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黄昏の精霊たち  作者: 松谷若草色
精霊の出奔と出会い
11/17

ノアとエレオノール_広がる世界⑤

 エレオノールがノアに初めて買ってもらったのは、革の貴重品入れだ。

 「これで通貨も入れておけるな」とはノアの言。

 大変気に入ったので、両手で掲げて改めて見てみる。深い茶色の革はよくなめされて柔らかく、つややかだ。縫製も丁寧。きめ細かい仕事の形跡が見てとれる。眺めるだけでじんわりと胸が満たされる。

 「気に入ったぞ」

 ノアにそういうと「よかった」と満面の笑みだ。


 突き抜けるような晴天。活気あふれる目抜き通り。

 二人で白い息をはきながら市を見て回った。

 

 「徐々に嫁入り道具をそろえなくてはな」

 ふと気がついたようにノアが言う。

 「ええ……何がいるんだ」

 とっさに聞き返したエレオノールに向けてノアは当然だろうという顔で告げる。

 「エルの服をいくつか、あと下着、それをしまっておく棚、タオルをいくつか、防具、かご、鏡、髪留め……護身具もいるんじゃないか」

 「お、おう」

 たしかにわたしは何も持たずにノアのところにきたからな。

 「髪留めはノアが作ってくれたじゃないか」

 「ありゃ家用だ」

 にべもなく言われてしまった。そんなわけで二人は、エレオノールの生活用品を見て回ったのだった。とはいえ気になるものが、他にいろいろとある。

 例えばさっきからちらほらと見かける菓子店。

 菓子店にかぎらず食べ物はこの村の者が店で扱っている。それはそうか。わざわざ遠いところからやってきて、食べ物を扱うのは()だろう。

 菓子屋の男が挨拶をくれる。

 「奥さんこんにちは。楽しんでるかい?」

 昨日風呂の休憩所で顔見知りになった年配の男だ。帽子を掲げて挨拶をしてくれる。

 「こんにちは。とても楽しんでいます」手を振ってそれにこたえる。


 菓子店には子供達が群がって一丁前に値段交渉をしていた。

 「ねー、もう一個おまけしてよ」「あ、ずりいぞお前」「だめだよ無理言っちゃ」

 「だめだだめだ。お前ら全員にまけなきゃいけなくなるだろう」

 店主の男もこの子たちの相手には慣れている様子だ。

 「いいじゃんか」

 「よかないよ」男は言いながら、切れはしを子どもたちにやっていた。

 「やったー」嬉しそうにしているのをみて、エレオノールは頬がゆるむ。

 

 菓子を取り扱う店が点在している。実に様々な形の焼き菓子があり、エレオノールはその種類の豊富さに舌をまいた。木の実がまぶされたもの、キャラメルが焦がしてあるもの、糖衣がかかっているもの、ふんわりしたもの、焼しまったもの、干した果物が混ざったもの……

 「ノア……わたしも菓子が食べたい」

 子ども達を見て、ちょっとうらやましくなってしまった。

 「ん、いいよ」

 吸い寄せられるように魅惑の発生源に歩み寄っていく。エレオノールが選んだのは風変わりな見た目の菓子だ。表面はスライスした木の実がびっしりとキャラメルでぬり固められている。中は層状になっていてなんとも珍妙で、気になる見た目だった。

 ノアに買ってもらって。さっそく一口かじってみる。

 「どうだ」

 サクリとした軽いクッキー生地。なかには甘くて重たいバターが詰まっている。アーモンドスライスをコートしているキャラメルは甘いが、あくまでほろ苦くクセになる。

 「……包み紙いっぱい欲しい」

 「ほかのお菓子も食べ比べてからにしたらどうだ」


 ……結婚はすばらしい。

 

 ワクワクした。エレオノールは、自分が食べ物にばかりに惹かれるのを少し気にしていた。おそらく、無意識のうちにこの地で生きていかんとする本能が働いて、自然とそうさせているのだろう。この地になじみ、ここの人たちになじみ、この地の食べ物と水と酒になじみ、この地の風土と一体になっていくのだ。だから初めての市場で、食べ物ばかりに目が行くのは自然なことなのだ……のはずだ。

