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黄昏の精霊たち  作者: 松谷若草色
精霊の出奔と出会い
14/17

ノアとエレオノールーエピローグ

 タリオの滞在は楽しかった。村のみんなは親切にしてくれるし、食べ物は美味しいし、ノアは優しい。


 湯屋で村の娘たちに匂い袋について教えてもらった。アルブの外でも<匂い>というのは女の関心事のようだ。

 アルブでは男女の別なく精油を扱っていたが、女性はそれを髪や身体に使用することもあった。配合によっては強い力を生み出す精油については、体系化された学問となっている。エレオノールの専門外で、これについては友人にまかせきりだった。強い匂いを用いて魔物を欺いたり、おびき寄せたり、気をそらせたり…… 匂いに魔術を乗せて幻覚を生み出したり、異性を誘ったり(も、できるらしい)…… 精油は巧くつかえばかなり便利なものだ。

 しかし匂い袋というのは初めて聞いた。聞けば単純明快で、自分の気にいった香りのする草花や木をよく乾燥させて粉砕して袋に詰めておくということだ。村で娘たちが歩いた後、ほのかな香りの道が出来ているので気になっていた。何かあるのだろうと思って、湯屋で思い切って聞いてみたのだった。市では正体不明の可愛らしい小袋が売られているのを見かけたが、あれはそういうことだったのだと得心がいった。

 しかし湯屋で話を聞く限り、匂い袋の中に詰めるものにまつわるエピソードも、複雑で体系化されているように感じた。おもに村の娘たちの熱心な研究によって…… 魔術を乗せたり、一定の効果を狙ったりということではなく、自分の気に入る香りを生み出す、という一点に熱中しているようだった。

 とりあえず市で気に入った匂いのするものを購入しよう。にぎやかな娘たちの、熱心な匂い袋論が展開されているのを眺めながらエレオノールはしずかにそう決めていた。そういう話をしているうちに、ノアの呼び方を真似したのか、村の娘の一人がエレオノールを「エルさん」と呼んだ。

 「……エルさん」

 意外な響きのその呼び名は、誰かに笑顔で復唱され、そのまま彼女たちの心の中に馴染んだようだった。いよいよ自分はここで生きていくことが出来そうだ、そう感じた。きっとアルブの里を飛び出さなければ味えなかったんだろうな。


 滞在の後半になるにつれて、凝ったご馳走もいいが、ソフィア――宿のおかみ――が作るまかないも、素朴で美味しいと感じるようになった。豪勢な料理は心が躍るが連日でなくていい。イモ、雑穀のおかゆ、煮魚、豆…… これにチーズがあれば上々…… 鳥の燻製肉(ベーコン)腸詰(チョリソー)なんてずいぶん上等だ。

 チーズは牛という四つ足の乳から出来るようだ。ふかしたイモに乗せて食べると旨いバターも、牛の乳から出来るらしい。

 あの朝に食べたふんわりとしたパンも、やはり珍しかったようだ。ソフィアはもっと噛み応えのあるものを食べていた。それをもらって食べてみると、なるほど確かにぼそぼそとして食べにくい。が、これはこれで味があっていいなとエレオノールは感じた。彼女の真似をしてスープにつけてふやかして食べると、塩気と旨味を吸って味わい深かった。

 「うん、結構うまいな」

 笑っていうと、ソフィアも照れたように笑った。

 「こんなものでいいなんて言われると、なんか申し訳ないなあ……」

 私的(プライベート)な食事とは、こういうものだろう。

 

 市の開催中、ノアには様々なものを買ってもらって宿に持って帰った。衣類、靴、外套…… この土地の趣味は、エレオノールの好みにぴったり合った。村の建物の感じにしてもそうだが、細やかな装飾や魔術付与を散りばめるアルブと異なり、装飾が少ない。「格好よくみせる」という態度をそいだ有様(ありさま)が、アルブの超絶技巧を張り巡らせた工芸に慣れてしまったエレオノールの目にたまらなく()()()()うつった。装飾品も素朴なものが多かったのだが、目を凝らして探すと好みのものが()()

