Ⅷ 秘宝
とはいえ、基本的に慎重なロクサーヌは、すぐには動かなかった。見知らぬ場所に飛び込むのだ。危険があるのはわかりきっている。調べすぎるということはない……とはいえ、そんなことを言っていればいつになっても行くことができない。
ロクサーヌが調査にあてたのは丸一日だった。何もわからないアイシェから見ても、情報収集能力が半端ではなかった。
屋敷についての詳細は、昼になる前に出そろってきた。それによると、あの屋敷は今から百五十年ほど前、とある貴族の別荘地として建てられたそうだ。確かに、帝都の屋敷にしては場所が離れすぎている。その貴族は古典品の収集が趣味だった。その中の一つが、あの女性の霊体が言うところの『秘宝』にあたると思われた。
「さすがに当時の美術品目は見つからなかったわね」
「……」
アイシェとエムレは顔を見合わせた。探したところで見つかるものなのだろうか、それは。
屋敷自体は、ロクサーヌが言ったように百年ほど前には放棄されている。
「どうして放棄されることに?」
「所有者だった貴族が維持できなくなって手放したそうよ」
それは今でもままあることだ。アイシェは「なるほど」とうなずいた。
「けど、それなら金目のものは持っていくんじゃないか? 秘宝が残ってるとは思えないんだけど」
「むしろ、それを持ち出されたことに対して『奪われた』って言ってる、とか?」
エムレとアイシェの言葉に、ロクサーヌは笑った。
「二人とも、いい推察ね。けれど、秘宝が必ずしも価値のある形をしているわけではないし、最後の持ち主が秘宝を持ち出したことを怒っているのなら、ちょっと怒るのが遅すぎるわね」
二人とも、なるほど、とうなずいた。秘宝は確かに、目に見えて価値のあるものではないかもしれない。そして、あの屋敷が放棄されたのは今から百年前。今になってあの女性の霊が、あるべきものがないことに気が付いた、という可能性はなくはないが、低いだろう。
「……なら、墓場泥棒よろしく誰かが盗みに入った、ってこと……?」
「その可能性が一番高いわねぇ。なんでも、最後の所有者は錬金術師だったそうだから」
「錬金術師……」
錬金術と聞いて最初に思い浮かべるのが賢者の石だろう。土塊を金に変えるという石と、不老不死を与えるという命の水。学校で、どちらもおとぎ話の範囲のものでしかない、と習ったが、類似品は存在する。
とはいえ、その秘宝とやらが錬金術に関するもの、とは限らない……なんとも難しい話だ。
「もう少し時間をかけて、その錬金術師の研究内容を探ってみたいところだけど」
ロクサーヌがため息をつく理由がわかる気がした。今夜も、きっと、あの霊体はやってくる。助けてくれるまでやってくる。そうした霊体が悪霊化し、とりつく事例がないわけではない。ロクサーヌは自分が魔法を使わない、と決めているから、そうならないように手を討とうとしているのだろう。
こうしてロクサーヌとともに暮らすようになって、ときどき思う。ロクサーヌは思慮深い人だ。それが彼女の頭脳というよりも、経験に裏打ちされていることが、なんとなくわかる。もちろん、頭も悪くないのだろうが。
「仕方がないわね……ラシード」
「御前に」
しゅるりとラシードが姿を現した。ロクサーヌはしゃがみ込んで、ラシードの体をわしわしと撫でた。
「偵察に行ってほしいのだけど、いける?」
「もちろんだ、主。留守番ばかりで退屈していたところだからな」
「ありがとう。気を付けてね」
「私に何かあれば、主が泣いてしまうからな」
「はいはい」
ロクサーヌの適当な返事を聞いてから、ラシードは姿を消した。現れた時と同じようにすっと消えていった。
「……使い魔ってあたしでも持てるんですかね」
「ある程度の魔力が必要だけど、アイシェなら有り余っているからできるかもね」
魔眼を持っていると魔力が強い傾向があるのだ。アイシェもその例にもれなかった。
「師匠、行くのか」
エムレが期待するように言った。しかし、この期に及んでもロクサーヌは行くとは言わなかった。
確かに、彼女の言うこともわかる。本来ならアイシェ達には関係のないことだ。だが、このまま放っておいていいのかという思いがないわけではない。ロクサーヌもそうだろう。
「……せめて、別の魔術師の到着を待ちたかったんだけど」
戻ってきたラシードの頭をなでながらロクサーヌはため息をついた。じゃあ、とエムレが意気込む。
「行きましょう」
きっぱりとロクサーヌは言った。なかなか煮え切らなかったが、決まると行動の早い彼女だった。杖の代わりに彼女が手に取ったのは弓矢と剣だったけど。
「師匠、剣も使えるんですか」
「あら、エムレに剣を教えたのは誰だと思ったの?」
「……」
そういえば。ある程度覚えれば自主訓練でも自分で師を探してくることもできただろうが、基礎の基礎はロクサーヌが教えた、ということだろう。アイシェは目を細めて納得したようにうなずいた。
出発したのは明け方だった。できるだけ日の高い間に何とかしてしまいたいのだろう。森に到着したとき、朝日が昇りきったころだった。
「気を付けるのよ」
「わかっている」
先頭を行くエムレを、ロクサーヌが不安そうに見守る。最初、自分が先頭を進もうとしたのだが、エムレが志願したのである。
屋敷の中は、わかってはいたがボロボロだった。今にも崩れ落ちそうな個所もある。というか、正面と思われる玄関の扉を開けたら、蝶番が外れた。
「……百年でこんなになるものなんですか?」
「まあ、人が住んでいないと急激劣化するから」
アイシェの疑問に、ロクサーヌも少し困惑気味だ。
「むしろ、よく形が残っているほうだと思うわ」
そういうものなのか。アイシェが育った孤児院も、今にも崩れ落ちそうだったが、人が住んでいて少なからず補修工事などをしていた。だから、今も建物の形を保っている。それが、この屋敷にはなかった。確かにそう考えると、百年たって形を保っているのは珍しいのかもしれない。
内部は閑散としていた。物取りが入ったのだろうか。美術品が置いてあったであろうあともある。
広間の暖炉や棚を見分していると、エムレがはっとしたように周囲を見渡した。アイシェもエムレの視線を追った。
「幽霊」
アイシェはぽつりとつぶやいた。あの、女性の霊体がそこにいた。すっと奥を指さす。
「……ついて来いって言ってるみたいだ」
「なら、行ってみましょうか」
あれだけ行き渋っていたのに、一度決めてしまえばロクサーヌは臆さないらしかった。アイシェはロクサーヌに離されないようについていく。
たどり着いたのは書斎のような場所だった。そこで、女性の霊体はすっと消えた。この場所、ということか?
「普通、どういうところに宝はあるものなんだ?」
エムレが戸惑ったように言った。どうせ出てくるのなら、最後まで教えてくれればいいのに、とアイシェも思った。ロクサーヌは周囲を見渡す。
「……書斎なら、隠し扉かしら」
「ああ、学校にもそういうのありました」
そう言ってアイシェも本がほとんどない棚を見分する。残っている本もボロボロで、触ったら崩れそうだ。希少な本もありそうだが、それはあとだ。
「これとか、どう考えてもおかしくないか」
と、エムレは何気なく形を保っている本を手に取った。それがカギだったらしい。
がこん、と音がして本棚が動いた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
武闘派魔女のロクサーヌさん。