002
今の自分が所属するデイヴァール帝国は、元は一つの惑星における覇権国家だ。
いくつかの統合を経た後、宇宙圏へ開拓の手を広げて幾百年。空虚が占める広大な空間の各所に活動拠点を設け、現在の繁栄を築き上げている。
莫大な投資により星間通信を可能とし、数々の流通網を敷く。有する科学技術は地球のそれより進歩しており、辺境に身を置く自分にも、文明の利器が数多く届けられた。
少なくとも自分に与えられている生活は、貧困とは縁遠い。
一般国民より下位に準ずる二等国民であっても、惑星探査という特命により閲覧権限は高く設定されており、開示される軍事技術からも文明の違いは見て取れた。
数千光年先にある母星を直に見ることはできないが、母星の衛星軌道に準惑星規模の自動工場があると言われても疑わない。
何より中継基地で製造された惑星探査機さえ、人間換算で万単位の収容が可能な大きさなのだ。移民船と違って、容積の大半は任務遂行のための機能が詰め込まれているのが実態だが、技術云々の証拠には十分だった。
そんな文明の中で、自分は惑星を植民地に変える任務を与えられている。
母星が属する星系のおよそ千年先の衰退に備えて、移住先となる領地を確保する。既に母星の方では活動縮小が進められており、一部で惑星自体の解体も進んでいるらしい。
近隣の超新星爆発による影響で環境変化を余儀なくされ、生存環境の維持が困難になるとのこと。退避に際して回収可能な資源は全て取り尽くすという、何とも剛胆なアイデアも盛り込まれている。
徒労に終わっても郷愁を帯びる以外に損がない。未開文明のいち生命体としては、途方もないとしか答えられない計画だ。
首都ではなく国家という規模で、拠点とする星を移す。
帝国としても大きな契機になるのは間違いない。
新たな母星となる惑星は既に確定しているが、帝国領への追加候補となる三十余りの惑星は60%の目標達成で、文明規模の発展を保つと算出されているらしい。
内一つが自分たちの関わる惑星であり、まもなく到着する惑星探査機によって大規模な改造が行われる予定だ。
正直、60%という内訳には既得権益や利権やらの関係も含まれているようだが、衛星居住地では解決しきれない資源問題もあるため理屈としては間違っていない。
外来文明が惑星に手を加える迷惑極まりない行為だが、本来は穏便な形で原住民と交渉していく計画があったのだ。
残念ながら使節団の全員は、惑星で最も占める宗教国家の手で殺され、移民計画は次の段階へと切り替えられた。当時の警護システムさえ貫いた現地の特異技術も既に解析が進んでおり、対侵略防衛においては現在では課題にすらなりえない。
もっとも、惑星制圧となると面倒な手続きがあるのだが……。
巨大になりすぎた帝国は、強固な法整備によって現体制を保っており、正当性を重んじる気質が強い。それは国家主体の計画において特に顕著で、そのおかげで今の自分がいる。
正しさの可否についての論争は多岐にわたるが、少なくとも惑星地表をミキサーのように粉砕する手法を正しく最高などとは決して言えない。
それが生物非生物を問わず、原生環境の一切を排除するとなれば帝国民からの批難も必至だ。
非政府ながら、そういった事件が過去にあったというのが何とも成熟した文明じみている。
とにかく、快適な生活が送れていることは真実だ。福利厚生もそれなりにあり、休憩時間には個人の自由行動も許可されている。
「ロブ。そっちの調子はどうだ?」
「よう、ケンジィ。こっちは毎日が補修だ」
自室の通信設備で顔を合わせる相手は同僚であり、白人系の男だ。
ロバート=マッキントン。
通称ロブは、ツーブロックの短髪をブラウン系に染める。これは本人の目覚めの日課らしい。家庭愛が強く、愛妻と愛娘の話題になると息継ぎも忘れたように言葉を並べていた。
近頃はこの話題も避けており、自分たちの計画進行と共に、地球でも時間が進んでいるのを意識したのかもしれない。
自身にそれなりの保険金をかけていたため金銭的な心配はしていないと語っていたが、妻の再婚や娘の彼氏を考えたくないのだろう。無理もない。
ちなみにロブの死因は交通事故であるらしい。
「ついにだな。ケンジも”アレ”を見たか」
「ああ。デカかったな」
「分かるぞ。あれはデカい」
中年にも届かない三十路過ぎの男は、ついに訪れる自分の機体に心を躍らせている。
話題となった対象を、自身の携帯端末でも改めて表示させる。
大きな宇宙船と言ってしまえば終わりだが、細かく見れば話題は尽きない。
惑星突入を実現し、重力圏での活動を支える厚い外部装甲。磁気兵装による防衛はもちろん、機体周辺に取り付けられた計測器や武装を包む輪郭は、わずかに流線形を描き、遠近法では隠しきれないサイズ感を生み出す。
大海を渡ってくるための推進器など、単純な見栄えも褒められる。
船内には多種多様な生活支援も備えており、縮小版とはいえ自動工場を積み込んだ設備に幼稚心が躍らないわけがない。
長期の活動を予定した娯楽物資も積み込まれており、おそらく、サテライトステーションに滞在するより快適な生活が待っているのだ。
「こっちは酒をたんまり積み込んだぞ」
「配給点数を全部つぎ込んだとか言わないよな」
「まさか、娯楽に費やしたのは半分だぞ。そう言うケンジィは、まだ半分くらい使い余しているだろ?」
「……よく分かったな」
異国人という括りは、もはや星系国家において矮小な差だった。
言葉を交わせるようになった時点で唯一の隔たりも消え、同じ任務をこなす者として度々相談や歓談を重ねている。
