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黄昏の精霊たち  作者: 松谷若草色
一章 力の目覚め
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1-2 到着

 靴の音を鳴らしながら木製のタラップを降りると、数週間ぶりの安定した地面があった。

 「おお、地面が動かない」

 リヴァレットは石畳を踏みしめて感じたことをぼそりとつぶやいてから疲労困憊のシャーロットの方をみた。彼女は船から降りた安堵感をただよわせつつ、眉間にしわを寄せて相変らずの様相。

 とても貴族令嬢とは思えない。

 普段着とは言え貴族のものでは()()とノアがいって、乗船する前にコーネリア(コーネル王国の首都)で服を一式、適当に見繕ってシャーロットに着せた。それすらよく似合っていて、リヴァレットはさすが貴族は違うなと思ったのだ。が、いまや()()()色あせて見える。肩吊りひものついた青い胴着の下に着ている白いブラウスには寝乱れたしわが入り、生地のたっぷりとした茶色いスカートも変な形にクセがついている。おまけにブロンドの髪もほつれて、なんとも気の毒だ。

 革の短靴をいたく気に入っていて、船に乗る前までは足取りが軽かったものだが…… 

 「大丈夫……じゃないね」

 声をかけたリヴァレットの方をちらっと見て、シャーロットは肩をすくめて弱々しくうなずいた。

 「でもやっと着いたね」

 リヴァレットの気遣いに、シャーロットはうめき声で返事した。

 「……もう何も出ない……裏返しになった胃がそのまま出てくるわよ……次は」

 それを聞いてリヴァレットは吹き出してしまった。思ったより元気そうだ。

 「そりゃ困る」

 ノアも笑っている。

 「アランに怒られるから、もし出そうになったら()()()()()おいてくれ」

 「やだあ」

 顔をしかめるシャーロット。

 「自分が始めた冗談だろ」とノアは笑いつつ歩きだした。他の乗船客も三々五々街の中に溶け込むように消えていく。

 「ここがラトランド大公国かあ」

 リヴァレットがすうっと空気を鼻から肺に入れてみると、磯の香りに混じって香料のような果物のような独特の甘さが混ざっているような気がした。

 「ねえお父さん」とノアの方に声をかける「お父さんがいた頃と変わった?」

 「ん?うーん、どうかな」

 ノアは娘の質問にどっちつかずな返事だ。

 「まだ降りたばかりじゃわからんな……」

 このファンという街はラトランド大公国随一の港町で、大きな河が流れている。河の上流にはラトランドの首都ペトロスがあるため、ファンはこの国の海運物流の玄関となっているらしい。活気のある街だとノアから聞いていた。こうして目の前にするとその言葉通り、よく賑わっているのがリヴァレットにも肌感覚で分かる。

 白くて大きくて美しい建物は、まるで粘土で作られたような造形で面白い。

「さすがに百年も経つと景色は違う」

 前を歩くノアは、先ほどの質問にあまり感慨を感じさせない調子でこたえた。

 港には大きな船が複数停泊しており、荷役夫がしきりに荷物を荷車に運んでいる。似たような荷車が街の往来をしきりに行きかっているのを見ると、物流が盛んだと言われていたのも納得する。

 男も女もみんな似たような造形の服を着ている。くるぶしまで隠れるたっぷりとしたワンピースで、色は真っ白のものが多いが、緑や赤の人も目に飛び込んでくる。

「すごい……すごいな」

 土地が変わると空気も着る者も建物も違う。リヴァレットは単純に感動を覚えた。

 自分もここにすんだらあんな格好をするのだろうか。そんなことを考えつつ、目を左右にすべらせる。

 見たことのない他国の国旗を掲げている建物がある。なぜ外国の国旗を掲げているのだろうか。

 シャーロットもため息をついていた。

「大きな港町ね」

 自分の城下町とつい比べているんだろう。

「ハーベナだって素敵な港町じゃない」

 リヴァレットが言うと、無表情で「当たり前よ」とシャーロットは返してから、またため息をついた。

 

 船が到着する寸前に話しかけてきたあの男の子がいないかと、少し視線を泳がせてみたが見当たらない。

 

