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黄昏の精霊たち  作者: 松谷若草色
精霊の出奔と出会い
3/17

ノアとエレオノール_結婚

 エレオノールは百数十年間の人生で、異性にわけもなく甘えてみたいと意識したのは初めてだった。

 酒のせいで少々開放的な気分になっているのだろう。少し自重せねば…

 彼女はアルブ族の平均寿命からすればまだまだ若い。

 人間族で言えば十五、六の娘にしか見えない。長命の種族のご多分に漏れず、アルブの恋など数百年に一度。

 今まさに自分に最初のそれが訪れている――のかは、よく分からないが何やら楽しい気分なのは確かだった。自らの意思とは無関係に、彼に向けて何かのシグナルのようなものが放たれてしまうようだ。

 彼に向ける視線、言葉、仕草にメッセージが乗っている。


 ――こっちを見ろ。

 

 自重せねばと自分を戒めたばかり。なのにそれを自分の意思で制御することは、ほとんど不可能だった。

 

 ――恋?

 本能が告げている。この男に振り向いてもらえたら、どんな気持ちがするだろう。


 そもそもだ。

 恋もなにも、いつまでここにいられるのかという問題があるのだ。ノアは「いつまでも」と言ったが、社交辞令で言ったのかもしれない。

 けれどもあの、屈託(くったく)のない笑顔はどうだろう。非常に親しげにみえたぞ。

 エレオノールはフワフワとした頭で考えた。

 彼女の髪とは対照的――エレオノールは白銀色の芯の通ったような髪をしている――な、漆黒で波打つ髪をまじまじと後ろから見ていた。

 

 考えながら木の実を口に入れた。絶妙な塩加減。琥珀色の冷たい酒をあおるとちょうどいい塩梅だ。いつの間に杯が空になった。

 杯をあけたところに「焼けた」と言って、ノアが魚を持ってきた。串から抜いて皿に盛りつけてある。串に刺した時の波打つ形を保って、四尾が皿の上で泳いでいるように見えた。

 「手づかみでいける。どこからでも食べられるし、骨まで柔らかいよ」

 「ねえ、ノアも床じゃなくてここに座らないか」

 そういって、隣の空いた方をぽんぽんと軽く叩いた。酔っているせいか、仕草が幼くなっているかもしれない。ノアは照れたように頬をかいて、魚の皿をはさんで隣に座る。

 ノアの匂いは、森の匂いに似ていた。

 早速、パーマークの映える川魚を頬張ってみた。

 淡麗な白身に塩と、なにかの香辛料が振ってある。

 ――おいしい。

 目で訴えると、ノアも満足そうにうなずいて魚にとりかかった。

 「ああ、本当だ。柔らかい。魚ってこんなに骨が気にならなくなるんだな」

 「故郷にはなかったか?」

 「そんな、わたしが故郷のことを全て知っているわけではないぞ。単にわたしが知らなかっただけかもしれない」

 ノアはハハと笑って「ああ、そうか」という。

 白身魚のあじわいは上品で、あっという間に食べ終えた。

 満足を感じながら、暖炉の火を眺めるでもなく眺めているとノアが唐突に切り出した。 

 「エル、話をしようか」

 「ん、なんの話だ」聞きながらも、さっき話した事だろうと分かる。

 「今後のことだ」

 「ああ…」顔が曇る。長居すると迷惑だと言われるのかもしれない。

 できればもう少しここにいさせてもらえないだろうか。向かうあてもないし――ノアともっと親しくなりたい。

 

 「まず、大事な話の前に俺のことを少し話そう。もしかしたら気づいているかもしれないけど俺はヒュムじゃない」

 ヒュムとは人間族のことだ。エレオノールが思っていた話と少し違う。

 「なんとなくは分かっていた」

 応えると、ノアは沈黙してうつむいた。

 「あれは全部ノアの蔵書(ぞうしょ)だよな?」本棚の方を向いて聞いた。

 「そうだけど」と、ノアは顔を上げて応える。

 「住んでいるところと、外見の年齢と、書物の量がちぐはぐだ。こんな辺鄙(へんぴ)な所に住んでいるのに文字が読めて、しかも書物の量も尋常じゃない。人族じゃないような気がしてた」

