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黄昏の精霊たち  作者: 松谷若草色
精霊の出奔と出会い
7/17

ノアとエレオノール_広がる世界①

 「こんな寒い時期に市なんか開くんだな」


 夜寝る前に、二人とも暖炉の前でくつろいでいた。

 エレオノールはすっかり寝支度が整っていたが、ウキウキとして気もそぞろだ。

 寝るのにはまだ惜しい。

 何しろ明日はノアとタリオの村に一緒にいく。

 美味しいものも、珍しいものもあるらしい。しかも、宿をとって何日か滞在するというのだ。

 楽しみだ。


 「ん、そうだな。あのな。徴租(ちょうそ)の時期が春先なんだ」

 「ふむ」


 言いながら、ノアの手はエレオノールの髪を触る。

 彼女がその手をつかまえようとすると、手はよけて逃げていった。


 「領主に年に一度税を納めるわけだ……さまざまな形で納められていてな。金銭の他に麦、豆、芋、布、鉱物、酒――」

 ノアは指を折って数え始めた。

 「肉、毛皮、木の実、塩、工芸品……労働力なんて言うのもある。とにかく、徴租の直前、この時期に市を開くとお互いに都合のいい取引が出来る事があるの――さっ」 

 言いながらノアの手が腹を撫でる。

 ――こいつめ!

 小声でそう言って、ノアの手をつかまえて懲らしめた。

 なんのことはない、二人で手遊びをしていた。

 「なるほどなー」

 「一年の収穫も終わって、何が足りず何が余っているかはっきりする時期――お互い徴租(ちょうそ)に向けて、有利な取引が出来ることが多い。人もけっこう集まるし、色んな連中がやってくるんだ」

 「祭りみたいだな」

 「まあ、そんなものかも――な」

 

 「やーん!」

 

 ノアの手がエレオノールの胸にいたずらする。思わずかん高い声が出た。

 わるい手をつかまえて、軽くかじってやった。

 「――明日が楽しみだ」

 そういうエレオノールに向けて笑顔でノアがいう。

 「良い服もあるといいな。頼んで仕立ててもいいし……」

 確かにエレオノールの手持ちは少なすぎる。

 「な、可愛いのが欲しい」

 「ああ、きっとあるさ」

 「やったー」

 抱きつくと、ノアも嬉しそうな顔をしている。

 ノアは気付くかな。

 ――気づかないかもしれないな

 エレオノールは今、気持ちの面で大きな壁を破った。

 自分は人に甘えた記憶があまりない。

 アルブでは一人前として発言が認められるのは八十を超えてから、という風潮がある。

 ところがエレオノールの場合、成人前から「雷公カンナ」として一人前に扱われてきた節がある。

 小さな頃から賢人と一緒に様々な儀式に参加した。そのせいか、もう十のときには皆がどんなことをエレオノールを求めているのか察知していたのだ。

 精霊然(せいれいぜん)とした姿勢、仕草、態度、言葉遣い、知識…… 

 今にして思うが、子どもでいることはできなかったし、エレオノールは別段それが苦痛とは感じなかった。

 自分は大人を演じていたのだろうか……分からない。

 環境が人格をつくるということはある。

 十を超えた時から、無意識下ですました顔を作っていたのかもしれないが、今となってはそれも分からなくなっている。演じていたつもりなどない。

 本当のところがわかないほど、その顔はしっくりと馴染んで自然だったように思う。 

 ――森を出て、そんな状況が変わった。

 今、誰に何を期待されるわけでもない状況で、自分の中の何かがはじけたのだ。

 自分がこんなにも無邪気にふるまえると思わなかった。

 ふるまえる……じゃない……

 本当は()()()()()()のかもしれない。

 ノアにじゃれついたまま、ごろりと膝の上に頭を乗せてみる。なんの気も遣わない、温かで大きな身体。

 背中に手を回して抱きしめる。深く息を吸い込むと、ノアの匂いがした。大きな手がエレオノールの髪を撫でた。再びごろりと上を向いて見あげると、目が合う。

 波打つ黒い総髪がこちらに垂れている。

 その奥でノアは微笑んでいた。

 

