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26.

 研究室を出ると、ルーカスは一気に捲し立てた。

 ずっとふたりきりになれるのを待っていたのだ。


「マルティーナ、君は以前治癒以外の神聖魔法をイメージする能力を『どこかに置いてきてしまったのかも』と言っていたよな? 君の前世はヴァレリアで、その『どこか』がブランカ宮殿だったのでは!?」

「ま、まさか! そんな私が聖女だったなんて、とんでもない……」


 本気で驚いた顔をしている。


「だけど、それならどこでヴァレリアとアーロンの名前を?」

「それは、ブランカ宮殿を訪れたあの日、夢を見たんです。夢の中で私はヴァレリアになっていました」

「夢? どんな夢だ!?」


 ルーカスの勢いに、マルティーナは気圧されてしまっている。


「その……すまない。怒っているわけではないんだ。ただ知りたい気持ちが強くて、はやってしまっているだけで」

「あっ、そ、そういうことってありますよね」

「それで教えてくれないか? どんな夢だったかを」



 ──ふたりは中庭に移動して、座って話すことにした。

 放課後の中庭はひっそりとしていて静かで、時折小鳥のさえずりと運動部の掛け声が遠くから聞こえてくるだけだった。


 ルーカスは今しがた購買で買ってきたホットミルクを、マルティーナに差し出した。


「これでよかったか?」


 マルティーナが『わあ』と目を細めた。


「どうしてわかったんですか? 昔から好きなんです。飲むと心が落ち着くので」


 マルティーナはヴァレリアと同じように、ゆっくりふた口飲むと、ほおっと息を吐いた。

 とうに確信に変わっていたことを、改めて実感する。


(やっぱり君はヴァレリアなんだろう?)


 ヴァレリアは聖女という立場でなら、誰の前であっても堂々としていた。

 初めてアンダルイド王宮にやってきた、あのときもそうだった。


 しかし、アーロンの妃、王族の一員として式典やパーティーに出席しなければならないときには、途端にオドオドした。

 そういう場の控え室では、気持ちを落ち着かせるためにと、いつもホットミルクを飲んでいた。


「それで、夢の話でしたね?」

「ああ」


(アーロンがヴァレリアに対していかに冷たかったかも、夢の中で知ってしまっただろうか……)


 肥大する心臓を抑えるために、ルーカスも自分のホットミルクを口に含んだ。

 舌の上で優しい甘さがじんわりと広がる。

 しかし、依然として鼓動する音は、ルーカスの中で大きく轟いていた。


(そういえばヴァレリアも気持ちを落ち着かせるために飲んでいたはずだったが、一向に落ち着いてなんていなかったな)


 ああいうときに声をかけてやらなかったことを、今さらながら悔やむ。

 滅多にない機会だったから、ヴァレリアはとうとう最後まで慣れることはなかった。


(ヴァレリアの代わりに、マルティーナに謝ることは可能だろうか?)


「あの日宮殿に到着した直後、神聖魔法とともに、ヴァレリアという女性の亡くなる直前の思念が私の中に入ってきて、私はヴァレリアと完全に同化しました」


 ルーカスはホットミルクを飲みながら、マルティーナの声に全神経を集中させた。


「彼女はずっと孤独でした」

「それはアーロン……夫が冷たかったから?」

「冷たかった?」

「だってそうだろう」


 意外そうにされる理由がわからない。


「いいえ、そんなふうには思ってなかったです」

「そんなはずが……!」

「彼女は子どもの頃に聖女となるべく家族と離れ、それからずっと孤独でした。でも、孤独なのはアーロン様も同じで……あー、正確には同じでなく、アーロン様は自ら選んで孤独になるような不器用な人でしたが、とにかく彼女はそんなアーロン様のことを心配していました」


 マルティーナは的確な言葉を考え、選びながら話す。


「孤独な者同士どこか親近感を覚えていたんです。一応夫婦ではあったんですが、実際にはそうではなかった。ヴァレリアはアーロン様と家族になりたいと願っていました」


 ヴァレリアがアーロンのことをどう思っているかなど、訊いたことはなかった。

 驚きすぎて、言葉が出てこない。


「それと、アーロン様がこっそり向けてくる視線に気づいていて、アーロン様の自分に対する気持ちも知っていました」

「なっ!」


(僕が自覚していなかった気持ちを、ヴァレリアは気がついていた!?)


 顔が一気に熱をもつ。


(ここで僕がアーロンだったと告白して、マルティーナは前世ヴァレリアだったはずだと訴えた場合、僕がマルティーナを好きだと言っているも同然になるのか?)


「ですが、アンダルイドに来るまでに神聖魔法の使いすぎで体がボロボロなのを知っていたから、アーロン様はヴァレリアに神聖魔法を使わせてもくれないし」

「はあ?」


(知らない! そんなことは何も聞かされていない)


 アーロンだけが知らなかったとは考え難い。


(ルーボンヌめ、どこまで腐っているんだ)


 200年前のことのはずなのに、現在進行形のことのように腹がたった。

 いや、決して過去の出来事ではない。

 それは現在にもつながっている。


(マルティーナがヴァレリアの能力を取り戻した今になって惜しくなったとしても、絶対にルーボンヌには利用させてなるものか)


 再び強く心に決める。


「それで、黙ってアーロン様のために神聖魔法を使っていたんです。いつか気づいてくれることを望みながら。私が宮殿に到着したときの光は、彼女が最期の瞬間に使った魔法でした。治癒魔法だけはいつかアーロン様にかけたいと願っていましたが、それ以外の神聖魔法をあの場所に置いていきたかったんです」


 『あら?』とマルティーナが首を傾げた。


「でも……その時点でヴァレリアは事切れたはずなのに、その後アーロン様に治癒魔法をかけていました。それがすごくうれしかったはずなんですが……」


 マルティーナがルーカスの顔をまじまじと見てくる。


「な、何だ?」

「あれは、アーロン様ではなくルーカス様……でした? 治癒魔法をかけたのはヴァレリアではなく、私?」


 まつ毛の1本1本まで識別できるような至近距離で見つめられ、ドキマギしてしまう。

 

「自分が実際に体験していると錯覚してしまうほどリアルな夢だったので、ヴァレリアと私の境界が曖昧になってしまって……今混乱しています」


 それは理解できた。

 ルーカスも、アーロンとルーカスのどちらが経験したことだったかわからなくなることがある。


 これまでずっと、アーロンのしてきたことをマルティーナに謝罪したいと思ってきた。

 しかし、それも不要なほど、ヴァレリアはアーロンのことを理解してくれていたのだ。

 アーロン自身以上に──


 憑き物が落ちたように、清々しい気持ちになっていた。



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