 タリオの村人はその場で食べられるものを出しているが、他の地域の者は保存食を出しているようだ。

 保存食とはそれこそ腸詰、燻製や乾物……

 「なんだあれ」

 エレオノールが指さす先には、棚にびっしりと並んだ楕円形の茶色い物体。ナイフで切って量り売りしている。

 「もしかして……チーズか?」

 「ああ、そうだ」

 「ノア、一個買って帰ろう!」

 ノアは苦笑しながら応える。

 「最後まであるよ、今日買わなくても」

 「ん、そうなのか。でも今買っておけば確実なんじゃないか」

 欲しい。ノアは大丈夫大丈夫と軽く笑って応えた。絶対忘れないぞ。

 もちろん食べ物意外にも色々とある。毛皮、アクセサリー、防具、色とりどりの紐、布、服飾品、生活雑貨、武器……

 商品も目に飛び込んでくるのだが、それより市場を席巻している色とりどりの簡易天幕がエレオノールの目をひく。ついまじまじと見てしまった。

 露店も多い。天幕をはっている店と半々といったところか。

 「こんにちは」

 二人に声をかけてくる者がいた。快活な声の主は、美しい金髪が印象的なウルリーカ。昨日はまさか村長の娘とは思わなかった。見るとエプロンをさげて、なにやら買い出しの途中のようだった。

 「やあ」

 「ウルリーカさん、こんにちは。どこかで店を出しているんですか」

 「ええ、毎年この市では村の女衆で暖かいスープとクロッグのでみせをやるんです」

 クロッグ?

 「ああ、あたたかいお酒です。はちみつをいれた葡萄酒にショウガやスパイス、木の実をいれて飲むんです。あったまりますよ」

 「ええ!?なんだそれ、飲んでみたい」

 「はい、あちらにお店があるから」

 ウルリーカはにこりと笑い、是非と言い残して店の方へ小走りで戻った。

 案内された店に行って席につき、二人で市の様子を眺めながらクロッグをひっかけた。甘く、刺激的なスパイスの香りが後を引く。中に入っている木の実を匙でつつきまわしながら、喧騒を眺めた。

 

 「毎年こんなか」

 「ああ」


 「一人できていたのか」

 「ああ」


 「今年はわたしと一緒だな」

 「ああ」


 ノアの表情を盗み見たが、別段いつも通りだ。

 「楽しい?」訊いてみる。

 ノアはエレオノールの目を見た。

 「分かりにくいなら言っとくけど、エルと一緒に市を回って、おれはとても楽しい」

 「なんだそれ」

 「とても、だ」

 そうだったのか。ノアは照れ隠しなのか、クロッグをぐっとあおった。


 「ちょっと待ってて、良いものを買ってきてやろう」

 席を立って、ふらりと何かを買いに行ってしまった。席にひとりになり、ぼんやりと目の前の喧騒を眺めていた。子供達だけのグループがちらほら目につく。その光景がエレオノールの胸を温める。心配のない集落なんだ……それが一目でわかる光景だ。

 陽気で楽しいな。

 こんなに安心した気持ちで楽しく過ごせるのは、自分にノアという連れ合いがいるからだろう。感じたことや考えたことをすぐに共有できる伴侶がいるというのが、こんなにも甘く、安心するものだと知らなかった。

 

 ノアは木の盆に何か派手な料理を乗せて戻ってきた。

 「何を持ってきたんだ」

 椅子に腰かけるノアに訊いてみても、嬉しそうにニヤニヤしているだけだ。チーズや肉をたっぷりと乗せて、こんがりと焼いてある。香ばしい、いい匂いだ。

 練った小麦をのばしたものに乗せて焼いてあるらしい。

 ノアはわたしの質問には答えず、無言で一切れ手にとる。焼けたチーズがながく伸びた。

 「ほれ」

 生地がへたらないように器用に折り曲げて渡してくる。

 「熱いから気をつけてな」

 「なんだこれは」

 「うまいぞ」

 すすめられるままに口に入れる。


 まず、やけた甘い小麦の香りと甘みが口にひろがった。香ばしい。チーズと塩漬け肉のうまみが勢いよく主張する。オリーブの香りが鼻に抜け……その後で香草の苦みと香りが、それらすべてまとめて一体化させた。


 「ふまあい!!」

 ははは、とノアは軽快に笑った。

 「ノア!!エールが飲みたい」

 「だと思った」とノアがいたずらっぽく笑った。


・・・ 

 

 その後も、嫁入り道具という名目でエレオノールの買い物を続けた。村の娘たちが羽織っていた毛皮の外套を買ってもらった。ふわふわで可愛らしいのだが、エレオノールが身につけると村の娘と違って豪奢な感じになった。