 無言で見つめ合った。


 「ノア」

 「ん?」

 「――したい」

 いうと、ノアの目が微かにひかった。

 「して」

 そう甘えると、ノアが鼻を鳴らして返事した。


・・・


 「水飲むか?」

 差し出された水筒を受け取って蓋を開けて、水を口に含んだ。

 冬の快晴。少し白んだ青空には雲一つなかった。

 二人で白い息を吐きながら、丘をいくか超える。タリオまでは半日もかからないというから、そろそろ見えてくるのだろうとエレオノールは思っている。

 「さすがにエルは健脚だな」

 「健脚どころか本気を出したら、わたしには誰にも追いつけないぞ」

 言いながら、ふふふと不敵に笑って見せる。

 「そうなのか」

 「ちょっと精霊の力を借りるんだ」

 「ふうん」

 鼻をならしてノアは何か考え出したのか、黙った。

 道なき道、枯れた下草をぬうように二人で歩く。程よい運動に、冷たい空気が心地よかった。黙々と歩く。ついこの間まで、もう一歩も歩けないと思っていたのがうそのようだ。

 「――仮にエルが逃げたとして……」

 考えがまとまったのか、ノアが口を開いた。

 「俺にだっていくつか手はある」

 と、ノアは不敵に笑っている。きっとノアも何か出来るんだろう…

 さっきからしきりに頭上で鳥たちがさえずっている。

 きっと縄張りなのだ。

 小さい鳥がうるさいうちは長閑(のどか)な証拠だ。

 「あああ」

 おもむろに、エレオノールはめいいっぱい伸びをした。

 「どうした」

 本当に今日も――

 「いい日和(ひより)だ」

 そう言って、小走りになってノアの前を走っていった。振り向いて、こちらに歩いて来るノアを視界に収める。

 ずっと果てまで続く草原。

 点在した岩々――

 まばらな灌木、枯れたひざ丈の下草。

 地平線まで続く森から、冠雪(かんせつ)した山の頂きがのぞいてる。


 エレオノールの視界には、その中をノアが一人歩いているように映った。

 「エル!その丘を超えたらタリオが見えるよ」

 「本当か!ノアはやく!」

 そう言って小走りに丘の頂上の岩を目ざした。

 岩の上に立つと、眼下に集落が見えた。広場にぽつりぽつりとテントが並んでいて、あれはきっと市の準備が始まっているということだろう。

 

 「ノーアー!準備してるぞー!」


 大声で呼ばうと、ノアが顔だけあげてこちらを見ている。聞こえたという意味だろう。冷たい岩の上に腰かけてタリオの村を視界におさめた。風が上気した頬に心地よい。

 相変わらず頭上では小鳥がにぎやかだ。

 結構人が住んでいるんだな。

 木造建ての(のき)がつらなっていて、村のむこうには森や畑が見える。

 広場を中心にざっと三十棟くらいあるだろうか。目抜き通りにもテントがまばらに見える。

 「色とりどりのテントであの道が埋め尽くされるぞ」

 いつの間にかすぐそばにノアがいた。

 「おー楽しみだ」

 「さてと、じゃあ宿に向かうとするか」

 そう言って坂を下ってゆくノアのあとを、エレオノールはついて行った。

 丘をくだっていると村の入り口の岩に恰幅(かっぷく)の良い男が腰かけて、一人煙草をくゆらせているのが見える。男のほうでもこちらに気がついたらしく、うかがうようにこちらを見ている。やがて片手をあげて挨拶をしてきた。

 「知り合いか?」

 「ああ。酒のみ友達さ。子どもの頃から気のいいやつだ。紹介するよ」

 言いながら丘を二人でくだっていった。

 「おう魔人の旦那。今日はいい日和だね。元気にしてたがい?」

 愛想の良い微笑を浮かべて、親し気に挨拶してきた。

 「元気さ。ミカル、そっちはあれからどうだった?うまくいったか」

 「ん、まずまずだったなぁ。だから、また後でうちの小屋さによってってよ。旦那にも分げっからさ」

 「ふふふ、楽しみだ」

 なかなか悪くないからよ、と言っている。

 以前、何か一緒にやったのだろう。ミカルがエレオノールに正体した。

 「それよりこちらの別嬪(べっぴん)さんは誰だい――あんた、よく見りゃものすごい美人じゃないか」

 エレオノールのつま先から頭まで眺めて、思わずミカルは二度見して言った。

 「ええ?妖精みたいだ。俺あこんな美人見たことないよ」

 とエレオノールにむけて目を見張っておおげさに戸惑ってみせる。

 「妻のエレオノールだ。ひと月前から一緒に暮らしている。見かけはこうだが、付き合ってみるとなかなかひょうきんで面白いやつだから、仲良くしてやってくれ」

 「エレオノール・ロームです。以後、よろしくお願いいたします」

 緊張しながらアルブ式に膝をまげて会釈をすると、ノアがすこし面食らった顔をしたのが面白かった。

 「ああ、これはご丁寧に――俺はこの村、タリオのミカル・ブラントだ。何か困ったことがあったら遠慮なく言っでね。まあもっとも、魔人の旦那と一緒にいればそんなことあんまりねえだろうけど……」

 にこりと柔和な表情でエレオノールに語りかけて、ノアの方に向き直るとまた感情をあらわにした。

 「旦那ぁ!伴侶見づげたのかい!?こんな別嬪(べっぴん)さん、いったいどこの人だい。ちょっとからかっでやろうど思っただけなのに、本当に(つがい)になっちゃったの?魔人も嫁さんとるんだねえ」

