13.
マルティーナはひとり、特別教室棟を歩いていた。
(確か『突き当たりにある』って……)
この棟には何度か授業で来ていたが、指定された研究室のある最奥部までは、まだ足を踏み入れたことがなかった。
放課後は廊下が消灯されているせいで薄暗く、心許なく感じた。
奥に進めば進むほど、外にいる学生たちによる話し声は遠ざかり、やがて静寂が訪れた。
もはや聞こえるのは自分の足音のみだ。
特別な装備もなく、ダンジョンへ入り込んでしまったかのような心細さを感じた。
(パウラは今頃、課外活動中かしら?)
園芸部に入ったという報告は先日もらっていた。
今朝一緒に朝食を取っていたときに『今日からなの』だと、うれしそうに言っていた。
魔法使いが自然魔法を使用したければ、まず呪文を唱えて自然魔力にアクセスする必要があるが、その際には魔法使い自身の魔力を必要とする。
マルティーナの場合は呪文詠唱は不要だが、やはり自然魔力を取り込む際に、マルティーナ自身の魔力を消費している。
自然魔力さえ無尽蔵にあれば、いくらでも魔法が使えるというものでもない。
魔法使いがガス欠を起こせば、魔法は不発となる。
園芸部では、魔法使いの魔力を回復させる効果のある薬草を研究・栽培しているそうだ。
「マルティーナは何か部活に入らないの?」
「私は……そうね」
「放課後暇じゃない?」
「うーん、そこのところがはっきりしていなくて……」
神聖魔法の研究に協力することは内密に、という取り決めがなされている。
「ね、もし収穫の時期に手が空いてたらでいいから、手伝いに来ない? 部のメンバーだけだと人手が足りなくて、臨時の募集をかけることがあるんだって」
「それならできるかもしれないわ」
「じゃあ、そのときになったら声をかけるね!」
パウラは聡い上に、思いやりがある人だ。
こちらが話したくない状況のときには、察してくれて、それ以上突っ込んだことは訊いてこない。
言えないことの多いマルティーナにとって、そのことは心底有り難かった。
(もしパウラとクラブ活動に参加できたら、楽しいに決まってるわ!)
研究の期間と頻度については、知らされていない。
しかし、考えてもみれば、研究するのはこの学院の教師たちなのだ。
教鞭をとる傍らということは、拘束される時間は案外短いかもしれない。
あるいは、普段から協力的な態度を示しておけば、たまにはこちらの都合に合わせて融通を利かせてくれることもあるかもしれない。
(そのためにも、何をさせられるかはわからないけれど、とにかくがんばりましょう!)
※
マルティーナは前向きな気持ちで、ドアを開けた。
「失礼しま……す」
教師たちはまだ来ていないようで、研究室の中には学生がひとりいるだけだった。
軽く上がっていたはずのマルティーナの口角は、一瞬のうちに下がってしまった。
(どうして選りに選ってこの人が!?)
係ることがないように距離を取ろう、と決めていた人物だった。
「僕も研究に立ち合わせてもらうことになっているから、これからよろしく」
しかし、相手は第3王子だ。
すぐにでも『こちらこそよろしくお願いします』と頭を下げるべきなの理解していた。
それでも声は出なかった。
(私は『聖女ではない』とはっきり訂正したはずなのに、どうしてルーカス殿下が立ち合いなんて……はっ! もしかして、まだ聖女だと思い込んでいるのかしら? あらら? ということは、聖女の神聖魔法を期待されてる?)
それは非常に困る。
学院長はマルティーナの神学校での成績が散々なことは知っている、と思っていたのに──
(実際はたいしたことない治癒魔法しか使えないとわかったら、私はどうなってしまうの? まさか王子権限で国外追放とか?)
血の気が引いていく。
(どうしよう……ルーボンヌに帰るのだけはゴメンだわ。かと言って、ほかに行く当てなんてないし……)
せめて自然魔法がこの学院でも通用するだけのものであったならば、どうにかなったかもしれないのに! と悔しく思った。
ルーボンヌでは自分の自然魔法がどれほどのものなのか、測るだけのものさしがなかった。
それでも学院長から誘ってくれたのだから、ここでも落ちこぼれる可能性はあるにしても最低限のレベルはクリアしているはずで、留学さえしてしまえば何とかなるだろう、と安易に考えていた。
ところが蓋を開けてみて、びっくりだった。
マルティーナを除くクラスメイトの全員が、初等教育の段階から、体系化された学問としての自然魔法を学んできていた。
無知なのは、マルティーナただひとりだった。
マルティーナが教師からの質問に答えるたびに、皆が笑うまではしないでも、目を白黒させている。
自分とクラスメイトたちとの間にどれくらいの差があるのか、皆目見当もつかない。
それはクラスメイトたちの背中が見えないほどの遅れをとっている、ということに他ならない。
これで神聖魔法の研究対象にすらなれないとバレた日には……
(さようなら、私の留学生活。思いの外、短いものになってしまったわ)
「改めて自己紹介してもいいだろうか?」
「えっ? ええ!」
目の前にいるルーカスをほったらかしにして感傷に浸っていた。
そのルーカスに予期せず話しかけられたせいで、焦って声が裏返ってしまった。
「A組のルーカスだ」
(フルネームは名乗らないのね)
「B組のマルティーナです……」
わざわざ断りを入れたくせに、名前を名乗っただけで自己紹介は終了してしまった。
あとには気まずい沈黙が続いた。
ルーカスの目線は研究室をさまよっている。
第3王子といえども、居心地が悪いのは同じらしい。
「……その、」
「はい?」
「……すまなかった」
「えっ?」
「君の事情も知らないのに、初対面で……何というか、その……配慮のないことを……」
もごもごと謝罪する間、一切こっちを見ようとはしなかった。
ルーカスという人物が少し理解できた気がする。
(不器用な方なのね)
ルーカスがもたついてしまったせいで言い終わらないうちに、学院長もようやくやってきた。
「申し訳ありません。少し遅れてしまいました」
学院長に続いて、教師たちがぞろぞろと入ってくる。
その列はなかなか終わらず、マルティーナは面食らってしまった。
(まさかと思うけど、学院の先生たち全員で私を研究するつもりなの?)
ようやく最後のひとりが研究室に入りドアを閉めたところで、学院長が再び口を開いた。
「大勢で押しかけたせいで驚かせてしまいましたか。ですが、マルティーナ君の神聖魔法をぜひとも拝見したいと、全教員が手を上げたものですから。次回以降はベルナル先生と、たまに私が来るだけなので、今日だけは許してください」
(許す許さないの問題ではなくて……こんな大勢の前で私のしょぼい神聖魔法を披露しなくてはならないの?)
目眩がしそうな思いだった。




