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黄昏の精霊たち  作者: 松谷若草色
精霊の出奔と出会い
13/17

黄昏の精霊たち

 「まあ、これからも何かとよろしく」

 グラーニスはまさに偏在状態を解除しようという時――偏在(へんざい)遍在(へんざい)、それがこの世界における精霊の在りよう――初めてエレオノールに声をかけた。ごくごく気軽な調子だ。

 「あ、ああ、こちらこそよろしく……お願いします?」

 自分に何かを語りかけてきたことに少し驚きながらこたえる。ノアとの関係性があまりに気さくなので、エレオノールはグラーニスに対する態度を決めかねていた。グラーニスは伏し目がちになにか考えて、やや間をおいて続ける。

 「ほかでもないノアの妻だ、エレオノール、君の召喚にも応えるよ。

 それだけの魔力だ、霊界を開くことができるんだろう」

 「へ」と思わず変な声が出た。ノアはことの成行きを目をほそめて見まもっている。

 「まあ、と言っても……僕たち属性の相性、あんまり良くなさそうだけどね……」

 確かにグラーニスの言う通りで、強い土の気配には弱った。まるで自らの力が吸い込まれていくような感覚だ。

 「あ……ありがとう、ございます。その節はなにとぞお力添えください」

 そう応えるとグラーニスは、はははと乾いた笑いを見せて、なんとも言えない表情になる。

 「いいよ、そんなに(かしこ)まらなくてもさ。だいたい君も受肉体の精霊じゃないか、雷公。

 この三百年、精霊と共に生きる価値観は地上からずいぶん姿を消した。

 時代は変わりつつあるんだ、カンナ=エレオノール。君が受肉したのもそれに関係があるんじゃないのか」

 エレオノールは言葉を失ってただ力なく「いや、わたしにそれはわからない」と答えた。グラーニスはそんなエレオノールを含みのある視線でしばらく見た。

 「ま、いくよ」

 「グラーニス、あの件だけ」

 頼む、とノアが申し含める。さっきエレオノールの居所を、アルブにばらさぬよう頼んでいた。

 「分かったよ」

 グラーニスはそう応えて、土の気配をのこしてそのまま消えた。なんだかあっという間だった。――本当に精霊召喚だったか。エレオノールが知っている精霊召喚とずいぶん違う。気安くて、あっさりとしている。

 グラーニスの偏在が解けたのを確認して、ノアは自分が練った魔力を散らし、空間の裂け目に手をかざして閉じた。

 森の外のことは本当に分からない――エレオノールは考える――『精霊と共に生きる価値観は地上からずいぶん姿を消した』この意味を考えていた。

 この世界に生きる以上、精霊の意思の中で生きるものじゃないのか。大森林の外にきた今も、大なり小なり精霊の意思を感じるぞ。

 

 たとえば雷神ユピテールの意思は海のなかにも、絶え間ない季節風のなかにもある。それこそ遍在している――精霊の意思がこの世界のあらゆるところまで拡張し、たゆたい、どこにでも在る――ということ。

 あるときは海の湿気をたっぷりと含んだ大気となって、ある時はそのまま季節風に乗ってカベサ山脈(カベサ・デ・バカ)――マナハトウの東にそびえるアルブの屋根――へぶつかり、そのままとほうもない入道雲となる。

 肉体を持つ者がユピテールの意思を認めることができるのは、ただ一点、雲のなかでおこる稲妻のひらめきという形でのみ。人とユピテールのつながりは、その瞬間しか可視化されない。その邂逅は、この世界の何一つ欠けても実現しない、偉大なる奇跡である。

 それが精霊。この世界の出来事が全て繋がって在ることの、大いなる象徴。

 そしてもう一つ。

 肉体を持たない精霊は、霊界にも遍在している。

 精霊召喚とは、とほうもない魔力を使って霊界をひらき、畏れ多くも喚びかけて、応えてもらうことを指す。遍在状態から、偏在状態――仮の肉体を持つ不自然な状態――へとなり替わって、ある時は力を借り、ある時は知恵を借りる――つまり会話する。


