007
しばらく森林を歩けば、下草も寄り付かない場所に着く。
舗装やらの道路整備は辺境まで行き渡らず、土の地面には荷車の通った跡が乱雑に残る。雨の日には小さい泥沼に車輪を取られるのが、この地域の常なのだろう。
晴れ続きの日照りで地表に広がった砂は一歩ごとに音を立てた。
わざわざ大回りして街道を通ったのも、全ては身元を怪しまれないためだ。
降下地点から直線的に近づけば疑われるのは当然、知らない土地を出歩くのに研究者といった身分でも示せなければ友好的な接触は望めない。
関係ない方向から、それも街道を通ってきた者なら注意も向かない。
六日ほど経ったとはいえ辺境では話題も簡単には移っていないだろう。
遠い森を背景に辺境村を見る。
繋がる街道は一本だけ。野生生物の対策にと、大がかりではないにしても畑を含めて石造りの壁で守られる。
そんな村は日中にも関わらず、出入りのための門が閉め切られていた。
二百もいない村だが、それらしき活気も耳に届かない。
近づくことでやっと、数えられる程度の物音と話し声が聞こえてきた。
「なあ、ここの門は開かないのか?」
門の元で声を投げると、足音が近づく。
石壁の上から顔をのぞかせた住民は、一人立つこちらを見つけた。
「誰だ?」
「誰と言われても知人はいないぞ。旅商人って答えれば入れてもらえるか?」
「門を開けるから、少し待ってくれ」
見慣れた格好を見たことで安心もできたのだろう。
背中の荷物は凶器も詰まっていなさそうなもので、護身程度なら村人の数人で対処できる。
こちらの願いは素直に聞き入れられて、一人が通る幅だけ門を開けてくれた。
とはいえ、即座に門を閉じ切る様子は村主導で旅人を襲おうとしているようにも思えた。
住居の質素に見える土質の壁は、発酵させた植物と諸々を混ぜた、断熱と防水性に富む建材だ。扉や窓の装飾を見れば、それなりの工芸技術を獲得していることもわかり、現地比較で優れないにしても専門性は有している。
狩猟と農耕を備え、労力に家畜を駆り出す風景は決して野蛮でもなく、工業化の一手があれば容易に姿を転じていくものだ。
とはいえ、現在は辺境そのもの。
魔術の気配もなければ、裕福とも言えず、足元からは天候に左右される生活が感じられた。
見渡すだけでも二十は数えられる住居に対して、あまりに静かだ。広場にいる数人がこちらを見て立ち話をする程度で、日々の営みが感じられない。
村の入口で立ち止まっていると、先ほど話しかけてきた門番が近くにきた。
「済まないな。少し緊張していてな」
「もしかして、この前の夜にあったあれか?」
「あんたも見たのか?」
「ああ、あれだろ。空の方で明るい塊が一直線に動いていたやつ。隣町からでも見えたぞ」
腕で示した雑な方向に、門番も同意する。
「そう、そいつだ。……空から落ちてきたといっても、かなり遠いらしいぞ」
「分かるのか?」
「ああ。何でも光が進んだ向きから遠い近いはわかるらしい。たとえ、この森の中だとしても、かなり遠い位置だとさ。なんでも星降りって呼ぶらしい」
「星降り……、星降りか、なるほど分かりやすい」
星降り。
以降はそう表現すべきか。辺境村の学者筋が語ったという分かりやすい経緯も手に入った。
「昔でなくてもこの国では何度かあったらしい。とはいえ、問題ないって言われても気が気でならないよ」
「この村には学者さんがいるのか?」
「いや、村長の息子が昔、都市の方に出向いていた」
「なるほど、学識があるのか」
「村では一番だろうな。たぶん」
この門番が冷静なおかげで話題が進む。門の対応も村の現状に合わせているだけのようだ。
「このところ狩りも控えている」
「そっか、森の方向だからか」
「まあな、そんなわけだ」
村の外に出ず、かといって村の中を歩き回るわけにもいかず、大半は家にこもっている。
彼らの日常にそう多い暇があるわけではない。仕事ができない不安を忘れるよう、彼らなりに豊穣の祈りを行っていることだろう。
「こんな時に、どうして来たんだ?」
「あんな事があったろ。知り合いの酒場が厄日だって言って買ってくれなかった。雨じゃないけど客入りはどうしても下がるからさ、物売りついでに見物していこうと思ってこっちへきた。とまあ、直接見に行くのは無理そうだけど」
「酒場の品か?」
「肉だよ。少し待ってな」
門番の質問に対して、地面に下ろした鞄の口を開く。
小脇に抱えるくらいの麻包みを取り出して、中の干し肉を見せる。
味見と教えて削った欠片を渡すと、悪くない反応が戻ってきた。