 「さて、まずは宿をとらないとな……」

 リヴァレットが意識を周囲にめぐらせていると、ノアがつぶやく。そうだ、シャーロットがはやく休めるところを…… 

 「おじ様、おんぶして」

 そのシャーロットがだしぬけにそう言う。こんな甘え方は最近じゃ珍しい。ノアはまじまじと彼女をみて「まあ、しょうがないか」と笑った。

 確かにリヴァレットの目から見ても、今のシャーロットはちょっと気の毒な感じだ。

 実の父の前ですら気丈にふるまういつも勝気なシャーロット。けれどもその反面、ノアには素直に甘えてきた。

 「その荷物はどうするんだ」

 ノアがシャーロットが背負っている荷物に視線を投げる。

 ノアとリヴァレットはともかく、シャーロットまで大きな荷物を背負っていた。


・・・ 

 

 旅の出発の数日前、ノアはシャーロットの父親であるアランを説得した。つまり「侍従を二人つける」「馬をつける」と、まあ貴族としては当たり前の主張したアランをノアが制してしまったのだ。

 夕食をおえて城の談話室でソファに腰かけて酒を飲むアランとノアを、家族で囲っていたときだ。

 「アラン、先に何が起きるかは分からないものだし、シャーロットの将来についても……それはそうだ。()()()()()()()()()()。だがな、当主になるにせよ一人の女として生きるにせよ……いずれにせよ、人は一番必要な力を身につける機会がないとダメなんだ。そう思わないか」

 二人は旅程について、軽く話あいをしていた。

 アランには話のゆくえが見えたのか、それともわからずに戸惑っているのか、思案気な顔で沈黙している。父親が視野のとおい話を始めたので、リヴァレットはいつも通り黙っていたし、シャーロットも話の行方にだんまりを決めている。

 「ノアのいう一番必要な力ってなんだ?」

 そばにいたエレオノールが、そんな沈黙の中、すんなりと話を進行する。

 「……言葉にするのは難しいが、それでも無理に言葉にするなら……」

 眉間にしわを寄せて、下を向いて思案してから再び顔を上げる。

 「シャーロットは、どう思うんだ。自分が生きていくうえで大切な力ってなんだと思う?」

 これまで大人同士の話の中で意見を求められることなどなかったシャーロットは面食らってしまった。

 「わたし、ですか?」

 「そりゃあシャーロット。お前の話なんだぞ」とノアは眉根を寄せて困ったな、という表情で笑った。

 言われてシャーロットは、表情をくるくると変えて決心したように言ったのだ。

 「ならわたしは、もっと色々なことを自分の力で解決できるようになれたら、って思いますわ」

 「ほう!」とノアが感心したような声をあげた「きいたか、アラン。娘の頼もしい心構えを」

 アランは苦笑いした。

 常日頃から強気で独立心旺盛なシャーロットの身を(おもんぱかっ)ってさまざまな行動を制限する立場からすれば、反抗ともとれる耳の痛い言葉である。そんなアランを、ノアは柔らかい笑みで見つめながら続けた。

 「シャーロットの中には大事な力の種が宿っている。俺はそれが芽吹くよう願う。

 そう……例えば自分の身辺の面倒を見ることが出来る者が、あえてそれを他者に任せること。それができない人間が、他にどうしようもなく侍従と一緒に過ごしまわること。

 外から見ればおなじだろう。しかし意味が全然違う。

 特に、自由に生きるという点で」

 リヴァレットには、この時点で話の方向性が見えたので、シャーロットをちらりと見やった。神妙な顔をしてノアの話を聞いている。

 アランは静かに言った。

 「ノアさん、わたしは娘を国外に留学させると決めた時点で、あなたと同じ気持ちです。ただ――娘を案じる気持ちが勝ってしまいそうになる」

 そう言って、苦笑している。

 「もちろんアラン、君が娘の安否を気遣う気持ちは分かる。しかしな……」

 そう言って、シャーロットの父親に向けて杯を掲げると、彼もそれに杯をあげて応えた。

 「――アラン、せっかくの留学なんだ。侍従(じじゅう)はなしだ。我々の娘たちを信じて、手放しで送り出してやろうじゃないか。大丈夫、この子たちなら心配ないさ」

 「分かりました……」

 アランはそう返事をして、眉根を寄せて歯を見せて笑った。

 他国に娘を留学にやるというだけでも勇気の必要な決断だったろう。その上さらに娘にかけた手の指を、もうひとつ外されているかのような心許なさを感じているのを、その場にいる誰もが感じ取っていた。

