(8)
どれくらい時間がたったのか、考えたくもなかった。町の噴水池の縁に腰かけ、石畳のふぞろいな模様をぼんやり眺めていたネリアは、隣に人の気配を感じた。
何気なく顔を見ると、ケローネー教官だった。やはり地面に視線を落としている。こんなとぼけた人間が教官になるくらいだから、ゲミノールム学院はできそこないの集まりなのだとネリアは思った。
「私を連れ戻しにきたんですか?」
「ああ、まあ、そうですねー」
イオタに賛同するのも癪だが、話していると本当にいらいらする。だがネリアが軽蔑のまなざしを投げても、ケローネーは穏やかな表情を崩さなかった。外見だけなら女の子が騒いでまとわりつきそうな先生だけに、もったいない。
ネリアは自嘲の笑みを漏らした。外見だけなんて、自分がさんざん言われてきたことではないか。
「私、性格きついですか?」
「あなたはー、どう思いますかー?」
「きついと思います。自分でもわかってるんです。昔はこんなんじゃなかったのに……虹の捜索隊の審査に私も参加したかったのに、入れてくれる冒険集団がなくて。『クラーテーリスの水晶』にけがでもさせたら大変だからって」
「人にー、大切にー、されるのはー、いいことですよー」
「みんな、本心じゃないもの。言い訳にして逃げてるだけ」
ラキスでさえ、危ないから冒険には連れていけないと反対するのだ。
「水の法にはー、防御の法術がありませんからねー」
私も先ほどの戦いであっさりやられてしまいましてー、あははーと、ケローネーは恥ずかしそうに頭をかいた。
「だから私、ラムダといたいんです。俺が守るからって連れていってくれたのは彼だけなんです。あのとき私は大けがをしたけど、手を出してはいけない動物にさわろうとしたのは私だったから。嘘つき呼ばわりして追い返したことをずっとあやまりたくて……もう一度やり直したくて変な薬まで飲んだのに、他に好きな人ができたなんてあんまりだわ。しかも同じ水の法専攻生だなんて」
「ミューはー、いい子ですよー」
ネリアは縁に両手をついて足をのばした。
「わかってますよ、そんなの。ここに来るまでにいろんな人に話しかけられたもの。パン屋なんでしょう? 普段、馬鹿みたいに愛想を振りまいているんでしょうね。本当、私とは正反対だわ」
だから彼女の体をもらったのだ。ラムダがこの体の持ち主を好きなら、自分が彼女になればまたそばにいられると思ったのに。
それなのにラムダは――彼らは、自分の体に入った彼女を心配して囲んでいた。見た目が彼女の自分には見向きもせずに。
あの集団に自分が入るすきまはない。いないと困ると彼らが訴えているのは、自分ではないのだ。
「私を必要としてくれる人なんて、もうどこにもいないんだわ」
冒険集団には欠かせないと人気の水の法専攻生だったにもかかわらず声がかからなかったのに、その術力すら失ってしまった今、自分には何も残っていない。
「あきらめるのはー、まだ早いですよー」
「だって何の役にも立たない人間なんか、足手まといにしかならないじゃないですか」
「役に立たないとー、自分で決めつけるのはー、だめですよー」
ケローネーはシャモアの家のほうを指さした。
「たとえば―、タウの集団には―、教養学科生がー、いるんですー」
先ほど市の警兵を連れてきた生徒だとケローネーは教えた。
「嘘……なんでそんな、武器も法術も使えない生徒を入れているんですか?」
「そうですねー、そういう集団はー、あまりー、見ないですねー。でもー、誰を求めるかはー、集団によってー、違いますからー」
「意味がわからないわ。人数に決まりがあるのに、その枠の一つを教養学科生で埋めるなんて」
かぶりを振るネリアに、ケローネーは笑みを深くした。
「タウたちのー、集団でー、ローはー、とてもー、楽しそうですよー。あの集団はー、みんなでー、力を合わせているのがー、よくわかりますー」
本当にいい集団だと、ケローネーがほめる。
「ですからー、あなたのことをー、必要だと思ってくれる人もー、必ずいるはずですー」
「その教養学科生は運がよかったのよ。ラムダがいる集団だもの。でも私は入れない。入れてもらえないんです」
「あそこにはー、入れなくてもー、きっとー、あなたのー、居場所はー、ありますよー」
「絶対にないわっ」
「探すのもー、冒険のー、うちですよー」
かっとなってネリアは言い返そうとした。だができなかった。どこまでも温和な笑みを浮かべるケローネーの顔に、ネリアは見入った。
