ノアとエレオノール_新婚生活①
もともと精霊とつながる素地があるエレオノールのような者は、魔術習得は苦にならない。しかしそうでないものが身につける場合は、霊界に行くなりして精霊と会わなければいけないのだ。アルブの里においては、霊会行はそれなりの秘術である。他所でもそれは一緒のはずだ。
霊界とは、おいそれと肉体を持つものがいくところじゃない。
魔術の使用はそれなりに敷居が高い。ちなみにエレオノールは雷の魔術と、実は密かに水の魔術を習得していた。これらがなければ大森林を抜けてここにたどり着くことはできなかっただろう。
精霊との縁が深まれば、こちらの世界に召喚に応じてもらえるようになる。召喚が出来るようになるための具体的な儀式は特にない。
単に彼ら、彼女らがその気になれば応じてくれるのだが、あまり知られていない。
くわえて、精霊召喚が出来る者の魔術は爆発的に飛躍する。
アルブの里では魔術を習得しているものは珍しくはなかったが、精霊を召喚できる者は片手で数えられるほどしかいなかった。
――それをノアが?
「いったい誰が召喚に応じてくれるんだ」
「土環のグラーニス、グノーメの眷属だ」
土の精霊王グノーメ。
「ということは土魔術を使うのか」
と聞くと、ノアは片まゆをあげて「そう」と軽く応えた。
衝撃だ。
アルブ以外に精霊魔術を使う者がいるとは。
「その――森の外には、そういう……そんな者がよくいるのか」
おそるおそる聞いてみる。するとノアはフフと笑って
「昨日も言ったけど、エルが精霊召喚ができるって聞いたとき、かなり驚いたよ」
という。
「酔ってて忘れたか?」
「ん、分からん。そんなこと言っていた……気がする」
「精霊召喚ができる者と会ったのはエルで三人目。五百年で三人だ。多分そんなにいないんだろう」
おかしそうに笑って、茶をすすった。
明かりとりの窓から、小鳥の朗らかな鳴き声が聞こえる。何か思い出したように、ノアは本棚から分厚い本をとって、ページを繰りはじめた。
茶をすすっていると身体があたたまってくる。
長閑な時間だった。
「今日は何をするんだ?」
声をかけると「んー」とノアが顔を上げた。
思索から戻ってくるのに若干の時間差がある。
「そうだな」と言って本を閉じた「今年、ちょうど冬の貯えが多めに採れたんだ。多分何もしなくても二人で冬を越せると思うんだけど……そうだな、一緒に昨日食べたきのことりにいくか?あとは薪割りかな……」
思案気にそういう。
「あのきのこ、ちょうど今頃出るやつなんだ。いや、ちょっと遅いか…」
エレオノールは病み上がりだが、そんなに遠出じゃなければいけるだろう。
「昨日のスープの黒いやつか、あれはうまい。遠くないのか」
「すぐそこだよ」と言って茶をすする「それから夕方は風呂を沸かすか」
フロとは。
ノアが言うにはお湯で身体を清める気持ちの良いものらしい。
「もしかして風呂には着替えも持っていった方がいいか?」
「ん?ああ、まあ、そうだな」
「そうか」
ならば――フロに行くときはあれを持っていこう。
・・・
きのこはノアの言う通り、小屋を出てしばらく歩いたところにあった。
二人でしばらくお茶を飲んでから準備をして出た。わりにあっさりとついてしまった。
「ノアもきのこは全部取らないんだな」
木の根もとの岩陰に生えた黒いきのこを半分くらい残している。もってきた袋にきのこを入れているノアにそう声をかける。
「ああ、そうだな。根こそぎやってしまったら、この辺の連中が寂しがるだろう?」
「うん、そうだな。アルブのやり方と同じだ」
アルブの価値観では。
在るものには魂が宿っている。
生きとし生けるもの、動物や草木に魂が在るばかりではなく、岩や水、風や大地にも魂が在る。
互いにつながりを保ちながら生きている。
魂だけじゃない。時には強い精霊も宿って、はっきりとした意思をしめすこともある。
