18.
研究室で悩んでいるのはベルナル先生だ。
「神聖魔法については少しずつ解析が進んできたが……最初のステップである神聖力にアクセスするにはどうすれば?」
入学してから季節はとうに変わっていた。
マルティーナに週1で神聖魔法を使ってもらっているお陰で、ベルナル先生の慢性的な疲労はすっかり癒され、健康体になっていた。
四十路だというのに肌ツヤまでよくなってしまい、『アラサー』だと言っても、うっかり通用してしまいそうだ。
外見に無頓着すぎて、ボサボサ頭に無精髭だから、周りにあまり気づかれずに済んでいるが。
「高地にあって、天に近いルーボンヌ神国のみで、神聖力にアクセスできる体質の人が生まれるという可能性はありませんか?」
ルーカスの質問に、マルティーナの表情がさっと曇った。
ルーカスは迂闊な発言をしてしまったことに、しまったと思った。
(学院にいられる理由がなくなると思い込まなければいいが……)
マルティーナが自分にとことん自信がないらしいことが、ルーカスにもわかってきていた。
アンダルイドが200年前に聖女をもらい受けるために支払った額をざっくり現在の価値に換算すると、マルティーナを留学させるのに支払った額はそれの20分の1だ。
どちらもアンダルイドが申し出たのではなく、ルーボンヌから寄付金として納めるように要求された額である。
その数字の差は、そのままルーボンヌにおける聖女と非聖女の価値の差と考えていいだろう。
聖女の20分の1の額であれば、マルティーナはすでにそれ以上の貢献をしている。
アンダルイド人では神聖魔法が使えないという結論に至ったとしても、神聖魔法の研究で得られた知見を、自然魔法に応用し発展させる方向の研究も立ち上げる予定だそうだ。
(心配するようなことは何ひとつないのに)
しかし、それは王族の一員という立場だから学院長から聞けてしまった内容であり、ルーカスからマルティーナに伝えるわけにはいかない。
「マルティーナ君は空気中に存在する神聖力を感知できるんだったね? それは生まれつき? それとも何かきっかけがあったのかい?」
「神聖力のほうは、明確なきっかけがありました」
「そのときのことを話してもらえるかい?」
「はい。神学校に入学して1ヶ月くらいしてからでした。授業で教わった通りに、神聖魔法を使う前に神へお祈りを捧げました。そのとき、初めて自然魔力に隠れていた何かが、チカチカッと合図してきたというか、瞬きしたように感じました。それが神聖力でした」
ベルナル先生は『ふむふむ』と少し考えて、それからおもむろに尋ねた。
「神へのお祈りというのは何か特別な? たとえば呪文のような……」
「いいえ。ごく一般的なお祈りです」
「なら、神学校に入る前にも機会はなかったのかい? ほら、教会とかで。そのときには神聖力は感じられなかった?」
「神学校に通っていたほかの学生たちは、そういう場で初めて神聖力を感じることが多かったようです。ですが、私にはそういう経験はありませんでした」
マルティーナは右手を左腕に回し、ぎゅっと握った。
「それがどうして神学校では感じられたんだろう?」
「実は教会は神聖力があまり強くないんです。人の手で造った偶像を祀っているだけですから。それに対して神学校は神聖力を放出している滝のそばに建てられていて、」
「滝……」
「ほかにも神聖力の出るスポットはありますが、私でも感じられるほど神聖力が強い場所で、私が初めて祈りを捧げたのが神学校だったんです。神聖力というものがわかってからは、場所がどこだろうと自然魔力に紛れることなく感じられるようになりました」
マルティーナは『ここ、アンダルイドでも』と付け足した。
「神聖力が強い場所でなら、我々でも感知できる可能性がある? あるいは自然魔力のように呪文でアクセスできるとか?」
「わかりませんが、ルーボンヌはそういう場所は厳重に管理されていて、自由に出入りすることはできません。ましてや外国人では許可が下りないかと……」
(まあ、そうだろうな)
「ルーボンヌ以外、できればアンダルイドでも神聖力の強い場所はないのかな? 神聖力を感じるきっかけになれるような」
「どうでしょう……さっきもいいましたが、教会はさほど……」
(あそこなら……!?)
ルーカスの頭にある場所が閃いた。
ヴァレリア所縁のあの場所──
「なら、聖女が暮らしていた宮殿はどうでしょうか? あそこは今でも聖女のかけた神聖魔法の効果が残っている」
マルティーナは首を傾げた。
「神聖魔法は神聖力が形を変えたものですから、それで神聖力を理解できる可能性はゼロではないかもしれません。ですが、本当に魔法が残っているんですか?」
しかし、ベルナル先生は子どもみたいに目を輝かせた。
「ルーカス君!」
「父……陛下に訪問していいか訊いておきます」
「もうすぐ前期試験があるから、それが終わってからでも研究メンバーで行けたらうれしい」
「ブランカ宮殿に現在居住している者はいませんが、管理している者がいるので、許可さえ取ればいつでも行けると思いますよ」
「ありがとう!」
(僕がブランカ宮殿を訪問したいのを、父上が『ダメ』だと言うはずがないから大丈夫だろう)
ルーカスはマルティーナが今どう感じているのかを探りたくて、マルティーナの様子を窺った。
その横顔はとても不安げに見えた。
(やはり君はヴァレリアなのか? いい思い出のないブランカ宮殿には行きたくない?)
「あの……」
マルティーナが勇気を振り絞ったとわかる声を発した。
「前期試験までは、研究はお休みになるでしょうか? 私、試験勉強をがんばりたくて……」
ドキドキしていたルーカスは脱力してしまった。
「そうだね、そうしようか」
「ああ、よかった。私、本当にがんばらないといけないので」
ルーカスは、おや? と思った。
「ウーゴから、君は『すごく優秀』だと聞いているが?」
「ええっ? 嘘ですよ。そんなはずがありません」
(おかしいな。ウーゴがそんな嘘を吐く理由がない)
ルーカスは首を捻った。
「なら、ルーカス君に勉強を教えてもらったらどうだい? ルーカス君は、試験前に必死に勉強する必要はないだろう?」
マルティーナが遠慮がちな視線を送ってきた。
(これはいいところを見せるチャンスか!?)
「こ、コホンッ。よかったら、試験が終わるまで放課後は一緒に勉強しようか?」
「お願いします!」
王子として恥ずかしくない学業を修めるべく、日頃から予習復習を欠かしたことはない。
そのことを今日は誇らしく思った。