「いつも同じ場所でー、すれ違う人とかー、気がついたらー、隣の席にいる人とかー。自分の欲しいものはー、意外とー、自分の近くにー、転がっているものですよー。座って待っているだけでー、欲しいものがー、手に入る人はー、ほんのひとにぎりですからー。欲しくてもー、手に入らないものもー、たくさんありますがー、じっとしているよりはー、いいと思いますよー。だまされたと思ってー、もう少しだけー、探してみませんかー?」
ネリアは返事をしなかった。黙ってうつむいたとき、涙があふれた。
それからネリアは思う存分泣いた。ケローネーにしがみつき、気がすむまで泣き続けた。
ケローネーに付き添われて部屋に帰ると、ラムダたちはまだ自分の体を囲んでいた。ネリアが元の体に戻ることを承知したとケローネーが話すと、それまで見向きもしなかったラムダが顔を上げた。そしてラムダは、一緒に夢に入りたいとケローネーに頼んだ。
「信用がないわけね」
並んで横たわりながらネリアが言うと、ラムダは否定した。
「ミューを迎えに行きたい。それだけだ」
胸がうずいた。だがネリアはその原因を考えないようにした。
夢の中は一面灰色の世界だった。心が浮き立つようなものは何もない、どんよりとにごった世界。
どこに行けばいいかはわかっていた。歩きだしたネリアの後を、ラムダもまた無言でついてきた。
やがて前方に人影が見えた。座り込んでいるミューを目にするなり、ラムダは走った。
「ミュー!」
彼女の足には蔓が絡みついていた。ネリアがラムダの隣に並ぶと、ミューの瞳にいぶかるような色がにじんだ。なぜ二人で来ているのか、そう聞きたそうな顔だった。
「迎えに来た。一緒に帰ろう」
ラムダに抱きしめられたミューは少し安心したようだった。ネリアは二人から視線をそらすと、ミューを束縛している蔓に触れた。
蔓はすぐネリアの魂に反応した。もとは自分の体だ。蔓はミューをあっさり解放すると、ネリアに集まりはじめた。
「ネリア……」
「出ていって。早くここから消えて」
ラムダの言葉をさえぎり、ネリアは二人に背を向けた。
ひたひたと去っていく足音は二つ。絶対にふり返るものかと、ネリアは唇をかんだ。
「ミュー!!」
三人が目覚めるなり、イオタが真っ先にミューに飛びついた。
「本物よね? ミュー本人に間違いないわよね?」
「ええ、イオタ」
顔色が少し悪かったが、ミューは抱きつくイオタの背に手を回して微笑み、それからシータたちを見た。
「心配かけてごめんなさい。ファイはどこにいるの?」
別の部屋で寝ているとシータが答えると、ミューは「そう」とつぶやいて目をそばめた。ファイが暗黒神との絆を強めてしまったことを気にしているのだろう。
ラムダも身を起こした。視線を交えた二人は今にも抱き合いそうだったが、ミューの腕の中には強力な先客がいたため、ラムダは不満そうに小さくため息を吐いてから苦笑した。
シータは静かに部屋を抜けるネリアに気づいた。隣にいたタウも同じほうを見ていたが、シータと目があうとタウは首を横に振った。シータもうなずいて、後を追うことはしなかった。
シャモアが連絡をつけたのか、昼前にネリアの家から迎えが来た。馬車から転がるように出てきた同じ年頃の少年は、少しでも早く立ち去りたいとばかりにネリアを馬車に押し込んだ。そのままろくにあいさつもせず出発しようとした少年を、ラムダが引きずり下ろした。少し離れた場所で二人だけで話をするラムダと少年を見やり、馬車の窓からネリアが顔を出した。
「ねえ、どうしてラムダを好きになったの?」
ミューはまっすぐにネリアを見返した。
「ずっとラムダと一緒にいたあなたならわかると思うわ」
ネリアは暗紅色の瞳をすがめた。
「私、負けたとは思っていないから。ラムダが一番最初に好きになったのは私だもの」
「あんた、まだそんなこと……!」
かみつくイオタをミューがとめたところで、ラムダと少年が戻ってきた。来たときの少年はかなりこわばった顔をしていたが、今は少し目つきがやわらいでいた。
「武闘館で会おうな」
ラムダが差し出した手を少年はにぎり返し、互いに笑みをかわした。そしてラムダはネリアを見た。
「元気でな」
ネリアは泣きも笑いもしなかった。ふいと顔をそむけたネリアの横に少年が乗り込む。七人の見送りを受け、馬車はリーバの町へ向けて出発していった。
その日の昼は、シャモアの家で食事をとることになった。大人数のため、イオタとミューも料理の手伝いを申し出る。それにうなずいたシャモアは、本棚に並べられている本を物色していたファイにも声をかけた。
「ファイ、あなたもお願い」
「え? ファイって料理できるの?」
文句も言わずにシャモアのほうへ歩きだすファイに、シータは目をしばたたいた。
「別に、嫌いじゃない。薬を作るのに似ているから」
どこが、という問いをのみ込むシータのそばで、ローが手を打った。
