10.
学院では自分がこの国の第3王子であることは封印しようと決めていた。
そう、ただの一学生として振る舞おうと──
入学式すら済んでいないというのに、あっさりとそれを撤回したのには理由がある。
入学式の2日前に、もう2度と会うことはないと思っていたヴァレリアと再会してしまったからだ。
(ヴァレリア……いや、今はマルティーナという名だったか)
久しぶりに会った彼女は、ルーカスとはまるで初めて会うかのような素ぶりを見せた。
(本当に気づいていなかった可能性も否定できないが……いや、それはないか)
ルーカスがマルティーナにしたことといえば、いくつか質問しただけに過ぎない。
初対面だと勘違いしているのであれば、ルーカスに対して腹を立てる理由がないではないか。
気づいていたからこそ、あの態度だったのだ。
(昔のことを怒っているんだ)
心当たりは十分にあった。
(当然のことだ)
ルーカスは納得していた。
再会して翌日になっても、ルーカスに対するマルティーナの態度はやはり厳しいものだった。
さらに悪いことに、友人たちが彼女の怒りを増大させてしまった。
そこでマルティーナの代わりに、マルティーナの近くに座り、親しそうに会話をしていた男子学生から現在の彼女の状況を教えてもらうことにした。
「マルティーナさんのこと?」
(今はマルティーナという名前なのか)
それもウーゴから聞いて知った。
「俺も昨日知り合ったばっかだから、ルーボンヌからの留学生ってことくらいしか……あっ、でも同じファーマルズから来てるパウラが、『寮の部屋が斜向かい』だって言ってたから、パウラから色々聞けるかも」
「頼む!」
「はっはーん」
ウーゴはにやにやし出した。
「一方的にひと目惚れしちゃったってわけね?」
「ち、違う!」
「王子だからって、隠さなくてもいいじゃんかよ」
(僕とヴァレリアは断じて色恋が絡むような関係ではない!)
しかし、ウーゴにそれを説明することはできない。
「そうではなくて、ルーボンヌ神国からの留学生は前例がないから、困っていないか気にかかっただけで……」
「ふーん、なるほどね」
顔には『まあ、そういうことにしておいてやるか』と書いてあった。
ウーゴの醸す生温かい空気が癪に触りはしたが、そこはぐっと堪えることにした。
(どうしていい思い出などないはずのアンダルイドに戻ってこようと考えたのか……)
マルティーナの考えなど、ルーカスには推し量ることはできない。
ならば、せめて歓迎パーティーでは、マルティーナのことを本当の意味で歓迎してやりたいと思った。
それは、ルーカスなりの罪滅ぼしのつもりだった。
だからこそ、王子権限を使ってまでして、彼女のために歓迎パーティーのメイン料理を変更させたのだ。
(それなのに、おかしいじゃないか……)
困惑しきりだった。
※
生徒会長の挨拶と乾杯を合図に、新入生歓迎パーティーは始まった。
それから少しして、司会の生徒会役員がアナウンスした。
「本日は、ルーカス・フォアトゥーデス・デ・アンダルイド君の計らいにより、王宮より副料理長殿とコックの方々にお越しいただきました。なんと、メイン料理である牛肉のステーキを焼いてくださいます!」
その瞬間、歓声により中庭全体が揺れるほど、会場は盛り上がった。
ひっきりなしに教師や上級生が挨拶に来るものだから、マルティーナが会場のどこにいるのか探す暇もなかった。
それでも確信していた。
彼女もきっとよろこんでいるはずだと。
(全校生徒の中で1番よろこんでいるのがマルティーナ、なんてこともあるかもしれないな)
なにしろヴァレリアはタローロが大嫌いだったから──
祝いの席で出されれば、ヴァレリアが不自然な笑顔を浮かべながら、無理矢理に口に押し込んでいたのを今でも記憶している。
聖女として、好き嫌いなどできようもなかったのだろう。
けれど、その目は虚ろだったし、鼻の息も止めていたことに隣に座っていた自分は気がついていた。
さすがに直前すぎたため、最高級肉を人数分用意することはできなかった。
しかし、肉質はやや劣るとはいえ、焼くのは副料理長たちでさらにそれを焼き立てで提供されるのだ。
今日は非番で休みだったところを急遽お願いし、わざわざ学院まで来てもらった。
マルティーナも気にいるに違いない。
マルティーナがよろこぶのを想像しながら、上機嫌になって入れ替わり立ち替わりやってくる者たちと会話を交わした。
歓迎会が終了するまで、気疲れするどころか、終始ほくほくとした気持ちでいられた。
※
しかし、そのいい気分はあっさりと翌日には消え失せることになった。
「歓迎パーティーのメイン料理? 普通においしかったみたいだよ」
「普通……」
(そうか。マルティーナは、本来であればタローロが出されるはずだったことを知らないから……)
ウーゴはルーカスががっかりしたことを瞬時に察した。
「あっ、でも俺は感激しまくったよ!」
「ならよかった……」
「そんなに落ち込むなよ。マルティーナさんだって、『おいしい』って言ってたよ」
「『普通に』な」
王子特権を使ってまで得られた評価が、『普通においしい』なのだ。
落ち込まないほうが無理だ。
「仕方ないよ。彼女は貴族らしいから、ああいう上等な肉は食べ慣れてるんじゃないか?」
(そうかもしれないが、ヴァレリアが特に好んでいた味付けにしてもらったはずなのに、おかしいじゃないか……)
「そういえば、『アンダルイドの伝統料理が出ると思ってたんだけど』とかって言ってたな。それ食べてみたかったみたいだよ」
「はあ!?」
ルーカスは声を荒げた。
しかしウーゴはのんびりとした口調で続けた。
「マルティーナさんだけじゃなくて、パウラも楽しみにしてたっぽいんだよなー。魚料理らしいんだけど、ルーカスは食べたことある?」
「……ある」
「それ聞いたら、マルティーナさん羨ましがるんじゃない? あっ、上手いこと口実作って食べさせてあげたら?」
ルーカスはもう何も言えなくなってしまった。
(その機会を逆に奪ってしまったんだが……それにしてもタローロを食べたいとは、一体どういうことだ?)
ルーカスは、生まれ変わろうとも嗜好は変わらなかった。
アーロンだった頃と同じだ。
ひとつの可能性が浮上する。
(まさか……ヴァレリアではない? ひと目見て、ヴァレリアだと直感したが、その直感が間違っていた?)
ルーカスは自問した。
今まであったはずの確信が揺らいでいる。
(どうにかマルティーナがヴァレリアだったかどうか確かめる方法はないのか?)
しかしマルティーナからは、はっきりと拒絶の態度を取られている。
仮にヴァレリアだったとしても、真っ正面から問い質して、相手にしてもらえるかどうか。
仮に相手にしてもらえたとしても、『どうしてそんなことを訊くのか?』と逆質問されたら非常に困る。
(どうしたものか……)
悩んだところで答えは出てこなかった。