精霊を召喚できるようになった時、エレオノールは唐突にそういう世界の実態について理解できた。
雷公カンナは、強い意思を持つ太古の雷の精霊――
と、聞いている。他人事のようだが、いくら自分のことと言えどなかなか実感しにくいのでこればかりは仕方がない。エレオノールは雷に宿った意思とは何だろうかとしょっちゅう考える。強いて言うなれば、アルブの里を出奔したときに強い意思があった。
それからノアとここで暮らすと決めた意思も――あるいはそうかもしれない。
まるで稲妻の閃きのようだったからな……
「きのこは戻って干すのか」
エレオノールが聞くとノアは「うん、そうだ」と応えた。
「でもすぐ焼いて食べてもけっこううまいから、焼いて食べるか?」
そう言われると腹が鳴った。
「食べたい」エレオノールは応えた。
「あれが風呂だ」
家に戻るときにわたる小さな橋のところで、ノアが指をさした。小屋の裏手に流れるクリークに橋が架かっている。ノアの指さす方を見ると、行くときにも気になった小さな三角屋根のあずま屋が見える。内部までは見えない。
「横にもなんかあるな」
「あれは雨よけ。森で伐った薪になる木を小川伝いに流して、いったんあそこに置いておくんだ。まだ割り切れていないから、きのこを焼いた後に薪を割るよ」
「なるほど」とエレオノールは応える。
「フロでは――なんだ……アレ……小屋の横でなんか回ってるぞ」
見たことのないものがあずま屋の横で、小川の水勢に任せてしきりに回転している。
「ああそうだ」ノアが背中越しに応える。
「あれは水車。風呂に使う水を引き入れる」
側面に柄杓がついていて、絶えず水を汲んでは上部の桶に水をこぼしている。
あとでじっくり見物しよう。
……なんだか分からんが面白そうだ。
あずま屋のそばで火をおこしてきのこを焼いた。
ちなみに、火をおこすときエレオノールは初めて雷の魔術をノアに披露することになった。
といってもささやかなものだ。
集めた枯草に向けて手をかざし、パチリと軽く雷をとばして火をつけて見せると、ノアは大げさに喜んでいた。
「うわ、すごいな。本当に雷をあやつるのか」
褒められて悪い気はしない。
「どうだ」とエレオノールは得意げに胸をつきだすと、ノアは満面の笑みで「たいしたものだ」と褒めてくれた。
ノアは小さな包みをとりだして、エレオノールに手渡した。
ひろげてみる。昨日干し肉に使った緑色のペーストが包まれていた。
「つけて食うとうまい」と言いながら、薪から一本細い枝を取ってナイフでけずり、早速キノコを刺して焼きはじめた。
エレオノールも串を作ってもらって、ノアの真似をした。焼けたてのきのこにかぶりつくと、みずみずしい弾力とかぐわしい香りが広がった。
森の外にもこんなに豊かな世界が広がっているなんて、いったいアルブの誰が想像するだろうか。
転がっている切り株に適当に腰をかけてきのこを焼きながら、ノアが手斧で薪を割っているのを見ていた。
見飽きたら、うろうろと歩き回ってあずま屋の中をのぞいてみる。あずま屋は三方を土壁で仕切ってあって、中が見えない。正面も衝立のような土壁で目隠ししてある。衝立になっている壁の裏に回っておそるおそる中をのぞいてみた。
フロとは一体どんなものだろうか。
棚と大釜とすのこ。
それが覗き込んだ第一印象だった。棚は漆黒で表面に光沢があり、よく見ると土でできているようだ。ひょっとするとノアの魔術かもしれない。棚の上には木で拵えた手桶が置いてある。そして床には一面、木で組まれたすのこが敷かれている。そして何より目を引くのは人が二、三人くらいは入れそうな大きな釜だ。蓋がしてある。
釜はいったい何でできているのだろうか。焼きしめた土……?うわぐすりがかけられているのだろうか……しかし、こんな大きなものを焼けるものか……?