 なるほど、とノア「俺はそんなに若く見える?」と肩をすくめる。

 「ああ、わたしよりずっと年下に見える」

 ノアは怪訝(けげん)な顔をした。それもそうだ。外見年齢でいえば二十代後半のノアより、エレオノールの外見は十以上若い。

 「そうか――エルは、もしかしてアルブか?」

 「よく知っていたな」

 「聞いたことがあるだけだ。北方大森林の果てに住む精霊アルブ……本当にいるとは知らなかったよ。アルブはみんなそんなに美しいのか」

 言われてつい照れてしまった。

 「美しいか?みんな白い髪に碧い瞳だぞ」

 「絶世の美女だ。俺は『絶世の美女』なんて口に出したのは初めてだ。でもそれ以外なんて言っていいか分からない。

 自分じゃそうは思わないのか。最初見た時幻覚か、妖精でもたずねてきたかと思った。それくらいきれいだ。あと、みんなそうして耳が長くとがっているのか」

 とノアは自分の耳を触っている。

 「ああ、そうだ。ノアの耳はまあるいな。アルブの名が森林の外のこんな辺鄙なところまで知れわたっているとは知らなかった」

 それでも名前だけで、外見の特徴なんかはあまり知られてないんだな。

 「子どもの寝物語だよ。森の精霊様が世界に恵みをもたらしてくれるってね。実際に肉体を持つ精霊と出会ったのは初めてだ。それに、こんなに美しいのも知らなかった」

 やたらと褒められて、気持ちのおさめどころに困った。けれども、悪い気はしない。

 「すべてのアルブが精霊を宿しているわけじゃないぞ」

 「宿す?アルブってのは精霊の一族のことじゃないのか」

 と聞きながら、ノアは「よっ」と足元のトレーに手をのばした。自分のグラスに琥珀色の酒を注ぎ足している。エルは?と聞いてきたので、グラスをさし出した。

 「病み上がりだ、今度は少なめにしてくれ」

 水も加えて欲しいと申し添えて、ノアの疑問に応えた。 

 「アルブ族の肉体がたまに精霊の器になる、というだけだ。そんなに多くはない……」

 「ふーん……なるほど」

 グラスの中に水が注ぎ足されて、透き通った琥珀色の酒がピカリピカリと暖炉の火を呑みこんでは吐きだしている。

 ノアも、グラスの酒をまたちびりと舐めた。

 「つまり、なんだ――時おり、精霊を宿して生まれてくる者がいるということか」

 「そうだ」

 「――エルはそうなの?」

 

 わたしは。


 言いよどむ。言ってしまうのは構わないが、後で自分が困ったり、相手に迷惑がかかるようなことにならないだろうか。

 逡巡する。

 しかし酒を飲んだせいか、ノアに全てを打ち明けたいという気持ちが膨らんでいる。

 たぶんわたしはノアに自分の全部を知って欲しいのだ。


 「わたしは――精霊だ」

 ノアは微動だにせず、そうなのかと一言で応えた。

 「驚かないのか?これでもまあまあ珍しい精霊なんだぞ」

 「いや、驚いているさ。ただエルの秘密ばかりをあばいても仕方ないから、俺の話もしなきゃと思ってね」

 そう言って木の実をポリポリとかじる。ノアの真剣な言葉に、エレオノールは緊張した。

 「ノアも何かあるのか」

 そうだな――と、ノアは一呼吸おく。

 「俺は海をこえた東方大陸の失われた十支族の生き残りだ。この辺じゃ魔人と呼ばれている。ヒュムよりは長命で、五百年くらい生きている。ここに棲み始めて百年くらいで、これからも特に何もなければここで暮らす予定だ」

 一息にそう言った

 「どうだ、驚いた?」

 そう聞いてエレオノールは思わず笑ってしまった。

 「アハ、年上だとは思わなかった」拍子抜けした。

 「え、じゃあなんだと思ってたんだ」

 「ずっと年若い男に、あんな面倒を見させてしまったと気が引けていたんだ…」

 そういうと、ノアはぷっと吹きだした。


 二人で笑った――今、種族は関係なかった。

 彼と心から打ち解けた、今この瞬間が嬉しかった。無性に笑えた。

 


 「エレオノール、ずっとここにいろよ」



 「――え?」



 不意を突かれながら、とても大切な事を言われたと分かった。分かったのに、とっさに間抜けな返事で聞き返してしまった。

 「俺はエルに惹かれている。ずっと一緒にいたい。旅をやめてここにとどまらないか」

 顔がかぁっと熱くなった。

 「種族なんてどうでもいい。俺の心も身体も、エルと一緒にいたいと言っているんだ。

 急な話で驚かせているのは重々承知だ。だけど行ってしまう前に言わなきゃいけなかった。どうかな」

 

