4.
「あのときはホントにびっくりした!」
夕食を食べ終えた今になっても、パウラの興奮はまだ冷めやらぬようだった。
普通にしていても大きな瞳を、さらに大きく見開いている。
食堂でたまたま隣の席になったことで知り合った女子4人のグループも、その話に興味津々といった様子で聞き入っていた。
「見たかったー!」
「私も!」
自己紹介のときに、4人は『アンダルイド人』だと言っていた。
地元が同じで、幼なじみだそうだ。
「また私が怪我をしたら治癒してくれる?」
「もちろんよ」
そう答えたところで、不安が押し寄せてきた。
「でも……」
マルティーナが使える治癒魔法など高が知れているとはいえ、治せないということではない。
あの程度の怪我であれば、マルティーナでも治癒することは容易だ。
不安を覚えたのは、そこではなかった。
(気軽におこなっていいものかしら……?)
「どうかした?」
「ええっと……少し学校で学んだだけの治癒魔法より、お医者様にきちんと診てもらったほうがいいかなと思って……」
マルティーナの声は徐々にか細くなり、消えてしまった。
ルーボンヌへの留学が認められた条件以上の行為をおこなうことは、後々面倒を引き起こすかもしれない。
最悪の場合、ルーボンヌへ連れ戻される可能性だって無きにしも非ずだ。
もう戻らないと決めて、ルーボンヌを出た。
中途半端な治癒魔法を得意気に振る舞った咎で強制帰国など、絶対に避けなければならない。
「そっか、神聖魔法にだって、できることとできないことがあるんだね。考えてもみれば、何でも治せるような魔法があるはずないかー。そんなことできたら、奇跡だもんね」
事実は逆だ。
医師では直せないような病や怪我さえも治せるからこそ、神聖魔法は重宝されているのだ。
ルーボンヌ神国が外貨を稼ぐ手段、それが神聖魔法である。
神官や聖女、それに準ずる者たちは、同盟を結んでいる友好国から要請があればその国に出向く。
依頼内容は、浄化や祝福は稀で、そのほとんどが治癒だ。
そうして、医師が匙を投げた要人を治癒する。
その対価は相当な額になるらしい。
神聖魔法が他国から稼いでくる額は、ルーボンヌ神国の収入の4割を占めるともいわれている。
特権階級だけが高額な報酬を支払って治癒魔法をかけてもらっていることは後ろ暗く、どこの国でも公にされていないのだろう。
ここにいる誰も治癒魔法の効力を知らないということは、そうに違いない。
(神聖魔法について詳しく知ってる人がいなく助かったわ)
マルティーナは密かに胸を撫で下ろした。
「期待させてごめんなさい」
「いいって。謝ってもらうことじゃないし」
マルティーナたちはすでに食べ終わっていたが、席を立つタイミングを逸していた。
そこに、上級生と思われる、いかにも食堂を使い慣れている学生たちが次々にやってきた。
それはいいきっかけになった。
「そろそろ混んできたね。戻ったほうがよさそう」
皆で立ち上がり、食器を返却口に片付けに向かった。
「あー、それにしても、アンダルイドの食事はおいしかった!」
マルティーナもパウラとちょうど同じことを思っていた。
「優しい味付けで食べやすかったわね」
しかし、それを聞いたアンダルイド人の4人は目配せし合った。
「ふたりには言っておこうか?」
「そうだね。洗礼をくらうのは可哀想だもん」
マルティーナとパウラは、首を傾げ合った。
「どういうことなのかしら?」
「そういうのって、すごく気になっちゃう」
その様子を見て、4人はクスクス笑い始めた。
「今日は移動と入寮で疲れてるだろうっていう配慮があって、たぶんああいう優しい食事だったんだと思う」
(……つまり?)
「入学式のあとに新入生歓迎パーティーがあるのは知ってるよね? そのときには、アンダルイドの伝統料理がメインとして出されるんだって。お祝いの席では定番の料理なんだけど」
「それが問題なんだよね」
「小さかった頃は苦手だった」
「私なんて今でも苦手だよ。いっつも我慢して食べてる!」
口々に言いながら、4人はとうとう噴き出した。
パウラが怖々訊いた。
「それって一体どんな料理?」
「近海で採れる、全長1メートルくらいのタローロっていう魚があるんだけど、それを切ったりせず、そのまま野菜と一緒に蒸すの」
(……それ)
「眉ツバなんだけど、タローロは魔力を蓄えてるって伝承があって、魔法使いは丸ごと食べるといいんだって」
「へえ。で、それのどこが問題なの?」
マルティーナも不思議に思った。
(そうよね、何の問題もなさそうだけど……)
「臭みを消すために、クセの強いお酒をどばどば振りかけるのと、とんでもなく辛いスパイスを使うこと!」
「あと一緒に蒸すのに使う野菜は苦い!」
「タローロと野菜の蒸し料理のせいで、さっそく帰国したくなる留学生が出るんだって」
けれど、パウラに怯んだ様子はなかった。
「私、辛い料理大好き。それに肉より魚派。いける自信がある!」
『くくっ』と笑った。
「だけど、ウーゴは間違いなく洗礼を受けるだろうなー。絶対教えないでおこうっと」
ひとりが、さっきから反応の乏しいマルティーナの顔を覗き込んできた。
「マルティーナは心配?」
「えっ? ううん、そうではなくて……似たような料理をどこかで食べたことがある気がして」
それもずっと昔に──
はっきりと憶えているわけではない。
けれど、説明を聞いているうちに、舌がその記憶を取り戻していくような奇妙な感覚を覚えた。
「以前にもアンダルイドに来たことがあるの? 旅行とかで?」
「いいえ、1度もないわ」
「海は繋がってるんだから、アンダルイド以外でもタローロは採れるはずだし、同じような調理法で食べてる国が他にもあるのかも」
(もしかして覚えていないだけで、幼い頃に食べたことがあった? でもそんなことって、ありえるのかしら?)
マルティーナは今回の留学以前に、ルーボンヌ神国から出たことすらない。
そして、高地にあるルーボンヌで、それほど大きい魚は獲れない。
小さな川魚がせいぜいだ。
(なら、別の辛くて苦い魚料理を食べたことがあって、舌がそれを思い出したのかしら?)
それはありえそうなことに思えた。
(明後日食べてみれば、もっと思い出す可能性もあるかもしれない)
そう考えると、マルティーナは洗礼をくらうことがむしろ楽しみな気がし始めるのだった。