 何着かの普段着――一着も持っていなかったスカートも含む――に加えて、柔らかい寝巻きも二着見つくろった。

 それから、特別にワンピースとブーツを仕立ててもらうことになった。目抜き通りの結構いい位置に出店していたテントで、服飾品を専門に取り扱う商人がいたのだ。

 店先に完成している見本があって、その中から選んで仕立ててもらう。そして後日、完成した商品を送ってくれるのだそうだ。

 エレオノールの目には、この仕組みが画期的にうつった。選んだ生地は漆黒でしっとりとして見え、一目で気に入ったものだ。自分の外見が十代中盤に見えるのは重々承知している。この生地のワンピースと、無地の黒いブーツなら多少は見た目も大人びて見えるかもしれない。見本では、このワンピースには首元から足先まで色鮮やかな刺繍がひとすじ入っていて、その緻密さと鮮やかさが気に入ったのだ。両手で吊り下げて身体に合わせ、似合うかどうかたずねてみる。

 「銀色の髪ととてもよくお似合いです。正面の刺繡は瞳の色を基調にしましょう。きっとよくお似合いになりますよ」

 と、愛想よく商人が応える。確かめるようにノアの方を見ると、軽くうなずいた。

 「おれもそう思うよ」

 ノアが言うならこれにしよう。


 「これがいい」

 

 自分のこの言葉が、思いのほか特別な響きになった。

 「じゃあ、これをもらおう」

 ノアはそう言ってお勘定してくれる。エレオノールは黙っていたが、ひそかに感動していた。自分が「これがいい」と発するだけで、目当ての品物を購入してもらえること。それから、注文しただけで見ず知らずの人が品物が仕立ててくれること。自分が所属していた世界とは根本的に土壌が異なる世界に迷い込んだという自覚がある。ただノアを介して受け入れてもらったという不思議な安堵感を大いに味わった。

 ノアが台帳になにごとか記入している横で、店主が世辞をいう。

 「奥様がこんなにお美しいと、何を着てもお似合いになっていいですね」

 ノアは言われて、変に気取るわけでもなく端的に答える。

 「多分そうだろうな。まだ新婚だから分からんが、いま初めて味わった」

 それを聞いて店主がはじけるような笑顔になった。

 「いいですね」

 二人で天幕を後にする。

 「ノア」

 「ん?」

 「ありがとう」

 「うん」

 礼を言ってから、エレオノールは不意に気になることができた。しかしノアの前でそれを明らかにするのははばかられる。

 「ノア、ちょっとここで待っててくれないか」と告げて、一人で店の中に引き返した。ノアは「ああ」と気のない返事をして、その場で立ち止まって、店先の様子を眺めている。戻っていって店主にひそひそ声でたずねた。

 「あの、女性の下着はあるのか」

 おそるおそる店員に聞いてみる。

 すると笑顔で「ありますよ」と答え、奥からうやうやしくチェストをとりだした。パチリと留め金をとってふたを開けると、中には整然と色とりどりの下着が並んでいた。

 アルブの文化にだって、生地を織り、仕立てて衣服にするという技術がある。

 技術だって申し分ない。着心地、術式付与、耐久性、保温性どれをとっても、ここにある下着に見劣りしないだろう。

 しかし自分の目の前にひろがっていたのは……

 「かわ……可愛いな!!」

 レースのついたもの。

 刺繍の入ったもの。

 つややかなもの。

 着け心地の良さそうな柔らかい生地のもの。

 白、青、萌黄、茜、紫、黒――

 色彩豊かな、女性の肌着だ。

 食い入るように見てしまった。

 「ちょっとまっててくれ」

 「はい」

 と、訳知り顔で店主が答える。

 

 「ノア、あの、ノア」

 「ん?もういいのか」

 ぶらぶらと所在なげに通りを見ていたノアに声をかける。

 「まだだめだ。あの――」

 「どうした」

 「その――」

 ノアはエレオノールの妙な雰囲気を察したように

 「どうした?」

 と、あらためて声をかける。

 「ええと……あの……」

 しどろもどろになったエレオノールに対して、ノアもどう助け船を出したらいいものかと思案気な顔をしている。

 「お小遣いをくれないか」

 「小遣い?……いくら?」

 「え?いくらだろう」

 実はそれも困っていた。物価がてんで分からない。

 「何か欲しいものがあったということか」

 顔が上気してきた。どうしよう。

 ノアがちょっと考えてから、店主の方に歩いていく。

 止めようと迷って、ノアの服のすそを軽くつかまえたものの、どのみち止めたところで説明のしようもない。

 どうやらノアはチェストの中をひと目見てすべてを察してくれたようだった。

 「ああ……」

 そういって振り向いてくる。何といえばよかったのだ。

 「これで見つくろってやってくれないか」

 ノアは店の者にそう言い含めて、硬貨を数枚渡していた。

 「はい、かしこまりました」と、軽やかな返事を背に、ノアはエレオノールに向いて「楽しみにしてるよ」と耳打ちした。

 

 顔が熱かった。

 

 その日はエレオノールだけ湯屋にいったのだった。

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