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第28話 夫婦の契り

 ベルは峡谷の隠れ里に帰ってきてから、ずっと花の部屋にこもっていた。岐散花序(きさんかじょ)と呼ばれる、多数の小さな花が夜空の星屑のように群れ咲く中に隠れている。白、ピンク、黄の可憐な花々がベルを覆い、癒してくれる。


    *


 演説の後に長老が言った「自分の魔力を相手に捧げるのは求婚の意味がある」という言葉は、ベルを狼狽(ろうばい)させた。すぐにヒイロが何かを言い返していたようだが、衝撃のあまり耳に入ることはなかった。気がついたときにはロックに乗って島を立つところだった。

 別れ際にどこか楽しげな長老が、たてがみのような髪を撫でつけながら、「オレはいいと思うぞ」と溢していた。

 ヒイロはフンと不機嫌そうに鼻を鳴らし、すぐに飛び立つようにロックを急かした。

 帰りの道中は気まずい沈黙が続いた。ベルは吹き飛ばされないようにヒイロの胸元に収まるしかない。それがますます顔を強張らせる原因になった。

 刺繍は演説の成功を祈る願かけだ。ただそれだけを想って魔法をかけた。特別な意味などない。喜んでくれたらいいな、と少し考えてはいたけれど。

 ヒイロはベルを気遣うよう一言だけ口にした。

「老人は若者の下世話な話が娯楽なんだ。気にすることはない」

 ベルが小さく返事をした後は、隠れ里に着くまで二人とも黙ったままだった。


    *


 たくさんの柔らかな花と生き生きと張りのある葉はベルを慰めてくれた。辿々しい言葉で「どうしたの」「わらって」「げんき」と繰り返す。花から生まれたベルが一番安心できるのは、植物に囲まれた場所だ。膝に顔を埋めて後悔に(さいな)まれていた。

——わたしったら、なんていうことを……!

 いつも賑やかにしている子どもたちでも異変に気がついたのか、この部屋には近づいてこない。お陰で静かな時間を過ごせた。

 しばらくすると、少し気持ちが落ち着き、ものを考えられるようになる。自分のちょっとした思いつきと行動が、ヒイロの迷惑になっていたのではないか。知らなかったとはいえ無作法なことをしてしまった。それでも配慮の言葉をくれた。心苦しい気持ちが後からやって来た。謝らなくては。しかし、今の乱れた心では上手く言葉にできる自信がない。

 他の魔族たちはベルの贈り物に気がついただろうか。そうだったら、ますます申し訳ない。周りの目を心配しているうちに、アカが刺繍について気にしていたことを思い出す。その意味を今さら察する。また後悔の波が押し寄せてきた。もしかしたら、アオが出発を急かしたのは——。

「ベル殿、いらっしゃいますか?」

 ベルが強く目を瞑ったところで、アオの落ち着いた低い声が入口の方から聞こえてきた。すぐには答えることができず、ベルは立ち上がって少しだけ浮上し、草花から頭だけ出した。入口にアカとアオが立っている。

「ああ、よかったです。お食事は取られていますか?」

 アオの顔に浮かぶのは心配げな表情。隠れていることが後ろめたくなる。ベルは羽ばたいて上昇し、全身の姿を現す。

「大丈夫だよ。わざわざ来てくれたの?」

 アオとアカはベルのそばまでやって来て、膝をついて身を屈める。

「お元気がなさそうだったので……」

 ベルは唇をきゅっと横に結んだ。そんなつもりはなかったのに心配をかけてしまった。これ以上は迷惑をかけたくない。

「心配をかけてごめんなさい……。ちょっとびっくりして……」

 目を伏せて謝罪もするも、口から出たのは頼りなげな言葉だった。中学生のときに転生し、妖精ゆえに特定の人間以外とは交流してこなかった。圧倒的に人生経験が足りていない。世の中のことは分からないことだらけだ。

「アカは知ってたの? わたしがヒイロの服に刺繍をしたのは……」

「そのことか」

 アカは目を(しばた)いた後に、腰に手を当てて胸を張る。

「俺の家系は魔術に長けた家系なのだ。俺自身は面倒な術より、前線で戦う方が性に合っているがな。術には印や陣がいる。見慣れているから主の服に陣のようなものが刻まれているのが気になったのだ。しかし、聞いてみれば、魔法による装飾ということではないか。この地の守り人にとって、古くから伝わる契約の義だ。親族や親友でもやるが、異性であれば夫婦の契りを交わすという意味になる。光の者も闇の者も元は創造神にこの地を任された霊的存在。神性は失われつつあっても、いまだに魔力は重要視されている」

「この者はこう見えて主様ほどではないですが、ジンという種族で、それなりに由緒ある家系なのです」

 らしくない話しぶりに面を食らい、アカをまじまじ見つめるベルに、アオが助け船を出す。「この者は」だけ少し棘のある言い方だった。

「こう見えては余計だっ!」

 むっとするアカには一瞥(いちべつ)もくれず、アオは胸に手を置き、いつもの冷淡な表情でなく紳士的な態度で話し始める。

「ベル殿、まずは申し訳ありません。私も気づいておきながら、このことは黙っておりました。ベル殿がご存じないことは当然のことですし、他意がないことも分かっております」

「うん……」

「他に気がついた者は、あのくそジ……幽玄渓谷の当主以外はいないと思いますよ」

 ベルの顔に生気が戻る。アオを(すが)るように見つめ、「ほんと?」と問いかける。

「ええ。恥ずかしながら、我らは魔力探知能力は低い。巨大な攻撃力を持つ代わりに繊細な操作ができません。その辺は光の者が得意とするところです。少し込められた魔力くらいでは気づけません」

 ベルから力が抜ける。顔がふにゃりと崩れる。もし魔族たちに知られていたら、ヒイロに顔向けできないと思っていた。

「じゃ、じゃあ噂になってたりは……?」

「ご心配なさらずとも、私たち二人と幽玄渓谷の当主くらいなものです」

 今度こそベルは羽ばたくことを忘れて空中から落ち、円を描くように咲いた花の上に尻もちをつく。ポフン——。花が綺麗に受け止めてくれたため無傷だ。

「よかったぁ……。迷惑をかけたらどうしようかと」

 天井を(あお)いで漏らしたベルの声は情けなかった。腰が抜けてすぐには立てない。

「迷惑など……。ベル殿の元へ私たちを向かわせたのは主様ですよ。自分では負担をかけてしまう、とおっしゃって」

 今もなお気を使ってくれるヒイロの優しさにベルの胸が締めつけられる。演説が終わってからまともに顔を見れていない。失礼なことだ。話さなければ、と思った。まだ伝えることは整理できていないけれど。

「ヒイロはどこにいるの?」

「今日参加できなかった者へ内容を伝えに行かれました。何日かは帰られないと思います。お帰りになられたら、すぐにお知らせします」

 アオが話し終えた瞬間に、子どもたちがベルの姿に気がついて部屋に雪崩れ込んでくる。途端に部屋が賑やかになる。「あそぼあそぼ」「ベルちゃん、かくれんぼしよ」と次から次へとせがむので、ベルは大きな声で二人に一言呼びかけるのが精一杯だった。

「よろしくね、ありがとーっ!!」

 すぐに子どもたちに囲まれて小さな妖精の姿は見えなくなる。

「よかったのか? 主の気持ちを伝えなくて」

「それは出過ぎた真似、と言うんだ。覚えておけ」

 団子になって草花の中を転げ回る子どもたちとベルを遠目に見ながら、残された二人は静かに言葉を交わしていた。

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