 「お父様、ご安心ください。立派な女性になって帰ってきます」

 調子の良いことを言って、と思いながらリヴァレットは、そう(うそぶ)くシャーロットと嬉しそうなアランの横顔を交互に見ていた。


 「ふふふ、子育てなんて言葉は表面的なものでな。その実、親が成長しなければならないものだよ」

 そう言ってノアは飲んでいた酒の杯をあおって「な?」と急にリヴァレットの方に話をふってきた。

 「わたしは分からないよ、お父さん酔ってる?」

 困ったリヴァレットがそう答えると、ノアは「まあな」と言って溜息をして、独り言のようにつぶやいた。

 「一人で生きる力のある人間こそが、人と共に生きられるんだ。不思議なことに。人の上に立つなら、なおのこと」

 執事が影のようにノアの横に立ち、空になった杯に酒を注いだ。

 シャーロットの母のケイトは何も口出しするつもりはないという表情で娘と夫を交互に見守っていた。


・・・

 

 「リリー、お願い」

 リヴァレットの愛称だ。どうやらシャーロットはノアにおぶってもらう間、リヴァレットに荷物をもってもらうつもりらしい。

 「えーやだ、二人分なんて重くて持てないじゃん」

 その頼みをにべもなく断る。さすがに重くてリヴァレットには無理そうだ。

 「ケチ」

 「ケチじゃないよ、わたしだって持てるなら持ってあげるよ。あ、じゃあその荷物、なんかバラせないの?半分くらい――」

 やっかいな言い合いになる前にノアが口をはさむ。

 「分かったから。背負ったまま乗んな」

 ノアはかがみながら自分の荷物を前にずらして二人に声をかける。シャーロットはしずかになって、昔みたいにノアの背中に身体を預けて、人に見えないように顔をうずめた。 

 「淑女になったんじゃないのか」と言いつつシャーロットを乗せて立ちあがった。

 リヴァレットが子どもの頃に見た光景。

 「いいでしょ」と、シャーロットは意に介さぬ様子だ。

 「身体つらいし……ここ外国だし、お父様もいないし」

 「……まあいいが。顔はせめて隠してな。はたから見たら若い男が若い女を負ぶっているように見えるんだ」

 ノアが言うとシャーロットが「はあい」と子供じみた返事を返した。長命種のノアの外見は、まだ二十代後半のままである。

 昔からシャーロットは実父のアランの前では気を張っているくせに、ノアには驚くくらい素直な態度で甘えてきた。そのせいだろう。シャーロットはリヴァレットにとってはなんとなく姉のような存在だった。

 一度シャーロットがノアに甘えるのに嫉妬して大喧嘩をしたことがあった。喧嘩の始まりのときこそ、ノアを関心をシャーロットに奪われて頭にきていた。

 けれどシャーロットが激昂しながら「リリーは一年中ノアおじ様に甘えられるじゃない!」と涙を流しながらうったえてきた時にハッとしてしまって以来、今みたいにシャーロットがノアに甘えることが自然だと感じるようになった。十歳になる前の出来事だ。

 もっとも最近じゃ見られない光景だったので、なんとなくあっけにとられてしまった。


 ノアが道行く人をつかまえて宿の場所をたずねている。女をおぶった男に道を尋ねられてぎょっとする年配の男性に対して、リヴァレットは内心そりゃそうよねと同情した。しかしノアがまったく意に介していないのをみてすぐに気を取り直して道を案内してくれた。

 異国の風、異国の匂い、異国の人、異国の服装……

 リヴァレットは今にも一人で物珍しいところに首を突っ込んでみたい衝動に駆られる。自分はこの地に馴染めるだろうか。

 「シャーロット、どれくらいで元気になりそうなの?」

 「ん、わかんないけど多分夜には」

 弱々しい返事が返ってきた。はやく荷物をおいて、ひと心地つきたい。

 「貴族って、自分の荷物を自分で持ったりしないんでしょ」

 「別にそんなことないわよ」

 「……元気になったら、色々見てみようよ」

 「うん」

 

 まだ日は髙かったので悠々と宿を探しながら、ノアは二人に自分がこの町に住んでいた時のことをぽつぽつりと話をした。

 「この通りはもっと狭くて、人がひしめいていたんだがな……」

 「ここは広場だった、今も名残があるな」

 百年前の話だと思うと妙に貴重な感じがして、二人ともノアの指す方をみては「へー」「ほんとだね」としきりに感心する。

 

 若い男が背中に若い女をおぶっている様はさすがに目立つからか、リヴァレットはところどころで視線を感じた。しかしノアがいっこうに気にしない上に、異国の格好をしているせいか、まちゆく人もすぐに興味を失っていた。

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