イベリスは両手をあげる。

 「けどまあ、”闇落ち”って手もあるんで、それまで待ちます?」

 「いつになる」

 「さあ?」

 「そう簡単に落ちる者はいないだろうな」

 「気長に待ちます?」

 「そこまで待てない」

 「じゃあ、強行突破しかないっすね。あいつらを数で制圧?的な?」

 「数で制圧出来ると思っているのか」

 「じゃあどうするんすか。もう手が無ぇっすよ」

 「・・・・・・手はある」

 「え?」

 「だがそのためにはまず、手中に収めるべき人物がいる。話はそれからだ」

 「・・・へえ。面白ぇ。誰っすか?俺知ってます?初見?どんな奴です?」

 「少し黙れ」

 「へいへい」

 死神の後ろをついていきながら、イベリスは両腕を後頭部に持って行き、その格好のまま歩く。

 斜め前を歩く死神が何を考えているかわからないが、今はそれを聞いてはいけないことはわかる。

 「(なんかよくわかんねえけど、面白くなるんだろうな」」

 イベリスはニイッ、と歯を見せて笑う。




 「閻魔様はいつからお知り合いなんですか」

 「え、何が」

 「長い付き合いでなければ、閻魔様の部屋の奥の部屋まで行けませんよね」

 「そういや今度掃除しようって思ってて全然できてねえや。今度今度って思うのがダメだよな。小魔、俺は今から部屋の掃除してくる」

 「部屋の掃除でしたら私が行いますので閻魔様は溜まっている仕事を進めてください」

 「え、小魔が部屋の掃除するの」

 「なんですか」

 「だって小魔が掃除すると整理整頓されすぎて俺物がどこにあるかわからなくなっちゃうんだもの」

 「日ごろから物の置き場を決めてください」

 「必要な物はすぐ目にとまるとこに置くようにしてるの。わざわざ毎回探すのは無駄だろ」

 「ならば部屋のデスクに並べればいいじゃないですか。なぜ開いた状態でそこに置いておくんですか。それこそ邪魔です」

 「どうせすぐまた開くから。開くならそもそも開いてても問題なくね?動作自体同じことすんだから」

 「まあ、それは閻魔様の部屋なので正直どうでもいいんですが」

 「どうでもいいって言った?上司の部屋のことどうでもいいって?」

 「それで、いつからのお知り合いなんですか」

 「いつからだったかな。遠い昔のことだから」

 「やはり長い付き合いではあるんですね」

 「あいつだって最初は嫌々だったんだぜ?ま、今じゃすっかり板についちまったけど。今はあいつじゃなきゃ難しいだろうな」

 「精神的にですか」

 「それもあるが。オールがな。一人静のもそうなんだが、あれは特注品だ。オールが認めた者以外は触れることも出来ず、扱うとなるとそれ以上に無理だろうな」

 「舟もですか」

 「ああ。あいつのは特に。手懐けるのが難しい」

 「手懐けるのにどのくらいかかりますか」

 「んー、かかる奴は二十年くらい?平均で言うと八年くらいか?」

 「随分かかるんですね」

 「そりゃそうだろ。摂理を守るためだ。そう簡単にどんな奴にでも尻尾振って言うこと聞くようじゃ困るんだよ」

 「それで、あの方はどのくらいで手懐けたんですか」

 「確か・・・二年半くらい?すげーなー。早いなー、て思った記憶がある」

 「天性のものでしょうか」

 「さあ?ただ言えんのは」



 「あいつは別格に強ぇってことだけだ」



 「閻魔様」

 「なに」

 「手を動かしてください」

 「噓でしょ。自分が質問してきたのに。とんだ裏切りだ」

 「この程度で裏切りなどと言わないでいただきたいものです。早く終わらせないとまた増える一方ですよ」

 「よし。ヘルプを呼ぼう」


 閻魔の言葉に、小魔は呆れたようにため息を吐く。

 生きとし生けるものすべて、いつかは終わりを迎えるものだ。

 しかしその”時”は自ら選んではいけない。選ぶことは誰にも許されない。

 導かれるままに、ただひたすらに、生きていくしか方法はないのだ。

 『洒々楽々』であること。

 俗世間の言葉、他人の目・評価、物事には無頓着であれと、彼は言うだろう。

 そんなものは自分の前では無意味だと。

 どれだけ魅力的な姿かたちをしていても、どれだけ価値のある物を多く所有していようと、どれだけ他人のために涙を流そうと、人には平等に訪れるものがある。

 抗うことなど出来はしない。

 彼の前で必要なことはただひとつ。


 「自分に誠実でいられたか」


 笑いたいときに笑い、泣きたいときに泣いたか。

 出来るだけ嘘を吐かず、正直でいたか。

 物理的にも精神的にも人を傷つけないよう努めたか。

 人の幸せを願うことが出来たか。

 人を愛することが出来たか。

 それは巡り巡って自分に戻ってきたはずだ。



 世の中は上手くはいかない。

 思い通りにはいかないことが多い。

 憧れは妬みへと変わり、好意は悪意へと変わる。

 それが人間という生き物である。

 人間として生まれてきたことには、そこには神の意図がある。

 逃れることなど出来はしない。


 「なら、君はどう生きる?」


 「何を思い、何を感じ、何を見据える?」


 「もしそこにあるのが絶望だけだとしても、生きることを選択するだろう」


 「一縷の望み」


 「それは神が君たちに用意した”生かす為の一手”なのだから」


 「ほんの少しタイミングが違えば、絶望は希望に変わるものなのだよ」


 「君たちに未来は視えないだろう?なのになぜ悲観的になるのか。経験?知恵?統計的に?ふざけるな。そんなものが未来を決められるものか。未来を決めるのは今の君だ。今の君の決断だけだ」


 「前を見たくないなら余所見をしろ」


 「雑草だって逞しく生きている」


 「誰に望まれたわけじゃなくても」


 「踏まれても、摘まれても、嫌われても」


 「強くなくてもいい。ただそこにいろ」


 「いつかわかるときがくる」


 「なぜ自分が生かされたのか」


 すべては、この時のためだったのだと。









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