「なるほど。だからか」
「何が?」
「ファイの作る料理だよ。たいていのものはおいしいんだけど、たまにすごくおもしろい味のものが出てくるんだ」
実験の感覚で作っていたのかと笑うローに、食べたことがあるのかラムダとタウも納得顔で肩をすくめた。
料理ができあがったところで、市長への報告をすませたヒドリー教官が現れた。ヒドリーはシャモアの手料理をほめちぎりながら頬張り、ケローネー教官とロードン教官は談笑しながらゆっくりと手をつけていった。どれもとてもよい味だったので、シータも遠慮なく腹におさめていき、隣のファイにあきれられた。
「一つお聞きしたいんですが、イフェイオン先生はなぜ闇の力に関わったんですか?」
タウの質問に学院長が杯を置いた。食卓に下りた重い沈黙を破ったのはシャモアだった。
「暗黒神の支配する領域は世界の底にあるの。それを抑えているのが大地の女神の領域であり、大地そのものなのよ。だから大地の女神の守護を得る者は暗黒神の影響をもかぶりやすいの」
「では、暗黒神の信者は……」
「残念だけど、過去に大地の女神の守護を受けていた者がほとんどでしょうね。術を扱う神法士が闇に染まれば一般への被害は大きくなってしまうから、心に闇をもつことのないよう、大地の法の専攻生には特に念入りに精神面の強化を指導してきたのだけれど」
「教官自らが堕ちてしまうとはな」
ロードン教官がため息を漏らす。室内がしんみりとした空気にのまれかけたところで、イオタがはっとした顔つきで机をたたいた。
「ちょっと、あんたたち食べすぎよ。私たちの分がなくなるじゃない」
育ち盛りかつ大食いの武闘学科生三人の侵攻を防ごうと大皿を奪うイオタに、シータとラムダが抗議する。シャモアはくすくす笑うと、新しい料理を作りに台所へ消えていった。
昼食後、シータたちは帰る準備をした。ファイは読みたい本があるから家に残ると言い、ミューはラムダが送ることになった。途中まで同じ方向のシータも一緒に出ていこうとしたが、邪魔をするなとイオタに引き戻された。
学院長たちが食事の礼を告げて順に去っていく中、ヒドリーだけがまだぐずぐずとねばっているのを横目に、シータは玄関に向かった。見送りに来たファイにさよならを言って背を向けたとき、呼びとめられた。
「ありがとう」
いきなりだったので反応が遅れた。返事をする前に閉められた扉を、シータはまじまじと見つめた。
「シータ、帰るよ」
声をかけてきたローにあいまいに応える。
「どうかした?」
「……ううん、何でもない」
答えてから、シータは自分の胸にそっと手を当てた。
一瞬何か、初めて感じたものがあったように思えたのは、気のせいだろうか。
つかみそこねて消えてしまった心の動きを、シータはひとまず脇に置き、ローたちとともに家路をたどった。
翌日からの学院は、いつもどおりのにぎやかさを取り戻した。呪膜から解放された生徒は目を覚ましたが、先に奪われた術力は回復せず、彼女たちは神法学科から教養学科へ籍を移すことになった。また、イフェイオンに吸収された魂はよみがえらなかったため、いくつかの家で葬儀がおこなわれた。
次の休みに、シータたちはトレノ市の南部に広がるステーラ平原に行った。『風の神が駆ける月』の最後の日から『炎の神が奮い立つ月』の最初の日に移る時間、風の神とその眷属の精霊がカーフの谷を発ち、レオニス火山に向かう。その途中、精霊たちが星屑を振りまいていくのだ。『星の実』と呼ばれるそれは、当然年に一度しか見ることができない。
ステーラ平原の中でも特に見晴らしのいい『星の丘』にのぼって腰を下ろし、七人は暗い夜空をあおいで時を待った。
やがて鐘の音が遠く聞こえてきた。スクルプトーリス学院の鐘だろうか。
「あ、見て!」
ローが東の空を指さした。カーフの谷の方角からきらきら光るものが近づいてくる。そして星屑はシータたちの頭上に降りそそいだ。
触れる前に消えてしまう『星の実』を、シータはまばたきもせず眺めた。風の神も眷属もシータの目には映らないが、このときばかりは確かに存在することを体感した。
ラムダとミューが、それぞれ黄赤色と紫色の玉をかかげる。シータも緑色の玉を取り出して、空にかざした。
玉が増えたことで、これが虹の森をひらく鍵だというローの意見は確信に変わった。きっと玉が七つそろったとき、自分たちは虹の森へ行くことができるに違いない。
三つの玉は『星の実』に溶け込むように輝いている。
残るはあと四つ――虹の森への期待を、シータは星屑に祈った。
閲覧ありがとうございます。3巻はこれで完結です。
次巻のタイトルは『炎王の使者』で、11月中に投稿予定です。