Ⅸ 二人
「……これ、木だな」
目の前にぽっかり空いた空間を横目に、エムレは手にした本を見た。本の形をしているが、たたいてみると、確かに木製だった。だから比較的無事に残っていたのだろう。
「この中に宝があったんでしょうか」
「おそらく。ああ、でも」
ロクサーヌは空間の中にためらわず手を突っ込んだ。そこがどうなっているのか触って確認し、ため息をつく。
「秘宝は鏡のようね」
「鏡?」
アイシェとエムレの声が被った。二人は目を見合わせる。視線での会話の結果、エムレが尋ねた。
「なぜ鏡だとわかるんだ?」
「鏡を固定していた部品が残っているわ。これだけなら断言はできないけれど、彼女は秘宝が盗まれ、使用されたら大変なことになる、と言っていたわね」
「あ、ああ」
「鏡というのは、封じに使われることが多いのよ」
魔鏡、というものが存在する。鏡というのは、写すものだ。元来、魔術的なものに使用されることが多い。魔法学校出身のアイシェは、そのあたりの概要的な知識はあった。
「魔除けとか、祭祀に使われることもあると思うんですけど、封じ、ですか?」
アイシェも、概要を知っているからこそ不思議だった。ロクサーヌが断言したことが。実物があればおそらく、アイシェでも判断が付く。しかし、ここには台座しかない。
「台座自体にも封印文字があるわよ。アイシェならわかるのじゃない?」
ロクサーヌが明かりで照らすところを覗き見ると、確かにあった。アイシェがうなずく。
「確かに、何かの封印みたいですけど……」
「それに、百年たってもまだ残滓があるわ」
きっぱりとロクサーヌが言った。アイシェとエムレは感じ取れなくて顔を見合わせる。そんな二人に、ロクサーヌは肩をすくめて見せた。
「こういう時、魔法を使わないと言いながら自分が魔女なのだ、と思い知らされるわねぇ」
ロクサーヌはため息をつき、棚を元に戻した。え、とエムレとアイシェは声を上げる。
「何もしないのか」
「何もできないわよ。実物がないんだから」
まあ、確かに。では、探さなければならないのだろうか。
「そういうことになるでしょうけど、また難易度が高いわね……」
いっそのこと、ロクサーヌが魔法を使えば、と思ったのだが、ロクサーヌはそうした探索系の魔法は苦手らしい。
「打ち明けてしまうと、私って武闘派の魔女なのよね……」
「ああ、そんな気はしてました」
弓の腕が尋常ではないし、剣も扱える。長い人生の間に覚えたにしても、武闘派であることは否定できないだろう。逆にアイシェはできるか、と聞かれたが、彼女も首を左右に振った。
「すみません……」
「私もエムレもできないのだから気にすることないわ。行きましょう」
崩れかけた扉をくぐり、階段をうっかり踏み抜きながら、三人は無事に屋敷を出た。その瞬間、屋敷が崩れ落ちる。
「危なかったですね」
「そうねぇ」
アイシェの言葉に、ロクサーヌは考え込みながらうなずく。
「どうかしたのか」
エムレが問いかけると、そうね、とロクサーヌはまるっきり聞いていないことがわかる返事をした。思わず顔を見合わせるアイシェとエムレである。
「ええ、まあ、おそらく、セレンがこういうことに詳しいだろうな、と思って」
セレン……アイシェが退学になった魔法学校の校長だ。ここで思い切ってアイシェは尋ねた。
「師匠は校長とどういう関係なんですか」
「……私の師匠なのよ。もう半世紀以上前の話だけれど」
「師匠の、師匠」
いやまあ、親子だ、とか言われなくてよかったけど。やはりそうなのか、と思った。ロクサーヌが魔女である以上、彼女にも師がいるはずだった。それが魔法学校校長セレンだったわけだ。
校長が詳しい以上、報告するしかない。数日後、その返答がきてロクサーヌはため息をついた。
「……一度、会いに行かなければならないわ」
一緒に行く? と聞かれたが、アイシェは首を左右に振った。
「……やめておきます。まだ、心の整理がつきません」
ロクサーヌはそう、とうなずいた。アイシェが学校から除籍されてから、まだそれほど時間がたっていない。ここでの暮らしは楽しいが、学校も懐かしい。同時に憤りもある。同級生たちは、学校という国家機関で学べているのに、と。同時に、自尊心の高い彼らに除籍処分を食らったことを馬鹿にされるのも腹立たしかった。