よく分からなかった。これも土の魔術かもしれない。
そして釜の蓋をとってみると、底にもすのこが敷いてある。エレオノールには、まったく見なれない光景だった。なんというか、風呂とは大胆な仕掛けだな。
アルブの蒸し風呂に似ているものかと思ったが……上を見ると、梁と屋根の間から空がのぞいていた。
蒸し風呂は密閉するな……こうはならない。
「ノア、釜の底にすのこが張ってあったぞ。あれはなんだ」
聞くと、ノアは薪わりの手をとめて額の汗をぬぐう。
「ああ、ありゃ底が熱くなるからだ。あれがないと尻を火傷しちゃうからな」と笑って答える。
なるほど。
「つまり、釜に水をはって湯を沸かすということか」
「そうだ」
「もしかして、釜茹でになるのか」
いやいや、と言ってノアは苦笑いする「そんな怖いもんじゃない。風呂は最高に気持ちいいぞ」と破顔してみせる。
「そうなのか?」
ノアが言うならそうかもしれない、しかし怖いような気もするが……
「じゃあ、今から湯を沸かすのか」
「そうだな、一汗かいたし……そうするか」
「裸か?」
「……そうだな。一緒に入るか」
顔がかっと熱くなる。
「いいぞ。そうだ、身を清めるついでに着替えたいし、家に戻って着替えをとってきていいか?」
「ああそうか、もちろん」とノアが言う「ついでに大きなタオルを二枚もってきてくれないか、タンスの一番下だ」
そういって、ノアは額の汗をぬぐって残り少なくなった薪割りにとりかかった。
エレオノールはアルブの里を出奔する間際、一番豪奢な下着を箪笥からひっつかんで荷物に詰め込んだ。意匠に白金の糸を織り込んである純白のセットアップ。
一度も身につけたことのないエレオノールの――いわゆる勝負下着だった。
そんなことは起きないかもしれない、自分はこれから命を落とすかもしれないという局面で、胸の裡に抱いた欲望に願掛けするつもりで、慌てて荷物の中に突っ込んで里を出たのだった。
いろんなものを捨ててきたけれど、なけなしの乙女心だけは里に捨てずにきた。
――こうとなっては、幸運の下着だと言って差し支えない。
下着と大きめのタオルをとって戻ってくるとノアが見当たらない。フロをのぞき込んでみる。
水が勢いよく釜の中に注ぎ込まれるのをノアが見まもっていた。
「おおおお、すごい仕掛けだな!!」
「お、タオルはすぐに見つかったか」
うん、と一つうなずいてから、釜の中に注がれる水勢に目を奪われる。
壁から突き出た木わくの水路から、勢いよく水が流れ込んでいる。
「この仕掛けは、人間の里でよく使われているのか!?」
エレオノールが興奮気味にたずねる。
水の音に負けないように大きな声でたずねた。
「まあね、でもこっちじゃなくて東方の大陸の知恵さ」
「すごいな」
そろそろだな、と言ってノアは風呂の裏手に回る。後ろをついて行くと、水を注ぎこむ水路の一部をいとも簡単に外してしまった。水は行き場を失ってまた川にこぼれ落ちていく。
水車が回るかぎり、水が持ちあげられてはバシャバシャとまたクリークにこぼれおちる。
本当にすごいな。誰が思いつくんだろう。
先ほどきのこを焼いたたき火から、ノアがいくつか大きめの薪を見繕って釜の下に引きずり込んだ。新しい薪をぽんぽんと継ぎ足して、強い火をつくる。
ノアが風呂の棚に立てかけてあった櫂を手にとり、釜の中ををぐるぐるとかきまぜ始めた。
「ねえ、わたしにもやらせて」
ノアから櫂をうけとり、釜の中をぐるぐるかきまぜてみる。こういうのは、わけもなく面白い。ノアが手を突っ込んで「そろそろいいかも」と、エレオノールの方をみた。
いつの間に日が傾いて逢魔が時。西側の山の方は茜色で、東側の空はすでに濃紺色。明るい星が輝きはじめていた。
フフフとノアが笑っている。
「どうした」とエレオノールが聞いてみる。
「なんだ、緊張するな」とノアは笑いながら言った。
――ええ。
「わたしだって緊張するぞ。ノアは五百年も生きてるのに緊張するのか」
素朴な疑問だった。年をとると落ち着くものじゃないだろうか。
「そりゃ関係ないぞ、エル。五十の時と今となんか違うか?」
「……違わん」
「だろ!?ちなみに俺もだ」
「なんだそりゃ」おかしくて笑った。
ノアも笑っている。
「――実感がわかないんだ。もう一度言うけどエレオノール、君は絶世の美女だぞ。……お前、本当に俺の妻か?」
ニヤニヤしながらノアが聞いてくる。
ささやき声で応えてやった。
――そうだぞ、嬉しいか?