 一見素朴なくせに、よくみると変質的な技巧が凝らしてあるようなもの。

 素朴なものと凝ったもののバランスが良い。そういうちぐはぐなものを、めざとく見つけてノアとそういった話をするのが楽しかった。

 「ノア、ノア…… みてこれ。すごいよ」

 一見、叩きっぱなしの不格好な銀のピアス。しかしよくみるとびっしりと文様が刻みこまれていた。そのくせ傍目にそれが分からない。

 おもわず笑いながらノアに見せる。ノアの良いところは、こういうもののおかしみを分かってくれるところだ。

 ノアは笑って「おれの故郷じゃ流行らないな…… こんなところにこだわるなら、なぜもっときれいな形にしないんだ」と言う。

 「なんで? それが可愛いんじゃないか」

 と反論すると「分かってるよ」と返事が返ってきた。そう、ノアは分かってくれるのだ。


 市がおわる前にチーズを丸々一個購入するのも忘れなかった。

 「こりゃ荷車を貸してもらわんと家まで持って帰れんぞ」

 宿の一角に出来た荷物の山をみてノアがつぶやく。

 「箪笥(たんす)とかはどうするんだ」

 ノアが嫁入り道具に要るから見繕(みつくろ)うと言っていた箪笥。

 「俺が作るよ、もう」

 「土魔術で?」

 風呂場のピカピカの棚を思い出して訊くと、ノアはうなる。

 「それじゃ服がしけるな…… 」

 結局しばらくノアと箪笥を共有することにした。それで間に合うなら、わたしは別にずっとそれで構わないのだが、ノアは嫌なのだろうか……


 ノアが話していたとおり、市を視察に来ていた領主に挨拶もした。

 ノーザンメイア辺境伯は気の良い若者だった。というよりも、エレオノールには彼がノアに…… なついているように見えた。本質的には湯屋で出会ったスコットとそう変わらない、というのが若き辺境伯に対する印象だ。とはいえ肩書と責任からくる重厚感のようなものがあった。ノアに聞いた話だと、この若者もまた他の()()と同様、本土で王から爵位を拝命しているという。

 まだその重みに慣れていない様子も見受けられた。


 市の四日目、中央広場の大天幕。

 村長のイェルハルドから紹介されて、アランに挨拶をした。金色の髪を短かく手入れした精悍な若者だった。

 「はじめまして。エレオノール・ロームと申します」

 そう言って軽く膝を折ると領主であるというこの若者は、くしゃっと人懐っこい笑顔を見せた。

 「こちらこそ、初めまして。お美しいローム夫人。私はノーザンメイア伯爵のアラン・ポートエリン」

 その表情と言葉だけで、自分が受け入れられているという気がして、つい警戒を解きそうになるほど親近感が湧いた。なるほどさすがにただの若者じゃない、長というのは何か違うものだ、そう思わせた。育ちからくるであろう品の良さも相まって、人を惹きつける魅力がある。

 しかしノアと二言、三言かわすと、この若者がノアを偉大な年長者として好いている感じや、ノアに認めてもらいたいという態度が垣間見えて、年相応のところがあるのが分かった。

 「ノアさん、ご結婚おめでとうございます」

 「ああ、ありがとう」

 ノアは口数は少ないが、笑顔で応えている。

 「私も昨年結婚したんですよ」

 「そうだったな。結婚生活はうまくいっているか」

 ノアにそう聞かれると、アランがはにかみながら「はい、おおむね」と答えた。ノアと話せて嬉しそうにするアランのその様子をエレオノールは見逃さなかった。「お互いに子どもが生まれたら、是非交流を持ちましょう。ポートエリンの城に招待します」と熱心に提案するアランの様子を見ていた。

 やはり、長命種で強い魔力を持つノアを当て込んだ何らかの打算などがあるのだろうか。そんなことを勘ぐりながら見ていたのだが、もっと澄んだ感じがする若者である、というのがエレオノールが抱いたアランへの印象だった。

 「ああ……では、その時は厄介になるとしよう。だが、長命種(おれたち)の子供はそう簡単にはできんぞ」

 ノアは苦笑いしながらアランの申し出に応えている。寄る辺を探す若者らしい態度。みずみずしく頼りないようでいて、しかしこれはこれで(したた)かなようにも感じられる人懐っこさ。エレオノールはこの若者がどのように成長するのか、興味を抱いた。

 そんなエレオノールの視線に気づくことなく、アランはノアからもらった答えに満足そうにしていた。


 それにしてもわたしとノアの子か。どんな子が来るかな。


 市がおわった翌日、タリオの村の皆に宴を催してもらった。二人の結婚の披露の宴だという。その宴でノアがいかに村のものに慕われ、敬意を払われているのか改めて感じた。そもそも結婚の披露など、自分たちで段取りをするような事柄じゃないのだろうか…… この村のしきたりが分からないからなんとも言えないが。

 宴では大テーブルがいくつも並べられ、ご馳走が並んだ。どれも市で見たもので、興味のおもむくままに食べてみたいと思った。しかしそれは叶わず。

 宴の間中、いれかわりたちかわり村の者が一族ぐるみでやってきて、家長が代表してわたし達二人に祝辞を述べてくれた。

 「挨拶がすめば、すきに食べられるよ」

 ノアはそう小声で言った。挨拶のたびに杯に酒を注がれるせいで、真っ赤な顔になっている。

 「お……おい、あまり無理をするなよ?」

 心配になってノアに向けて小声で注意する。

 「なんの。今日ばかりは無理を通さにゃならん」

 そういうものか。

 「そうなのか」

 「ああ、そうだ。でなきゃ男が廃る」

 変なところで意地っ張りなんだな。まあ、死ぬことはないだろうからよしとした。

 「この度は誠におめでとうございます」

 挨拶に来る一族に向けてノアも普段は使わないような言葉で返事をしている。

 「本日はこのような席を設けてくれて、本当にありがとう。今後も色々あると思うが夫婦ともども、とにかくよろしくお願い致します」

 いちいち丁寧に挨拶を返して、恐縮したり、されたりしていた。

 