 「だから俺は魔人じゃないって。長命なだけだ」

 ノアが言うのもお構いなしで、ミカルははっはっはと笑っている。

 「伴侶(はんりょ)もできたこどだし、今度は子っこさ、こさえなきゃなんねえべえ」

 ミカルが肘でノアを小突く。からかうような調子が含まれているのがエレオノールにも分かった。

 「そうだな、調子が良ければそうなるな」

 ノアはこともなげに、すましさ顔で言った後「すぐそうなりそうだ」と破顔していった。

 二人で大笑いしている。

 「なあんだよ、参っちゃうなもう。旦那も好きなんだがら。んでも仕方(しがた)ね。こんな別嬪(べっぴん)さんだもの。我慢しろっつっても無理だべ」

 にやにやしながら二人で盛り上がっている。

 な……何にをあけすけな。

 「だから言ってんじゃないか、長命なだけだ。俺もミカルも何も変わらん」

 「なあにを。俺はあんな魔法は使えねえんだし、この村は旦那あってこそなんだがら」

 「お互い様だよ」

 しばらく二人は立ち話をしていた。


 所在なくなって、エレオノールは村の方をのぞきこんでみる。ひっきりなしに人の往来があって、そこはかとなく活気を感じる。やはり市が立つというのもあるだろうが、子供達も元気よく、女たちがひっきりなしに明るくやり取りをしていて、なんとなく良い村なんだと感じた。

 「まだしばらくいるんだべ。また()ろうよ」

 と、酒をあおる仕草をする。

 「よければ奥さんも一緒にどうだい」と、にこやかに訊く。

 「わたしもいいのですか」

 「もぢろんだ。みんな喜ぶっけよ。いーやー、今日はいい話聞いちゃったなあ。旦那に伴侶ができるなんて、瑞兆(ずいちょう)じゃねえが」

 と、機嫌良さそうに言った。

 「何を大げさな…」とノアが苦笑する。

 「どれぐらいいるんだ」

 「ん、まあ一週間くらいを見込んでる」

 「んだか。よおし呑ろう呑ろう。帰る時ちゃんと寄ってくんなきゃだめだぞ」

 と言って、ちりちりと音を立てて煙草をくゆらせる。

 「またあとでねえ」というミカルのもとを離れた。


 村の入り口にきた。と言っても、囲いがあるわけでなし。畑があり、最初の民家がある。

 ノアの家より少し大きい。

 「ずいぶん仲が良いんだな」

 「ああ。あいつとは最近、毎年一緒に酒をつくるんだ」

 と、楽しそうにしている。

 「わたしたちの事、ずいぶん驚かれていたな」

 「そりゃあ俺は、ミカルにとっちゃ祖父さんの代からいる守り神みたいなもんだ……最近じゃあんな感じで距離がすっかり縮んだが」

 「それがいきなり妻をめとったものだから、驚いた?」

 「だろうな……」

 「この村にとっちゃ、俺は森からの魔物をせき止める守り神なのさ」

 ――ああ、なるほどな。


 村に入ると、長閑(のどか)な中にも、市が立つ直前の活気のようなものもを感じることが出来た。まばらなテントでは、先行して売っているのであろう見たこともない作物や、色とりどりの工芸品が置いてある。楽しそうだ。後でじっくりと見物してみよう。

 それにしても、道すがらみんなノアに挨拶をしてくる。向こうで片手をあげて挨拶する老人、近寄ってきて声をかけてくる若者、会釈をする女性――

 さまざまな距離感ではあるが、皆一様にノアに対して敬意を払っているように感じる。ノアもリラックスしていて、まるで自分の家の延長のようだった。どうやらこの村のものはみんなノアと知り合いのようだ。

 「あら、ノアさん。いらっしゃい」

 今度は美しい金髪が印象的な美女。

 「やあウルリーカ。市の準備はどうだい。順調?」

 「ええ、今年もよろしくお願いしますね」

 やっぱり親し気だ。

 「ああ、何か出来る事があったら手伝うよ」

 「いつもありがとうございます。ところでそちらの方は――」

 とエレオノールに向けて、ウルリーカが会釈する。

 「ああ、結婚したんだ。妻のエレオノールだ。以後よろしく」

 紹介され「エレオノールです」と挨拶をしながらアルブ式の会釈をすると、ウルリーカは目をまん丸にした。

 「あらまあ!あ、ご丁寧に。こちらこそかえってよろしくお願いします」

 とにこやかに言った後、眉尻をさげて困り顔をつくる。

 「一体(いっだい)いつの間に!?みんな知ってるんですか」

 「先月だ。さっきミカルには紹介したが、それだけだ」

 ――まだ今のところ、とノアは苦笑する。ウルリーカがエレオノールに向く。

 「ノアさんの奥様になっだなら、カーリンとアンナに気をづけなくてはね。二人ともノアさんにご執心だったがら」

 まあ、ノアはいい男だからな。そういう話もあるだろう……

 「もっとも二人とも結婚しちゃってるしさすけねえ(差し支えない)と思うけど。第一、エレオノールさんの美人ぶりなら、もともと勝ち目なかったってあっさり引くかもわかんないですね」

 と言って、ふふふと笑った。

 ウルリーカと別れて宿のあるという方に向かう。

 「ノア、人気者だな」

 言うと笑って「まあな、もうこの村も家みたいなもんだ」という。

 「エルのことも受け入れてくれるさ」

 と言って宿の看板を指さし「あれだ」と言って、扉を開けて入っていった。

 ――エレオノールは、また急に自分の世界が広がった気がした。

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