初めて口づけした。あまく、柔らかく、あたたかな感触がしてうっとりとした。
・・・
エレオノールは多分ピンと来ていないんだろう。
ノアは考える。
最初に小屋の前に彼女が立った時は、やつれきって目の下にクマをつくり、なんというか――ひどいもんだった。けれど、それでも絶世の美女だった。
エルはすらりと華奢で背が高く、出るところはそれなりに出ている。
白銀色の髪(もっともそれは、ほつれてぼろぼろの有様だった)と青い宝石のような美しい瞳に、一瞬吸いこまれた気がした。
そして、美しい顔立ち。端正なんてものじゃない。まるで美への執念が込められた彫像のようだ。本人は冗談だと取っているのだろうが、あんまりきれいで本当に幻覚か妖精のたぐいだと思ったものだ。一応本心からそう言ったのだが、ピンと来ていないようだった。
すぐに幻覚でも妖精でもないと分かった。それにしてはあまりに気配が強かった。
そして肉体は衰弱しきっていた。
この稀有な存在を、なんとかしなくては。
俺はつき動かされるように彼女を小屋に招き入れて介抱した。
けれどまだどっかで警戒していたのだ。いつでも精霊のグラーニスを喚べるようしながら介抱していた。
やがて警戒を解いた。
腹に何も入ってないというので、温かいスープをよそってやった時に彼女はボロボロと泣きはじめたのだ。
警戒はその時解けてしまった。やめよう、納得いくまで親切にしてあげよう。そう決めた。
しかし、やはりあまりじろじろと直視してはいけないと思い、暖炉の火を見つめていた。
百年くらいこの小屋で一人暮らしをした。だからだろうか、彼女の存在そのものへの実感がわかないまま、ソファで眠った。
翌朝、厠で下の世話をしたときにようやく「ああ、一人の女性だ」という実感がわいたくらいだ。思わず拍子抜けした。
あれは申し訳なかったが、夫婦になったのだからいずれからかってやろうと思っている。
結局俺は、エルに一目ぼれだったのかもしれない。
グラーニスと、タリオのミカルと一緒につくった酒を飲んだ時に見せた笑顔で呼吸が止まったとき、求婚すると決めた。
エルは美しい。美しいけど、それだけじゃない何かがあった。
天真爛漫で、愛らしくて……不意にずっとそばで愛していたいという気持ちがわき起こったのだ。
五百年以上生きているからこそわかる。
そんな強い気持ちがわいてくる相手と出会えることは……ほとんど奇跡だ。
それこそ自分の中の精霊の部分が決めていることだ。俺は精霊じゃないが、命あるものはみな肉体と魂と精霊を持っている。
その点ではエルと同じだ。
自らの内側からわき出るその気持ち、そしてその相手を大切にしなければいけないと直感したのだ。俺は幸運だった。
・・・
「あー!ノア寒い!寒いぞ!」
お互いに目の前で初めて生まれたままの姿になったというのに、甘いムードとはまったく無縁。俺はエルの真っ白な裸体に目を奪われたが、それも一瞬のことだった。
「最初だけだ。その手桶で体に湯をかけろ。ゆっくり……そう」
――ふわああああ
目をつぶってはしゃぎながらエルは何度も身体に湯をかけている。
……百数十歳の頃って、こんなだったかな。
まあいいか。
エルの浴びた湯が、すのこの下に流れこんで、そのままブーツの方へ流れださないかどうか横目で確認した。大丈夫そうだ。
「おい、もういいよ。湯船に入ってみろ」
何しろ寒い。この壁……密閉しようかな。一人で入る時は、待ち時間なんてなかったから仕方ないか……
「ええ!怖い!」
何言ってんだこいつ。
「身体が冷えちゃうだろ!?」
「だってぇ。ノアが先に入ってくれよお」
「しょうがないな。貸して」
エルの手から手桶をひったくって、自分の身体に湯をかける。汗や土埃を一通り流してから湯船に入る。
ぅぅぅぅぅううううう
冷えていたから、格別に気持ちが良い。腹の底から声が出た。
「早く来なよ」
誘うと、意を決したのか、エレオノールが湯船にすべり込んできた。
抱きしめると、満面の笑みだ。
「わああああ、すごいな!!気持ちいい!」
エルの身体は冷え切っていた。
「寒かったろ」
「凍るかと思った」と笑顔で言い返してくる。