 ……息が止まっていた。

 「そん……」な急にいわれても、と口をついて出そうになった。

 そうじゃない。

 もうこの世界に肉体を得て百数十年生きてきた。そんな無粋なやりとりはたくさんだ。人生とはそういうもの……のようだ。

 いきなり命からがらの逃避行におちいる時もあれば、唐突に終の棲家が決まる時もあるんだろう。



 ――ああ。振り向いてもらえたらこんな気持ちか。



 「ノア。わたしは今日は胸を打たれるような美しいものを、二つも見た。夕日と、それから暖炉に映えるグラスだ」

 ノアは静かにエレオノールの言葉を聞いている。

 「ここの水は甘かったし、食べ物もおいしかった」

 食べることは生きること。

 「今日は心から笑った」

 笑うことは生きること。

 ノアはにこっと笑った。

 気に入った男に気に入ってもらって、一緒にいるだけで充分じゃないか。

 「わたしはノアが好きだ。ノアにそんな風に言ってもらえて嬉しい。わたしはここにいることにしたぞ」

 そういうと、ノアはエレオノールの手をとって、その甲に口づけをしてくれた。

 決断はいきなりだった。けれどなんの無理もなかった。


 




 エレオノールは幸福だった。

 ――幸福で身体がふわふわとして、気だるかった。気だるいのは飲酒したせいだろう。ノアがたらいに張った水で使った食器をゆすいで、エレオノールに手渡してくる。エレオノールは渡された食器を注意深くかごに伏せた。

 特にガラスは。


 「精霊と言うからには、霊界の名前もあるんだろう」

 洗い物をしながらノアが聞いてくる。

 「ある。雷公と呼ばれていたらしい。雷公カンナだ。まあ、そんなことを言われても知らないだろうが」

 そう言うと、はたとノアの手が止まった。

 「聞いたことがある……」

 そう言って、微動だにせず視線だけ向けてきた。

 「知ってるのか」

 「人間界にも雷公カンナの伝説はいくつかあるぞ、まさかその雷公か…?」

 エレオノールの酔いどれ頭は、ノアの感情をはっきりと読み取れないがなんとなく楽しそうにしている気がする。

 「わたしは知らない。記憶は肉体に宿るものだ。わたしに雷公の記憶はないぞ」

 「そうなのか」

 「精霊とは、宿主の歩む方向性を決める純粋な意思のことだ。そうだな……わたしもノアも、肉体と魂と精霊の三位が一体となって一個だろ?ただ私の場合は精霊の部分にカンナと言う名前がついていたということだな。それなりに高名な精霊らしいが……わたしは里で(ばば)様に聞いて雷公カンナの名前を知ったくらいだ…」

 ふーむ、とノアはうわの空で返事をして、最後の食器を渡してきた。

 「あと……そうだな……わたしは雷の魔術とほかの精霊の召喚が出来る。機会があったら見せよう」

 そういうと、ノアが笑った。

 「なんだ」

 「酔っぱらうと、口調がくだけて格別に可愛い。酔いがさめてもそれくらい砕けて接してくれないかな。あと、さっきからすごいこと言ってるぞ」

 「なんだ。そうか?でも、酔いがさめたら分からん。きっと少しずつ打ち解けていけるだろ。時間はあるんだからいいだろ?」

 たしかに気が大きくなっている。

 ノアが「そうだ、な」と言って腰を抱いてきたので、腹の底がきゅっとしまった。

 「ノアも酔うと親密になるな?」

 言い返すと、ノアは「エルは魅力的だからな」と言った。


・・・


 昨晩、エレオノールは気持ちよく酔った陽気な勢いで、ノアに添い寝を希望した。頬をかきながら「いいのか?」とたずねるノアに向かって、調子よくくだをまいたのだった。


 「あったりまえだ、わたしはここにいると決めたんだ。一緒に暮らすんだ。

 一緒に暮らす家にベットが一つしかないんだから、一緒に寝なきゃしょうがないだろう?ちがうか?