・・・


 かくして北方大森林より出奔したアルブ族のエレオノールは、ノアと出会い夫婦となった。

 二人は関係を結んで数年の間、出会った小屋で暮らした。しかし子をもうけると同時に、タリオの村に越した。二人は仲睦まじく、村人からの評判は良かった。

 その評判の根源には、二人が秘めていた力が大いに関係する。

 二人共に大変強い魔術を有し、村の発展や防衛のためにそれを大いににふるった。特にエレオノールは一度、村を襲う魔物を撃退する際、必要に駆られて雷神ユピテールを召喚したため、村人からは若干畏敬の念を送られるようになってしまった。エレオノールにとってその変化はあまり好ましくないものであり、村人の方も彼女のややさみしそうな、こわばった態度から彼女の本意を察して、やがて元の態度に戻った。

 しかしエレオノールが精霊を召喚するような機会は一度きり、普段はおおむね村人に溶け込んで生活を送っている。

 ノアは相変わらず、静かにグラーニスを喚びだしてクリスタルガラスの細工をしたり酒を醸造したりしていた。

 二人とも狩猟採集や食料保存の技術に長けていたため、村の若者を連れて狩りに出かけてはその知恵を惜しげもなく分け与えることで交流を持ち、タリオ村に溶け込んでいった。季節になればみなに混じって麦をまき、一緒に木を伐って家を建て、エレオノールは祭りとなれば仕出しを手伝い、ノアも男衆に混じって道の舗装や橋の修理に参加する。

 二人で村の寄り合いに参加した。

 新しい夫婦の誕生にも立ち会い、亡くなるものがあれば葬儀に立ち会う。

 

 要するに、精霊を召喚したり魔術を駆使するというようなことは生活の中ではほとんど使わず、それよりももっと地味なことが、タリオの生活では大切だったのだ。一緒に大酒を呑んだり、時には膝をつきあわせて議論をしたり――

 負けん気の強い二人の娘――リヴァレット、エレオノールの好きな花の名前を付けた栗色の髪のおてんば娘――は、時に村の男の子相手に大立ち回りを働き、夫婦ともども相手の家族に謝罪に行って、夜眠る前にしょんぼりとしたエレオノールをノアが慰めたりもした。

 そんな生活の中でノアは、自分が求めてやまなかったものを得られているという実感を得た。


 ――故郷。


 自分の心の中心におさまった景色、その景色の中に潜む人びとの気配。


 その景色とは、この村からみる地平線のかなたにある山々、そして村の畑、裏手の森、広がる草原、放牧された牛がのんびりと草を食んでいる様子。

 村の若者と力を合わせて、猛禽と競うように地兎や野ネズミを狩ること。

 地響きと共に通りすぎるバイソンの大移動の群れ。

 未明の地平線にひろがる、濃い紫色のたなびく雲。

 地平に沈みゆく真っ赤な夕日、そして茜色に染めあげられた小さな村の建物。

 夕方、湯屋に行って風呂上りにエールを呑んでミカルとくだをまくこと。

 リヴァレット、おれの可愛らしい娘。


 そして、最愛のエレオノール。


 ノアは満ち足りていた。

 妻と娘に囲まれつつ、時々最初の息子のことを思った。サマルシリア軍におわれ東方大陸から落ちのびて、南方大陸(サザンメイア)をさまよっている時に出来た子。


 タリオの村での生活を送りながら、息子のエドヴァルドには「これを与えてやれなかったのだ」と実感した。

 当時は漠然と「何かが足りない」としか思わなかったが今なら何が足りないのか分かる。

 

 ――俺はあの時、エドに安定した家を用意してやれなかったんだ。

 一家の家長が地域に根差していることが子どもの情操にどれだけ重要か、娘の安定感を見ていればよく分かる。俺はこの村に居場所がある。そして――だから――娘にも居場所がある。

 エドヴァルドにはなかった。

 あの時の自分では…… あの状況でそれは出来ようもない、望むべくもないことだった。


 そういう意味では、エドはあの時の俺の分身なのだ――故郷を追われ、不安定だった俺の世界の写し鏡……エドヴァルド……


 すまなかった。父さん…… あの時はあれが精いっぱいだったんだ。




長かった序章ですが、ここでいったん終わり。次は一章がはじまります。

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[一言] お疲れ様です! 子供世代に何が起こるのか、陰ながら見守らせていただきます。
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