フフフとお互い笑いあった。
「俺は湯が汚れないうちにまず頭を洗うんだ」
と言って、ざぶりと頭のてっぺんまで湯につかって頭皮を揉んで見せる。
しばらくして水面に上がる。
エルがいない。
彼女は湯の中で俺の動きを真似していた。
「ぶあっ」
上がってくると、髪の毛が白いすだれのようになっている。
「これ、髪、どうするんだ」
すだれをかき分けながらエルが聞いてくる。
「そうか…なんかくくるもの持ってないのか?」
「なんか棒があれば結えて留めておけるぞ?」
「棒か」
「さっきのきのこ刺してたやつで良いんじゃないか」
「え」
エルの普段の仕草や身につけているものは品がいい。加えてこの美人ぶり。なのに……なのに、たまにみせる少年はなんだろう。
「そのきれいな髪をだな、つかいさしの棒きれで留めさせるのは、なんか気がひける……すぐ作るから」
えーそうか、などと言ってにこにこしている。
裸で湯船から出て、すばやく薪のところまで行って手頃な木の枝を一本手折る。そうだ、ついで明かりも点けるか。忘れてたな。折った枝の先に火をうつした。ついでに薪を数本足す。二人だと思ったより湯が冷めた。
もどって、壁に仕込んだ蝋燭に、明かりを灯す。
「おお、そんな仕掛けもあるのか」
「仕掛けってほどじゃ……。着替えるときに手もとが見えないとこまるだろ」
「そうだな」
自分の脱いだ服のところへ行って、ナイフをとって再び湯船に浸かった。
「ああ、寒かったぁ」
「おかえり」と言って、エルはくっついてきた「ひゃー、冷たいな」
柔らかくてボリュームのあるものが背中にあたる。
上半身を浴槽からつき出して、持ってきた枝をナイフで削った。削りカスをなるべく外にとばす。すぐにちょっとしたかんざし代わりの棒が出来た。ささくれていないかどうか、出来をチェックしてエレオノールに渡し、ナイフを元に戻すために再び浴槽を出た。
エレオノールは器用に髪をまとめ上げている。
「よし、良いな」
綺麗にまとまった。
アップにした姿も格別に美しいが、あんまりしつこいのも嫌がられるかと思って口を閉じていた。
「ノアはいいのか?」
「ああ」
俺の髪は棒で結わえれるほどは長くない。
「さて、お楽しみはもう一つあるぞ」
「え、まだあるのか。なんだ」
「多分エルは驚くと思うよ」
「えー、なんだ」
さっき足した薪の火が、イイ感じに湯を温めている。
「みてな」言ってから、正面の壁に手をかざす。とっておきだ。
壁を消した。
簡単な土魔術。
正面にはすっかり日の暮れた荒野と、満点の星空が広がる。
「ふわあー!」
エルは仰天している。
「すごいな、ノア。すごいな!」彼女は瞳を輝かせて、天を仰いだ。
エルの反応を見て、俺も心底満ちたりた気持ちになった。
誰かにこれを見せる日がくるとは思わなかった。俺はずっと一人だった。別に選択的にそうしていたわけじゃない。ここに棲み、淡々と日々を送っていたら百年経っていたのだ。
エルの細い腰を抱いた。
「どう?気に入った」と聞くと、身体を柔らかくしてしなだれかかってくる。
「わたしは……こんな星空は初めて見た。こんな、ずっと、なんだ、空しかないな……こんな景色は知らない。すごいぞ、ノア!ふわあああ、こっちに向かって降ってくる!」
大興奮だ。
「すごいぞ、ノアのお嫁さんになってよかった」
と言って、にかっといたずらっぽく笑った。
「俺もこんなに喜んでくれるお嫁さんがきて嬉しいよ」
そういうと、また「そうか?」と言って身体をこすりつけてきた。柔らかく、すべらかな肌触り。二人でしばらく無言で星空を見ていた。エルが身じろぎをするたびに、ちゃぷりちゃぷりと湯の音がした。
「あとは好きなタイミングで身体を洗って、充分あたたまったら湯から出るだけだ」
「身体を洗うって、なんかないのか」
「ん?手でこう、こすって」
「ああそうか、じゃあ次は小さなタオルかなんかもってこようかな」
「まあ、それもいいな」
俺はちょっといたずら心を起こした
「手でも洗えるぞ。洗ってやろうか」
エルにそう言うと、しばしの沈黙があった。
――初心なんだろうか?