 ――普段、精霊の意思は言語では語られない。

 しかし精霊は雄弁だ。いろいろな形をとってこの世界にあらわれている。頬を撫でる風の中に、流れる小川のせせらぎの中に、荒れ狂う暴風雨の中に、地を走る振動の中に、噴火する火山の中に、ゆらめく水面に映る月の影に、凍てつく空気の中に……精霊の意思が宿り、語っているのだ。

 

 「精霊は確かに存在していて、この世界に遍在しているじゃないか。共に生きる以外にどうしようもないのに」

 そういう感覚が――古くなりつつあるのか?エレオノールはノアに向かって、独り言のようにそう言った。

 「それはな……エル」

 ノアは難しい顔をしている。

 「ひとは多くの目に見えぬものを共有しているだろ」

 「人の情、大いなる意思、星の声」

 エレオノールは、素直に思い浮かんだことを口にした。

 「ああ……」

 急にノアにかき抱かれた。

 「ぅわぁ、なんだ急に」

 「エル、尊いよ。分かんないだろうけど、自分じゃ」

 ノアの腕の中で身じろぎをして、ゆっくりと背中に手を回す。

 「今の世の人が共有している目に見えぬものはな、エル……たえず変動する貨幣の価値、正体の分からぬ他国の意思、そして明日への不安だ」

 「なんだそれ」

 エレオノールは心が暗くなった。

 「タリオはそんな風に見えない」

 「ああ、そうだな、ここにはまだそんなに影響はない。でも南方大陸(サザンメイア)はな」

 「なんなんだ」

 「いや、まあ、良い悪いじゃないんだ。貨幣価値の共有というのは、それはそれで奥深く、底知れない。いわば――」

 「いわば?」


 「――人が生み出した精霊かもしれないな」

 

 ノアの口から出た不自然な響き、耳にのこる印象的な語感。人工の精霊。

 「人が生み出した精霊か」

 「ああ、おれもいま初めて口に出してみたが、妙に肚におちた」

 「ふうん」

 そんなことがあるだろうか。

 「人は、自分たちで生み出した強い精霊に夢中になっているんだ」

 「そっか、そうなのか?」

 「ほかの精霊たちとのつながりを忘れるほどな」

 それはいけない。

 「目が曇ってしまっては、かたよった判断をしてしまうんじゃないか」

 「それで何が起きたか、エルだってよく分かっているはずだ」


 ――あ。


 ノアはゆっくりと言った。

 「ラトランド大公国で何かが起きているんだ。どんなことかは分からない。でも少なくとも、それがアルブに飛び火した……エル、世界はどうしようもなくつながっているな」

 かすかに聞こえるタリオの市の喧騒、小鳥たちのさえずり、原っぱをかけるそよ風。穏やかだった。

 「そうだな。ここはこんなに穏やかなのにな」

 穏やかな世界と、激しい世界が表裏一体に在る。確かにそれも一つの真実だ。

 「おれたちは、そのおかげで出会えたんだから――なんとも言えない、いや――」

 ノアは苦笑している。

 「感謝すらしている……」ノアはエレオノールを抱きしめながらそっとつぶやく。

 そうだ、悪いことばかりじゃない。

 「そうだな」

 ふふふ、とお互い笑って口づけした。





 「ところでノア、これどうするんだ」

 敷き詰めた枯草にきれいに並べられた美しいクリスタルガラスの器。エレオノールは指さして聞いた。

 「ああ。村長(イェルハルド)に渡す。その前に、どれか気に入ったやつをひとつエルにあげるよ」

 「え!?本当に?」

 「もちろん、どれがいい」

 「えー」

 言いながらノアに身体をこすりつけた。

 「ありがとう」

 そう言って、うーんとうなって、少し考えて、くせがあって特徴的な形のグラスをひとつ指さす。

 「エルはそれか」

 そう言ってほほえんだ。

 「なんだ?」

 「おれもそれが好きだ、味わいがあっていい」

 と言って、ノアはエレオノールの頭に手を置いて、髪を撫でた。

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