 それともノアはずっと床で眠る気でいるのか?そんなのは、しのびないぞ。あんな面倒をみさせておいて、そんな仕打ちをしてしまったらアルブの名がすたるってものだ。だいたいわたしはノアのお嫁さんということで……」

 うんぬん。

 別にベットを譲って、自分はソファに寝るという手がないわけじゃない…


 ノアの体温に包まれ、初めて異性と寝床を共有していると意識して胸が高鳴り、すこぶる高揚したまま、酔いが勝って気持ち良く眠ってしまった。



 目が覚めてガバリと起きあがるとノアは炊事場の前の小さなテーブルで茶をすすっていた。

 「おはよう」

 あわてて自身の身だしなみを確かめると、まったく昨日のままだった。

 ――アレ?

 あのまますっかり眠ってしまったらしい。

 ――アレ?

 「よく眠れた?」とにこやかにノアが聞いてくる。

 「わたしは……もしかして……新婚初夜をフイにしてしまったのか?」

 ノアにはこれがうけたらしく、あはははと高らかに笑って「そんなことを気にするのか?」と腹をかかえていた。

 「む、なんだ。気にするぞ。これでもわたしは乙女なんだ。新婚初夜と言えば大切な夜じゃないのか」

 と強い口調で重ねると、ノアがヒーとなおも苦しそうに笑った。あまりに笑うので、不本意にもつられて笑いながら「そんなにおかしいか?」とたずねると、俗っぽい精霊だと言って、フフフフとまたしのび笑いをしていた。

 俗っぽいと言われても、肉体を持っている以上自分も彼もそんなに違わないのに。そんなに崇高なるものを期待されても困る。

 まったく。


 エレオノールもベットから起きてテーブルの方に向かい、簡素な丸椅子に腰かけた。

 ちょっとにらむと、思いだしたようにくつくつと笑っていた。

 香ばしい茶の香りがする。

 「その茶、わたしも飲んでいいか」

 「その戸棚に湯呑がある、どれを使ってもいい」

 返事を聞いて、淡い桃色の湯呑をとりだしてティポットから茶を注ぐ。淡い黄色。

 「なんの茶だ?」

 「ニグスリノ……この辺に生えている灌木の枝を砕いて煮だした茶。結構いい香りだろ。エルの口にあうと良いけど」

 どれどれと呑んでみると、淡泊な味わいで香ばしく、結構いける。

 「これもうまい――ノアはおいしいものをたくさん知っているな。いったいどこでこういう知恵を学んぶんだ」

 たずねると、一瞬視線を落して何か考える仕草をして「だてに長生きしてないわけよ」とにやりと笑った。

 「茶化さず教えてくれよ」

 というと、眉尻をさげて「手厳しいな」とつぶやいてから説明してくれた。

 「ここからもう少し南に行くとタリオという村があってね。この小屋に住み始めてから、村人たちと仲良くしているんだ。とても気の良い連中で、仲良くなってからは色々と世話を焼いてくれたり、教えてくれたりするんだ」

 「へー、村があるのか。行ってみたいな」

 そういうと、ノアは思いだしたように

 「そうだな。エルも挨拶しておいた方が良い。今度一緒に行こう。村でしか手に入らないご馳走もあるしな」

 連れて行ってもらえるらしい、楽しみだ。

 「ちょっとその白銀の髪と美貌が目だちすぎるだろうけどな、上背もあるし……まあ俺の妻といえば大丈夫」

 そう言われると照れてしまう。ふふふと笑うことしかできなかった。

 「この辺の者はみな髪がノアのように黒く波うっているのか?」

 「いや、金髪や栗色が多い。たまに赤い髪の者もいる」

 「そうか。じゃあ、どちらにせよ目立つわけだ。それにしても魔人と呼ばれているのに、村人から色々教えてもらったりするのか」

 「そりゃそうだ。俺だって知らないことはたくさんある」

 そういうものか。自分と一緒だな、とエレオノールは思った。


 「そう言えばエルは昨日、魔術と精霊召喚が出来るって言っていたな」

 「ん?ああ、そうだな」

 ノアは咳払いをした。

 「妻だし、言っておく」

 「なんだ、もちろん必要とあらば力になるぞ」

 「いや、そうじゃない、ありがとう。実は俺もできる」

 この世界で魔術を使えるとなると、精霊とのつながりを意味するのである。 

 「え?」

 「俺も、出来る」

 「――ええ!?」

 エレオノールは変な声をあげてしまった。

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