こんな冗談でもたじろいでしまうのなら、もう少し気をつけなければいけないな。
思った矢先、エルは上目遣いで「――じゃあ、やってみてくれ」と、分かっている表情で言ってくる。
「しょうがないな」
と言って、エルの身体をまさぐった。しょうがないわけない。
先ずは足を手の平で包み込むようにして、ゆっくりと揉んだ。
「あ、気持ちいいな」
「だろ?」
すらりと伸びやかなふくらはぎを、柔らかく按摩するように揉んでいく。
「わー気持ちいい。旅の疲れが癒されていくみたいだ」
「どれくらい歩いてきたんだ」
「里を出たのが春の終わりだったか」
ということは、ざっと半年か。
「それはさぞかし疲れが溜まっているだろう」
「そうだぞ。よく揉んでくれ」と言って、エルはふふふとおかしそうに笑った。
くすぐったくないように、ある程度思い切った力で揉んでいく。
「じゃあ、背中を向けて」と言って、今度は背中を手でこする。
――本当に気持ちいいな
と、エルはしみじみとした口調でそう言った。後ろから抱いて、エルの腹に手を回した。
「……ノア……その……それ……あたってる」
エルの声音に少し戸惑いが含まれている。
「あててるんだよ?」
と耳元で囁いた。蝋燭のわずかな明かりでも、エルのとがった耳が赤く染まるのが分かる。指先を滑らせるように、エルの中心部に落としていく。
みぞおちを通り、ひきしまった腹の上をなぞって、へそを過ぎ、下腹部を通る。
果たして、エルの中心は――
耳元で囁く。
――ちゃんと期待してくれてたんだ?
エルは無言でうなずいた。
「最後にしたのはいつ?」
あくまで小声で聞いた。大切な情報だ。あまりに間が空いていたら、丁寧にしなくてはいけない。長命種ならニ、三十年は平気であくしな……
でも大っぴらに聞くようなことじゃない。ゆえの小声。
「……めだ」
「ん」
「乙女だ」
「ん?」
「だから、わたしは乙女だ」
「ん…?したことないってこと?」
あ、いけない。思わず固まってしまった。
「変だと思ったんだろ!?」
エルは振り返って心外だという顔をしている。
「いやいやいやいやいや、違う!」
「変だと思ったから止まったんだ」
「ちがうちがう、ちがうったら。なんでその美貌で百数十年も男がほっといたんだ!?アルブの男はどうかしてるぞ」
「びぼ…またそうやって。わたしは精霊だし、里ではちょっと普通と違う扱いを受けていたんだ。だからちょっとそういう縁がなかったんだ。
あとあとあと、わたしはアルブではまだ若いんだぞ。乙女でも、変じゃない!」
「わかったわかった。わかったったら。変だなんて思ってもないし、言ってもないだろ?」
弁解の余地もない。
うううう、と涙目でうなっている。
言葉が通じないから、黙って抱きしめた。
「でも思ってた」と、まだ言ってる。
「思ってないったら」言い返す。
「思ってた」
「思ってない」
「エル」
「なんだ」
「初めてで怖いか」
「当たり前だ」
「大丈夫だ。うんと優しくしてやるから」
「絶対だぞ?」
「約束だ」
そう言って、エルの中心に指を滑らせた。しっかりと潤んだ興奮のあとがある。
「エル」
「なんだ」
「キスしよう」
よくよく気づくと口づけもぎこちない。
「唇の力をぬいて」
「こうか」
「なんというか、う、の形で」
「う?」
「そう。力をぬいて、柔らかく」
「う?」
「バカ、茶化すな」というと、エルはへへへとへらへら笑った。
かまわず口づけすると、今度は柔らかくて妖しい感触になった。エルに火が付いたのが分かる。
「その、ここではしないのか」
と言って、俺のものを撫でてくる。
「ダメだ、初めてならちゃんとベットでじっくりやらなきゃ」
「えええ。そっかぁ…そっか。そうだな」
と、言ってから「じゃあ、早くベッドに行こう」と瞳を妖しく輝かせた。
「エル」
「ん?」
「可愛いな」
そういうと、くすぐったそうに笑ってから
「わたしもノアをひと目見た時から、いい男だと思っているぞ」
と、嬉しいことを言った。