23.
(これは……?)
マルティーナは何かを感じ取り、馬車の外を覗いた。
「何か気になるのか?」
さっきまでの表情とは打って変わって、ルーカスの瞳は期待を湛えていた。
(ルーカス様の言った通りだわ!)
「神聖魔法の気配が……」
(でも、本当にここに住んでいたという聖女のもの? ずいぶん昔に亡くなったはずなのに……)
治癒魔法のようなその場でしか効果のない魔法と違い、浄化や祝福魔法はある程度の時間であれば効果が持続する。
しかし、大神官や聖女といえども、もってせいぜい数ヶ月がいいところだろう。
ましてや、魔法をかけた人間が亡くなってもなお残っているなどという話は聞いたことがなかった。
(なら、この魔法は一体誰が……?)
馬車が門をくぐり、ブランカ宮殿の敷地内に入った。
その途端、マルティーナは胸の前で腕を交差し、掻き抱くようにして身を丸くした。
「どうした? 気分が悪くなったのか?」
もう返事をする余裕はない。
圧倒的な力を感じ身がすくんだ。
ブランカ宮殿全体が光り、その光が空高く上がったかと思うと、すぐさまマルティーナに向かって一直線に降りてきた。
目を固く閉じ抵抗したけれど、優しくも圧倒的な力がマルティーナの体内に流れ込んでくる。
「マルティーナ?」
身体の自由が利かなくなってしまったマルティーナが座面を滑り落ちるのを、ルーカスが咄嗟に押さえた。
「マルティーナ? しっかりしろ!」
ルーカスの声は聞こえていたが、どうすることもできない。
神聖魔法とともに、誰かの想いが体内を駆け巡った。
馬車が停車し、扉が開けられると、ルーカスは叫んだ。
「急病人だ! 到着早々だが、ベッドに寝かせたい」
マルティーナはルーカスに抱きかかえられて、客室に運ばれた。
目を閉じていても、それがわかった。
学院長とベルナル先生は先に到着していたようで、建物の中に入ると、ふたりの声も聞こえてきた。
「医師を呼びましょう」
「私が行きます!」
医師にどうこうできるとは思えなかったが、今のマルティーナにはベルナル先生を呼び止めることはできない。
すぐそばにいるはずのルーカスの気配も、次第にぼんやりしてくる。
その最中も絶えず入ってきていた誰かの想いは、このときまでに記憶へと変わっていた。
そして、マルティーナとその誰かとの境界が曖昧になっていく。
まるで乗っ取られるかのように。
マルティーナはいつの間にか、その誰かになりきっていた──
※
(ああ、もう時間は残ってないんだわ……)
仕方のないことだと思う。
けれど、その一方でアーロンのことが心配でならない。
アンダルイド王国に来たときには、彼女の体はボロボロの状態だった。
聖女として、神聖魔法を使いすぎたのだ。
皮肉なもので、神聖力は治癒魔法にもなるのに、強い神聖力を頻繁に取り込みすぎると、身体は壊れるようになっているらしい。
そしてそれは神聖魔法では治癒できなかった。
誰もそれを教えてはくれなかった。
(どうせ教えてもらったところで、苦しんでいる人を目の前にして神聖魔法を使わないという選択はなかったし、実際自分で気づいたあとでさえも使い続けてきたのだけど)
ヴァレリアは貧しい農村の生まれだった。
当時はリアナという名前だった。
それが強大な神聖魔法が使えると判明するや否や、修道院が引き取りにきた。
その際に、『もっと聖女候補に相応しい名前を』と改名させられた。
聖女という存在は、教会の教えを体現できる品格とやらが必要なのだそうだった。
家族だけでなく、村にも支援してくれるという約束だった。
村中が『これで食べ物に困ることがなくなる』と諸手を挙げてよろこんでいた。
だから、聖女になるための厳しい試練も耐えられた。
そうして聖女となり、国中を巡礼して周り、もう身体がもたないというところまで酷使したところで、大神官からアンダルイドへ移住する話が持ちかけられた。
アンダルイド国王唯ひとりに治癒魔法を使っていれば、衣食住が保証されるという、破格の申し出だった。
これに乗らない手はなかった。
行ってみてさらに驚いたことに、第七王子妃として穏やかな暮らしが与えられた。
子作りも求められなかった。
ルーボンヌ側がどう説明したかは知らなかったが、ヴァレリアの体調のことは包み隠さず話したからこその高待遇なのだろうと察した。
滋養のある食事に、たっぷりの睡眠。
にも拘らず、使うのはせいぜい1日1度の神聖魔法。
しかも、ルーボンヌを出てしまってからは、体を痛めるほどの強い神聖力を取り込むことはできない。
ルーボンヌで、聖女として馬車馬のように働いていたあの頃とは大違いだった。
ルーボンヌを出たときには、もう長くないだろうと踏んでいた。
自分とアンダルイド国王のどっちが先かと考えていたくらいだ。
なのに、想像以上に長く生きることができた。
しあわせだったと思う。
けれど、どこかで淋しさも常に抱えていた気がする。
聖女の素質を見出されてからというもの、血のつながった家族とは1度も会っていない。
両親、祖父母、兄姉弟妹の誰ともだ。
ずいぶんと遠くへ来てしまった。
一応夫がいるにはいるが、名目上の夫婦であり、家族という感覚はない。
“雇用主のご子息”くらいの感覚だ。
それでも、ヴァレリアのことを気にするアーロンの視線には気がついていた。
(それほど私のことを気にかけるのなら、ひと言くらい声をかけてくれればいいのに……)
と密かに思っていた。
元・平民の、形だけの妻に対する接し方がわからないのだろう。
(不器用な人だもの)
その後国王が崩御すると、アーロンは地方を周るようになり、王都へはほとんど帰って来なくなってしまった。
そして、たまに帰ってきても、ひどく疲れていた。
それならばと思い、治癒魔法を申し出ても、すげなく断られた。
淋しさは一層強くなった。
もしもヴァレリアが一緒に連れていけるだけの健康な体だったなら、状況は違っていただろうか。
必要なのは、それだけではなかったかもしれない。
王弟の妃として相応しい教養と、それから仕事を手伝える自然魔法──
(どうせ長くないなら、もう1度誰かの役に立ちたい……)
体を壊してまでも、神聖力を取り込み奉仕することが好きだったのだ。
その相手がアーロンなら一層いい、と思った。
(私と同じように孤独なあの人。いつか本当の家族のになれる日が来ればいいな)
アーロンの部屋に浄化と祝福の魔法をかけ始めたのは、純粋にアーロンのことを心配してというのもあったが、それだけではなかった。
いつかヴァレリアのかけた魔法に気づいて、アーロンのほうから声をかけてきてほしいと願っていた。
でも、もう時間切れのようだ。
ヴァレリアは最後の神聖魔法をかけるべく、祈り始めた。
自分がかけられる全ての神聖魔法をここに残していこう。
自分がいなくなっても、この宮殿がいつまでもアーロンにとってしあわせな場所となるように。
自分にとってそうであったように。
今までにないほど神の存在を近くに感じた。
けれど薄れる意識の中で、ちらりと考えたのだった。
全ての神聖魔法を置いていきたいと思ったけれど、もしもアーロン様にもう1度会えるチャンスがあるなら、あの疲れを癒してあげられるだけの治癒魔法はほしいかも、と──




