31.
ドアがノックされたのは、マルティーナが王宮メイドに手伝ってもらって着替えを済ませ、ひと息ついているときだった。
「君の支度が済んだと聞いたんだが、入ってもいいだろうか?」
喉がキュッと締まった気がした。
(緊張する必要なんてないはずでしょう? このドレスは一緒に選んだんだから)
胸に手を当てて深呼吸した。
手のひらが強い鼓動を感じる。
「もう少しあとにしたほうがいいか?」
「いっ、いいえ! 大丈夫です」
答えながら、素早く姿見をもう1度確認した。
(大丈夫、大丈夫)
華美な装飾はなくシンプルだが、ひと目で一級品だとわかるドレス。
それに、メイドによりきっちりと結い上げられた髪。
濃くメイクもしてもらったお陰で、意志の強そうな印象を与える眉と目──
自分ではないみたいだ。
だからこそ恥ずかしい。
(でも、ルーカス様は着飾った女性なんて見慣れているはず!)
ドレスの裾を真っ直ぐにしていると、ドアがゆっくりと開いた。
視界には始め、ルーカスの足下が入ってきた。
マルティーナは顔を徐々に上げていった。
(私どんな顔をすれば……えっ!?)
ルーカスが驚いているから、こっちまで驚いてしまった。
「あ、あの……?」
「……な、何でもない。その……とても似合っている」
「あ、ありがとうございます! こんな素敵なドレスを用意してもらって……」
褒められて嬉しいはずが、背中がむず痒くて堪らない。
(この会話、なんて気まずいの? いいえ、気まずいなんてものじゃないわ!)
この頃ルーカスはこういう台詞を、それはそれは恥ずかしそうに吐く。
確か後期試験の直後からだ。
こちらとしても世辞に慣れていない身なので、振り絞った褒め言葉を、軽く受け取めてあげられる余裕はない。
日常会話のようにさらりといえないのであれば、無理にがんばらなくてもいいのに……と思う。
「……まだ最後の仕上げが残っている」
「最後の仕上げ、ですか?」
ルーカスはポケットから何かを取り出した。
その手つきから、とても大切なものだということがわかる。
「左手を出してくれないか?」
マルティーナは手のひらを上にして差し出した。
言われた通りにしたというのに、なぜか苦笑されてしまった。
「反対だ。手の甲を上にして」
頓着せず、くるりと手首を返した。
すると、ルーカスが恭しくマルティーナの手を取った。
それから、マルティーナの薬指に、ぎこちなくそれを通した。
ルーカスの指先から、ルーカスの緊張が伝わってくるようだった。
(この場面、この指輪……あのときとそっくりだわ!)
『あのとき』とは、アーロンとヴァレリアの結婚式のことだ。
国王の体調が芳しくなかったから、最小限の簡素な式だった。
そのお陰で、アーロンと自分のためだけの儀式なのだと強く感じられた。
アーロンは緊張して、不機嫌そうにむっつりしていた。
そうして、ぎこちない手でゆっくりと指輪をはめてくれた。
ヴァレリアにとっては宝物のような記憶──
ルーカスが小さく安堵のため息を吐いた。
「きっと大丈夫だろうとは思っていたけれど、ぴったりだったな。当時の流行で、華美なデザインだけど、今日はこのぐらいがちょうどいい。これは聖女ヴァレリアの指輪なんだ……と伝えられている」
(ああ、そうなんだわ)
マルティーナはようやく理解した。
(ルーカス様はアーロン様で、私はヴァレリアだったのね)
あのときは、突拍子もない発言だと思っていた。
自分が聖女の生まれ変わりだなんて。
(ルーカス様は、いつから気がついていたのかしら?)
恐らく最初からだ。
魔法学院の敷地内で会ったときにあんなに驚いていたのも、自己紹介もなく話しかけてきたのも、自分のことを聖女だと勘違いしていたのも、全て説明がつく。
(新入生歓迎パーティーのタローロが急遽変更になったのは? パウラたちとショッピングに行くのに、なぜかルーカスがついてきたのは? 全部が全部ヴァレリアだと知っていたからだなんて、考えすぎかしら?)
「面会ではルーボンヌがどう出てくるか予測できない。だけど、僕の言うことには必ず頷いてほしい」
「それは、私が否定したくなるようなことも言う可能性があるということですか?」
「わからないが、君が返事に迷わなくていいように、とにかく『イエス』とだけ言えばいいようにする」
ルーカスを信じろということだ。
何も説明してくれないところは、アーロンの頃と変わらない。
ヴァレリアが不満に思っていたことを挙げるとしたら、唯一これかもしれない。
そのせいで淋しかった。
「守ってみせるから、『イエス』と言ってくれ」
「イエス!」
そうしてマルティーナは、にっこりと微笑んでみせた。
ルーカスもほっとして顔を綻ばせたところで、マルティーナは言い放った。
「今日のところは時間もないことですし、了承しました。ですが、今日だけですよ」
「それは……」
この面会の準備だってそうだ。
ドレスに指輪にと飾り立てられた。
(さらに『イエス』とだけ言えだなんて……)
たくさん考えてくれてのことだと、簡単に想像できる。
でも、そのたくさん考えたことも説明してほしかった。
当事者なのに蚊帳の外みたいで、やはり淋しさを感じる。
もっと遡れば、自分はアーロンなんだと言ってくれればよかったのに、と思う。
そのたったひと言があれば、あれほど悩まなくても済んだ。
「ルーカス殿下、そろそろお時間です」
「わかった」
ルーカスは腕を曲げて、マルティーナに視線を送った。
前世でも、夫婦で王室行事に参加するときに繰り返してきた動作。
自分は黙って、この腕に手を乗せるだけでいい。
マルティーナは、ヴァレリアだったときと同じようにエスコートされた。
(でも、今の私はマルティーナだわ。ルーカス様とは学友の……)
今このときは学院の外にいるから、平素の無礼講は通用しないだろう。
それでも対等な学生同士の関係が、完全になくなりはしないはずだ。
「ルーカス様は言葉が少なすぎます。今後は事前にもっと話をしてください」
抗議されるとは思っていなかったようだ。
少し驚いている。
「……ああ、すまなかった」
「そういうところ、相変わらずというか、少しも変わらないですね」
「相変わらず……?」
ルーカスと知り合って、まだ1年弱だ。
にも拘らず、『相変わらず』などと、まるで旧知のような言い方をしたのは、もちろん故意にだ。
「マルティーナ、それってどういう……」
「さあ、もう行かないと。急ぎましょう!」
「マルティーナ!」
ちょっとした仕返しだ。
(ルーカス様も、話してもらえない気持ちを少しくらい味わえばいいんだわ)
ルーカスの腕を引っ張って歩き始めた。




