19.
翌日の放課後ルーカスは学習室で、マルティーナが園芸部の水やりと草取り作業を終えるのを待っていた。
さっそく試験勉強をみてあげることにしたのだ。
「君の習熟度を知らなくて、最低限必要な学習時間がよめないから」
実際にはマルティーナとふたりきりで勉強会ができるのだと思うと、はやる気持ちを抑えられなかっただけのことだったが、そんなダサい建前を使ってしまった。
(見え透いていただろうか?)
若干不安ではあるが、たぶん大丈夫だろう。
マルティーナは心底よろこんでくれていたから。
園芸部が管理する畑が見えないのはわかっていたが、マルティーナを待つ間、窓の外を眺めていた。
(そろそろ来る頃だろうか……)
廊下から足音が聞こえてくるたびに、期待してドキドキしてしまうのだった。
※
「教えてもらう側なのに、お待たせしてしまってごめんなさい」
マルティーナが廊下をぎりぎり走らない速度でやってきたのは、つい10分ほど前のことだ。
にも拘らず、ルーカスの口はすでに開きっぱなしだ。
(ウーゴから聞いていたとはいえ、ここまで規格外だったとは……)
「不安な科目から潰していこう」
ルーカスの提案に、マルティーナは恥ずかしそうに言った。
「実は複合魔法がさっぱりで……」
「それは、筆記と実技のどちらも、ということ?」
ふたつ以上の魔法を掛け合わせることを学ぶ科目なのだが、筆記と実技試験の両方を受けなければならない。
「いいえ、筆記だけです。実技は問題ありません」
「んんん?」
(筆記ができないのに実技ができるはずがないだろう!)
盛大に突っ込みたい衝動に駆られたのを、ぐっと堪えた。
「複合魔法の呪文が書けないのに、実技ができるというのはどういう……?」
言いながら、その無茶苦茶さに頭の中が混乱する。
「私の場合は複合魔法を使いたいときには、自然魔力を体内に取り込んだら、まず体内でそれぞれ単魔法に変換し、それからそれらを編むようなイメージで複合魔法にして、」
「す、ストップ!」
(なんて出鱈目なんだ……)
「確認させてほしいのだが、君は単魔法も呪文が要らないのか?」
「はい。ですが単魔法の呪文は、気合いでなんとか暗記できると思います。問題は複合魔法で……」
(呪文が不要なのは、最初の自然魔力にアクセスするときだけでなく、最後魔法を放出するまでだったのか!)
ルーカスが驚けば驚くほど、マルティーナは目に見えて落ち込んでいく。
(自信をつけさせてやりたかったのに、さらに喪失させてどうするんだ!)
「だ、大丈夫! 成績は筆記が4割、実技が6割のはずだから」
「それは本当ですか?」
マルティーナが顔を綻ばせた。
「結局は実技のほうが大事だからな。それと、アンダルイドでは主要な単魔法の呪文は初等教育で履修しているんだが、たいてい語呂合わせで覚えるんだ。それは教科書なんかには載っていなくて、授業中に教師から口頭で教えられて、」
マルティーナの笑顔が急速に冷えていき、ルーカスはますます慌てた。
「僕がそれらを全部メモしたノートならある! ……王宮にだけれど。単魔法さえ覚えれば、複合魔法の呪文もパターンが決まっているから、それほど難しくない。大丈夫、大丈夫だから!」
ルーカスは複合魔法の呪文のパターンを、模式図を描いて説明した。
マルティーナは、頷きながらそれからを真剣に聞いた。
「ところで、取り込んだ魔力を体内で魔法に変換するというやり方は神聖魔法も?」
「そうです。神聖魔法は誰でもその方法です。といっても、私の場合は治癒魔法しか使えないんですけどね」
「それはなぜなのか訊いても?」
マルティーナは肩をすくめ、淋しそうに微笑んだ。
「私にも理由はわかりません。皆と同じようにやっていたはずなんですが……もしかしたら、浄化や祝福魔法をイメージして作る能力を、生まれる前にどこかに置いてきてしまったのかもしれません」
「ツラいことを訊いてしまってすまなかった」
『いいえ』と短く答えて、首を横に振る姿が痛ましい。
「単魔法の覚え方をメモしたノートは、この週末にでも帰省して取ってこよう。ブランカ宮殿の件を父上に頼むつもりだったから、ちょうどいい」
「ブランカ宮殿……」
(何か思うところがあるのか? 『ブランカ宮殿』のワードに顔が曇るということは、やはりヴァレリアなのか?)
鼓動が一気に早くなった。
『君はヴァレリアだったのか?』と直球で問えば早いのだが、そうすると自分の前世が誰なのかも明かさないといけなくなる。
自分がアーロンだったことに気づいていないなら、知らないままでいてほしい。
祈りにも近い気持ちで、マルティーナの瞳を覗いた。
「あの……」
「う、うん?」
気道が詰まって、うまく呼吸ができない。
「訪問時には、何を着ていけばいいでしょうか?」
「……へっ?」
間の抜けた声になってしまった。
しかし、今度こそと思ったのに、2度目の肩透かしを食らってしまったのだから仕方がない。
「正装でないとマズいでしょうか? ですが留学には不要だと思い、1着も持ってきていないんです……」
(そんな……こと?)
マルティーナの顔が赤く染まっていく。
彼女にとっては大ごとなのだろう。
(僕が呆れていると勘違いさせてしまっただろうか?)
「ふ、普通でいい。ほら、この前外出したときのような。あっ、もし心配なら、学院の制服を着てきたらいい!」
「制服! それがいいですね。そうすることにします。ありがとうございます」
今日だけで、前世ヴァレリアと会話した量よりもたくさん話している気がした。
「とりあえず明日から週末までは、別の科目を勉強することにしようか?」
「はい。なら、古典魔法をお願いできますか?」
「もちろん」
前期試験が終わるまで、放課後はこんなふうにマルティーナと過ごせるのだと思うと、ルーカスの胸はほくほくした。