「じゃあ、エムレと留守番をよろしく。ラシードを残していくから、何かあったらこの子を伝令に使いなさい」
「任せろ」
猫が低い声で言った。ここぞとばかりにアイシェの足にすり寄ってきたのを、ロクサーヌがつかみ上げた。
「飽きないわね、あなたも」
「長い人生、潤いが必要だ。お前も若い男を置いていたことがあるだろう」
「人聞きの悪いことを言わないで頂戴」
否定しないところを見ると、若い男を置いていたことはあるらしい。まあ、エムレも若い男だし。
「留守をお願いね」
そう言ってロクサーヌは迅速に帝都を離れた。アイシェはエムレとしばらく二人きりになった。ラシードもいるけど。
二人だからといって何も変わらない。貸本屋を閉めているくらいだ。
喧嘩をしながらロクサーヌの薬草や庭の草木の世話をし、薬を求めてきた人に在庫を販売する。空いた時間は、家事をするかロクサーヌの蔵書を読む。……あれ、普段とあまり変わらない。
「おい」
唐突に声をかけられた。当然だが、エムレだ。相変わらずの彼にアイシェもムッとする。
「何よ」
すると、エムレも顔をしかめた。
「なんで喧嘩腰なんだよ」
「あんたが『おい』とかいうからでしょ。せめて名前を呼びなさいよ」
「じゃあアイシェ」
じゃあってなんだ、と思いつつ自分が言ったことなのでとりあえず表面上は穏やかに、「どうかしたの」と尋ねた。
「外に食べに行かないか。屋台が出てる」
「あ、うん。行きたい!」
アイシェは喜んでうなずいた。
孤児院にいたころ、町の祭りに参加したことはある。だが、それは孤児院への寄付を集めるためのもので、子供たちは自由に祭りを楽しむことはできなかった。そもそも、アイシェは多くの場合、その強すぎる魔眼から孤児院に残っていることが多かった。
また、魔法学校ではそんなことにかまけている暇はなかった。よい成績をとらなければ、学校を放逐されてしまうからだ。まあ、よい成績をとり続けていても放逐されたけど。
というわけで、アイシェは祭りやそれに伴う屋台などはちゃんと見たことがなかった。帝都では普段でも屋台が出ているというから驚きである。ロクサーヌと買い物に行ったときに、見かけたことなどはある。
思いのほか喜んだアイシェに、エムレは驚いたように「お、おう」とうなずいた。
「じゃあ行くぞ。支度しろ」
「うん」
外出の準備をして、アイシェはエムレについて家を出た。帝都の町の中心まで行くので、少し歩かなければならないが、それくらいは苦にならなかった。なんだか機嫌のいいアイシェに、エムレは引き気味である。
「お前、どうした……?」
「え、どうして?」
「……妙に機嫌よくないか……?」
どうやらアイシェの機嫌がいいことに引いていたらしい。いつもならムッとするところだが、今日は受け流すだけの余裕があった。
「屋台とか、行ってみたかったんだ」
「初めてなのか」
「うん」
楽し気なアイシェに、エムレは「そうか」と答えて少し微笑んだ。
初めてだ、といったアイシェを、エムレはできるだけ連れまわすことにしたらしい。とりあえず、出ている屋台は全部回った。
肉の串焼きにソーセージをはさんだパン、温かいコンソメスープにデザートに焼き菓子を買った。
「そんなに食べきれるのか?」
「食べられなかったら持って帰る」
「……そうか」
いつもの厳しい突っ込みがなくて、アイシェも少しうろたえる。それを隠すように串焼きにかぶりついた。少し冷めているが、悪くはない。
「楽しいか?」
「うん」
「そうか」
エムレは少し笑って自分はパンにかぶりついた。アイシェは横目で彼を見上げる。もしかして、少し落ち込んでいる風だったアイシェを慰めてくれるつもりだったのだろうか。思いのほかアイシェがころりと機嫌を直したので、あきれているのかもしれない。
「……エムレ」
「なんだよ」
「エムレって優しいよね」
その言葉に彼は過剰に反応した。
「何言ってんだ。馬鹿じゃねぇの」
それが照れ隠しだと、アイシェももうわかっている。
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