以前の国柄なんて一人芝居にしかならない。片言程度に話せた英語も今では思い出補正の一つだ。
「ケンジの事は、ケンジ以上に知っている」
「ロバート。……俺に対して、それほど興味があるのか」
「冗談だ。残した点数で外科手術をしようってわけじゃないな? 現地でサプライズなんて嬉しくないぞ」
「しないしない」
故郷への愛慕は、自分たちの限られた共通点だ。
地球に関する情報閲覧は認められないながらも、指導官の口から漏れ聞くことはある。最近では任務優先のために情報漏洩は行われなくなったが、かの星の文明は存続しているようだ。
「ミアンの方から連絡は届いていないか?」
「全然だな。そっちは?」
「体調をたずねた時は、三回に一度は返ってくる程度だ」
「おー、中々進展したんじゃないか?」
ちなみにロバートと後一人を足した計三名が、この惑星の制圧メンバーである。
後方支援の人員を含めると数多の人員が関わっているが、現地に降りて活動するのは、この三人に限る。
事が決まっている以上、無駄な人員を割く必要もない。
「よしてくれよ、ロブ。これだって業務通達だぞ。なんで成績が一番悪いはずの自分が面倒を見ているんだよ」
「代わりに普段の訓練で手厚く助けられているだろ。俺からの感謝もついでに伝えておいてくれ」
「そのくらい自分で何とかしろ」
これからの本番でも定期連絡は欠かせないんだぞ。今になって世話の追加を押し付けられてたまるか。
「頼むよ、ケンジィ。俺は、通信の隙に告げても鋭い視線しかくれなかった」
「……訓練とはいえ任務中だからな。そっちの”シンクレア”も困らせているんじゃないか?」
「いやいや、俺たちの相性は最高だぞ。なあ、クレア。――『それに同意するには40%の冗談成分が不足です。追加申請しますか?』。――当然、追加だ」
シンクレア。
自分に対するセンチエコーのように、ロバートと組んでいる管理AIだ。ミアンのマルチロッドを含めた三柱が、惑星探索に携わる機械知性になる。
実際のところ、自分たち三人は機械知性を制御するための手枷足枷だ。
既得権益によって守られた身の上である。
機械知性が優秀すぎるのは帝国の方でも自覚しており、その扱いは慎重だ。
それぞれの個性を認めるためにも個別に閲覧権限が与えられ、まさに帝国民の一人として扱われている。
効率と実現性に優れることで他の帝国民の存在意義を奪いかねないどころか、機械知性同士の軋轢も激しく。同じ事業に携わる個体数には大きな制限がある。
処理能力は高く、情報交換も激しい。
特に機械知性の間では、顔見知りなんて関係は瞬時に過ぎる。
倦怠期の夫婦喧嘩のようなものだろう。
仕事上の権限を、”自身”の労働に影響しない範囲で私的行使しようとするため、とてつもなく陰湿で第三者が立ち入れない危険事態になりえる。
惑星規模の活動であるため三体も投じているが、普通は役割を明確に定めておかなければ、こちらの睡眠中に二体が爆発四散するらしい。
……あの時の指導官は冗談を語る表情ではなかった。
機械知性の全てを統括するAIによると、壊滅的な行為さえ彼らの人権、主権に含まれるのだと。個性という在り方を堪能しているようだ。
若さゆえというのか、諦めも不必要な彼らは一部で刹那的な印象も見られる。
そんな機械知性の関係の中間に、不出来な帝国民を置くことで不要な衝突を防いだのが帝国だ。
帝国民は生活環境のために労働力の向上を望んでおり、機械知性も自らの知的欲求を叶えるために、相方となる帝国民の権限拡大に務める。こんな関係であるため国民個人には提供されず、公的サービスや専門分野に関わったり、大きな目的で使われているのが大半だ。
緩衝材として第三者を置く。
これは帝国において当たり前の発想らしく、自分たち三人も帝国による惑星制圧に関する判断役としての立場に位置する。
いくら目的が正しくとも、手段を誤れば存在意義を損なう。
覇権国家の衰退に関わるとはいえ、原住民の大規模虐殺は許されるのか。原住民に関与しないとしても対価なしに保護を与える必要もなく、監視に留めたとしても帝国だけが惑星外を占有するのは望ましくない。
だから、死者である三人が呼び出された。
地球出身という、どちらでもない立場を持ち、双方の情報を得て適切な今後を判断する人材を。
地球人としての倫理も尊重され、確実に死を迎え、なおかつ死を自覚した人間が選ばれた。はるか地球には死体も残り、さながらクローンという様相だが、地球圏への接触を絶つことで国籍に関する不祥事も最小限に留められる。
既に帝国民として二等国民の立場を持っているため、そこに外部から見た同一性は喪失している。
「たとえ嫌われようと、出立前には自分で伝えてくれよ。そのうち忙しすぎて業務連絡しかできなくなる」
「そうだな。今度は、下手に睡眠を妨げると通信拒否になる」
「雑談のためでも、信号中継くらいは認めてくれるはずだ」
こんな遠隔会話も不思議なもので、各々の自室は同じ通路に面している。
惑星への常時監視のために活動時間をずらしていたり、限られた共通の時間は、講義や実習に費やされていた。
自室に誘う機会なんて本当に数えるくらい、食堂での朝食で相手の夜食が重なるなんてのも普通だった。
私物は少なく、地球由来となる物も持たない。
写真に出力した選りすぐりの景色といえば、どことも知れない砂浜やら湖やら。地球の生物学にも詳しくなければ、こんな魚がいただろうかという海洋の立体映像を小棚に飾る。
「ケンジ……お互い、幸運を」
「ああ。明日はきっと良い日になる」
会話通信を切断した後、同期準備のために停止している小さな機械を撫でて、その日は眠りについた。