「干し肉か」
「良い腕だろ。変な臭みもない。こんなもののために森の中で住もうっていう偏屈だから、他じゃ手に入らないぞ」
ちなみに、帝国科学の粋を集めた一品だ。
現地で不審に思われない最大限の手数をかけた肉は、常食にしたいくらい味がいい。実際に自分でも食べている。
どうしても現地入手で肉質に劣る面もあるが、この国の王宮へ届けても廃棄にはならないだろう。
「こっちの骨付きは小さく削って料理に混ぜるものだが、味付きの方は、な?」
「……酒が欲しくなるか」
「少し高価に思うかもしれないが、こんな時期だから売り切る方を優先するよ」
さすがに自腹で消費するには気が引ける。
そう答えると、門番は納得してくれた。
「単に買ってくれるだけでもいいが、ついでに野菜なんかも交換できれば嬉しい」
「野菜もいくらかは大丈夫なはずだ。こっちも物々交換できると助かる。猟が止まっているから肉の足しがあると安心できるよ」
食用と酒の肴とで時間を分けて売るかと問うてみると、ついでに頼んだ野宿の問題にもこころよい返事が届いた。
その夜。
貸してもらった空き家で休んでいると、腕の装着端末から通知が知らされる。いない監視を気にして眠たげに口を隠すと音声が届いた。
「管理者<マイマスター>。ミアン様から連絡があります」
「聞かせてくれ」
「どうも、首都から実行部隊が動き出したようです」
「早いな」
星降りを目にした国の上層部が警戒したのだろう。
空から落ちるものと知って疑惑を抱いた。飛来物を直に目視したなんて事は無さそうだが、実際に戦力を送り込むとなると確信に近いはずだ。
何らかの手段で事態を知ったとしても驚かない。
辺境村から直接でなくとも、遠方への連絡手段は確保しているはずだ。
案外、神託が届いた可能性もある。向こうはそれ専用の人材を有しているのだ。一度は外交関係があった相手だ、次に訪れる時には相応の対応が来ると予想できる。
こちらとしても相手国の戦力は事前に把握しているが、いつどこで衝突するかまでは予測できなかった。さすがに敵国の国民全てに監視を付けるとなると、惑星探査機三つでは足りない。
とはいえ、こちらの戦力に不足もない。
今回は時間的余裕もあるため、対処の困難はいくらでも減らせる。
「到着予想は?」
「最速で八日ほど」
「こんな時間に動いている連中だ。休憩はしても昼夜の区別はしないか」
幸い、大規模な衝突にはならない。
たとえ経由地の兵を借りるとしても、長距離を最速移動するなら小規模な編成になるだろう。
そもそも、この地の戦術は数より質に頼ったものだ。雑兵を集めたところで英雄には敵わない。一撃離脱。有効打を与えるだけなら追撃のための兵士は用意せず、少数精鋭で突き進むはずだ。
「明日にはこの村を出る。できれば夜に衝突したいな」
初めての武力衝突になる。
機械知性に任せきりにするのも一案だが、責任を持つのは指揮官である自分だ。
「偵察ユニットを差し向ける。自分も現地で待ち受ける形にしたい」
「承知しました。予備戦力を対応に回します。衝突予想地点の確認をお願いします」
「助かるよ」
空中表示された国土地図に街道上が強調される。相手の移動経路の最終地点には、予想時刻と合わせて敵の首領まで表示されていた。
自分が覚えていた情報といえば、部隊名くらいだった。
「センチエコー。忘れている要素はあるか?」
「今回の戦闘の目的は何になりますか?」
「そうだな。武寄りとはいえ向こうの重役が来る。捕虜にしたい」
要求にセンチエコーが従う。
「あと興奮剤の用意を頼む」
「医療ユニットは随伴させますが、あまりよろしいものではありませんよ」
「分かっている」
神経系の不順が減り、血流も安定する。
以降に悪夢を見るくらいは必要な代償だろう。
「こうでもしないと普通の人は、足が震えて立っていられないものだ」
「一人で背負うものではありません」
「そうだな。ひとりじゃない」
帝国はこちらに客観性を望んでいるようだが、それは間違いだ。
機械知性に自由判断が許されない現状、今作戦の決定権を持つのは自身しかいない。公平を無自覚に語っていられるほど気楽ではない。
「ロバートは常に戦場を抱えているし、ミアンには重たい仕事を頼んでいる。自分だけ楽するわけにはいかないさ」
事の正否は後で裁かれることにある。
個人で完結しない以上、そのための記録は惜しまないさ。
監督役が聞いてあきれる。
「全ては自分の安眠のためだよ」
部屋の隅で身を縮める。
薄毛布をかぶる自分にセンチエコーは短い言葉を告げた。